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  • 10月
    05
    2003

    音楽の歴史 feat.icco

    カテゴリ:音楽の歴史 |
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    幼い頃より自分の聴いてきた音楽を赤裸々に語る、音楽の歴史。

    今回はDJとしての活躍も目覚しく、酒にはめっぽう強い、Scintillate管理人iccoさんのテキスト。

    ジャンルの飛びまくりっぷりはやはり皆共通ですね。(笑
    iccoさんだけでなく他のヒトのも、よく読むと、音楽ネタなんですが、人柄がかなり表れるとことが面白いと最近思い始めました。
    これ読んで書きたくなったヒト、名乗りをあげてください。自分を振り返るのも楽しいものですよ。



    1977年~1980年
    大晦日に生まれる。めぇぇ。

    私立幼稚園に入園と同時にピアノを習い始める。
    音楽に熱心な幼稚園だったため、夏休みを返上+練習を重ね、
    マーチングフェスティバルに出場。
    園児のほとんどが、鍵盤ハーモニカだったのに対し、
    ピアノを習っているという単純な理由でアコーディオンをチョイスされてしまう。
    冬には、文化会館の立派なホールで音楽祭があり、「カルメン組曲の闘牛士」と「ドヴォルザークの新世界」を披露。
    実際は、登園前のポンキッキと帰宅後のおかあさんといっしょが唯一の楽しみであった。
    (特に、「コンピューターおばあちゃん」という歌が好き。)

    1983年
    小学校入学。叔母(父の妹)と一緒に車に乗ると、安全地帯の「ワインレッドの心」
    が必ず流れた。子供乍らに、大人になったつもりで酔いしれていた。

    1984年
    小学2年生の時、算数で習った学研の付録「九九の歌」にまんまとはまる。
    これは、今でも余裕で歌える。

    1986年

    家の近所の英語塾に通わされる。
    「Sound Of Music」や、「Mary Poppins」などのミュージカル映画を父に勧められ、
    3姉妹一緒になって、客が来るたびに人前で合唱させられるようになる。

    1987~88年
    英語塾で、「Yellow Submarine」を習い、意味もわからず歌っていたら、
    翌日父に、「THE Beatles」とかかれたカセットテープを渡される。
    聞いた瞬間、インスピレーションを感じたのは言うまでもない。(ほんとか?)
    「HEY JUDE」の日本語訳を父が必死にしてくれたので、それに応えようと思う気持ちもあり、
    「ビートルズについて」という本の読書感想文を書く。
    はっきりいえば、曲の感想だったように思う。
    また、自宅を新築したのをきっかけに、
    両親が昔聞いていた「Simon and Garfunkel」「Carpenters」のカセットを
    荷物運びの途中発見。
    興味本位で聞いてみたら、これまた単純に衝撃を受け、
    彼らについて詳しく説明してもらう。(=ヘビーローテーション)

    友達は、光GENJI」に夢中だったが、あまりTVを見させてもらえなかったので、
    話題についていけなかったが、お年玉で、「ガラスの十代」のカセットテープを買い、何度も何度も妹と聞いた。
    B面の「GRADUATION」の方が心に染みた。

    1989年
    「あの夏に抱かれたい」というドラマ主題歌の「落陽」これが、マストヒットだった。
    父は、「吉田拓郎全集」という、よれよれのスコアブック(当時の物)を引っ張り出し、ギター片手に歌ってくれた。
    「井上陽水」がかっこいいと思えたのもこの頃。
    あっ、ここで言っておくが、私はファザコンではない。

    1990年
    確かこのあたりからCDが普及し始める。
    誕生日に、ディスクマンを買ってもらい、ついでに、「五輪真弓」「ビゼー」のCDをゲット。
    「五輪真弓」「ジョーカー」という曲が大好きだった。

    私立の中高一貫教育な女子校だったため、日本人との恋愛から現実逃避。
    友達がはまる音楽をかなり聞かされたり、映画を散々みせられたり、いろいろ影響をうける。

    (愛読本は、「ロードショー」。「ジェームスディーン」と「リバーフェニックス」はかっこいいと思えた。)

    NEW KIDS ON THE BLOCK「STEP BY STEP」は全米チャート1位を占めたので、かなり聞いた。
    「NEVER ENDING STORYの第二章」が上映されたので、みんなで観に行き、
    翌日、さっそく音源を買った友達からカセットをもらった。ファ~ルコ~ン!

    学内では、「TMN」(当時は、ネットワークとまで呼んでいたはず。)と「B’z」ファンとで、
    対立が起きていた。
    個人的に、「稲葉浩志」の勝ち。「Lady-Go-Round」から、ほとんどのCDを買い続けた。

    1991年
    「伝説の少女」でデビューした「観月ありさ」が、八頭身とかいう話しになり、
    友達と、頭の全長と、背を比較したら、運良く八頭身になり、優越感を覚えた。

    根性が悪くなったのはこの辺から。世の皆さん、ちやほやしてはいけません。

    それから、「観月ありさ」が好きになる。
    音楽雑誌をみていたら、セピア色のオトコマエが掲載されていた。
    デビューしたての「福山雅治」だ。速攻「LION」というアルバムを購入。
    当時、歌にはピンとこなかったが、あまりのかっこよさにドキドキしていた。

    「今井美樹」主演の「あしたがあるから」に俳優としても出演。しびれた。
    もちろん「今井美樹」のキュートさにひかれ、「Pieces of my wish」は今でも大好きな曲である。

    1992年~1993年
    「ジッタリンジン」・「ジュンスカ」・「ユニコーン」・「ブルーハーツ」・「バク」などのJ-パンクバンドはこれまた友達の影響でよく聞いた。

    特に「BAKUの車谷くん」(後のスパイラルライフ→AIR)の顔が大好きだった。

    中学校を自主退学したあと、公立の中学校に転校した。
    英語の先生が、「ビリージョエル」の「HONESTY」を授業中に教えてくれ、大人の渋さを知る。

    TBS系ドラマ高校教師の主題歌に使われた「森田童子」のLPを父が持っていたので、レコ屋でカセットに録音してもらう。
    当時、一枚一万で買うと言われ、レコ屋のおやじは何を考えてるんだ?と思った。
    実家に、ケーブルテレビが導入され、スペースシャワーTVやMTVが見れるようになる。
    「藤原ヒロシ」や「YOU」、「GREAT3」などが司会をやっている番組を意味もわからず見ていたが、今思えば、濃い面子だったのだと再確認。
    「ピチカートファイブ」の「スウィートソウルレビュー」に衝撃を受け、カラオケでは必ず歌う曲になった。
    「フリッパーズギター」の曲もさながら、「小沢健二」の顔がかわいかった。
    また、「レザボアドッグス」を観て、「Little green bag」にやられ、CDをゲット。

    1994~1995年
    世間では、「GLAY」や、「ルナシー」、駆け出しの「ラルク」のおかげで、ビジュアルブーム。ルナシーのTRUE BLUEは、かなり好きだった。)
    この頃は、スペシャの影響をもろに受け始め、ピチカートファイブのアルバムを何枚か買ったり、藤原ヒロシプロデュースのeriの曲を買ったりしていた。
    (が、この時点では、藤原ヒロシがプロデュースしたとか、まるっきりわかっていない。
    というか、数年前にわかった。。。)

    思いっきりはまったのが、「サニーデイサービス」。彼らのCDは、全て持っている。
    あと、渋谷系といわれる音楽がかなりはやった。
    ♪ダンスフロアーに~って「おざけん」「スチャダラパー」は、最高だった。

    1996~1998年

    このころから、音楽のジャンルに興味を持ち、「木村コウ」「EMMA」のリミックスCDを買うようになる。
    当然地元のクラブイベントに顔を出すようになり、ハウスミュージックにはまりまくる。
    ultra nate / jocelyn brown / diana ross / Ce Ce Penistonなどハウスディーバのパンチがきいた歌声が好きで好きでたまらなかった。

    レコードをがっぽり買い始める。(ほんと、ミーハーだわぁ。)
    MISIAの「つつみ込むように・・・」がイベントでかかるとハッキョウした。

    やはり、日本語は素晴らしいと思ったのと同時に、ハウス以外のクラブミュージックに興味をそそられる。


    1999年
    東京に遊びに行った際、ピーコのファッションチェックに出る。
    そのとき、「real eyes」始動のフライヤーをゲット!「大沢伸一」のリミックスを聞いたが、ラテン系ハウスがかなりかっこよく、ブラジル・ラテン系音楽を聴き始める。

    友達が好きだった人がラテン系やらのDJをやってたので、イベントに顔を出しては、気になる音楽を頭インプットして帰るようになる。

    PORT OF NOTES「MORE THAN PARADISE」をかけられたときは、腰がくだけてしまった。
    WOWOWを家でみていたら、ミュージカル映画特集だったので、幼い頃を思い出しみることに。
    シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人達」だった。
    「ミッシェルルグラン」の存在を知ったのはこのとき。天才だと思った。
    「irma」のレコードやら、JAZZ/BOSSAをやたらと買い始めたころ。

    2000年
    地元は相変わらずのハウスブームで、(高校生達は、hip hop全盛)なんだか取り残された気がしていた頃、見かけたことのない男性が一人で飲んでいたので、酔いにまかせて声をかける。
    お店のマスターから、かなり私好みのDJなはず!と紹介され、その方にどんな音楽を聞くの?と聞かれたので最近買ったレコードを話したら、「聞いていって!」と言われたので、まったり聞くことに。
    はっきりいって、DJプレイで鳥肌がたったのは初めてだった。
    これが、THE MAN FROM AFROPIA石井氏との出会いである。

    アドレナリン大分泌!!!

    石井さんのMIX CDを頂き、それから、ますますファンになり、中毒と化し、JAZZ/BOSSA/LATIN/BRAZILなどの深みにとうとうはまってしまい今にいたる。
    そうそう、この年にみた「ダンサーインザダーク」に、カトリーヌドヌーヴが出ていたが、一年前にみたときは、若かったのに。。。と時代錯誤もいいところでございました。
    ちゃんちゃん。

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    Written by ayu in: 音楽の歴史 |
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