[コピペ]泣ける

625 :本当にあった怖い名無し :2006/08/08(火) 18:49:54 ID:gxEvaWAe0
私が幼稚園のときに亡くなったお母さん。

当時ひらがなを覚えたての私が読めるように、
ひらがなオンリーの手紙を遺してくれた。

みいちゃんが
おかあさんのおなかにやってきてくれたあのひからずっと
おかあさんは せかいでいちばんのしあわせを
みいちゃんからもらっています。

おかあさんのだいすきなだいすきな だいじなだいじな みいちゃん。

こんどはみいちゃんが せかいでいちばんしあわせになってね。

お母さん、私、この秋に結婚するよ。
世界で一番幸せになるよ。

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268:名無しの心子知らず:2007/01/22(月) 14:09:10

7ヶ月前に妻が他界して初めての、娘の4歳の誕生日。
今日は休みを取って朝から娘と二人妻の墓参りに出かけてきた。
 

 
 
妻の死後しばらくはあんなに

「ままにあいたい」
「ままかえってこないの」

と毎日泣いていた娘が、先週あたりからぱったりと泣かなくなった。

さっき墓前で

「4歳になったからね、
 もうおねえさんだから泣かないよ、ばあばと約束したんだ」

と私に打ち明けてくれた。

そして、小高い丘の上にある墓地から空に向かって

「ままーっ!いつでも帰ってきてねぇ!!」

と叫んだ。

けなげな姿が涙でゆがんだ。

いま、隣で昼寝している娘の寝顔を見ながらパソコンにむかっている。
もともとここをのぞいていたのは妻のほうで、入院中によくみていたようだ。

「私も何か書き込もうかな」

そう笑っていた数日後に亡くなった。
それから、半年以上が過ぎ、今日ふとここを思い出したのだ。

妻よ、きみと俺の愛する娘は今日4歳になったよ。
日々とても愛らしい子どもに成長している。
だから心配しないで見守っていて欲しい。

スレ違いかもしれません。
すみませんでした。

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203:癒されたい名無しさん:2004/11/21 21:51:33

小学生のとき、足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。


「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」


A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。

 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。

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16 :電力会社勤務(天竜市) :2007/03/15(木) 06:00:06 ID:Oz54U5yQO

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた