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管理人ayu

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全く役に立たないトリビアをwikipediaで集めてみたよVol.3 – スポーツ編

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全く役に立たないトリビアをwikipediaから集めるシリーズ第3弾です。
今回はスポーツ編ですよ
前回までのはコチラから。
全く役に立たないトリビアをwikipediaで集めてみたよVol.1 – TV・有名人編
全く役に立たないトリビアをwikipediaで集めてみたよVol.2 – 雑学編
詳細は以下より

全く役に立たないトリビアをwikipediaで集めてみたよVol.3 – スポーツ編


アラン・プロスト – Wikipedia

かつてのチームメイト、ケケ・ロズベルグの解説によれば、傍目にはスムーズに見えるプロストのコーナリングは、ブレーキをかけないまま曲がっていき、曲がりながらロック寸前までブレーキをかけ一気に転回し、そこから全開で加速するという独特なもので、ロズベルグ自身も真似しようとしたがどうしても出来なかったという。
プロストは「チームメイトがセットアップしたマシンでそのまま走れたのはセナとラウダだけだった」と発言しており、マシンの最大の性能を引き出すセッティングは3人同じであった。デイモン・ヒルは、同じセッティングで走っていたプロストのハンドル操作が極めて少ないことをデータから知り、プロストの走法を学ぶようになった。
レース人生で自費で出走したのは「初めて参戦するレースに必要なカートを買った時だけだ」という。
フランスの高速道路でねずみ捕りにひっかかったプロストは、追いかけてきたパトカーに制止され、警察官に「お前は自分をアラン・プロストだとでも思っているのか?」と言われた。
1993年の日本グランプリの後、東京で立ち寄った吉野家の牛丼を気に入ってしまい、「オレンジ色の看板のレストランでライスの上にビーフの乗ったものを食べた。生卵がまた良かった」などと発言した。


ニキ・ラウダ – Wikipedia

現在は実業家としても知られ、1978年にはラウダ航空を設立した。ラウダ航空の経営は成功するが、1991年に機体の設計上の不具合が原因で、タイにて自社のボーイング767型機が墜落する大惨事を起こしてしまう。その後持ち直すも経営難から経営権をオーストリアのフラッグ・キャリアのオーストリア航空に譲渡している。
その後は自らのファーストネームをつけた格安航空会社のニキ航空を設立し、経営者となっている。


掛布雅之 – Wikipedia

2004年秋に発足当初の東北楽天ゴールデンイーグルスから監督要請があったように報じられるが、結果的に田尾安志が監督に就任した。このことについて実のところ、掛布は楽天の三木谷浩史オーナーによって玩具まがいの扱いをされていたことが、先輩である加藤博一から1年後の10月に伝えられた。


ラモス瑠偉(Wikipedia)

「もっとも卑怯なフェイント」(一部のファンが良い意味で言っていることだが)こと「審判が笛を吹いた」フェイントの考案者として知られている。これは、相手選手とボールを奪い合っている真っ最中に、突如動きを止めて両手を広げ「おい、今のプレイのどこがファウルだって言うんだ!」と叫ぶというもの。相手選手は、審判がラモスのファウルを取ったと勘違いしてボールを奪う動作を中断するが、実際はオンプレイなのでその隙にラモスがボールを奪ってしまうのである。試合場はサポーターの歓声や鳴り物が響いているので相手選手が笛を聞き逃したと思ってしまう可能性は高く、面白いほど効果を挙げたそうだが、相手チームから「あのフェイントは止めろ」と言われ封印したという。


ランス・アームストロング – Wikipedia

ツール・ド・フランス7連覇において、2位との差は2003年にヤン・ウルリッヒと1分01秒差であったのを除けば、いずれの年も6分を超えている。
第15ステージでウルリッヒたちとアタック合戦を繰り広げていたゴール手前9.5km地点で、ランスのハンドルに沿道の観客の持っていた袋が絡み付いて落車してしまうアクシデントが発生。ウルリッヒは紳士協定にのっとり、落車したランスを待ったものの、誰もがこれでランスのマイヨ・ジョーヌはなくなったと確信した。
ところが立ち上がったランスは、勢い余ってペダルから足が外れて再び倒れかけるほどの激しいアタックを開始。そのままウルリッヒを置き去りにして、先頭を走っていたシルヴァン・シャヴァネルも追い越し、ステージ優勝。ウルリッヒに40秒差をつけることに成功し、この差を守りきって5連覇を達成。
たとえ同じ機材を使っていても、ランスが上り坂で勝負に出れば誰もついていくことは出来なかった。
癌撲滅チャリティーの為に出場した2006年のニューヨークシティマラソンではほぼイーブンペースを保って、856位でゴール。2時間59分35秒の好タイムで、3時間を切るという目標を果たしたが、レース後に足の痛みを訴え検査したところ、それまでのトレーニングのせいで右脛骨が疲労骨折しており、そのまま参加、完走していたことが発覚した。


多村仁志 – Wikipedia

夏の県大会決勝戦で勝ちを決めた直後、センターからベンチに駆け戻る途中で足がつってしまい、結局校歌を歌えなかったという逸話がある。
後に渡辺監督は多村のことを「純粋なところもあるが長続きせず、調教してるようだった」と語っている。
故障を気にしてか果敢な走塁は見られない
肝心なときに怪我をすることが多く、飛躍のきっかけを掴めなかった。
彼の怪我は野球の試合や練習中にとどまらず、ポスター撮影中にジャンプして右足関節を捻挫したり、プロ野球再編問題に伴うストライキの際に握手会で左掌の炎症を起こしたりしている。
一部の阪神ファンが9回3アウトとなるレフトファウルフライを捕球した多村に向けてメガホンを投げつける暴挙にでた。後に多村は「本当に危ない。怪我するかと思った」と発言している。


王貞治 – Wikipedia

通算846号の本塁打を打ったバットは、歌手の八代亜紀にプレゼントしている。これはイベントで知り合った八代が、語呂あわせで"やしろ"となる846号を打ったバットを欲しがった為である。
サインをする際に俺は今までサインを書きすぎてるから、ネットオークションに出したって1銭の価値も無いよと笑って冗談を交えながらサインをする。
パソコンは富士通のノートを愛用。わからないことがあるとよくコールセンターに電話をしていたが、その際「王ですけど」とわざわざ名乗ってかけていた。この際、口調がたいへん丁寧だったため、コールセンター中で人気があった。


三沢光晴 – Wikipedia

同じくタイガーマスク時代、その跳躍力を買われていた三沢は、先輩レスラーに「お前なら走ってくる車を飛び越えられるだろう」と言われ、おもむろに車道へ出て、向かってくるタクシーを飛び越えたというエピソードがある。


東京スポーツ – Wikipedia

三浦和義から名誉毀損で訴えられた際に、一審の東京地裁において「東スポの記事を信用する人間はいない」という東スポ側の主張が認められ勝訴した。

まだまだ続きますよ!あと、面白いネタがあれば教えてください!

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Posted by ayu