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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]怖い

4 名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2006/07/11(火) 07:25:09

ある男が、病弱で、死の床につく妻の手を握っている。

妻:「トム、わたし・・・・わたし、お別れする前にどうしてもあなたに言っておきたいことがあるの」

トム:「いいんだよ、もう、いい。どんなことをしたにせよ、わたしはもう怒ってはいないよ。
何も心配することはない」

妻:「いいえ、トム。わたしは長い間、この秘密を抱いて苦しんできたの。
でも、もう白状しなければならないわ。わたし・・・わたしずっとあなたを裏切っていたの。
あなたの親友のマイケルと不倫してしまったのよ。本当に、本当にごめんなさい」

トム:「ああ、それは分かっていたよ。わたしがなぜおまえに毒を盛ったと思うのかね」

[コピペ]怖い

62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/09/30(火) 21:22:38

風邪ひいてて寒気がするので、
大久保にある病院に行くため西武新宿線のつり革につかまってた。
で、あたまがぐわんぐわんと痛くて、目を閉じて眉間にしわ寄せて耐えてた。
そこで記憶が途絶えて、気がついたら夕方で、あたりは見知らぬ景色。
買ったことない服着てて、髪染めたこともなかったのに茶髪になってた。
パニクって近くのラーメン屋に入って、ここどこと聞いた。大阪市の福島駅の近くで、
時間が一年近く経ってた。ケータイの種類が変わってた。
アドレス帳には、「ま」とか「ひ」とか、一文字の名前で電話番号が10程度あったけど、
知り合いや実家の電話番号がない。
俺はなぜだか知らないがその知らない電話番号が恐ろしくて、川に捨てた。
警察から実家に連絡した。向こうもパニクってた。俺に捜索願が出てた。
とにかく、帰って、今もまだ月一で精神病院に通ってる。
仕事は元の会社には帰れないみたいだったので、今は派遣やってる。

亀でサーセンwwww

[コピペ]全米が泣いた

2 名無しさん@九周年 2008/09/06(土) 19:27:33

昨日3歳の娘を風呂に入れてたんだが
俺がシャンプーしてると後ろから「パパー、だっこ、だっこー」とせがんでくる
なんで風呂場で?と思ったが、放っておくと何度も「パパだっこー!」とうるさい
「しょうがないな、そんなにパパのだっこ好きか~w」と思い頭を洗い流して娘を抱きかかえ、
「ほーら、だっこだぞー」と言うと、自分から要求したくせに俺の腕を振りほどこうとする
「なんだ困らせようとしてるのか?もう反抗期か?」と悲しくなって娘を下ろすと、
サッと俺の背後に回って、「だっこー!パパだっこー!」と俺のケツを指差す
どうもおかしいなと思って鏡でケツ確認してみたら5センチくらい脱肛してたw

[コピペ]いい話

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(鹿児島県) 投稿日:2008/09/10(水) 23:03:47

僕の兄は身障者です。

お話もできません。
自分で歩くこともできません。時々「あー」って大きな声を出します。
僕が小学校のとき、兄ちゃんの事友達にも内緒にしていました。
ある日の朝、母が「養護学校のバス停から3時におにいちゃん迎えに行って。」と頼まれました。
小学生のぼくでしたが、裕福な家庭でなく母も仕事をしていることは解かりました。
だから、仕方なくですが、迎えに行くことにしました。

学校から帰り、兄ちゃんを迎えにいきました。ちょうどその時間が下校時刻であり、みんなとあってしまいます。
車椅子を押しながら兄ちゃんを見られたくない(恥ずかしかった)こともあり、
普通に帰れば舗装されたきれいな道を通らずにがたがたな砂利みたいな道を通って遠回りして帰りました。
遠回りをしてみんなのいる道を避けました。

家に帰ると母親は仕事から帰ってきていました。汚れた埃まみれの車椅子をみて母はすべてを悟ったようです。
泣いてました・・・そして「これからは母さんが迎えに行くからね。」といいました。
僕はその母の涙を一生忘れられません。

僕は兄ちゃんになんて事をしたんだろうと後悔しました。
兄ちゃん。「ごめん」兄ちゃんが悪いところ全部持って生まれてくれたからおれなにも気にしないで生きていってるのに。

うちの兄ちゃんはしゃべれないしひとりでトイレも行けないけどいつも僕が行くと笑ってくれます。
世界で1番自慢できる兄ちゃんです。

[コピペ]泣ける

60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県):2008/09/14(日) 02:23:00

嫁が冷たいwwwwww
先日嫁の誕生日プレゼント買ったんだよwwwwwww
ワインとかケーキとか買ってたのにwwwwww
今日が誕生日なのにwwwwwww
結婚して5回目の誕生日なのにwwwwwwww
娘と一緒に祝おうねって言ってたのにwwwwwwwwww
なんで冷たくなってんですかwwwwwwwww
半ばできちゃった結婚で結婚したけどwwwww
俺は本当に愛してたのにwwwwww
嫁も幸せそうに笑っていたのにwwwwwww
まだ結婚して5年目なのにwwwwwww
なんで冷たくなってんですかwwwwwwwww
娘が保育園から帰ってきてwwwwwwww
「パパがいるー!ママはー?」とか聞きやがりますよwwwwwww
ごめんねwwwwwwママはねwwwwwww遠い所に行っちゃったんだよってwwwwwww
そう言うしかないんですよねwwwwwww
まだまだwwwwwたくさんwwwww
嫁の笑顔を見てたかったのにねwwwwwww
なんで冷たくなってんですかwwwwwwwww
嫁の一番の宝物wwwww娘wwwwww
まだまだこれから成長してくのにwwwwwww
お前が一番見たかった物も見ないでwwwwwwww
お前は幸せだったのかよwwwwwww
お前の一番大切だったものはwwwwwww俺が守っていきますよwwwww
でも俺の一番大切だったものはwwwwwwwもう亡くなってしまいましたwwwwwww
俺はこれからどうすれば良いんですかwwwwwww

[コピペ]泣ける

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県) :2008/09/13(土) 23:07:02

ある女の人が学生の頃に強姦されました。
男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
熱烈にアタックしてくる人がいました。
その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです。
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。
そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、彼女に語りかけていたそうです。

「これからはずっと俺が守るから。もう怖い思いはさせないから」
「焦る事は無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れてなんかいないよ」

「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中優しく語り掛け
「いつか、君が僕との子供が欲しいと思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」

と言い、その後彼女と結婚するまでの五年間、おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。
そして結婚してからも焦る事無く、ようやく初夜を迎えることができたのは結婚後二年経ってから
だったそうです。

そして、私と弟が生まれました。

弟が二十歳になるのを待って、母が初めて子供二人に語ってくれた話でした。
その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、今ここに
自分の生がある事のありがたさを知って、ボロボロと泣きました。
お父さん、お母さん、愛し合ってくれてありがとう。

さらにその後、父とその件について話した事があったのですが、ホテルでの一件の後
父は結婚してから母を一人にする事のないように自営業を始めるため、五年間貯金を
したそうです。
開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズをした時も「一生子供が作れなくてもいい」
と思っていたそうです。

実際、振り返ってみても父と母はいつも一緒にいた所しか思い出せません。
そんな両親も今はこの世にはいません。
二年前に母がすい臓ガンで、昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた父を見て、弟と二人号泣しました。
「お父さん、本当にお母さんのことが大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
わぁわぁ泣きました。
法事まで母を一人にできなくて同じ日に亡くなったんでしょうか。

私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、出来なくて、目に涙を浮かべながら
一生懸命大きな声を出していた父と、大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても
私たちの頭を良く撫でてくれた母。
本当に最高の両親でした。

[コピペ]笑える

39 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/17(日) 09:17:23.44 ID:dTDZ7VZH0

世界的に有名な私立探偵、シャーロック・ホームズを世に出したサー・アーサー・コナン・ドイルは自分のこっけいな失敗談を披露することがあった。これもそんな話のひとつである。
ドイルはパリの駅前でタクシーを待っていた。タクシーが前に止まった。
彼はスーツケースを積みこむと自分も乗り込んだ。運転手に行き先を言おうとすると、運転手が尋ねた。

「どこへ行きますか、ドイルさん?」
ドイルは仰天した。自分を見知っているのかと運転手に尋ねた。
「いいえ、以前にお目にかかったことはありません」
ドイルは不思議に思った。どうして自分をコナン・ドイルだと思ったのであろう。運転手はこう答えた。

「貴方がマルセイユで休暇を過ごしていらっしゃるという記事が今朝の朝刊に載っていました。
このタクシースタンドは、マルセイユから戻ってきた人達がいつも来るところです。
肌の色を見れば、休暇を過ごしてこられたのは分かります。
右の人差し指のインクのしみで、作家だろうと思いました。
洋服はフランス風ではなく如何にも英国人らしいものです。

これらの情報を総合して、サー・アーサー・コナン・ドイル氏であろうと考えたわけです」

「それは本当に素晴らしいな。君は私が書く作品のシャーロック・ホームズに匹敵するの推理力の持ち主だ」

「もうひとつあるんです」
と運転手。
「なんだい?」

「スーツケースにお名前が書いてあります」


シャーロック・ホームズの冒険

[コピペ]全米が泣いた

263:四十代(catv?) 2008/09/09 18:57:57

ニートやめて働き出したらカーチャンが親父に愛想つかせて出て行った…
どうやら俺の面倒を見て心配すること自体が
冷え切った夫婦を繋ぎとめる最後の絆だったらしい。世の中何がイイのか悪いのか分からん。

[コピペ]泣ける

72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県) :2008/09/14(日) 03:02:54

もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。

何ということだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。