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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]切ない

ticket20070809

47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/19(木) 09:37:03

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった

母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた

土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに

遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての

プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは

招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ

なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の

ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、

母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。

新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて

やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように

「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

[コピペ]切ない

2014-09-18_2341

人類が消えたらどうなる、のディストピアSF的なコピペがお気に入りです。
検証するだけの知識は全く持っていませんが、想像するとゾクゾクします。

249:セロハンテープ(東京都):2010/02/25(木)

人類が消えてから…

2日後
水の汲み上げがストップすることにより、ニューヨークの地下鉄は完全に水浸しになる。

7日後
原子炉の冷却水を循環させる発電機の非常用燃料が尽きる…

1年後
電波塔の警告ランプの点滅や、高圧線の電流が止まる。
これにより今まで世界で何十億羽と死んでいた鳥たちが死ななくなる。
燃え尽きた原子炉の周囲に、動物たちが戻ってくる。

3年後
暖房熱が失われた寒冷地では、とうとう水道管が破裂しはじめる。
収縮・膨張を繰りかえした建築物はきしみが出るようになり、屋根と壁の間に隙間ができる。
暖房の無くなった寒冷地では、冬を1~2度越すとゴキブリが全滅してしまう。

20年後
10年前に雨漏りが始まっていた屋根は、もうすでに消えている。

100年後
線路や道路を支える鉄柱が腐食し、湾曲する。
パナマ運河が埋まっていき、大陸が再結合しはじめる。
野菜は味の悪い野生の品種に戻っていく。
象牙の貿易が無くなって100年。50万頭まで減っていた象が20倍に増加。
飼われていた猫たちは野性化し、猫の獲物となった狸、イタチ、狐などが激減していく。

300年後
ニューヨークの橋が落ちる。世界中のダムが枯渇したり溢れたり崩れたりする。
ヒューストンのような三角州に作られた街は流される。

500年後
気候が穏やかな都市は森となり、丘が減り、開拓者たちが開拓する前のような土地に戻っていく。
森にはアルミやステンレス、プラスチックの食器やら調理器具やらが埋もれている。
ニューヨークのコンクリートジャングルは氷河に埋没する。
人間が作った建造物で残っているものは、地下深くに掘られたドーバー海峡の英仏海峡トンネルだけである。

[コピペ]切ない

2014-09-06_2334

ヒモを飼っていたという38歳女性のお話がグッと来ましたので紹介したいと思います。

昔、ヒモ飼ってたんですよヒモ。

まぁ、その当時ヒモが18歳で私が28だからあれから10年。私気づいたら38やっちゅーねんな。

当時そのヒモは地元の国公立大学に通わない(入学以来三日くらいしか登校してなかった)大学生で

私は金融系のOLだったんだけれども。流石の私もうっかり家に住み着かせてしまったことをえらく後悔した。

まず、ヒモは働かなかった。(ヒモなんだから当たり前だが)

ビタイチ働かない。親とは大学の単位を一つも取得していないことがバレて以来

大変に険悪になったらしく、家にも帰ろうとしない。

「結局、金がなければ遊びたい一心で働くだろう」と思ってお小遣いを断ってみたりもしたが、全く効果なし。

ショルダーバッグにみっしり詰めて来たこ難しげな本やらなんやらをひがな一日読んで、全く動かない。

「お金はあればいいけど、なくても別にいい」というヒモだった。

ヒモ、こうして書くと無気力の権化みたいに見えるだろうけど実際その通りで、

ただそれでも夢はあるようで、「いつか作家になるかあるいは起業して楽しく暮らす」という夢を持っていた。

『うるせえ、バイトから始めろクズ」と言いたくなるだろうし、実際言っていたんだけど、

まぁそんなこんなを繰り返しながら私の家に二年くらい居ついてた。

ルックスはと言えば、全く以って冴えなかった。料理が上手なのと、語彙が豊富なのが同居人としては良かった点かもしれない。

小太りの上髪も髭も伸ばしっぱなしなものだから、あまり一緒に外で遊びたいという相手でもなかった。まぁ、好きだったけどな!

ヒモがある日突然「ぼく東京行くわ、別の大学受かったからまたね」と言って家を出てったのが八年前。

「奨学金取れたけど当座の生活資金要るからカネ貸して」と言われ、まぁ流石に18歳をダメにしてしまったダメ女の

責任として当時の貯金をはたいて彼の上京資金を工面してあげた。それから半年くらいは時々連絡があったけれど、

それ以降は完全に行方不明になった。携帯電話も何時の間にか連絡がつかなくなった。

まぁ、帰ってくるつもりで貸したお金じゃないし、元気でいるといいなと思っていた。その四年後に私も結婚した。

今もそれなりに幸せに暮らしている。そんな最近、ヒモから連絡があった。

「金、返すよ。結婚したの?おめでとう」

聞くところに寄れば、泣く子も黙る大学を卒業した後の彼は暫く外資系のコンサルタント(よーわからん)会社に就職し

二年で辞めて起業したらしい。どんな仕事をしているか聞いたけど、残念ながら私の知識では理解出来なかった。

あとはポーンと500万(元本の2,5倍)置いて帰って行った。いや、頭のいい子なのは知ってたけど、人間わかんないもんだなぁ。

そんで、わたしの目の前には人生で始めてみる額の現金がある。もちろん、ちょっとダンナには言えない。

「次は作家の方の夢を叶える」とか吹いてたけれど、叶えてしまいそうな気もする。

なんというか、人生について考えてしまってどうしようもなく、とりあえず500万円あれば何が出来るだろうかと思いあぐねている。

いやはや、何をどう考えればいいんだろうか。人生ってわかんないですねー。とりあえず、私おばさんですねもう。

彼の人生には未来がたくさんあるんだろうけど、私にはもう未来って特にないんだろうなぁ。

大漁!

こんな人生も、あるんですねえ(遠い目

アマゾンで検索したら、完全ヒモマニュアルというすごい本が刊行されていました。これもすごい。

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ネタ元

いつも夢みたいなことを言って生きてたヒモが夢を掴んで帰って来た

[コピペ]切ない

recaro01

413:2-1:2014/01/28(火) 00:43:49

悪夢のような半生を吐き出す
スレチならごめん

元夫は優しい人だった

夕食を食べながらいつもさりげなく「美味い」
弁当を作った日は「ありがと」と言って出勤して行った
休日の買い物はいつも付き合ってくれて荷物も当然のように持ってくれた
私が仕事で遅くなり元夫が先に帰った日は風呂の用意を済ませ
料理までは出来なかったけど直ぐに料理が出来る様に準備していてくれた
皿洗いも時々してくれた。ゴミ出し当番もやってくれた
結婚記念日や誕生日には他愛の無いものとは言え必ず何かを買って帰って来てくれた
お金も全部私に任せてくれた

414:2-2:2014/01/28(火) 00:45:08

パート先の、男らしく頼りがいのある独身の社員と意気投合して恋をした
運命の人に出会った。元夫との結婚は誤りだったと信じて疑わなかった
体は許さなかったけど、彼と食事やデートを頻繁にするようになった
私は元夫のことを良く思っていなかった亭主関白な父親の言葉を利用して
元夫に冷たく当たり悪口を言いふらし周りを味方につけた
元夫は離婚届にサインする直前まで私を引き止めようとしていた
その時、ただただ私の幸せな将来を邪魔する存在にしか見えなかった
私はそこでも暴言を吐き、元夫は観念して震える手でサインした
それでも元夫は慰謝料も何も要求しなかった

私は全てを捨てて自由の身になり彼の元へ走った

でも幸せだと思ったのは付き合っている時だけだった

いざ同棲して見ると家のことは何もしない、何の気遣いもしない、
自分の遊びを優先する、文句を言うと怒鳴る、
横柄で、ぐうたらで、金遣いの荒い人間だった。冷めた
同棲を解消しパートも辞めて実家に逃げ帰った

あれから何人か男と付き合ったけど長続きしなかった
元夫との何気ないと思っていた生活がどんなに幸せだったかを思い知らされる
元夫の話題が出て悪く言われる度に心が痛んだ

100%無理だと分かっていても慎ましく生きていればいつか
元夫と寄りを戻せると思いながら数年が過ぎた

ある日、母に頼まれショッピングモールに一人で買出しに行った
買い物を済ませ、荷物を抱えて駐車場を歩いている時に
紛れもない前夫の車が止まっていることに気付いた
凄く懐かしい気持ちになり思わず近づいて見る
後部座席にチャイルドシートと熊のぬいぐるみがあった

気が付くと私は車に戻って泣いていた
もう二度と幸せな生活は戻って来ない

[コピペ]切ない

2014-06-14_1344

※ただしイケメンに限る

どんな綺麗事も、哲学的な名言も、この一言で簡単にひっくり返るのはみなさんご存知のとおりだと思うのですが、
今回は切ない夫婦のお話を紹介したいと思います。

344:名無しさんといつまでも一緒:2007/07/05(木)15:30:54

体験談というか友人の話なんだがな
俺の友人Aはま~お世辞にもモテルタイプではなかったが
なかなか気のいい奴で友達は多い方だった
で大学時代マジで好きになった女の子Bがいてな
その子も決して美人って訳じゃないけど
雰囲気的になんか合いそうな感じだったから
友人内では応援する奴も多かった
で何となくいけそうな雰囲気が漂ってきた時
突然彼女の父親の借金が発覚したらしく凄いことになってたらしい
大学辞めないととか離婚するしかないとか
いくらぐらいなのかその時は具体的に知らなかったけど
後で聞いたところ1000万以上しかも家のローンは別
結局彼女の家は離婚して彼女は大学の費用が払えない為に
止めようとしてた、でもお母さんがしっかりした人で学費は何とかなったらしい
しかし普段の生活の苦しさは当然のことバイトもしないといけないうえに
学校も結構厳しいところだったので段々追い詰められていった
もうなんかね凄く疲れてるって感じでさ
AはBを学校面で結構助けていたんだが
一向にBに告白する気配が無い

Aいわく今告白して付き合っても上手く行かないような気がするからだと
(後で聞いたら本当は付き合ってくれるとは思ってなかったらしい)
生真面目な奴だなとは思ったけどBがAを好きになってるのは
何となく分かったから上手くいくだろと俺は思っていた

345:344:2007/07/05(木)15:32:26

結局程なくAとBは付き合い始めた訳だが
今でもどっちから告白したのかは俺には分からない
大学卒業した直後
Bの家もいよいよローンが払えない状況になって
家を売らないといけないという状況になってきた
そこでAは大決断をするんだけど
今でも俺はこれが間違いの始まりなんじゃないかと思う
AはBと結婚してローンの一部を肩代わりしBの母と同居することを決めた
Aの家とBの家でもめるんじゃないかと思ったけど
案外すんなりいったって後で教えてもらった
俺としてはこういうお金が絡んでくるとなかなか上手く行かないもんじゃないかと思ったんだが
それでも5年は何事も無くA,Bは共働きでBの母も一生懸命働いて
かなり早い段階でローンを払い終わったらしい
そろそろ第一子誕生かと思われていた頃
BがAに離婚を切出した

俺が聞いたのはほぼ離婚確定した時だけど大体1年ぐらいは色々揉めたらしい

346:344:2007/07/05(木)15:33:30

Bは別にAを利用してた訳じゃないとは思う
現に払ってもらった金額以上の金額を払うとまで言われたらしいし
ただ俺たちにも全然分からなかったのが離婚の理由
当の本人Aにもはっきりしたことは当時分からなかったらしい
だから1年間ずっと話し合いしてたと
当然俺たちは浮気じゃないのと疑う訳だけど
そういう事実はどこをつついても出てこなかったらしい
その時俺も結婚を考えている人がいて今の嫁なんだが
嫁はBの紹介で出会ってBと同じ会社に勤めてたんだ
俺とAはAが離婚の話をしてる間もしょっちゅう会ってたんだが
そういうことを言う性格じゃなかったから
実際Aが離婚するわって決めた後始めて聞いた
その後俺は嫁にBにおかしなところあるんじゃないのって聞いたけど
特に思い当たらないと、一応周りにもちょっと聞いてみるけど期待しないでって言われて
期待しないで待ってた
結局AとBが離婚するまで特におかしなことも無く
周りは全然腑に落ちないが当人同士は離婚を決めた
Aは慰謝料を頑として拒否していたけど
受け取らないとけじめも何もないと周りに説得され
結局100万ほど受け取った、俺には正確な数字は分からないけど

なにこのミステリー!一体この夫婦になにが!とか思っていると、

347:344:2007/07/05(木)15:35:00

そんなこんなでそれから半年ぐらい経ったとき
ちょうど結婚式の準備で色々忙しい時だけど
嫁から会社の昼休みに突然電話が掛かってきた
話の内容は「Bが社内のイケメン既婚者と付き合ってるかも」と

嫁はかなり怒ってた、実は離婚前にもそのイケメンとBが怪しいことはあったけど
Bははっきり否定していたしお互い既婚者だし
何といってもイケメンは誰にでもいい顔するいわゆるすけこましタイプだったので
いくらなんでもBはついていかないだろと思ってたから
イケメンが偶々Bを次の標的にしてただけだろうと思ってたらしい
しかし嫁は見ちゃったらしいんだよねキスしてるところ

本当偶然だったんだけど
思わず「何してるの!」って言っちゃったらしい
で件のイケメンとBはさっと離れて逃げるように去っていった
Bはそれからも嫁を避けてとうとう昼休みになって
それで気持ちが納まらず俺に電話を掛けてきた
しばらく「何で?」とか「信じられない!」とか言ってたけど
昼休みも終わりかけて後で話そうと言うことになった
俺と嫁が夜会って話をしてる最中Bから嫁に電話が会った
昼前のことについて話があると

嫁は俺もいるけどというと俺は席を外して欲しいとお願いされた
でも嫁はなら話は聞かないあんた達が何をしてたか私はちゃんと見た
誤解のしようがないことだと
結局Bは俺が一緒にいることを了承し3人で話し合うことに

せつない。せつなすぎる。

イケメンには勝てませんね(号泣)

二人の行く末は続きます。

[コピペ]切ない

2014-04-12_1519

1:おさかなくわえた名無しさん:2014/04/10 09:56:01

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、仕事もあったのに毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。

そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。
「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、幸せな家庭築くんだろーな」
なんて、見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。
普通にうらやましかった。
<続きます>

[コピペ]切ない

2013-11-16_1032
527:名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 11:44:01

40過ぎる前から多分判っていたと思うが、人と人とは絶対に理解できないということ。
それが血がつながっている身内でもね。
住む環境、育った環境もそうだが、それよりも脳の作りが違うのだから、感じ方が違う。
だから価値観が全く同じの人に出会うのは奇跡。
どれだけ仲が良い人でも、考え方が絶対にいっしょになることはありえないのだから、
団体で行動する際は、衝突覚悟で接する必要がある。
仕事の時も人に任すときは、失敗する前提ですすめる。
最初から信用していなければ、そいつがミスった時のことを考えて計画できる。
俺はそれに気付いてから、あらゆることでミスがなくなった。
人とつきあうには、人を疑うことが大事だということだね。

[コピペ]切ない

2013-10-31_2212
37:学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 22:18:12

中高時代、悔いのないように楽しめないと人生崩壊

↑これをなぜ伝えようとしなかったんだよ当時の大人達は

挨拶の仕方?

ワイシャツのボタンは第二ボタンまではしっかりしめろだ?
下らねぇこと教えるのにだけは力入れやがって

41:学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 22:36:06

>>37
お前らも小中学校時代は先生や親に褒められる「いい子」じゃなかったか?
おれはそうだった。
授業は真面目に受け、宿題はきちんとやり、掃除もさぼらず、PTAで問題視されるようなテレビは見なかった。
手元にある漫画は毎月定期購読してる小学館の学年誌だけ。
同年代の子供達の間で人気があった少年漫画やアニメはまともに見た事すらない。
近所からも親からも先生からも「いい子」と言われ、大人の喜ぶ子供であり続けた。
そして親から遊んではいけないと言われた友達とは遊ばなかった。
反面、同級生とは会話が合わないこともあり、疎まれていただろうし、思春期の始まりだというのに女の子と接触など皆無だった。
むしろ遊んでる連中をちょっと蔑んで、悦にいっていたかもしれない。
しかし、何の疑問も抱かず、そうすることが幸せになることなのだと一片の疑いもなかった。
高校は地元では比較的頭のいい学校に行った。
しかしクラブ活動もせず(できず)、友達も少ない俺は次第に内向的傾向が一層強くなり、
優等生という地位も自然に失っていった。
なんとか一浪の末、東京の二流大学に進学できたものの、ろくに友達も出来ないまま無為な学生生活を過ごした。
結果、コミュニケーション力も行動力もない俺は就職に失敗。
地元に帰って、職を転々として未だフリーター生活。
地元周辺を歩いていると、小中時代の同級生に出くわすことがある。
もちろん挨拶などしない。向こうはこちらをロクに覚えてもいないだろう。
当時は不良のレッテルを貼られていたような奴らが、奥さんや子供を連れて幸せそうに買い物をしている。
立派な家庭人として、社会人として暮らしている。
それに比べて俺は何なんだろう。
定職ももたず、結婚はおろか恋愛経験すらない。
かつて禁止されていたゲームやアニメが今の生きる支え。
かつて読んではダメと言われていた劣悪図書が部屋に溢れている。
俺は幸せになれるはずの優等生ではなかったのか?
親は先生はそうなるために俺を褒めてくれていたのではなかったのか?
誰が悪いのか?親か?学校か?社会か?それとも俺か?
両親はそんな俺に何も言わない。俺も何も言わない。
ただなんとも言えない閉塞感と劣等感と後悔だけが俺を支配している。
<続きます>

[コピペ]切ない

2013-08-12_0911
779:本当にあった怖い名無し:2010/01/30(土) 21:53:54

NHKでやってるダーウィンが来た!っていう番組で
名前は忘れたけどイタチみたいなかわいい小動物を紹介している回が後味悪かった
その動物は自分より年上の「師匠」に狩りの仕方なんかを教えてもらう習性で
その年生まれたマーくんも師匠に弟子入りして勉強している
マーくんと師匠の後ろには必死に追いかけてくる体の小さなやつがいる
弱い個体は弟子入りを認めてもらえないのでそんなふうにしてなんとかついていくしかない

厳しい環境の中にありながらも順調に成長していくマーくん
ある日、野生のスイカみたいな果物を見つけ喜んでいたところを大きなトカゲに襲われてしまう
なんとか逃げ出したものの片足が千切れかかっており歩くのがやっと
師匠がやってきたが弱い個体に転落したマーくんを見るとさっさと行ってしまった
マーくんは足を引きずりつつ頑張って追いかけるが師匠は待ってくれない

その後、マーくんの姿を見かけることはありませんでした…

とナレーション

エンディングで師匠が映される
その傍にいるのはあのとき後ろをついてきてた小さいやつ
小さいやつはマーくんが脱落したので代わりに弟子になることができたのだった

<続きます>

[コピペ]切ない

2013-08-01_1228

509:おさかなくわえた名無しさん:02/05/14 21:20 ID:RaB5mT5g

親父の仕事の関係で漏れは餓鬼のころから引っ越しばっかりだった。
地方大学に入学し、一人暮らしを始めてから卒業、就職とずっとその
地方の片田舎に住んでいる。もう10年くらいだ。

親戚が亡くなって、葬式のときに5年ぶりくらいで親父に会った。
その晩は親戚で飲んでたが、漏れと親父だけを残してみんな寝てしまった。

親父「仕事はどうだ?」
漏れ「いや、待遇悪すぎてねえ。隙をみて転職するよ。」
親父「首都圏に出てこないのか?仕事先もそっちより豊富だろ。」
漏れ「うーん、気が進まん。」
親父「何だ、女か?」
漏れ「ま、それもあるけど漏れって餓鬼のころからずっと引っ越し続きだったろ?
それで今の所はもう10年なんだけど、今までで1番長く漏れの住んだ土地なんだよね。
友達も結構いるし、付き合いの長い友達って今までずっと欲しかったからねえ・・・」

まあ、単純に面倒だっていうのが最大の理由なんだけど、何気なく言ったそんな
言葉で親父はうつむいて黙り込み、「すまん」とつぶやいた。
そして少し間があいてから「俺のせいだな・・・」とだけ言った。

昔あれほど恐かった親父が、漏れのろくに考えもせず発した言葉でこんなに
シュンとなるなんて・・・
ごめんよ親父。そんなつもりはなかったけど責任感じさせちまったな。許せ。