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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]全米が泣いた

107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/03/23(水) 18:32:34

俺が小5のときに誤って水道の蛇口に口を直接付けて飲んでしまい、
その蛇口はそれ以降「メンジャー」と呼ばれ、
(あだ名がブタメンだった俺が口付けて飲んだ蛇口→メン蛇→メンジャー)
そこを使用すると「うわっそこメンジャーだそ!キッタネー!」と言われる風習ができた
あれから9年経った。俺は近所を歩いてるとすれ違った小学生の会話が聞こえた
「今日ユウタがメンジャーで水飲んでたじゃん?あんときさぁ」

おい受け継がれ過ぎだろ

116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/03/23(水) 18:33:38
»107
クソワロタ

118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/03/23(水) 18:34:06
»107
お前ある意味レジェンドだよwwwww

119:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/03/23(水) 18:34:13
»107
お前伝説じゃねーか

125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/03/23(水) 18:35:16
»107
コピペかと思ってググっちまう程の完成度

[コピペ]いい話

92:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/01/11(火) 01:29:34

今日、セルフスタンドで給油してると、
対面のスペースで若い兄さんがタイヤに空気入れ始めた。

据え置き型のなんだけど、あれ長いホースまとめるの面倒くさいのか、
誰も綺麗にまとめず、いつも機器の足元にぐちゃって置いてある。
その日も店員がまだ気付いてなかったのかぐちゃぐちゃのままで、
給油後に空気圧見ておこうか迷ったものの、見送った矢先であった。
正直、あれを束ねるとなると手が汚れて億劫である。
自分が使った後にぐちゃぐちゃのままでは気分が悪いし、かと言って余所の奴らが
ぐちゃぐちゃにしたままのを自分がテオを汚してまで綺麗にするのも癪であり、
そんな小者じみた判断である。

しかしその兄さんは、全てのタイヤに空気を入れ終わった後、わざわざ
ホースを伸ばし切ってねじれを取り、綺麗に束ねて所定のフックに引っかけていた。
すぐ傍の水道で手を洗い、寒さに身を震わせながら、かじかむ手をすり合わせながら
彼は車に乗り、そのまま出て行った。

寒いのも冷たいのも、手が汚れるのも皆同じなのである。
皆同じ中で、彼だけがホースをきちんと片づけていった。
ただそれだけの事と思われるかも知れないが、その事に俺は
羞恥とか感動とか、色んな感情が込み上げてきた。

彼の行いこそが当然であるのだが、それを実行できるか否かの差がそこにあった。
今年一年、この気持ちを忘れずに過ごしていきたい。

[コピペ]泣ける

172 :大人の名無しさん 投稿日:03/12/01

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。

母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。

口数が少なく、何かにつけて小言や愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていた私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたかった。日帰りできないくらい通えない学校を選んだのも
父から距離をおきたかったからだ。

父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。

その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、
どれもこれも 切なかったり苦かったりばっかりで。

手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。

[コピペ]ほのぼの

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2011/02/25(金) 14:38:47

昨晩、嫁に頼まれた買い物でスーパーへ行き、財布を落として失くしてしまった俺。
店内外の捜索や警察への届出などして、うなだれて帰ったのは深夜だった。
もうすぐ5歳になる息子はもう寝ていたが、
嫁から事情を聞いて寝るまでずっと心配してくれていたらしい。

今朝、元気のない間抜けな父を哀れんだ息子は、
起き抜けの寝ぼけ眼で自分の貯金箱を持ってきた。
「ぼくのおかねをパパにあげるよ」
貯金箱を開けて百円玉と1円玉を握り、
「またためればいいからさ」と言って俺にくれた。

涙が出た。

371: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2011/02/25(金) 15:14:42
>>370
全俺が泣いた!!

373: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2011/02/25(金) 17:30:37

>>370
すごくしっかりした4歳児だな
うちの子はお金の概念はわかってるみたいだけど
100円とか10円とかの概念がよくわかってないみたいだ

374: 370 投稿日: 2011/02/25(金) 19:35:05

うちの子は、お手伝いした時なんかに嫁に貰った
1円とか5円とか時には10円とかを貯金箱に入れてる。

大分貯まったのを100円玉に両替してやったら喜んだ。
そしていつか憧れの500円玉になるんだと思って楽しみにしてる。

そんなのを、俺にくれた。

[コピペ]トリビア

645:風と木の名無しさん :2011/02/18(金) 12:43:38

「映画のジャイアンのかっこよさは異常」って言うけどさ
ジャイアンは普段から、小学生の世界では身体能力が飛びぬけて高いよね
のび太たちにとってはどうしても「ガキ大将のジャイアン」なんだろうけど
もっと広い世界で評価されるべきっていうか、
中学とかで部活始めたら周囲の評価も本人の人間的にも大化けしそう

ところで映画版のジャイアンのかっこよさっていうのはさ
逆境に晒されて、ガキ大将としてのコミュニティを守るための意識と能力というのが
前面に出ることによって発揮されるものだと長らく思ってきたんだけど
ちょっと違うんじゃないかなって思い始めた
ジャイアンは、元々積極的な性格だし、普段はリーダーになって俺が俺がで
大体解決しちゃうせいで、周囲も本人も、ジャイアンの資質を誤って認識してる気がする
もちろん、体力的に確実に自分より劣ってる仲間を助けようとするジャイアンも
かっこいいんだけどさ
例えば追いつめられると勇気と頭の回転力が上がるのび太とかが、映画でなにか
思いついた時に
「わかった、俺はお前のひらめきを信じるから、ここは任せろ」っていうジャイアンは
もうものすごくかっこいいよね
彼は本当は、自分と能力が同等かそれ以上の人間を全力でバックアップする時に
一番力を発揮する補佐型の人間なのかもしれない

ジャイアンも仲間も、まだ小学生だから、どんな大人になっていくのだろうなと
しみじみ思わされてしまうよね、いや一応だいたいの未来はわかってるとしても

などということを、ティオ王子とジャイアンに萌えながら考えたさ

[コピペ]全米が泣いた

127:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2009/05/12(火) 11:15:23

厨房の頃短気で喧嘩にあけくれてた。
そもそものきっかけは入学してすぐに隣の席のやつが
イジメられはじめてそれを助けようとしたことだ。
中2病全開だった俺は「フッ・・おいおい、いじめなんてダセーことしてんじゃねーよw」
とクールにしていたが「お前もやれ」みたいな空気になってムカついたので
リーダー格のやつとタイマン。ワンパンチで秒殺される。
しばらく大人しくしてたが俺が喧嘩激弱だとののしってきたそのリーダー格の
やつの腰ぎんちゃくにキレてタイマン。途中でいろいろ痛くなって俺が泣いたので終了。
中2は特にひどかった。不良っぽいやつが増えてきて俺のクラスメートにも
手を出してくるので、「フッ・・俺のクラスメートになにしてんだ?正気か?」と
不良の溜まり場に助けにいくと「何お前?正気か?」と言われキレて1対5で喧嘩。
もちろん秒殺され、それ以来不良グループに目をつけられる。
1ヶ月ほど大人しくしてたが、会うたびにからかってくる不良グループにさすがに
堪忍袋の緒が切れ、廊下ですれちがいざまにからかってきたやつのむなぐらをいきなりつかんで
「いい加減にしろよ?コラ」とすごんだらボコボコにされる。
このループから脱出するにはリーダー格のやつをヤるしかない、と空手習ったり体を鍛え、
3ヶ月の修行を終え不良の溜まり場に殴りこみ。
「ここで一番強い奴だせ」と言うと一番弱いやつが「てめえしつけんだよ!」と
調子にのってきたので相手にしてやるが意外に強く泣いて許してもらう。
そんなことを繰り返しているうちに「お前もういいよ」みたいになって変にうちとける。
相変わらず中2病で無駄に正義感が強く、街中で他の中学と不良グループが喧嘩に
なっているのを見て助太刀にいってボコボコにされたり、いろいろあった。
中学校戦績36戦0勝36敗。
俺ほど喧嘩の弱い奴もいないが俺ほど喧嘩したやつもいない、とある意味伝説になった。

[コピペ]トリビア

40:名無しさん@九周年 投稿日:2009/02/15(日) 09:59:31

原爆落とされました。
多くの人が殺されました。
二度とこんな事は御免だと思いました。

ここまでは良い。

「じゃあ、どうしましょう?」という提議に対する答えが
「持たない、作らない、持ち込ませない」ってナニ?
なぜ「落とさせない」が最初に来ないのか本当に不思議なんですけど。

日本帝国は原爆を持っていなかった。
基礎研究はしてたけど作ってはいなかった。
もちろん、他国の軍隊を駐留させてなかったので持ち込ませてもいなかった。
だけど広島で12万、長崎で7万が殺された。

人類史上、最初の原爆投下で非核三原則なんて何の役にも立たないって
完全に証明されているのに、何でこんなモノを大事にしなきゃならないのか
本当にわからない。

[コピペ]泣ける

307 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/09(日) 03:40:57

五年前のある日、ある病院から火災発生の通報を受けた。
湿度が低い日だったせいか現場に着いてみると既に燃え広がっていた。
救助のため中に入ると一階はまだ何とか形を保っていたので
そこを同僚に任せて先輩と二人で階段を上った。

二階は見渡す限り火の海になっており、煙が廊下を覆っていた。
先輩は西病棟を、俺は東病棟の病室を回り要救助者を探した。
出火場所は二階のようでフラッシュオーバーの可能性も考えられたので
時間との戦いだった。

東病棟を回っていくと一番奥の病室にだけ女性が一人いた。
声をかけたが気を失っていて反応がなく危険な状態だったため、
急いで抱きかかえて救助した。

数日後、俺は不意にあの女性がどうしているのかが気になり、
病院に連絡をとってお見舞いに行くことにした。
看護師に連れられて病室へ行くと彼女はベッドの上で会釈した。
改めて会ってみるととても可愛らしい人だった。
「お体は大丈夫ですか?」と聞いたが彼女は首を傾げるだけだった。

看護師が少し困ったような顔をしながら紙に何かを書いて渡すと
彼女は笑顔になって、「ありがとうございました。大丈夫です!」
と書いて俺に見せた。
彼女はろうあ者だった。

しばらく二人きりで筆談し、趣味のことや小さいころのことなど
色々なことを話した。
耳が聞こえないということを感じさせないくらい前向きな人で
本当に楽しいひと時を過ごすことができた。
彼女は「もしよかったらまた来てくださいますか?」
と少し心配そうに聞いてきたので「では、またお邪魔します。」
と答えて病室を後にした。

彼女と話すために手話を勉強し始めたり、好物のお菓子を持っていったり…
そんな関係が続いて二ヶ月ほど経った非番の日。
俺はやっとどうしようもなく彼女に惹かれていることに気づいた。
彼女のことを考えない時がない。
俺はこの気持ちを告白することを決意した。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/09(日) 03:48:24

それでそれで?

310 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/09(日) 20:23:26

消防士とろうあ者の嫁・・・どっかで見たな。
しかし劇的な馴れ初めじゃないか。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/09(日) 20:26:35

これか。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/07(金) 22:26:27
俺は火事が起こったら昼夜問わず出ていかなきゃならない。
深夜に呼ばれることも多いのに
いつでも笑顔で送り出してくれる。
そんなところに愛を感じるかな。

非番の日で尚且つ要請がない時は家事を手伝うんだが
148cmの小さい体を存分に使って頑張ってるなと感心する。
甘えん坊なところがあってよく抱きついてきたり
抱っこされにきたりして可愛いんだ。

通常出勤の日は朝早いから寝ててもいいように言ってあるのに
しっかり上手い弁当を持たせてくれて
頬にいってらっしゃいのチューをしようとする。
背伸びしても届かないからちょっと屈んでやらなきゃならないけど。

仕事上がって帰ってきたら既に寝ちゃってることがある。
グッタリ疲れてても可愛い寝顔見たら元気出るよ。
頬とかをツンツンしながら生きて帰ってきたことを実感する。

嫁はろうあ者だから会話はできないんだけど
出会えて本当によかったと思うんだ。
ちょっと心配なことが一つあるけど
毎日ちゃんと幸せだって自信を持って言える。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/10(月) 14:38:39

>>310 その阿呆な消防士がちょっと通りますよ
307の続きですm(_ _)m

彼女の病室の前まで来たのだが、
いざ取っ手に手をかけると緊張のあまり、手が震えた。
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けてから引き戸を引いた。

その日は冬にしてはよく晴れて暖かい日であり、
やわらかい日差しが窓から差し込んでいたのをよく覚えている。
彼女はその光に包まれながら読書をしていた。
いつもの童顔で可愛らしい雰囲気とは違い、どこか大人っぽい感じがして
思わず見蕩れた。

俺が来たことに気づいた彼女はいつものようにニッコリ笑って本を閉じ、
それからはいつもと変わらない時間を過ごした。
その中で「大事な話があるんだけど聞いてくれるかな?」と切り出した。
彼女が頷いたので思いの丈を紙に書いて渡した。

彼女はそれを見て不安そうな顔をし、何かを書き付けて寄こした。
紙には「私、耳聞こえないんだよ?一緒にいたら大変だよ?」と書いてあった。
すごく寂しそうな顔をしていた。
返事を一生懸命に考えてはみたが
残念ながら気の利いた言葉を言えるような素敵な男ではないので
思っていることをそのまま書いた。
「ただ傍にいたい。いつだって力になりたい。そんな理由じゃダメかな?」
ダメ元だった。
それを見て彼女は泣き出し、震える手で「ありがとう。おねがいします」
と書いた。

つきあっていく内に茄子と稲光が苦手だとか
実は甘えん坊で頭を撫でられたり抱きしめられるのが好きだとか
知らなかったたくさんの面を知ることができた。

つきあい始めてちょうど二年が経った日にプロポーズした。
相変わらず飾り気のない言葉だったが
嫁は顔を赤らめて少しだけ頷いてくれた。
ご両親には既に結婚を承諾してもらっていたが、
一応の報告と式のために二人の故郷、能代へと帰省した。

もうじき結婚生活三年目だけど、感謝の気持ちを忘れたことはないよ。
どんな時でも笑顔で送り出してくれる嫁がこうして傍にいてくれるからこそ
死と隣り合わせの火災現場でも俺は頑張れるんだから。

今からちょっと抱きしめてくる。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/10(月) 17:53:11

>>312
もげろ

それから、現場で絶対に死ぬな

[コピペ]泣ける

413 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:38:34

少女どころかおじさんおばさんしか出てこないんだが、
入籍した記念に結婚の経緯を書きます。

断っとくけど長いよ。


嫁は中学の2・3年の同級生で、部活も同じバレー部だったから親しかった。
つっても冗談を言い合う友達で、好きとか付き合うとかはなかった。
顔もタヌキっぽくて好みじゃなかったし。高校が別になり、大学から俺は
東京に行ったんで、卒業したきり十何年か会わなかった。

俺の実家は地元の九州で食品販売系の会社をやっていて、大学を出た俺は、
ゆくゆく実家を継ぐための修行として、半強制的に実家の取引先の会社(東京)に
就職した。30過ぎたころ、新しく来た上司とどうしてもそりが合わなくて、
軽いうつ病になった。会社には言わずに通院していたが、薬でぼーっとしていた
せいで通勤途上で車にはねられて両脚を骨折。それが元でうつ病の件が会社バレし、
おまけにクズ野郎の上司があることないこと会社に吹き込んだせいで遠まわしに退職を
勧められ、半分やけくそで労災込みの退職金を貰って退職した。

実家の両親は顛末を聞いて大激怒。俺は移動できるようになるとすぐ
地元の実家近くの病院に転院させられ、そこで治療とリハビリを受けることになった。

俺は二歳年上の姉がいるんだが、姉の旦那が俺が知らないうちに実家の会社を
継ぐことになっていて、まあ俺の両親からすると、実の息子の俺は会社を
辞めちゃうような半端者、ということだったんだな。私大なのに留年もしたし。
両親とも考え方の古い人たちだから仕方がない、と特に腹も立たなかった。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:41:23

入院した病院で担当の看護師さんに挨拶されて、
あれどっかで見た顔だと思い名札を見たら嫁で、二人ともビックリ。

特徴あるタヌキ顔は大人になっても変わらず、よく言えば女優の
田畑智子、悪く言えばガチャピンぽかった。
嫁は高校卒業後に看護学校に進んで看護師になり、バツイチだった。

なにしろ身動きがとれないので仕方がないんだが、知っている人に体を
拭いてもらったり下の世話をしてもらったりするのは恥ずかしかったな。
嫁は仕事だから全然平気だつってたけど。

嫁は忙しかったけど、勤務明けに顔を出してくれて、病室や談話スペースで
よく話をした。共通の知り合いの近況や、高校から先お互い何をしていたか。
嫁が成人してすぐに両親を亡くしていたことも聞いた。

俺は自分の病気についても話をした。嫁は自分の結婚については
「まあいろいろあってうまくいかんやった」としか言わなかった。

実家の会社で働いていた姉とその旦那は、仕事の合間を見ては見舞いに来てくれた。
義兄はいい人で、何も心配いらないから治療に専念しろ、と励ましてくれたけど
両親からはほぼ放置されていた。

やがて骨がくっつきリハビリ(笑っちゃうくらいしんどい)スタート。
毎日のリハビリの辛さ、自分の体が思い通りに動かない焦りと情けなさ、
元通り歩けるようになるのか、30すぎて無職でこれからどうするのか
という不安で、嫁にはよく愚痴を聞いてもらった。話しながら泣いてしまった
こともあった。

嫁は俺が泣き言を並べるたび
「でも○○くんが自分でなんとかするしかなかとよ」と言ってくれた。
安請け合いの「大丈夫」ではないのが逆にありがたかった。

まあこの頃には嫁に惚れてしまっていたな。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:43:41

入院から約半年後に退院。
幸い俺はほとんど元通りに歩けるようになり、毎日リハビリがてら散歩したりしながら
次の仕事を探していた。両親とは変わらず断絶状態で、俺は自分でアパートを借りた。

嫁とは週1〜2回、食事や飲みに行くようになった。
勤務シフトがよく変わる看護師と無職なんで、早朝の牛丼デートもあったな。

幸い、なんとか次の仕事が見つかり、その報告がてら嫁を食事に誘ったときに、
結婚を前提につきあって欲しいと話した。

嫁はしばらく悩んで「ごめんなさい」と言った。

俺が理由を聞くと、嫁は、自分は子どもができない体なんだと打ち明けてくれた。

病気ではなく先天的に子どもができにくいのだと。前の結婚がうまくいかなかったのも、
それが理由だった。嫁は今も話したがらないが、相当辛い目にあったらしかった。
俺はそんなの構わない、すぐ結婚とかは言わないから、俺とつきあってくれと頼んだ。
嫁はOKしてくれた。

新しい勤め先は幸い、小さいながらも家庭的な雰囲気のいい会社で、俺は仕事に
打ち込んだ。同時に嫁とのつきあいも進み、俺は両親に、今、中学の同級生だった
□□(嫁)とつきあいをしている、一度会ってほしいと連絡して、
引き合わせることにした。冷たい親でも親は親だし、ちゃんと仕事もしている
息子の俺がこの女と付き合っていると言えば悪い顔はしないと思ったから。

考えが甘かったけど。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:49:39

久しぶりの実家で俺と嫁を待っていたのは両親の猛烈な反対だった。

地元の情報網のグロテスクさというか、両親は嫁がバツイチだということも、
なぜ離婚したかも知っていた。俺に対するいつもの非難(要約すると「情けない半端者」)
だけならともかく、嫁のことまで子供を作れない□□さんを○○の家の嫁として
認めるわけにはいかない、と言われ、俺は切れた。両親を本気で殺してやると
思ったのはあの時だけだったな。

俺は目の前のテーブルをひっくり返し、
あんたらとは縁を切る!と言い放って嫁を連れて実家を出た。

帰りの車で、嫁はずっと泣きながらごめんなさいごめんなさいと言っていた。
俺は両親に腹が立つのと、嫁にあんなことを言われて申し訳なくて仕方がなく、
車を停めて、俺の方こそ辛い目に合わせてすまなかったと泣きながら謝った。

しばらく二人で泣いたあと、俺にはもうおまえしかいないから
俺と一緒に暮らしてくれ、と頼んだ。嫁は頷いてくれた。

それから新しいマンションを探し、二人で住み始めた。
両親とは全く没交渉だったが、事情を知っていた姉と義兄(両親と会った日に、実家座敷の
テーブルと障子が全滅していたので)はずっと連絡をくれて、たまに4人で食事を
したりしていた。

姉と嫁は今もそうだが仲がよく、義兄も人としても男としても信頼できるいい人だ。
ただ実家では、俺のことは口にも出せない雰囲気らしかった。

結婚式は無理でも入籍はしよう、と嫁に話したが、嫁は俺の両親への気兼ねと
前の結婚のこともあって、一緒に暮らしていればそれでいい、今は入籍はしたくない、と
拒んだ。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:52:56

同居初めて2年半ほど経った頃、嫁が体調を崩して、自分の勤める病院で診察を受けた。
会社帰り、嫁から連絡があって俺もその病院で診察結果を聞くことになった。

風邪か疲れだろうと思っていたのに…と心配していると、嫁がいたのは
なぜか産婦人科で、産婦人科の医者は満面の笑みで

「おめでたですね。三ヶ月目に入ったところです」

と。

俺ポカーン。
嫁は眼をうるうるさせて俺の手を握ってきた。

高齢出産になのと体のこともあって、妊娠中、嫁はしょっちゅう病院通い。
俺も食事の用意や家事などできるだけのことはしたつもりだが、まあやっぱり
女の大変さにはかなわんな。

姉には嫁が妊娠したことを報告した。
姉は電話の向こうで、よかったねよかったねと泣いてくれた。

子どもが無事産まれてくれるか心配だったけど、去年の秋に、嫁は
健康な女の子を産んでくれた。母子ともに健康。
嫁の同僚の看護婦さんたちもお祝いに来てくれた。

娘は嫁に似てややタヌキ気味だが、あれだな、
世の中にこんなかわいい生き物がいるかと思うぐらい可愛いな。
悪いけどうちの娘が世界一かわいい。

姉夫婦は大喜びし、嫁が娘と退院してきたときには、甥っ子たちを連れて
迎えに来てくれた。ただ、俺はまだ両親が嫁に言ったことしたことを覚えてたから
あの人たちには会わせたくない、両親には知らせるなと口止めした。

そしたら義兄に外に連れ出されて、えり首つかまれた。

おまえの気持ちはわかる、俺でも腹を立てたと思う。
でも親は親なんだからもう許してやれ、孫の顔見せてやれって。

大人しい人だと思ってたのに、えらい腕力強くて意外だったな。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/29(土) 12:56:56

嫁もやはりお義父さんお義母さんにお孫さんを見せてあげたいと言うので、
義兄が仲立ちをしてくれて、この正月、俺は嫁と子供を連れて実家に行った。

義兄の言うこともわかるが、俺はまだ両親を許す気にはなれず、もしあいつらが
また嫁を傷つけるような事を言いやがったらただではおかない、と半戦闘モードだった。

実家のあの座敷に通され、姉夫婦と一緒に、
ちょっと年をとって小さくなった両親と対面した。

俺がお久しぶりです、ちゃんと働いて、この人と暮らして、娘が生まれました、と
話したとたん、両親がぼろぼろ泣きはじめた。あの頑固な親父が畳につくほど頭を下げて
おまえにも嫁子さんにも本当にすまないことをした、許してくれ許してくれと泣いていた。
お袋もハンカチで顔を覆ってわんわん泣いていた。

それでもう許すとか許さないとかどうでもよくなったね。
俺は泣いている両親の肩を抱いて、もういいからと泣いた。

俺はともかく嫁がどう思うかが心配だったけど、
両親はその後、嫁が恐縮するほど嫁にも謝ってくれた。

それでまあ両親とは和解できた。
嫁とも話したけど、二人とも昔の人だから、何かきっかけがないと自分たちから
息子たちに歩み寄ろうとはなかなかできなかったんだろうな。

両親と義兄からは実家の会社で働かないかとと誘われたが、
今の会社が好きだし恩義も愛着もあるんでお断りした。

あと親父もお袋も、孫娘の可愛さにはデレンデレンだった。
さすが俺の娘だぜ。

それから嫁といろいろ話し合って、今週の水曜、
会社を半日休んで三人で区役所に行き、正式に籍を入れてきた。

三十路同士、しかも子供連れなんで結婚式だの披露宴だのはしないが、
これでちゃんと夫婦というか家族だ。

[コピペ]ほのぼの

426:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/29(土) 16:36:01

30になるちょっと前に離婚した、その一年半後に妻を紹介された。
高校を出て7年間、妻は俺の祖母の兄が営む田舎町の店舗に勤めていた。
安い給料なのに真面目に働く良い娘だという事だった。

その店舗はあまり利益が上がらず畳む予定であった。
そこで再就職先を紹介する代わりに俺との縁談を持ち込んだのであった。
あまり期待はしてなかったがそれでも妻を見た段階では正直言って断ろうと思った。

こけし人形を思わせる風貌で化粧しなれてませんと文字通り顔に描いてあった。
とても若い女性とは思えない感じのファッションセンスも気持ちを萎えさせた。

だが贅沢もいえないと思い直し適当に話を合わせていた。
しばらくしてここは若い二人でという感じで放置された。
妻はモジモジしていたが何かを決心したように核心を聞いてきた

妻「前の奥さんに逃げられたって本当ですか?」
俺「、、はい、そうですよ」
妻「男作られたって聞いてるんですけれど」
俺「、、そうなりますね」
妻「職場の人に言い寄られたんですよね?」

随分不躾な事を言い出す奴だと思った。空気が読めないのかなって気がした。
俺が答えずに居ると細い目を思いっきり開けて俺を見詰めて、

427:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2011/01/29(土) 16:36:51

妻「私は大丈夫ですよ」
俺「何がです?」
妻「私は今まで男の人に一度も口説かれた事ないんです」
俺「一度も全く?」
妻「そうです、共学だったし知り合う機会も何度かあったのに」
俺「?」
妻「んだから安心できますよ!」

妻はドヤ顔をしてた。俺は笑ってしまった。
男に相手にされない事が何で自慢になるんだろうと思った。
でも妻のアピール?は俺の心へのピンポイント攻撃になった。
浮気の可能性がないというより、こいつと居ると面白いんだろうなと。

3ヶ月後には同棲をはじめ直ぐ籍を入れた。
妻は必要ないと言ったが半年後花嫁姿を見たいであろう御両親の事を考え
身重な妻と親族だけの神前結婚式を上げる事にした。
裕福ではないが純朴な御両親は俺側の親族の前で何度も頭を下げ妻を宜しくと言っていた。
「いい子です、自慢の娘です、高校しか行かせられなかったけど大事に育てました」
それを見て妻は大泣きをした(飄々としている妻が泣いたのを見たのはこの時だけである)

化粧が崩れたのを補正するために式が始まる直前に志村けんの馬鹿殿並みの白塗りをした。
変でないかと不安そうに小声で尋ねる妻に何度も「綺麗だよ」と言った。
本当にとても綺麗に見えた。

いつもどこかずれている妻と一緒になって十年余、
子供3人もちょっとアレな感じだが結構幸せである。