/* THKアクセス解析 */
管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
SNSでは毎日なにかしらのオススメを更新しております。どうぞ宜しくお願い致します。
詳細な自己紹介 → このサイトについて
はじめての方にオススメ → 今月の人気記事一覧

twitter  instagram

[コピペ]いい話

16 名前:ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/18(水) 13:25:50

弟の話。俺が中3、弟が小5の時。
俺は小学校からずっとサッカーやってて、大変だったけど勉強も両立させて中学受験で
私立に入った。
弟は昔から小柄で運動神経のいいやんちゃ坊主だったんだけど、どこか常に
すねてるような奴だった。
今思えば一見して世間体だけはいい俺といつも比べられて、内心面白くなかったんだろうな。
俺が中学受験に成功した後辺りからその傾向は強くなった。
地元の中学で評判の悪い連中の後ろによくくっつくようになって、目つきも大分変わっていった。
小5のあいつの部屋からタバコも見つけた。
両親も俺も学校の先生もあれこれ考えてあれこれ試したんだが何の効果も無く、
弟は完全に塞ぎ込んだ。

年はちょうど1998年、W杯の年。
中学でもサッカーやってた俺は、両親に頼んでWOWOWとケーブルテレビに加入してもらった。
夏休み真っ盛りで、部活が終わったあとに友達たくさん家に呼んでW杯を観戦した。
俺自身、ダイジェスト版じゃない海外サッカーを見るのは初めてで、
そのレベルの高さにむちゃくちゃ感動したし、友達もすげーすげー連発してた。
W杯をみんなで見てる最中、ちょうど弟が家に帰ってきた。
弟は俺らの盛り上がり方にちょっと動揺してたけど、
「お前もこっち来て見ろよ、すげえぞ」って言ったらジュース片手に黙って部屋の隅の方に座った。
それを横目で確認してから、俺はまた友達とワーキャー言いながら観戦に集中した。

17 名前:ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/18(水) 13:24:27

試合はスペイン対ナイジェリア。
点取って取られての好ゲーム。運動量も多い。黒人選手のバネや瞬発力もケタ違いにすごい。
みんなはテレビの前で興奮しながら感想言い合ったりふざけたり。
弟は終始無言だけどテレビを見てた。
試合の後半半ば、一瞬だけ、ボールがルーズになってスペイン自陣の中盤らへんに転がった。
そのとき、ナイジェリアの選手が一瞬速くボールに詰める。
右足のインステップでボールを豪快にミート、思い切り振りぬく。
次の瞬間、ボールは矢のようなスピードと弾道でゴール左隅に突き刺さった。
みんなは大歓声。俺は「すげっ・・・」しか言えない状況。
弟の方をちらっと見たら、弟は無言で立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
それを見ながらちょっと寂しい気持ちもしたけど、友達の歓声でかき消されてしまった。

それから一週間後、両親から弟が地元のサッカークラブに入ったことを聞いた。
なんでも試合観戦した次の日に自分からパンフレットを持ってきて、頭下げて
お願いしにきたらしい。
それ以来、弟の素行は見違えるように良くなり、
高校大学とサッカー推薦、レギュラーで副キャプテン、その先は教員か、
少しだけプロも見据えてるらしい。
って言うか、もう完全に俺よりサッカー上手いなw
ちゃんと話してないから分からないけど、あのときのオリセーのシュートが
弟を変えるきっかけになったんじゃないかなって俺は思ってる。
弟のポジションはずっとボランチ。スパイクはプーマ。
中盤の底に構えてチームを鼓舞するようなスタイルで、あいつが高校のときに
試合見に行ったときは2列目まで上がってハーフボレーのロングシュートも打ってた。
オリセーとまではいかないけど、綺麗なフォームと弾道で、ゴールのちょっと左上に逸れていった。
後半途中に交代してピッチの外に出るとき、ピッチに向かって一礼してからベンチに戻った。
何か嬉しかった。

18 名前:ほんわか名無しさん 投稿日:2007/04/18(水) 13:25:50
俺の大学4年夏のリーグ最終戦、事実上の引退試合に、弟は事前に何も言わず
一人で試合を見に来た。
アップの段階で気づいてどきっとしたけど、見てないふりして試合に臨んだ。
試合は2-0の勝利で俺の1アシスト。
疲れてクタクタになってシャワー浴びようと思って車に着替え取りに行くと、
車の側に弟が立ってた。
何を喋ればいいのかどぎまぎしてたら、
「ナイスクロス。いいサイド突破だったね。」って言ってきたから、
「うっせえバカ、あたりめーだろ。」って言い返した。
すれ違い様、普段ほとんど喋らないけど喋れば生意気なタメ口のくせに、
小さめの声で「お疲れ様でした」って言ってきた。俺も小さめの声で「おう」って言った。
そのあとシャワー浴びながら、チームのみんなにばれないようにちょっとだけ泣いた。
家族が何をやっても無理で諦めかけていた状況を一瞬で劇的に変えてくれ、
両親や俺に代わって弟に生きがいとか人間として大事な礼儀とかを教えてくれた
サッカーに心から感謝。
これからも、家族とサッカーだけはどんなことがあっても裏切れない。

[コピペ]いい話

764 名前: なごみ 投稿日: 2007/07/31(火) 23:22:09

図書館勤務の友人からちょっといい話きいた。

そこは子供相談窓口を設けているんだけど、
小学校低学年くらいの子供が

「いぬのかいかたはこれでいいですか」

と紙に箇条書きにしたものを持ってきたそうだ。

その子はここ数日ずっと通ってて、犬の飼い方の本を
かたっぱしから調べてたらしい。

聞いてみると、「犬を飼いたい」と親御さんにねだったら、
犬を飼うにはどうしたらいいか、飼ったら何をしなくてはいけないか、
自力で調べてこいと言われたそうだ。

「まいにちさんぽさせる」
「予防ちゅうしゃする」

とか一生懸命書き写したらしい。

友人は知り合いのペットショップに連絡して、
そこに行って聞いて来いと教えてあげたそうだ。

「犬、飼えるといいね」と言ったら小学生嬉しそうに
「うん!売ってる犬じゃなくて、もらう犬にするの」と答えたらしい。
もらう犬とは、どうやら里親募集とかしてる犬のこと。

少なくとも一匹、間違いなく幸せになれる犬がいると思った。

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

319 名無しさん@恐縮です 2007/07/21(土) 23:01:23

駒野なんて大したことはない。

中三のときに父親を無くして、
私立初芝橋本高、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島などからスカウトされたが、
寮住まい出来て経済的負担が最も少ない広島ユースに入り
休日でも友人と遊びに行かず、寮に残ってトップチームのビデオを見て研究し
プロ契約してから現在まで欠かさすことなく母親に仕送りをし続け
弟の大学の学費まで全額負担し
性格は純朴そのもので、森崎和幸曰く「今時珍しい生き物」で
左膝前十字靭帯損傷の療養中にエコノミークラス症候群にかかり
生命の危機に陥ったが、不屈の闘志で復活し、アテネ五輪代表に選出され
アテネ五輪ガーナ戦で鎖骨骨折、一ヵ月後ブドウ膜炎まで発症し失明の危機もあったが
それすら乗り越えて日本代表になった。

そんなドコにでもいるプレーヤー、それが駒野。

[コピペ]いい話

873 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/07/07(土) 03:00:24

3ヶ月@娘。

会う人のほとんどが

「夜泣きは大変よ~眠れないわよ」
「意味もなく泣くのよね~」
「反抗期なんて来たら気が狂っちゃうわよ」

とかネガティブなことばかり言うのでうんざりしてたこの頃。

遠くに住んでるおばあちゃんにやっとお披露目ができた昨日。

「いまから良い事ばっかりよ。
 身近で成長が見られるのが母親の特権だからね。
 ほら見てごらん。可愛く笑うでしょ?この子は良い子ちゃんね。
 娘ちゃんはね笑う度に「お母さんありがとう」って言ってるのよ~。」

ばあちゃんありがとう。
私の事を可愛がってくれたばあちゃんにひ孫を見せられて良かったよ。

[コピペ]いい話

14:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 21:40:00

とある豆腐屋さんでの出来事

俺も嫁さんもそこの豆腐が大好きでよく買いにいくのね、
その豆腐屋さんは城下町の路地裏ですごく小さいんだけど
堅実に商売やってて近所の婆ちゃんとかがずっと買いに来る。
 
去年の7月頃いつものように豆腐と厚揚げを買ってたら
ふらっと40代くらいの白人男性が入ってきて
トニュートニューって言ってたので、店のおばちゃんが
豆腐を入れようとしたらNONONO!!
トニューって言って飲む真似をしたんで、あ!!!
お前豆乳かよ!!!って俺も嫁さんも、おばちゃんも
ビックリしたあと吹き出した、だって外人さんが
豆腐屋に豆乳買いに来るなんて思ってもなかったからorz

その店は豆乳を分けて貰う時は何か入れ物を持って行く
ようになってて、店の大将もどうせ捨てる物だから格安で
売ってくれるのね(ひしゃく一杯50円くらい)

勿論成分無調整なべに張ったら湯葉が出来るぐらい濃いの。

続く

15:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 21:41:27

続き

それでおばちゃんが何か入れ物持ってるか??
ボトル、ボトル?ってなぐあいで聞くんだけど
なかなか通じなくて僕らに意味深な視線を投げかけてきた。
外人さんもおばちゃんにつられてこっち見るし・・・

そこでうちの嫁さんが(そこそこ英語出来る)間に
入って何とか通訳

嫁   「何か入れ物持ってますか?」

外人さん「いや持ってない、なんで?」

嫁   「ここのお豆腐屋さんは、豆乳を買うとき
     何か入れ物を持ってくるんですよ。」

外人さん「へーそうなんだ、
     今もってない(ちょっと寂しそうな顔)」

おばちゃん「これでよかったら入れたげようか」

と言って透明のナイロン袋を出してきた
外人さん、ニコニコ顔でそれでいいですウンウンみたいな感じ

外人さん「この豆乳今ここでのめますか?」

嫁   「いや、それは無理じゃないかな?」

そこでおばさんと話していると、奥から大将が出てきて
事情を話すと、ニコッと笑ってコップに豆乳を汲んできて
外人さんに手渡すとアリーガトーって右手にコップ持ったまま、
変な発音と、変なお辞儀に一同爆笑www。

飲み終えた外人さんはすごく美味しい!!GREAT!!
とか言いながら大将とがっちり握手してその日は
去って行きました。

*グタグタナな文章ですいません。
後日談もあるのですが書き込んでもいいのでしょうか?

16:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 21:42:13

御免遅くなって、色々思い出しながら書いてるので。

続き

それからしばらくして、店先に縁台が出来たので大将に聞いてみると
あの外人さん(ジョウさん大将が勝手に付けた名前)がちょくちょく
顔を出すらしく、(観光ではなくて仕事で来てるみたい)
その時にそこに座って豆乳を飲んでるんだってさ。

店の中の販売スペースが狭いから(一畳ぐらい)ホームセンターで
大将が買ってきたらしい。

大将が暇なときや、婆ちゃん連中が一緒に座って、言葉が
なかなか通じないけど雑談してるんだって(どんな雑談だよww!!)。

大将いはく草の根外交だとwww。
年のいったお客さんもそこで一休みしてから帰るから
置いて良かったみたい。

頑張って書いてるのでちょっと待ってね。orz

17:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 21:43:00

続き

夏は冷奴(ミョウガ抜き)、秋は秋刀魚
(焼き魚は最初気持ち悪くて食べれなかったんだって、
 でも食べだしたら大のお気に入り、でもワタヌキ、
 味噌汁、大根おろし最高だと。)

冬は湯豆腐、豆乳鍋、焼き牡蠣、牡蠣フライ
等ででビールを飲むのが大好きだそうです。
この頃日本酒に挑戦しだすw。

挙句の果てには大将の奥さんから家庭料理の作り方を習いだす。
帰ったら奥さんと一緒に作るんだってさw。

今年の春は、櫻の下でのドンチャン騒ぎ
(ジョウさんの奥さんも来日されていて、僕らも行きました
 櫻は初めて観たそうですが、樹全体が緑ではなくピンク色に
 お化粧することがエキゾチックでファンタスティックらしいです。)

僕が個人的に大好きで、真夜中に歩くお堀端の
櫻並木をお勧めしたら奥さんと夜中に散歩したらしいです。

静寂の中で一年に一度だけ咲き乱れる花の生命力を観ていると
心がかき乱され、心が締め付けられ??多分こんな感じ
亡くなられたお爺さんを思い出して思わず涙ぐんでしまったそうです。

ジョウさんいはく、昼の櫻が、美しく楽しい(ポジティブ)で
7あるならば、夜中にみた櫻は怖れや不安(ネガティブ)な要素が
浮かんでくるが、それら全てを包み込んでくれる優しさを感じた、
とおっしゃっていました。

20:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 22:31:54

そんなジョウさんでしたが無事にお仕事が終り、
先月6月末でロサンゼルスに帰国されるとのことでした。

帰国される日お店に立ち寄られたそうです。

さてお別れの挨拶をしに来たジョウさん。
大将、今から帰ります・・・(皆が大将って呼ぶから覚えたみたい)
ジョウさん、もうこの時すでに涙でぐちゃぐちゃだったらしいです・・・・

お別れ会(大将いはく壮行会?)をしたときは
絶対に泣かない、絶対泣かない
ジョウさんのこれからの人生に水を差すから
俺は絶対に泣かないって目頭押さえて頑張ってた大将も

帰国の挨拶に立ち寄った
ジョウさんの次の一言で心が折れて、号泣したそうです。

21:おさかなくわえた名無しさん:2007/07/06(金) 22:44:42

アリガトー、アリガトー

マター サクラノー キノシターデー オーアイー シーマショウー

ニホーンニ コレナクテーモ ワターシハ サクラノー ニュースヲ

ミルタビーニ ミナーサンノコート オモイダシマース

相変わらず変な発音だったそうですが、ジョウさんの心意気は
しっかりと大将に届いたみたいよと話してくれた、
おばちゃんも俺も嫁も大将も
涙と鼻水と笑顔でじゅるじゅるになっていました。

大将いはくジョウさんは、日本人の気構えを持ったアメリカ人だと
言っておりました。

ひょんな事から始まった

とある豆腐屋さんでの出来事

おしまい。

[コピペ]いい話

860 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2007/06/20(水) 20:24:31

ゲームボーイの耐久性ではこのコピペを思い出す。

93年だったか94年だかに弟が小3の時に車に跳ねられて乗ってた自転車の
カゴからGBが転げ落ちて、アスファルトで削られボロボロになったんだよ。
弟が病室でボロボロになったGB見て泣きながら電源入れたんだよ。
カチッ・・・ピコーン。それでも起動すんのな、GB。

それを修理に任天堂に送って数日後、任天堂の人から電話があったらしいのな。
「あまりにも凄い事になってるから、原因を聞きたい」とかなんとか。
母が「息子が事故にあって」って言うと修理費はいらんと。
結局こっちが負担したのは送る時だけの送料だった訳だよ。
その時は「すげーなー」位の感想だったんだが、就職して社会とか
商売ってのが少しずつ判りだしてから、子供相手の商売ってこう言う事
なんだなと思った。どこぞの偉いさんは、お子ちゃま向けと言ったが
子供相手に商売するって事は、子供の後ろにいる親に商売するって事なんだよ。

この一件で一番驚いたのはメモに直筆で「○○君へ、車には気をつけてね。横井」と
あった事なんだよ、もしあの横井軍平さんならなんて皮肉なんだろうと思う。

【関連】
■昔の任天堂

[コピペ]いい話

12 :VIP774 :2007/06/11(月) 19:31:09.96 ID:2PT4u0K60

大学生のとき、一人暮らしのアパートを引っ越すことになった。
友人数人と、電車45で分ぐらい離れた実家から
姉が手伝いに来てくれたのだが、なぜか姉はデカイ荷物持参。
「?」と思いつつ作業を開始し、昼飯時。
コンビニや食べ物屋に行くのも大変な田舎のこと。しかし俺は見栄はって、
仕出屋に寿司の出前を頼んでおいた。友人らには大好評。
夕方前には引越し終了。新居でひとまず落ち着いて、友人らも帰っていった。

が、最後まで残っていた姉が、例のデカイ荷物をもったまま帰ろうとする。
「引っ越し祝いか何かじゃないのか?」と問い詰めても言葉を濁すばかり。
じれったくなってむりやり荷物を奪い中身を見ると――大量のオニギリだった。
「引越しで台所も片付けてるし、みんなお昼に食べるものないだろうと
思ったんだけど……。すごいお寿司とか出てきたから、出しにくくなっちゃった」
恥ずかしそうに苦笑する姉。俺は泣きそうになった。

もちろんそのオニギリは全部ひきとって、ラップにくるんで冷凍保存し、
一週間かけて全部食べた。最高にうまいおにぎりだった。

そんな姉でよければやるよ。

[コピペ]いい話

162 名前: 名無しさん 投稿日:2005/12/09 22:50

俺の高校に生徒に馬鹿にされてたチビデブの物理の教師がいた。
その教師は、本当に馬鹿のひとつ覚えで毎朝校門に一人立って「おはよう」と声を掛けた。
他の教師も「よくやるよ、点数稼ぎ」と、あからさまにその教師を批判してたな。
雨の日も風の日も、ずっと。1年くらいしたら、普通にみんな挨拶するようになったな。
卒業式の日、校長挨拶のあと、その教師が壇上に突然上がってきて

「みんな、卒業おめでとう。僕は本当にダメな教師で、今までみんなから
どう見られていたか知っています。
でも、こんな僕にもみんなに伝えることができた言葉があります。【おはよう】
この言葉は、社会に出ても胸を張って言える様にして下さい。
毎日を一生懸命に生きている人の【おはよう】は、さわやかで他人の心を和やかにします。
いろいろな苦難や障害にぶち当たっても、顔をあげて、笑顔で【おはよう】と言ってください。
僕が教えた物理の授業は忘れてもいいですから【おはよう】だけは忘れない大人になって下さい」

ヤツは泣いてた。愚直な、ちょっと馬鹿入ったような涙で。

俺はちょっと泣いた。今、ヤツの物理の授業は忘れたが毎日の挨拶は忘れていない。

[コピペ]いい話

今まで生きてきて最も衝撃的だった体験

246 :おさかなくわえた名無しさん :04/06/21 14:08 ID:9c7mSjOs

じいさんが死んで生き返って死んだとき

251 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2004/06/21(月) 14:43 ID:pMSbTCda

>>246
ちょっと詳しく聴いてみたいなァ

262 名前:246 投稿日:04/06/21 16:55 ID:mZTVL0eq

ID変わってると思いますけど246です。詳しく言うとですね。
朝早くに母方の実家からじいさんの訃報。寝床で寝たまま逝ってたらしい。
取りあえず家族で実家に向かう。その間に実家では医者による死亡確認終了。
到着と同時に通夜の準備をはじめた。じいちゃん死んじゃったのか・・・とか
思いながら忙しく台所で母を手伝ってたら後ろからじいさんが
「お、Kちゃん(俺)きたんか。久しぶりやんけ」と俺に声をかけてきた。
マジで時が止まったね。そして数秒後とどろく悲鳴w
実家にいた親族全員が集まっては叫んでた。
んでまぁ何がなんだかよくわからんけど死んだはずなのに復活したんでめでたいって事で
タイの御頭食って親族集まっちゃったんで宴会ですよ。じいさんも大ハッスル。
そして翌朝じいさん逝った。宴会しに生き返っただけみたいだった。

[コピペ]いい話

18 :ほんわか名無しさん :2007/02/18(日) 04:32:37 0

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
   最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。

親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」

二人で笑った三日後親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。