/* THKアクセス解析 */
管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
SNSでは毎日なにかしらのオススメを更新しております。どうぞ宜しくお願い致します。
詳細な自己紹介 → このサイトについて
はじめての方にオススメ → 今月の人気記事一覧

twitter  instagram

[コピペ]いい話

911 :水先案名無い人 投稿日:03/11/01(土) 11:44

保育園で「○○ちゃんは△△くんとケソコンしたいねんて一」という話を聞かせてくれた子どもに、
おもしろがって、「お母さん、ルイとケッコンしよっかな一」と言い寄っでみたら、
彼はすかさず「へへー、ケッコンなんかしないくせに」とやられてしまった。

子どもが3才の頃、「ルイはどうしてうまれてきたのかな?」と問いかけたら、
「おかあさんとあいたかったから」という答えが返ってきた。
5才になってからひょいと思い出して同じ問いを投げかけたら、
「おかあさんを守るため」とまっすぐにこちらを見てこう答えた。

私はこの子に出会えて本当によかったと感謝している。
もう一度言おう。なんとかはなる。
あなたが本当に産んで育てたいなら。

シングルマザーの手記。
子供って凄いよ。
今まで生きてきた人生のなかで昨日の出来事は最強

[コピペ]いい話

796:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/12(火) 15:59:50

旦那の借金が発覚して、家を追われる事になった。
引っ越すのに、どうしても後20万足りない。友人に頼んだ。
旦那に相談してみないと…と言って帰った友人。
次に会った時、「家の金を貸すのは旦那に反対された。私のへそくり5万しかないけど…」と差し出された。
「旦那さんに反対されるのも当然だし、
黙ってこういう事するのは、夫婦の関係にヒビが入るから駄目だよ。ごめん無理言って。」と言ったら、
「これは私のお金だから、どう使おうと自由なお金なの。これは旦那も知ってるよ。
それは貴方のお金だから好きにしていいって!だから好きにするの。持ってって」と…
涙を堪えて、「必ず来月中に返すから」と言ってありがたく受け取った。

時間がない上まだあと15万足りない。最後の砦だった母親に頼んだ。
「仕事場に取りにおいで」と言われ、お昼休みに取りに行った。
「ありがとう。絶対返すから」って言ったら、
「返さなくていいよ。○○(私)は十分頑張った。これはそのご褒美だよ」って言われた。
長女(小2)が一緒にいたので、泣くに泣けず、笑って母と別れた。

797:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/12(火) 16:01:22

でも母と別れた途端、色んな感情が込み上げてきて、車の中で涙が溢れて止まらなくなった。
車を端に寄せ、嗚咽しながら泣いてしまった。
後部座席から娘が心配そうに「お腹痛いの?大丈夫?」って心配そうに私を見る。
「どこも痛くないよ」と言ったら、しばらく考えて、
娘「あっ!おばあちゃんと別れたから寂しくて泣いてるの?」
私「うん… 寂しい」(という事にしといた)
娘「私がいるよ! 大丈夫!泣かないで」
身を乗り出して心配そうに、私の頭を撫でてくれる娘。
子供にだけは、こんな姿を絶対に見せたくなかったのに、
子供に心配させてしまって、友人に心配させて、母に心配させて…
それと同時に感謝の気持ちと、もうどうにも涙が止まらなかった。
でも、この子たちに絶対こんな思いはさせない、
この子たちの為に頑張るんだという気持ちが、メラメラ燃えてきた。

約束通り、翌月に友人に返済し食事を御馳走させて貰った。
母に返すのは半年ほど掛かってしまったけど、無事に返済する事ができた。
もう6年も前の話。

なのに、時々思い出したように、
「お母さん、ずっと前に車の中でおばあちゃんと別れて寂しいって泣いてたよね〜w」
と娘にからかわれる。
いいんだ。一緒に笑える幸せが今ここにあるから。

[コピペ]いい話

266:1/2 投稿日:2009/08/04(火) 23:56:18

>>63のコピペと似た話になるが、俺も先月似たような体験したな

説明が難しいんだが(特殊だから特定されるかも)既に7歳と1歳の子供がいる親戚夫婦が
結婚式をしたのよ
嫁にウェディングドレスが着せてあげたいとか、嫁親に一人娘の花嫁姿を見せたいという
夫の気遣いからの結婚式
式もホテルが会場のちゃんとしたもので、花嫁がウェディングドレスを着て赤ん坊抱いてるってのも
新鮮でよかった
結婚式が終わり披露宴が始まると、俺の隣のテーブルで新婦の親族が雑談
選挙が近いねーってことで自民か民主かって話から、そのまま日本はいい国か悪い国かって
話になった
酒も入ってたし段々白熱してきて、めでたい会場の一部が段々修羅場になった
スタッフが止めようにも止まらず、新郎は困った顔、新婦は涙目で俯きながら1歳の子供あやしてた
その中年達は会場の雰囲気悪くした上に、話の流れで新婦の娘(7歳)に話振るわけよ

A「姪ちゃんはこんな国嫌だよなー?ママもパパもいつもお金がないって言って大変そうなのは、
国が悪いからだもんなー?」
B「お金がなくても姪ちゃん学校楽しいもんねー?
パパとママだってお金がなくても姪ちゃんには優しいよなー?」

とか言い出した。突然話に巻き込まれた上に、ピリピリした大人に詰め寄られる娘は当然涙目。
っていうか泣き出した
さすがに俺もカチンときたんでいい加減注意しようと席を立ったら
「ここで参加者同士がさらに揉めると、新郎新婦に迷惑がかかる。
自分達が止めるからここは抑えてくれ」
と言われスタッフに止められ(俺とは別にもう一人止められてたが)座ろうと思ったら

267:2/2 投稿日:2009/08/04(火) 23:57:06

娘「おじちゃん達が一番嫌い!お母さんが可愛そう!
お母さんの嬉しい日なのにどうしておめでとうって言えないの!
お母さんずっと楽しみにしててずっとニコニコしてたのに!
嫌とか嫌いとか、嬉しい日には言っちゃいけないんだよ!
おじちゃん達が喧嘩したら嬉しい日じゃなくなっちゃう!」

って泣きながら大声で叫んだんだ。当然会場は静まり返って注目集まる
まあ7歳児に国の話を理解しろとか無理なわけで。親の悪口言われたと思ったんだろうな
叫んだ後も泣き続ける娘に新郎が近づいて頭なでながら司会からマイクを受け取って

新郎「国がどうとか政治がどうとか、難しい話は分かりませんが、
私はこの国に生まれて、○○(新婦)と出会い、この子達を授かりました
家庭に一切の不満がないと言えば嘘になりますが、不満も含めて家庭の幸せを感じています
今こちらで談義された国に対する支持も批判も、日本が好きだからこそでてくるのだと想います
考え方は違ってもお互いを想っているからこそぶつかり合う。
そういったところは家庭も国も同じなんでしょうね
私には日本という国をよくする器量はありませんが、これから○○とこの子達で
より良い家庭という国を造っていきます
これが私の、今日来ていただいた皆さんに対するマニフェストです」

と、綺麗にまとめて会場は見事に拍手で収まった。
なんていうか、家庭をもった30半ば男の強さを見た
このときの新婦の嬉しそうな顔ったら、見てるこっちまで幸せになるよ
人の結婚式のDVDなんて絶対見ることないと思ってたけど、この場面だけは嫁と一緒に
何度も見てる
なんか書いてたらすごい長文になっちゃってごめん

[コピペ]いい話

489:彼氏いない歴774年:2008/05/02(金) 17:29:32

私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど

忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。

新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。

ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。

意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら
「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに
娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが
置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、
「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。

最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
夜、娘さんに電話してその日のことを話したら娘も新郎も号泣。私も号泣w
数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。

…長いな。ごめん。で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、
ブーケトスで娘がブーケを投げない。
??? なにこっち向いてきょろきょろしてるの?と思ってたら娘、すたすたと歩いてきて
私に手渡しでブーケをくれたの。まわりの人たちは拍手。
どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや私のことを参列者に話してたみたい。

もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。
今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。
正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか自分のやってることは正しいのか?とか
考えてしまうこともあったんだけど、
たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや。もうそれだけでいい。

今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。
赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで。

[コピペ]いい話

166:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/09/03 14:47

高校三年のときの担任。
あとは卒業式をむかえるばかりというときに、
「今日は君たちが3年間過ごしたこの学校を掃除したいと思います。
掃除したい人だけ残って掃除してください」
まあ、当然というかなんというか、面倒くさいので殆どの奴が帰ってしまった。

「残ったのはこの5人だけですか?さて、掃除というのは嘘です。
人間はこういうときに本性が出るというのを知ってもらいたかったのです」
先生は俺を含めた5人を、学校の近くにあるお好み焼き屋に連れて行ってくれた。
お好み焼きを食べてる先生はどことなく寂しそうだった・・・

俺は帰った奴を責めるつもりはさらさらないけど、
なんだか「本当に大切な事」というものがわかった気がした。

[コピペ]いい話

190:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:13

良い父親とは何でしょうか。

休みの日には遊びに連れて行ってくれる父親でしょうか。
優しい父親でしょうか。
よく話を聞いてくれる父親でしょうか。

私は父に誉められた記憶は多くありません。
「よし」と一言言ってもらうのが最高の報酬でした。
一緒に遊んだ記憶も多くはありません。
父はいつも大きく、無口で、岩のようでした。

父が若くして死んだとき、私は初めて、父の偉大さを知りました。

駆けつけてくれた人の数。
泣きながら棺を叩き、俺より先に死ぬとは何事か、と怒鳴った人。
まだ恩を返していないのに、と泣き崩れた人。
通夜の後、棺の上にコップを置いて、いつものように父に話し掛け、酒を酌み交わす父の友人達。
8回忌を迎えた日、呼んだわけでもないのに集まってきた多くの人達。

191:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:14

父は骨髄癌の激痛の中、死のわずか10分前に私を呼んで言いました。

母を守れ。弟を守れ。妹を守れ。祖父を守れ。祖母を守れ。
男は、誰かを守って死 ね。俺のような死に方はするな。
俺が死んでも泣かなくていい。
人が死ぬとはどういうことか、よく見ておけ。

そして母に、かすれる声で言いました。

皆によろしく伝えてくれ。悪いな、俺はここまでだ。

最後の言葉でした。

主治医の先生が心臓マッサージをしてくれましたが、蘇生はしませんでした。
最後は母が、先生を止めました。
主人を楽にしてやってください、と。
私はただ圧倒され、何も言えず、何も出来ず、涙を流すだけでした。

私は今月、父親になりました。

[コピペ]いい話

307:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2009/10/16(金) 23:08:14

80歳くらいの年配の紳士が指の抜糸をしてもらいにやってきた。
彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。
傷を診てみると、もうほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。
傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。
老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。
彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームにすこし前から入居しているんです、と言った。
それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、
老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。
「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」
紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。

「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」

[コピペ]いい話

181:彼氏いない歴774年 投稿日:2010/11/11(木) 13:40:36

◎◎駅新幹線ホームで、2~3歳の男の子連れたお母さんと中年の駅員さん

母「すみません、入場券で入ったんですけど、新幹線の中とかは…見られないんでしょうか?」
駅「ああ…スミマセン。入場券では、新幹線内への立ち入りはご遠慮頂いております」
母「そうですか…ありがとうございます。(子供に向かって)●●~、中はやっぱり入れないって」
子「ちんかんちぇん!ちんかんちぇん!○○けい!△△けい!ちんかーんてぇーん!」(上機嫌)
母「お外から見ようね~。えーっとあれは何系…かな…おかーさんちょっとわかんな」
駅「あ、お母さん、あれは△△系のこだまですよ」
母「そうなんですかぁ~、ありがとうございます。△△系だって」
子「△△けい!△△けい!ちんちゃんちぇん!!!!」
駅「あのですねー、お母さん、その入場券では新幹線内へお乗りいただけないんです」
母「?はい?」
駅「今の時間は、当駅始発ではないのですぐ発車してしまうものばかりなんですね。
ただちょっと時間が掛かりますが、今から約30分後に◆番線に入る、◎分初の車両は当駅初で
停車時間が多少長めです。で、普段でしたらこの列車は大変空いておりまます。
切符を改めさせて頂くのは発車後です」
母「……!あ、ありがとうございます!」
駅「いえいえ、私は何も伺ってませんし言ってません。ホームは寒いので、お気をつけ下さい」
母「はい!はい!ありがとうございます!●●!駅員さんにお礼!」
子「あーったー!」(多分敬礼のマネ)

駅員さん子供にビシ!と敬礼。子供おおはしゃぎ。
ここに書いちゃったけど私も何も見なかったし聞かなかったw

183:彼氏いない歴774年 投稿日:2010/11/11(木) 13:52:51

ええ話を聞いた気がするけど忘れた、もう忘れたよ!(`;ω;´)

[コピペ]いい話

380 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/02(日) 17:42:17

普段俺のことをバカにしまくってるドーベルマンのロッキー
しかし小学生のとき、ロッキーは俺を助けてくれた

当時お袋の実家に帰省していたとき、近所のデカい川にロッキーと一緒に
遊びにいったんだが、川の石を渡って真ん中までたどり着いたとき、
足元のコケに滑らせて転落してしまった

落ちた場所はギリギリ足が着く深さだったんだが、流されるうちに深い場所に
いってしまい、パニくった俺は泳ぐことも忘れ溺れていった

釣り人はもっと上流の方に行かないといないし、道路からも遠いので
溺れながらも必死で叫んでも、誰も来ない状況

しかも川の水は冷たく、段々力が抜けていって、死を覚悟し始めた頃、
目の前にロッキーがいて、俺のシャツを噛んで川の岸に運んでくれた

正直ロッキーが来るのはありえないと思ってた
だって俺はロッキーが逃げないようにリードを階段の手すりに結んでいたから

どうやってロッキーは来れたんだろうって思って水を吐いて落ち着いてから
ロッキーを見ると、リードが噛み千切られていた
首からも余程暴れたのか血が出ていて、こんなに必死になって俺のことを
助けてくれたのかと思うと、小学生ながらも感動して、号泣した

それ以来ロッキーは俺のヒーロー

もしロッキーに何かがあったら次は俺が助けてやりたいと思う

[コピペ]いい話

446:1/2:2010/10/11(月) 01:26:00.79

先日小6の息子の運動会を見に行って、息子が自閉症の子と二人三脚をしている姿を見て、26年前を思い出しました。
当時は身障の子もハンディなしで、皆と一緒に走ってた。
あれは小5の運動会で100m走の時。
1組から6組までの6人が背の順に走るのだが、オレは1組
2組は浜田、3組は和田リョウちゃん、4組と5組は忘れた。
6組が体にハンディを持つ子だった。そしていよいよオレ達の
番が回って来た。距離のハンデは当然なしで、皆一斉にスタート
した。所がオレがコーナーにさしかかった頃、リョウちゃんは少し前を走っていたが
突然止まり、逆走しだした。そしてオレも走るのを止めて、後ろを見ると、
6組の水口クンがコケてうずくまってた。それを見てオレも水口クンが
倒れてる所まで走り出した。(その時のオレは、こんなことしたら
先生に怒られるかも・・)と思ってた。しかし、なんと、他の組のヤツらも
水口クンの所へ駆け寄ってきた。そこでの会話は多分こうだったと思う。
和田「泣かなくてもイイって、さぁ立てよ」
水口「・・・」
オレ「水口クン、オレにつかまれ」
水口「ゴメン・・」
和田、他の全員『みんなでゴールしたらええやん』

447:2/2:2010/10/11(月) 01:26:42.82

そして、オレとリョウちゃんは水口クンの脇を抱え走り出した。
そして、他の組の4人も一緒にゴールテープを切った。
ゴールで待っていた先生の中には、人目をはばからず涙を流す先生もいて、
『お前らよく頑張ったな』と言ってくれた。 (オレは内心ホッとした)
あとで聞いた話だが、その時の歓声と拍手は凄かったらしい。
オレにはそんな歓声も拍手も聞こえてこなかったが。
そして夕方、閉会式で校長先生が目を真っ赤にして、
『先生は今日の運動会を死ぬまで忘れません』と言った。
6年生になり、リョウちゃんは転向してしまった、オレが
同級生で唯一認めた男、和田りょうじは今どこで何をしてるのだろう。
夏ごろ水口クンも大きな病院へ入院してしまい、
6年生の運動会はリョウちゃんも水口クンもいない運動会になって
しまった。確かあの日も雲ひとつない快晴だった。
オレもあの日の逆走は死ぬまで忘れない。