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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

261 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:46:18

第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、
ある暑い日の出来事でした。
私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、
貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、
私の顔をマジ、マジと見つめていた。
「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。
住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは—」
といいかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開けて、私のくちびるをみつめていた。

262 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/31(金) 08:48:44

私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。
しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、
係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、
小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、
下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。
だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは泣いてはいけないんだって」
と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、
私の頭の中をぐるぐる廻っていた。

[コピペ]泣ける

111 名前:可愛い奥様 投稿日:2009/07/29(水) 21:39:44

用意周到な旦那が大好き
腹黒さと紙一重だけど スキッ(・∀・)

私こともあろうに自分の結婚式に遅刻してしまうような
もー本物のダメっダメなんだ

前日に休暇をとってなくて、深夜の緊急呼び出しから
家にもどって一眠りしてたら見事に寝過ごしorz
あわてて旦那に電話したら、
なんと私にだけ2時間早い現場入りの時刻を
伝えてくれてたようで、どうにかセーフだったwww

もう一生、この人の手のひらで思う存分
転がされようとおもったよ

旦那の急死で結婚生活は一年ちょっとなんだけど
いつのまにやら書き残してた遺言書に「大遅刻希望」と
書いてあったので、50年ばかし遅刻する予定wwww

先週がケコーン5thだったんだけど、仏壇のろうそくに火を灯して
炎がゆれるだけで幸せなくらい、ずっと旦那が大好き

[コピペ]泣ける

288 名前:774RR 投稿日:02/10/18 13:00 ID:hzuP1fZA

とある中古のバイク屋で店員をしていた。(今は転職して違う業種)
バイクは特に好きでも嫌いでもない。金があれば欲しいな程度にしか
思っていなかった。免許も車に付いてくる原付しかない。
しかし出張で東京の方の店舗へ1週間ほど行ったとき、それまでは内勤の
事務作業だったのだが初めてバイク屋として売り場へ立った。
そこでは、様々な人生模様があった。はっきり言ってそこのバイク屋は
メーター戻しをしたり、金をもらっといて納車整備はしない。なんて
ざらにあった。そんな所に客がかなりくるんだよまた。
ある時、子連れの夫婦が来た。じっと見てると何やら口論している。
「あんた、これ全部で100万以上するじゃないの」
「いや、ほんと仕事も頑張るから、お願い!!」
「パパ、これ買うの??後ろに乗せてね」のような。
その人が見てたバイクはZⅡ、珍車ではない。ノーマルのやつ。
聞いているとその人が学生だった頃に先輩が乗っていて
それを借りて初めて乗ったバイクなんだって。
ずっと憧れてて、ずっと欲しくて探してたらしい。
うちのショーウィンドウで見かけた時は本当に大喜びしたみたい。

289 名前:774RR 投稿日:02/10/18 13:11 ID:hzuP1fZA

長々と奥さんを説得するだんな様。
そんな旦那さんを見かねて少し仲介に入ってあげた。
「すいません、もし今乗っているバイクがあれば
下取り価格という事で安くは出来ますよ、ありますか?」
「ありますあります!!今から乗ってきますから待っててください。」
興奮したような旦那さん、奥さんと子供を置いて取りに帰った。
待ってる間、奥さんと子供にコーヒーとジュースを出してあげた。
奥さんは
「あんな何十年も前のバイク出してもお金がかかるのに、ごめんなさいね」
と言ってた。私は「見てみなければ分からないもんですよ」と返した。
実際に私もそんなに期待はしていなかった。
20分ほどして旦那が戻ってきた。極上のCBX400Fに乗って。
マフラー以外ノーマルで乗ってて、多少の傷はあるものの見ただけで
分かるほどの洗車と整備を怠ってないバイク。
店に出せば100万以上の値はいくだろう。業者間オークションでも80万以上。
私は「じゃあ、このZⅡとこのバイク。差額20万円でいいですよ」と。
心情的には差額無しで行きたい所でしたが無理でした。
奥さん、大声で「これが80万円の価値があるの!!?」とのたまわった。

290 名前:774RR 投稿日:02/10/18 13:33 ID:hzuP1fZA

旦那は涙を流していた、正直その時私には理解できなかった。

「大切にした甲斐があった、売る為に買ったわけじゃないよ
ありがとうありがとう・・・何年もありがとうな、ごめんよ」

新しいバイクを手に入れる代わりに思い出の詰まったバイクを
私ら業者に売る時の気持ち、どんなだろう。理解できなかった。
ちょうどこのスレで煽っている人たちのように私にとって「機械」
だったバイクにここまで真剣に涙を流せるなんて。
しかし旦那が言った一言
「どうかこのバイクを次も大切にしてくれる人の所へ売って下さい
お願いします」っと。
私は涙がポロポロと出てきた、今まで何台ものバイクを引き取って
事務処理をして、廃車手続きをして解体したり次へ売ったりして
感情を失っていたのかもしれない。私は店員なのに一緒に泣いた。
「すいません、お客さんの前なのに。。」
旦那さんは手続きをすませ、帰った。私はその夜CBXとZⅡを丁寧に
洗車した。ZⅡには「次のお前の主人、いいやつだぞ~」と
CBXには「今まで可愛がってもらってたんだなぁ~次もそうだと良いな」
と思いつつ、はたから見れば薄ら笑いを浮かべつつ洗車をする私は気味が
悪かったと思います(w
あまり泣けないですし、私の体験談ではないのであれですが。
色々と教えてもらった経験でした。

[コピペ]泣ける

俺と18年間過ごした雑種犬。

言うことも聞かないし犬らしいリアクションも少なく、ただただ所定の場所に座り行き交う人を睨みつける。
当時は本当に不安になって獣医に耳が聞こえてるか検査に連れて行ったくらい。

愛嬌というものが皆無でお手やおすわりも覚えなかった。ムカつく犬だったなー。
「ムサシ!」って読んでもシカト。「おい!」って軽く小突いてもシカト。散歩とメシの時は目を合わせずに尻尾だけ振ってるし。
だからあいつが病気になって入院した時はスゲー不安だった。

痛がったり苦しがったりのリアクションを先生にわかるかな?とか辛くても空中睨みつけるだけで我慢してんじゃないのかな?とか考えてたら眠れなかった。
病気のせいで記憶障害起こしてる可能性があるって医者から聞いた時、目の前が真っ暗になったよ。

生まれた時から一緒だった俺の事も忘れてんのかなって思うと怖くて仕方がなかった。
もう助からないってわかって、せめて最後は自宅でゆっくりさせてやろうって事になって、俺が病院まで迎えに行った。

おそるおそるムサシの檻に近づいて、我ながら頼りねーって思うくらい情けない声で「ムサシ…」って呼んでみた。
そしたらさ、横になってゼェゼェしてたムサシがゆっくり体を起こしてくれたんだよな。それだけじゃなくて、俺の方に近づいて声にならない声で、口パクだったけど「ワン」って吠えてくれた。もう今まで堪えてた涙がそこで一気に溢れた。
ムサシに泣かされたのはそれがはじめてだった。

それから3日くらいでムサシは息をひきとった。ホントムカつく犬だったなー。
学校の同級生にも親にもあんなに泣かされた事ないっての。

俺のはじめての友達で兄弟だった。

[コピペ]泣ける

181 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/10(日) 00:12:14.54

娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。
千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、
あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。
先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。

「いつになったらお外へ出れるの?」

悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。
結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。

小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。
闘って、闘って、闘い抜いた千春。
とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。

「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」

主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。
私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。

小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。
外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので。

千春、千春、今あなたはどこにいるの? 空? 海? 山? 幸せでいる?
今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。またいつか会おうね。

[コピペ]泣ける

二度の脳梗塞で重度の障害が残った夫は、狭心症発作を繰り返しながら自宅療養を続けている。
人との接触を求めて、時々外出する。

冬の一日、急に思い立って遊園地へ行った。

広場の隅に車椅子を止め、私は傍らに立って元気に走り回る子供達を見ていた。
思ったより寒く、早く帰らねばと思った。

その時広場に歓声があがった。ドナルドダックの着ぐるみを着た人が現れ、子供達がどっと駆け寄ったのだ。
ところがそのあひるさんは、子供達をかき分けてどんどん駆けて、こちらへ近付いてくる。
広場の隅にいる私たちの方へ……。

車椅子に乗った夫の前へ来ると、大きく一礼して大きな手で夫の背中を撫でてくれる。
二度、三度、突然の出来事に私達も周りの人も驚いた。
夫の背中を大きく撫でて、今度は私の腕をさすり、両手で包み込んでくれる。大きな白い温かい手で……。

優しさが老二人を包み、その温かさが周りに広がり、見ていた人達の間から拍手が起こった。
夫の顔を見ると、涙がほろほろ頬を伝っている。

風の冷たさを忘れた。
「優しさをありがとう」と言うのが精一杯の感謝の言葉。

あひるさんはウンウンと頷いてもう一度夫の背中を撫でて、子供達の方へ駆けていった。

思いがけない出来事だった。着ぐるみだからお顔は見えない、お声も聞けなかった。
けれど、優しさと励ましのお心はしっかりといただいた。
病む夫にも、介護の私にも元気をくださったあひるさん、ありがとう。

[コピペ]泣ける

115 :1/2:2009/05/09(土) 22:50:05

彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。

116 :2/2:2009/05/09(土) 22:51:06

●●へ(彼の名前)

ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。

[コピペ]泣ける

147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 23:23:44

<1985年の日航機墜落事故で亡くなった52歳の会社員の遺書>
マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分からない
今5分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと
食事したのは 最後とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て
降下しだした
どこへどうなるのか
津慶しっかり たのんだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今6時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は
幸せな人生だった と感謝している


墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実

[コピペ]泣ける

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 19:46:24

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。

親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。

[コピペ]泣ける

37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/03/17(火) 15:26:51

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。