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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]ほのぼの

34 不明なデバイスさん 2007/07/11(水) 17:59:28

少し前のことだが、新しいPCゲームをやってみたけど重い!と言うのでメモリを購入。
「んじゃ取り付けてやるから少し待ってな」と言うと、基本的にメカ音痴な嫁が珍しく
「私がやる!っていうかやらせて!」と言ってきた。
まぁいいかと思い壊れたマザーボードで取り付け方を説明し、最後にちょっといたずらを。

俺「PCは静電気に弱いからメモリ増設は全裸でやるのが基本だぞ」
嫁「え!でも旦那がそんなことしてるの見たことないよ!」
俺「そりゃそうだろう、PCいじるのはお前が寝たあとだし」
嫁「うー…どうしても全裸じゃないとダメ?」
俺「それで全損した奴を何人も知ってるからなぁ」

嫁の裸なんか普通に見慣れてるわけだが、さすがにこんな状況は恥ずかしいらしい。
ちなみに静電気でPCぶっ壊した奴なんか知り合いにはいない。

嫁「…わかった、隣の部屋でやってくる」
俺「(お、挫けないな)そうか、頑張れよ」

PCを抱えて隣の部屋へ移動する嫁。
でもドライバー持ってってないからケース開けらんないだろ、と思ってると案の定
「あっ!」という叫び声が。
こっそり覗くと既に全裸で右往左往してる。 服着て取りに来ればいいじゃん…
わざとらしく「おーい、忘れもんだぞー」とわざとらしく部屋に入る俺。

嫁「うわわわわ!見ないでー!」

全裸でPCにしがみつく姿は実にキュートだったぞ、嫁よ。

[コピペ]泣ける

871 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/09/04(火) 03:47:32

子供が3歳目の前にしているのに二語文はない。

専門医に色んな検査をしてもらい、
今のところ病名をつけるようなものではないと診察された。

でも不安で不安で仕方なかった。
   
いつもバス停で一緒になるお友達のお母さんが喋りかけてくれてた。
その時勇気を持って告白。

「うちの子お喋りが出来ないんだ。だから答えれなくてごめんね。」って。

そしたらそのお母さんが笑いながら

「大丈夫大丈夫。いつか喋れるよ。ね~、言ってる事は分かってるもんね~。」

と子供をあやしてくれた。

その告白以来、そのお母さんは息子に「バイバイ」と声をかけ
タッチをしてくれるようになった。

いつもよりも言葉をかけてくれるようになった。
今日はバス停まで手を繋いで行ってくれた。

その後子供と二人でお散歩に出かけた。

子供が「あっち、いく」と手を引っ張ってくれた。

初めての二語文に嬉しくて思わず泣いちゃった。
ありがとう、ありがとう。

笑顔でいつも接してくれて本当に感謝してます。
子供と向き合って必死になってる私を追い詰めず、
いつも笑顔で大丈夫といってくれたあなたのおかげです。
子供だけじゃなく、私自身がいつも救われていました。

あなたのように、大きな笑顔で他の誰かの役に立てるように頑張ります。

[コピペ]ほのぼの

354 名前: 1 投稿日: 2007/08/16(木) 12:15:28

我が家に昔の友達が遊びに来ました。
カナディアン*1とポーリッシュ*2、エリース*3の計6名。
18日間。

彼らの日本びいきっぽいところだけ。
 
 
・空港から我が家まで自力で到達した彼らは、
 既にデジカメを100枚ぐらい撮っていました。

 建築物や人物は勿論、植え込みだのゴミ箱だのイスだの、
 目に付いたであろう物、全部撮ってます。
 何故かと尋ねたら、シェイプデザインだからクールだって
 言われました。

・ラッピングバスも好きなようで、特に「かぜに改源」を
 何枚も撮っていました。バカw

・我が家は日本家屋でもない普通の建売っぽい家なのですが、
 それでも暑さ避けのスダレやリビングに敷いてあるゴザなどが
 気に入ったようで、2日目の買い物では近くのホームセンター
 へ行き、海外へ発送できないかと揉めたりしたようです。

・客間は男女別で洋室を用意していたのですが、どうしてもと
 請われ、急遽和室に自分と妹も含め雑魚寝になったりしました。
 (布団だと背が高いので足の先っちょがコンニチワ
  してしまうのですが、それも写真に撮ってたw)

356 名前: 2 投稿日: 2007/08/16(木) 12:18:46

・滞在5日目、自分と妹の休みに皆でキャンプに出掛けたのですが、
 その道中、道の駅で食べた小倉ソフトクリームにハマり、
 「僕はここから動かない!」と駄々を捏ねられました。

・キャンプ内で妹が浴衣に着替え、抹茶を点てると、
 それまで小娘扱いをしていたくせに「結婚してくれ」と
 プロポーズする奴まで出ました。
 殴りました。

・テントの軒先に風鈴を吊るしたら、
 また写真をバシャバシャ撮ってました。

・ダンスの後で汗をかいてましたので、“かちわり”を
 買って渡したら、「何コレ?何コレ!?何コレーっ!!」と大興奮。
 飲めるし、おでこや首筋に当てられるのがとってもいい考え!
 だそうです。

・ダンスフロアから和みスペースに移動する際、
 すれ違う人と「こんにちは」と挨拶していたら、マネしたくなったようで
 「こちゅわ」「こちゅわ」と言っていました。

・キャンプからの帰り道、共同浴場(温泉)へ寄りました。
 その時はおずおずとして馴染めないようでしたが、
 夜に大変よく眠れ、翌日も身体が軽かったようで
 「また行きたい」と言われました。

・帰る際に空港へ着いたら、大泣きで「また必ず日本へ来る」
 と約束してくれました。

[コピペ]トリビア

746 名前:Jolly Rogers ◆I0h8/JeUjY 投稿日:2006/10/29(日) 16:24:47
>743
 そんな外国人に分かりやすい(特にアメリカ人に)、日本の現実。

・カリフォルニア州に
・ロッキー山脈を丸ごとぶち込んで
・アメリカの人口の半分をぶち込んで
・世界中(除く日本)で起きる地震を全部ぶち込んで(それでも足りない……)
・ハリケーンを毎年10個前後横切らせて
・それでも世界第二位の経済力だったりする工業大国

……ほんと、なんで日本ってこれでやっていけるんだろう?

751 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2006/10/29(日) 18:51:10
>>746
「世界中の火山の半分」「豪雪地帯と豪雨地帯」
「年2回の行事で人口の過半数が大移動」も入るんじゃなかったっけ?

752 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2006/10/29(日) 19:03:33
>>746
日本って本当にそんな地震が多いのか?
ちょっと信じられん。

753 名前:マンセー名無しさん 投稿日:2006/10/29(日) 19:08:39
>>752
マグニチュード6以上に限定すると
世界の地震総数の2割は日本で起こってる。

[コピペ]ほのぼの

606 おさかなくわえた名無しさん sage 2007/07/24(火) 00:00:28
かなり昔の事なんだけどふいに思い出した。とある東京近郊の、電車の中での親子の会話
(´・ω・`)男の子。体格的にまだ小学校には上がってないと思われる
( ´_ゝ`)お母さん。20代後半~30歳前半くらい。きれいめ。

(´・ω・`)お母さん、どうして松島奈々子さんは結婚しちゃったんですか
( ´_ゝ`)それはね、反町くんが好きだったからよ
(´・ω・`)好きだと結婚するんですか。僕も松島奈々子さん好きだったのに、結婚できないんですか。
( ´_ゝ`)お互いにお互いが好きじゃなきゃ結婚できないのよ。
(´・ω・`)そうなんですか。僕は松島さんが好きでも松島さんはそうじゃないんですね。
( ´_ゝ`)そうねー。残念だけどねー。
(´・ω・`)…お母さんはお父さんが好きだから結婚したんですか。
( ´_ゝ`)お母さんはねー、本当は福山君(雅治と思われる)と結婚するはずだったのよー
(´・ω・`)どうしてお父さんと結婚したんですか。
( ´_ゝ`)お父さんがどうしてもって頼んだからよー
(´・ω・`)頼んだら結婚できるんですか。

こんな感じの会話を親子で繰り広げていた。子供が綺麗な敬語で、
しかし喋ってる内容はこんな感じで電車内のほとんどが会話を止めこの親子の会話に聞き入っていた。
もう物凄く噴出したかったけどガマンしてガマンして脳内に面白会話を擦り込んだ。
結果、今でもなんとなく覚えていた。

[コピペ]怖い

自分(女)の名前で検索をかけてみた。
すると十数件、同姓同名の人たちが検索に引っかかった。
研究者や会社の経営者、同じ名前でありながら全然別の生活をしている人たち。
その中に「○○○○○(自分の名前)のページ」というHPがあった。

それはプロフィール、BBSだけの初心者が作った感じのよくある個人のHPだった。
プロフィールを見ると、自分と同じ歳であり、趣味なども良く似ている。
BBSなどを見ると、常連っぽい人が5~6人いるらしく、この手のHPとしては
まあまあ流行ってる感じだった。
何となくお気に入りにして、時々見るようにした。

しばらくすると、コンテンツに日記が増えた。
日記は、まあ、そのへんのサイトによくある内容の薄い日記だ。
今日は暑かったとか、日本がサッカー勝ったとか、そんな感じの

ある時、日記の内容が自分の生活とよく似ていることに気づいた。
始めに気づいたのは野球観戦に行ったときだ。その日、そのサイトの管理人も同じ球場に行ったらしい。
その時はもちろん偶然だなとしか思わなかった。球場には何万人もの人間が行くのだから。
次の日の、日記は会社でミスをしたことについて書いてあった。
私もその日、会社でミスをして少々落ち込んでいた。

次の日も、その次の日も、よく見ると日記の内容はまるで自分の生活を書かれているようだった。
大半は「カレーを食べた」とか「CDを買った」など対した偶然ではない。
しかし、それが何ヶ月も続くと気味が悪くなってきた。

ある日、掲示板を見ると、常連たちが管理人の誕生日を祝っていた。
その日は私も誕生日だ。
それでいよいよ怖くなってきて初めて掲示板に書き込みすることにした。

しかし、書き込みしようとしても、名前や内容を書くところに文字が打てない。
色々やってみるが書き込めないどころか文字すら打てない。

「おかしいな?」と思っていると、あることに気づいた。
それは掲示板ではなく、ただのページだった。
つまり、一人の人間が掲示板っぽく見せかけて作った一つのページだったのだ。

「いったい何のためにこんなこと…」とすごく怖くなり、
管理人にメールを打った。
「初めまして。私は貴方と同姓同名の人間で、よくこの~」のような当たり障りのないメールだ。

そして次の日、そのページを見ると、全て消されていた。
メールボックスには一通
「見つかった」
という返信があった。

[コピペ]ほのぼの

910 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/27(月) 22:42:54

 昨日残業して2時頃帰ったら、リビングに行き倒れ状態の嫁と娘が。
嫁の手にはクラッカー、娘の手には「ぱぱおにんじょびおめでと」
のカードが。部屋はお誕生日パーティの飾りが、冷蔵庫には食べかけの
俺の大好物のラザニアとケーキ(どちらも普段は太るからと、めったに
食卓には上がらない)とシャンパンまで・・・
 残業だから先に寝てろって言っといたのに。泣きながら布団かぶせたら
嫁が起きて、「ごめん、1時までがんばったんだけど・・・」その声で
娘も起きて寝ぼけ眼で「パパあけましておめでとう」また泣いた。

今これ書きながら思い出し泣きした。

[コピペ]全米が泣いた

32 守備隊(静岡県) 2007/08/24(金) 13:53:57

88歳のおじいさんが病院にやってきました。
「先生、聞いてくださいよ!わしの嫁は18歳なんですが、この度めでたく、わしの子
をみごもったんですよ!!」
医者はしばらく考えてから、口を開きました。

「こんな話をご存じですか。狙った熊は決して逃がさない熊撃ちの名人がいた。とこ
ろがある日、急いでいたのでうっかりして、猟銃の代わりに傘を持って熊撃ちに出て
しまった。そして熊に遭遇。彼はまだ傘と気づかずに猟銃のつもりで傘を構え、ひき
がねのつもりで傘の持ち手をバーンと引いた。すると熊はパタリと倒れた。見れば心
臓を銃弾が直撃…」

「そんなバカな!あるとすれば、その弾は他の人が撃ったに違いない」

「そういうことです」

[コピペ]切ない

259 名前:J.Hendersonの手記 投稿日:2005/10/09(日) 06:34:09

その日、私はオハイオへ向かう途中のハイウェイの路側帯で、一台のバンが停止しているのを発見した。
通常であれば黙って見過ごすところだったが、そのバンが白色で目立ったことと、
ボンネットから大量の黒煙を噴出していることから私はすぐ緊急事態を悟り、
減速してバンに近づいた。

幸いにもバンの乗員は無事のようで、路側帯で火を噴く自らの愛車を呆然と見つめているだけだった。

乗員はアラブ系の男で、年齢は三十代前半、ひょっとしたら二十代の後半かもしれなかった。
私は以前、自動車整備会社の従業員として3年働いた経験があった。
ボンネットの黒煙は激しかったが、私の車に備え付けの消化剤によって一応の鎮火に成功した。

男はメイソンと名乗った。私はてっきり彼は海外からの旅行者であると思っていたが流暢な英語を話した。
メイソンは、自分は自動車の免許を取ったばかりで、車の整備全般についてまったくの素人で、
こうしたトラブルにも馴れていない。あなたがきてくれたおかげで助かった。
しかし私はどうしても今日中にオハイオに向かわなければならない。
消火したのは良いが、このままではこのバンは使い物にならない、と窮状を述べた。

私は消火剤で真っ白になったバンのボンネットを見渡した。
機関の損傷をチェックする為だったが、私の車に積んである簡易工具類で
なんとか応急処置をすればオハイオまで走れなくは無い程度だった。
奇跡的に、バッテリーの損傷は心配したほどでは無く、黒煙の原因はエンジン外周から漏れ出した
オイルが、何らか要因で発火したからだった。
つまり、見かけほどバンの機関は損傷を免れていたのである。

一時間ほどでバンの応急措置は終わり、メイソンは喜んでエンジンキーを回した。
私はエンジンは絶対に切るな、目的地に着いたら整備工場で正規の修理を受けろ、と念を押した。
応急措置とはいえ、エンジン機関は不安定だからである

メイソンは何度もありがとうといい、自分は何の礼も出来ないが、
と言った。どのみち、私はオハイオまで別段急いでいたわけでは無く、
そもそも休暇中であったので、そんな気は使わなくていいと答えた。

メイソンを乗せたバンは不規則な音を立てながら再びハイウェイに合流するかに見えた。
その時、バンにエンジンキーを挿したまま、メイソンは私に近づいてきた。
何か不具合か、と私は言ったが、メイソンは
「これから一週間から二週間の間、東部へは行くな」
と言った。
「そして飛行機にも乗るな、絶対に」
と言い残して再びバンに戻った。私は彼の背中に向かって
何故そんなことを言う、と叫んだがメイソンは振り向かなかった。

その日は、2001年9月2日の夕方の事だった。

「J.Hendersonの手記」
NewYork Times 2002.5.12

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

120 水先案名無い人 2007/08/20(月) 15:15:42

欽ちゃんはかつて、視聴率100%男と呼ばれていて、色々な番組に引っ張りだこだった。
そんなとき、24時間テレビの企画が持ち上がり、記念すべき第一回のMCを誰にしようか考えたとき、
まっさきに浮かんだのが欽ちゃんで、さっそく企画について説明し、オファーを出した。

しかし欽チャンは、提示された金額を見て、「こんな安いギャラじゃ引き受けられない」と突っ返した。
でも企画自体は、欽ちゃんがMCってことで話が進んでいたので、
そっからスタッフは何回も足を運んで、ギャラを増やして交渉するにしたが、
「これじゃ安すぎる」「ケタ間違えてるんじゃないか」と、まったく首を縦に振らなかった。

もうしょうがないので、制作費で出せるギリギリの金額を提示して、
「すいません、もうこれ以上は出せません」と言ったところ、
「よし、これならやる」と、やっと承諾してくれた。
そしてすぐ欽ちゃんが言った言葉は、

「よし、じゃあこれ全部寄付してくれ」

【関連】
■欽ちゃんのギャラ(動画)