/* THKアクセス解析 */
管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
SNSでは毎日なにかしらのオススメを更新しております。どうぞ宜しくお願い致します。
詳細な自己紹介 → このサイトについて
はじめての方にオススメ → 今月の人気記事一覧

twitter  instagram

[コピペ]怖い

73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/26(月) 23:35:26

うちであった怖い話なんだけどさ、俺この間酔って帰ってきたんだよ夜中。
そしたらリビングで母親が寝てるわけ。なんだよババァとか思いながらもその日は寝たんだ。
でも朝になってもそこで寝てんの。そんでずっと動かないから見に行ったら死んでたんだ。
はぁ?嘘だろ?と思ったけどマジ。これにはビビったよ。で、市役所に死亡届出そうと思ったらさ
なんと職員が「あなたの母親は20年前に亡くなってます」だって。うはw
いやじゃあ俺育ててたの一体誰だよって話w

[コピペ]怖い

407: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/03/12 17:56

親父に聞いた話。

30年くらい前、親父はまだ自分で炭を焼いていた。
山の中に作った炭窯で、クヌギやスギの炭を焼く。
焼きにかかると、足かけ4日くらいの作業の間、釜の側の小屋で寝泊まりする。

その日は夕方から火を入れたのだが、前回焼いた時からあまり日が経っていないのに、
どうしたわけか、なかなか釜の中まで火が回らない。ここで焦っては元も子もないので、
親父は辛抱強く柴や薪をくべ、フイゴを踏んで火の番をしていた。

夜もとっぷり暮れ、辺りを静寂が支配し、薪の爆ぜる音ばかりが聞こえる。
パチ・・・パチ・・パチ・・・
ザ・・・ザザザ・・・
背後の藪で物音がした。
獣か?と思い、振り返るが姿はない。
パチ・・・パチン・・パチ・・パチ・・・
ザザッ・・・・ザザ ザ ザ ザ ザ ァ ァ ァ ァ ———————————
音が藪の中を凄いスピードで移動しはじめた。
この時、親父は(これは、この世のモノではないな)と直感し、振り向かなかった。
ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ  ザ
音が炭釜の周囲を回りだした。いよいよ尋常ではない。
親父はジッと耐えて火を見つめていた。
ザ・・・
「よお・・何してるんだ。」
音が止んだと思うと、親父の肩越しに誰かが話しかけてきた。
親しげな口調だが、その声に聞き覚えはない。

親父が黙っていると、声は勝手に言葉を継いだ。
「お前、独りか?」「なぜ火の側にいる?」「炭を焼いているのだな?」
声は真後ろから聞こえてくる。息が掛かりそうな程の距離だ。
親父は、必死の思いで振り向こうとする衝動と戦った。

408: 407 03/03/12 17:58

声が続けて聞いてきた。
「ここには、電話があるか?」
(なに?電話?)
奇妙な問いかけに、親父はとまどった。。
携帯電話など無い時代のこと、こんな山中に電話などあるはずがない。

間の抜けたその言葉に、親父は少し気を緩めた。
「そんなもの、あるはずないだろう。」
「そうか。」
不意に背後から気配が消えた。時間をおいて怖々振り向いてみると、やはり誰も居ない。
鬱蒼とした林が静まりかえっているばかりだった。

親父は、さっきの出来事を振り返ると同時に、改めて恐怖がぶり返して来るのを感じた。
恐ろしくて仕方が無かったが、火の側を離れる訳にはいかない。
念仏を唱えながら火の番を続けるうちに、ようやく東の空が白んできた。

あたりの様子が判るくらいに明るくなった頃、
祖父(親父の父親)が、二人分の弁当を持って山に上がってきた。
「どうだ?」
「いや、昨日の夕方から焼いてるんだが、釜の中へ火が入らないんだ。」
親父は昨夜の怪異については口にしなかった。
「どれ、俺が見てやる。」祖父は釜の裏に回って、煙突の煙に手をかざして言った。
「そろそろ温くなっとる。」そのまま、温度を見ようと、 釜の上に手をついた。
「ここはまだ冷たいな・・」そう言いながら、炭釜の天井部分に乗り上がった・・・
ボゴッ
鈍い音がして、釜の天井が崩れ、祖父が炭釜の中に転落した。
親父は慌てて祖父を助けようとしたが、足場の悪さと、立ちこめる煙と灰が邪魔をする。
親父は、火傷を負いながらも、祖父を救うべく釜の上に足をかけた。

釜の中は地獄の業火のように真っ赤だった。火はとっくに釜の中まで回っていたのだ。
悪戦苦闘の末、ようやく祖父の体を引きずり出した頃には、
顔や胸のあたりまでがグチャグチャに焼けただれて、すでに息は無かった。

409: 407 03/03/12 18:00

目の前で起きた惨劇が信じられず、親父はしばし惚けていた。
が、すぐに気を取り直し、下山することにした。
しかし、祖父の死体を背負って、急な山道を下るのは不可能に思えた。
親父は一人、小一時間ほどかけて、祖父の軽トラックが止めてある道端まで山を下った。

村の知り合いを連れて、炭小屋の所まで戻ってみると、祖父の死体に異変が起きていた。
焼けただれた上半身だけが白骨化していたのだ。
まるでしゃぶり尽くしたかのように、白い骨だけが残されている。
対照的に下半身は手つかずで、臓器もそっくり残っていた。
通常、熊や野犬などの獣が獲物の臓物から食らう。
それに、このあたりには、そんな大型の肉食獣などいないはずだった。

その場に居合わせた全員が、死体の様子が異常だということに気付いていた。
にも拘わらす、誰もそのことには触れない。黙々と祖父の死体を運び始めた。
親父が何か言おうとすると、皆が静かに首を横に振る。
親父は、そこで気付いた。これはタブーに類することなのだ、と。

昨夜、親父のところへやってきた訪問者が何者なのか?
祖父の死体を荒らしたのは何なのか?
その問いには、誰も答えられない。誰も口に出来ない。
「そういうことになっているんだ。」村の年寄りは、親父にそう言ったそうだ。

今でも、祖父の死因は野犬に襲われたことになっている。

[コピペ]トリビア

646:名無しさん@八周年 本日のレス 投稿日:2007/07/10(火) 12:15:12

秘密でも何でもないんだが、僕の知ってる事を少々。
実は新幹線でグモった死体は、意外に原型をとどめている。
在来線型の車両だと、ほぼ確実に巻き込まれてミンチになるのだが、新幹線はその車体形状から、上方もしくは 横方に弾き飛ばされる事が殆どだからだ。
低速で巻き込まれマグロユッケになると肉片も血が混じっていて赤いんだが、新幹線はちょっと違う。
新幹線の轢死体はたいてい真っ白。これは肉が本来白い事に由来するんだが、このメカニズムが不謹慎だが面白い。

まず車体が身体に当たった瞬間、身体の内圧が急激に上昇する。
その直後、身体の至るところから血が噴出すんだ。
これは濡らした雑巾を壁や床にぶつけたところを想像したらいい。
とにかく猛烈な圧力なので、一気に血液は抜け切ってしまう。
体外に噴出した血液は、新幹線の空力によっていわゆる「赤い霧」になる。
しかしこれも高速な新幹線ならではの独特の現象がある。

高速で走る新幹線には車体廻りにエアロストリームができている。
つまり気流が車体から剥がれない。最近の車体は特にその性能が良い。
なので、先頭でたいていグモるのだが、赤い霧は車体の数十センチくらいまでの比較的狭い空間内に閉じ込められる。
(最初に大きく跳ね飛ばされた分は除く)
300系以降、気流は車体上部を通るように考えられている。その設計とおりに車体は赤い霧で染められる。
実車で風洞実験してる感じ。
そして血が抜けきった身体は、内臓、脳などは殆ど撒き散らし、手、足など大きなパーツはちぎれるモノもあるが、ほとんどの大部分を残し、グモ地点からそれほど遠くない場所でごろり、と丸まっているのである。

[コピペ]笑える

292:名無しさん 投稿日:2010/10/15(金) 02:25:27

昔、代弁余裕&試験内容事前に漏れる教授がいて
単位稼げるってんで、受ける人だけは凄い多い授業があった
(勿論、授業中の人数はガラガラ)

ある試験当日、助教授が教室に入ってきた
(さすがに当日は人が満杯だ)
助教授は言った
「今回の試験は、カンニングらしき行為を発見次第、双方を退室させます」
「後、携帯電話をこの箱の中に置いて下さい」
やけに監視が厳しい。皆は困惑した

テストが始まった
問題は一問。配当は百点。沢山の顔写真が貼られている

「この授業の、教授の顔を選んで下さい」(百点)

乾坤一擲の復讐だった

[コピペ]トリビア

803:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/11/10(水) 15:43:40

1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴでの出来事である。その日は月曜日だった。月曜日はイヤなものだ。休みが終わり学校が始まる。くだらない授業を受けなければならない。
それでもクリーブランド小学校の生徒たちは、かじかむ手を擦りながら学校へと向った。校長先生と守衛さんが門を開けて生徒たちを出迎えた。

そこに銃声が鳴り響いた。ライフルの発砲は20分間も続いたという。校長先生と守衛さんは息絶え、9人の子供たちが重傷を負った。
犯人は向いのお姉さんだ。お姉さんはひとしきり撃ち終えると、飽きたかのように自宅へと戻って行った。
なんだなんだ? いったいなにがあったんだ?
回復不能なトラウマを負った子供たちには、お姉さんのご乱心のワケがさっぱり判らなかった。おまわりさんにだって判らなかったし、現場に急行した記者たちにも判らなかった。自宅に篭城したお姉さんに交渉人は訊ねた。

「どうして撃ったんだ?」
すると、お姉さんは答えた。

「理由なんてないわ。ただ退屈だっただけ。月曜日は嫌いなのよ」
(I just started shooting, that’s it. I just did it for the fun of it. I just don’t like mondays)

月曜日が嫌いだから撃った。なかなか文学的な理由である。この言葉は各界に衝撃を及ぼした。目敏いボブ・ゲルドフは早速『I DON’T LIKE MONDAYS』という曲を書き、世間の顰蹙を買いながらも世界中でヒットさせている。

なお、当時16歳のブレンダ・スペンサーは2件の殺人とその他もろもろの罪で48年の懲役刑に処された。

[コピペ]いい話

489:彼氏いない歴774年:2008/05/02(金) 17:29:32

私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど

忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。

新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。

ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。

意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら
「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに
娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが
置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、
「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。

最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
夜、娘さんに電話してその日のことを話したら娘も新郎も号泣。私も号泣w
数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。

…長いな。ごめん。で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、
ブーケトスで娘がブーケを投げない。
??? なにこっち向いてきょろきょろしてるの?と思ってたら娘、すたすたと歩いてきて
私に手渡しでブーケをくれたの。まわりの人たちは拍手。
どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや私のことを参列者に話してたみたい。

もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。
今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。
正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか自分のやってることは正しいのか?とか
考えてしまうこともあったんだけど、
たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや。もうそれだけでいい。

今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。
赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで。

[コピペ]泣ける

442 :大人の名無しさん 投稿日:04/12/05 22:31:10

ごめんなさい
吐き出させてください。

15のとき、だからもう15年以上たつかな  父親が倒れて半身麻痺になった。
自営業で祖父からの床屋やってる父親だよ。おかげで倒れたその日から収入0。
母親がかけてくれていた保険がたった一つあって それもあわせてなんとかパートで兄、中3の私、中1の弟を
誰一人我慢させることもなく学校にいかせてくれたよ。
実の娘が言うのもアレだけど、自慢の母親だ。 めちゃくちゃ怖いけどね。

でもさ、
甘ったれの兄はその後 数年で、シルビア2台潰して車の借金だけでも300万抱えた。

半身麻痺の親父は親父で我儘放題。
しかも入院中に発覚した借金が約100万。父側の親戚は知らん顔してる中 母親側の親戚が穴埋めに回ってくれた。

同じ半身麻痺の方々が一所懸命リハビリしながら仕事しているのを見ても無反応。
なかには 明らかに親父より大変な麻痺の人が働いているのにも関わらず 膝が痛いと嘘ばかりついてた。
不自由になっても人を嫌な気持ちにさせるのがなにより楽しいと働きづめの母親の前でいびきをかいて昼寝したり、
母の悪口を仲間で言い合って笑っていた。
父は4人兄弟の末子長男。
甘やかされて育ったらしく 少しでも大変だと途中で放り出すし、母にキツク言われると姉3人に泣きつくわで
母は嫁姑小姑問題で結婚したときからとんでもなく苦労させられていた。

退院したその日から その父親は毎日携帯もって遊びまわってるんだよ。コンビニでエロ本買ってくるし、
ウチじゃ小遣いくれないからって嘘言って叔母の家に行っては遊ぶ金を貰ってさ。 好きなお菓子を買い込んで一人で食べる。
母が塩分の取りすぎは体に良くないって言ってるのに。
歩行訓練で知り合った障害者向けの卓球クラブで仲間つくってさ 試合だ練習だと月に何回も旅行だからって
その度に金を持っていくんだよ。
まあ 健康なときから自分の趣味にしかお金を掛けなかった人だけどね。

443 :442 投稿日:04/12/05 22:33:41

母親はそれでも 我慢してたんだ。
「これもリハビリの一環だから仕方ないんだよ」って笑ってたんだよ。
朝8時に仕事して、5時に家に帰って、夕食の支度、夜7時からパートで11時までの超ハードワーク。
中3の受験生に家事させる無駄な時間は無いと言って、全部一人でやってた。
(私が家事をすると逆に怒られた)
家の事も金のことも心配するなって。
アンタは勉強頑張れ、それだけはお母さんでもどうすることも出来ないからって。
それより 学校の行事参加できなくてごめんねって、
ウチにお金があったら 好きな学校いかせてやれるのに、ごめんねって、
進学説明会も一人で行かせることになってごめんねって何度も謝ってきたんだ。

私にも 弟にも 誕生日もクリスマスも正月もなにも買ってやれなくてごめんねと。
兄には 父親が働いていたので好きなものを買ってやれたのに、
その金が無い今は母の収入だと食わせるだけで精一杯で 本当にごめんね…と。

そんなこと どうでもいいのに。
わたしのことより 真冬の深夜に自転車で夜道走るんだから気をつけてよと。
働き過ぎなんだから日曜ぐらい休んでよって そう言いながら弟と夜出勤する母親を見送った。

その頃 家に残された私が12才の弟と 二人分のご飯をレンジで温めながら
なんにもできない子供な自分たちが凄く悔しかったのを 覚えている。

445 :442 投稿日:04/12/05 23:26:05

あんな父、兄を反面教師として無我夢中で勉強して、就職したよ。
全部 母親と自分の為だ。
当然 仕送りは欠かさないし、ボーナスには多めに振り込んでる。
何かあると家に帰って 会って話をしたり、ご飯食べに連れ出したり、金を置いてくる。
本当は一緒に暮らしたいけど、私は 父親と折り合い悪くて、一緒に暮らせなくて
経済的な援助しかできないのが 申し訳ないけど…

父親に何ひとつ買ってもらえなかった弟が 嫁さん貰った。
明るくて しっかりしてて とにかくいい人なんだ。
気が強くて、トコトン話し合おうとする年上女房で 話を聞くとどうやら母に似ているらしい。
主導権を握られてるんだと苦笑いする弟は 言葉とは真逆にとんでもなく嬉しそうな顔をしていた。
そんな昔の話や婚約者の話を3人でしていた時、
ふと 「結婚するといわれても、親としてなんにもしてやれないよ」と落ち込む母に
私と弟が 声を合わせて言った。もう 二人ともいい大人なのに 半泣きだった。

「頼むから もう楽になってよ」

頼って欲しかったんだ。ずっと ずっと。
絶対 泣かなかった弟も目に一杯涙溜めてて
ああ、この子も同じこと考えてたんだなあと思ったら 我慢できなくてつい声を出して泣いてしまったよ。
だから母親が『離婚を考えている』と言ってくれたとき 正直嬉しかった。
もう 子供のことなんて放っておいていいから 自分の人生だけちゃんと見てほしくて。
そのあとも昔の話をして、笑って また少し泣いたよ。

でも ウチのおかーさん 馬鹿が付くほどお人よしだから、きっと離婚なんか出来ないんだろうな…
まあ いいや 弟と私で絶対守るからね

ちくしょー こんな女になりたいなあ。
ゴメン 文章力なくて…

[コピペ]ほのぼの

87:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2009/03/26(木) 19:29:17

高校生の時、自分で髪切って失敗した事があった。
次の日の放課後、Yに人気のない場所に呼び出され
ものすごく深刻な表情で、吐き捨てるように「帽子みたい」と言われた。

Yはヘアメイクが結構上手な子だったので、恥ずかしさで頭に血が上り
「わかってるよ!でも少し我慢してれば何とかなってくるでしょ?
一生このままってわけじゃないし、何もそんな事言わなくてもいいじゃん!」
と言うと、Yが突然泣き出した。しまった、言い過ぎた!と思い、慌てて
「どうにもならなくなったら、あんたの手も借りたい…」と言うと
Yは泣きながら「わかった。もうあんな事言わない。ごめんね」と。

つい先日、Yと飲みに行ったら彼女がその話をしたので、色々思い出した。
「あの時はあの勢いに救われたよ。まったくいい友達だ、あんたは」
と、照れたようにYは言ったが、私は顔がひきつった。

「帽子みたい」じゃなくて、「もう死にたい」だったのか…

その後、何度も友情に乾杯してから真実を打ち明けた。
私も衝撃的だったけど、Yはもっと衝撃的だったと思う

[コピペ]切ない

71 :大人の名無しさん :04/10/06 20:55:44 ID:4utVLvO1

私の前の上司(課長)は無口、無表情。
雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。

誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、
堅過ぎて近寄りにくい雰囲気がありました。
そんな課長の机の上には奥さん、子供四人と写った写真が飾られてて、
「あの朴念仁でも家族は愛してるんだな」と微笑ましく思ったものです。

何年経っても同じ写真が飾ってあったので、理由を聞いてみたら、
「一番かわいかった頃の写真だからね」と照れ笑いを浮かべながら答えてくださいました。
それが私の見た唯一の課長の笑顔でした。

そんな真面目一徹、入社以来無遅刻無欠勤の課長が三日続けて無断欠勤。
家に電話しても誰も出ず、親族の連絡先も分からなかったので、
部長が直接課長のマンションを訪ね、管理人さんにお願いしてドアを開けていただきました。

課長は玄関で倒れていて、既に冷たくなっていました。急性心不全だったそうです。
部長が管理人さんに課長の家族がいつ戻ってくるか聞くと、
「○○さんには家族はいないですよ」という返事。
あわてて人事部の資料をほじくり返すと、確かに課長には家族がいません。

課長は10年前に中途入社した人なので、それ以前に家族に逃げられていて、
写真を見て幸せだった時代を懐かしんでいたんだと思い、少し悲しくなりました。
結局、課長の葬儀にも家族も親族も顔を出さず、
血縁の人たちの冷たさにもっと悲しくなりました。

後日墓参りに行くと、立派なお墓が立っていました。
死んでやっと家族と和解できて、立派なお墓を立ててもらえたのかと
安心して墓石を見てみると、愕然としました。
お墓は古びていて、課長と同じ名字の名前が墓誌にいくつも彫ってありました。
課長以外は全員十数年前の同じ日に亡くなっていました。

家族を一度に亡くしてからの十数年の歳月を、
彼はどんな気持ちで過ごしていたんでしょうか?
二度と会えない家族の写真をどんな思いで毎日眺めていたんでしょうか?

人を遠ざけ、自分のことを決して語らなかった課長の姿を思い出し、涙が止まりませんでした。

[コピペ]全米が泣いた

134: 水先案名無い人:2009/07/18(土) 19:18:52

好きな子から告白された

すごく泣いてて勇気出して告白してくれたのかと喜んで

OKの返事した瞬間、後ろからその子の友達が集まってきた
どうやら罰ゲームで一番嫌いな奴に告白する事になってたらしい
「こめん、やりすぎだったね」

「もう泣かないでいいから」
など慰められていて俺に対して空気嫁と言わんばかりに睨んできた
一瞬でも喜んでた俺が馬鹿だったのかと思いつつ駅に向かった
するとさっき告白してきた女の子が改札前にいた
気づかないように改札を出ようとすると声をかけられた
「さっきはごめんなさい・・・。本当は罰ゲームとか関係なしにあなたのことが好きなの」
OKの返事した瞬間、後ろからその子の友達が集まってきた