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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

4 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:07:15

小学生の時僕はイジメられていた。
無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのは
とても辛かった。イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは
自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。

ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
先生はなんでもいいんだよ。遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかで
いいと言っていた。けど僕はなかなか書く事ができなかった。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。

結果から言うと作文は書いた。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけで
イジメられるのかなと子供心にとても不安だった。でもそれしか書けなかった。

5 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:08:33

作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「来週発表会をします。」
と言った。先生はそのまま教室を後にした。その後は頭を叩かれて
イジメられているふだんの僕がいた。

「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」
今日は作文の発表会の日。
ただひたすら「僕の作文は選ばれませんように」
ただ祈って下を向いているだけだった。

発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。
僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。
「では最後に〇〇君に読んでもらいます」
頭の中は真っ白だった。

「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」
クラス中から非難の声が上がった。「バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ」
様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」
突然の大声に教室は静まり返った。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」

6 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:09:17

「さあ読んでください」

「ぼくのお父さん。
僕のお父さんはいません。幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。
写真があるのでみましたがおぼえていないです。

だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。
いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるので
とてもだいすきです。

おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど
でもとてもやさしいいいおばあちゃんです」

7 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:09:58

「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんはお父さんがいなくてゴメンねと言ったりするので
早く僕が大人になって仕事をしてうちの家族のお父さん代わりになって
お母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います

だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、
お母さんにはいつも肩をもんであげています。
二人とも泣いたりするのですこしこまるけど、
そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」

一気に僕はしゃべった。
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?
もしかして捨て子だったんじゃねえか?とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。

先生は立ったまま泣いていた・・・

8 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:10:43

先生だけではなかった。他の子たちもみんな泣いていた。
僕が始めて好きになった初恋の子は、机にうつぶして泣いていた。
イジメていた子たちもみんな泣いていた。

でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
どうして?
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?
「〇〇君・・・」
「はい・・・」
「先生は人の心が分からないダメな先生でした。ゴメンなさい。
世の中には親御さんのいない子もいるのにね。
そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて
あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」
先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。

それがその日起こった出来事だった。

9 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:11:31

次の日からなぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなく
イジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。

先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、
今は亡くなったばあちゃんも、うれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。

大人になった今でもその時の事はなぜか覚えているし
ふと思い出したりもする。これが僕がかける自分の思い出です。

私的な事を長々書きすぎましたね。でも読んでくれた方には
「ありがとう」と言いたいです。

[コピペ]いい話

125 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/07/27(日) 17:40:08

遠くに住んでいる父方の祖父のことを、小さい頃から「頭のいい人」と聞いていた。
教師だった祖父は、定年後もパソコンなどの新しいことを、いつでも勉強していたらしく、なるほど聡明な人だったみたいだ。
そんな祖父が八十歳の時、癌になって入院した。
最初は軽い程度のもので入退院を繰り返していたが、いろんな場所に何度も発症している内に、寝たきりになってしまった。
そんな祖父に、父は病院に特別な許可を得て、一つの携帯電話を渡した。
祖父はその動けない身体で、黙々とあの分厚い説明書を読んでいたそうだ。
後で父に聞いた話だけど、病室で携帯を持つ祖父は、密閉されていながら外部と一点だけ繋がっている胎児みたいだったらしい。

そして、ある日の授業中に突然、
「レイ君。じいちゃんだよ。元気にしてるか?」
というメールが僕の携帯にやってきたのだ。
僕は驚きながら、「入院してるんじゃないですか?」というメールを送った 。
少し時間を置いて、メールは返ってきた。
何か検査でもあるのだろうか、時々遅れることはあっても、絶対に途切れず確実に返ってきた。
そうして、僕と祖父のメールは日常化していった。
お正月にする、緊張と遠慮だらけの短い電話しか繋がりがない僕と祖父は、互いに知らないことばっかりだった。
好きな食べ物や、趣味、今までのこと。とにかく知らないことだらけだった 。
でもそのやりとりの中で、僕はとんでもないことに気が付いた。
僕は、祖父の名前を知らなかったのだ。
そもそも僕はいろんなことに無頓着で、近くの町の名前も知らないことがあったけど、祖父の名前を今まで知ろうともしなかったことに、胸がぎゅっと痛んだ。

それと別にやましいことなど何もなかったけど、何故かこのメールは父にも誰にも内緒ということになっていた。
当時は特に理由なんて考えなかったけど、祖父も僕も、メールをしているのが何となく気恥ずかしかったのかも知れない。
そうして、そのやりとりも三ヶ月を超えた頃。
祖父はすっかり携帯を使いこなし、顔文字や絵文字もたくさん使っていた。
元々、お茶目な人だったのだ。メールはいつも楽しくて軽快だった。

そんなある日、昼休みに携帯を開いた時、祖父から来たメールには、
「携帯を、持ってよかった」
という一言だけが書かれていた。
いつもの取っつき易い内容とは違っていたので、すぐに返信できなかった。
そうしている間に電池は切れてしまった。
充電器も持っていなくて、僕は仕方なく携帯をリュックにしまった。

そして家に帰った時、母さんが辛そうな顔をしていた。
僕の鈍い勘は、そこになってようやく嫌な予感を感じ取った。
祖父は、亡くなっていた。
話を聞くと、祖父が亡くなったのはあのメールを打ってから三時間くらい後のことらしい。
僕は、震えて壊れてしまいそうな気持ちで、携帯電話のメールボックスを開いた。
一番上には、やはりあのメールがあった。

――――――これは、祖父の遺言だったんだ。

もし今から自分が死んでしまうとしたら、どんな言葉を遺そうとするか、全く想像できない。でも祖父にとっては、この一言だったのだ。
僕とメールが出来てよかったなんていう、そんな一言だったんだ。

僕はメールに添付ファイルがないか、何かないか、必死になって探していた 。
でも、そんなものは影も形もなかった。
どこまでもあの一言だけ―――。
そう思って携帯を閉じようとした時、題名の欄に気が付いた。
見てみれば題名の欄には、返信を意味する「Re」が、それはたくさん並んでい た。
本文よりもずっとずっと長い、Re.の大群。
数えるまでもなく、明らかに本文よりも長かった。
でも、決して無駄や無意味なんかじゃないと思った。
それは間違いなく、祖父の生きていた大切な証だった。

「それで、お葬式だけど、どうしても無理なら……」
祖父の住んでいる所は、やっぱり遠い。
母さんはあんまり成績のよくない僕の、期末テストを心配しているようだ。
でも僕は、「準備しよう」と言って、その心配を断った。

返信できなかったメールの代わりに、会いに行こうと決めていたから。

[コピペ]全米が泣いた

68 :名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/19(月) 12:57:45
誘発分娩にて。点滴開始時。
私「あのね、これから私、あなたにひどいことするかもしれないの」
夫「お産ってのはそういうもんさ」
私「だから私がいらついてるなーと思ったらほうっておいてね」
夫「そんなことできないよ。何したって構わないから、一緒に頑張ろう」
私「あなた…(キラキラウルウル」


一時間後
私「どいて」
夫「ごめん」
私 「あ、ううん、こっちこそごめん…。やっぱり、いざという時は出てていいんだからね」
夫「一緒に頑張るって言っただろ?」
私「………フー ン」

三時間後
私「触るな!うるさい!喋るな!動くな!あーもう!………出てていいんだよ?」
夫「気にしなくていいよ」

五 時間後
私「出てけーーーーーー!!!失せろーーーーーー!!!消えてくれーーー!!ハァハァハァ…!」
夫「大丈夫か?落ち着いた?」
私 「うん大丈夫。だから外にいなよ」
夫「何があってもここにいるから安心しなさい」

クライマックス
私「先生ーーーーー!先 生助けてーーー!お願いそれをつまみ出してーーー!
そこに突っ立ってるクソ野郎をーーーーー!!!!
私の視界に入れないでーーーーー!
存 在を感じさせないでーーーーー!!!!!!」

なんで離婚されなかったのかビデオ見るたびに不思議に思います。

[コピペ]泣ける

97:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:41:23

どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。


いや・・・一度だけあった。


クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。

98:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:42:49

あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ

「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった

梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい


99:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:44:05

死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね

あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」

お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。

お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・

まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド

[コピペ]これはひどい

99 :名無しさん@十周年 投稿日:2009/10/22(木) 10:49:10

昔中華料理屋で働いていたとき、20歳くらいのカップルが来て、彼氏のほうが
「イタメシ下さい」と漢字で「炒飯」と書かれたメニューを指差して言った。

日本は終わったと思った。

[コピペ]いい話

376 :名無しさん@HOME 投稿日: 2009/09/27(日) 02:48:43 0

尊敬してる。

無口だけど寛大で私のやりたいことは何でもやらせてくれた。
私が結婚するときも誰よりも喜んでくれた。

彼が結婚の挨拶にきたとき、緊張してなかなか話を切り出せない彼が
トイレに立つとこっそりと

「お前からさりげなく話を振ってやりなさいよ」

って。粋すぎるよ父ちゃん!

その後、無事に話し終えた彼に深々と頭を下げてくれた父の姿は
今でも忘れられない。

[コピペ]これはひどい

153 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/06/22(火) 15:10:00

理不尽な理由で向こうがヒステリー起して喧嘩

女『マジでウザイ!こんなバカ死ねばいいのに…』
男『は?それは一言多くない?』
女『昨日まではちゃんと話し聞いてくれたのに。なんでいきなり私を否定するの。』
男『否定じゃないよね。で、お前が我侭言うからだろ?』
女『でも、○○まで行きたいって言ったのは男でしょ?』
男『そうだよ、それにお前も一緒に行きたいって言うから5時間も待ったのに、眠いからパスってどういうこと?』
女『前に付き合ってた人はこんな事言わなかったのに。こんなのと付き合わなきゃよかった。』
男『…え?バカにしてるの?』
女『8時に閉店だから、今7時でしょ、まだ1時間あるじゃん、行って来れば?』
男『そうだね。でも、車で1時間かかるんだよ?』
女『え?何?ごめんよく分からなかった』
男『あ、えーっと車で一時間かかるから行っても無駄だろ?』
女『何で?』
男『あ、えーと、行っても閉まってるじゃん』
女『何が?』
男『え?』
女『ん?』
男『今から行っても着いた頃には店閉まってるでしょ、行っても無駄じゃないか』
女『高速使えばいいでしょ。買うもの決まってるんだから10分あればいいでしょ?』
男『いや、だから。そんなに急いでどうすんだよ、ゆっくり買い物くらいさせてくれよ。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いやお前が怒らせたんだろ?見てわからんの?』
女『は?何で怒ってるの?それに何?その言い方、大事な人なら怒ってても、そんな酷い言葉言わないよ、ホントサイテー』
男『自分が俺に今まで何を言ったか分かってるの?』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?男のヒステリーってホントウザイ』
男『いやだからさ』
女『いっつもそう、お前がお前がって、全部私のせいにして勝手に怒って、私が何をしたっての?』
男『何もしなかったよね?しようとしなかったよね?』
女『でしょ?』
男『え?』

こんな感じ、もう疲れた。

[コピペ]怖い

53 : 水先案名無い人:2010/06/17(木) 21:35:51

小学校1年の時に病気で入院して、夜中病棟で毎晩のように泣いてた。
泣き始めるとすぐに看護婦さんが来てくれて
寝付くまで一緒に居てくれた。
名前がハセベさんと言って、若くて可愛い人で
子どもながらに自分はその人の事を好いてた。
半年程入院生活が続いたけど、毎晩のように僕は泣いてしまい
毎日泣き始めるとすぐにハセベさんが駆けつけてくれてた。
無事手術も終えて退院する事になった日に、ハセベさんは居なかったんだけど
母に「ハセベさんに宜しくお伝えください」と婦長さんに伝えてもらった。

自分が高校生になって、その病院の内科に行く機会があり
ついでと思い小児科病棟に寄ったら当時の婦長さんはまだ現役だった。
当時の事を話しててハセベさんの話になって
婦長が思い出したように話し始めた。
ハセベさん、って当時看護婦でそんな名前の人は居なかったらしい。
はっきり名前も覚えていたし漢字でも覚えてるし下の名前も覚えてる。
僕が熱だして泣きじゃくってた日、
部屋に現れて手をつないでくれていた日も鮮明に覚えてる。
特徴等を婦長に伝えたけれどやはりそんな人は居なかったといわれた。

いまや真相は闇の中です

[コピペ]ほのぼの

68 :名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/19(月) 12:57:45
誘発分娩にて。点滴開始時。
私「あのね、これから私、あなたにひどいことするかもしれないの」
夫「お産ってのはそういうもんさ」
私「だから私がいらついてるなーと思ったらほうっておいてね」
夫「そんなことできないよ。何したって構わないから、一緒に頑張ろう」
私「あなた…(キラキラウルウル」

一時間後
私「どいて」
夫「ごめん」
私 「あ、ううん、こっちこそごめん…。やっぱり、いざという時は出てていいんだからね」
夫「一緒に頑張るって言っただろ?」
私「………フー ン」

三時間後
私「触るな!うるさい!喋るな!動くな!あーもう!………出てていいんだよ?」
夫「気にしなくていいよ」

五 時間後
私「出てけーーーーーー!!!失せろーーーーーー!!!消えてくれーーー!!ハァハァハァ…!」
夫「大丈夫か?落ち着いた?」
私 「うん大丈夫。だから外にいなよ」
夫「何があってもここにいるから安心しなさい」

クライマックス
私「先生ーーーーー!先 生助けてーーー!お願いそれをつまみ出してーーー!
そこに突っ立ってるクソ野郎をーーーーー!!!!
私の視界に入れないでーーーーー!
存 在を感じさせないでーーーーー!!!!!!」

なんで離婚されなかったのかビデオ見るたびに不思議に思います。