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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]笑える

2014-02-15_1057

387:本当にあった怖い名無し:2007/05/22(火) 17:18:42

すいません、ちょっと長いんですけど書かせてください。

高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。
授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、
前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。
先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。

授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に
女子連中はキャーキャー言っていたけど
それを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、
みんな真剣に授業に臨んでた。

授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「新保(しんぽ)さん」の番になった。
先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。

「ジャアツギノヒトネ。ンーーアーー・・・ちんぽ!ちんぽサン!」

生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に
「笑ってはいけない!」と思った。
でも、たぶん「シンポ」と言っているんだろうけど、
どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって「ちんぽ」の発音だけが
こんなにもネイティブなのか」とか
「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか
考えだすとみんな耐えられなくなった。

結局新保さん以外の全員が爆笑。
新保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。

その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、
生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう
突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で
「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。
その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。
しかし先生の怒りのボルテージは上がったまま。

新保さんの肩に手を置くと

ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?
ちんぽガナニカシタ?

全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのを
やめてください」と思っていたと思う。

その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調で
うつむいて座っている彼女に語りかけた。

ちんぽゲンキダシテ。マエニキテクダサイ。ちんぽスタンドアップ!

新保さんも笑った。

[コピペ]全米が泣いた

768:名無し職人:04/05/14 15:52

中2のときに新任の女先生にいたずらしようってことになって、
先生が体育館に一人でいたときに5人くらいで襲いかかった。
プロレスの、足を持ち上げて宙でグルグル回すあれをしようとしてたんだけど、
羽交い締めにしたときにキャァァァァァーって先生が悲鳴を上げて、
バンッ!バンッ!バンッ!って感じで周囲の準備室の扉が開いて昼休み中の
男の先生たちが飛び出してきた。「お、お前らぁ!」ってもう生徒じゃなくて
不審者を恫喝するときの表情だった。「こ、この子たちがぁぁぁ」って羽交い
締めにされていた先生も顔をグシャグシャにして叫んだ。「僕達だけでは
処理できない、校長を呼ばなければ」みたいなことを言って男の先生達が
集まってくる。なにか勘違いされてるのではと激しく感じていた。ここは毅然
とした言い訳をしなければならないと思った。そして僕はグイッと一歩前に
出てよく通る声で言った。

「僕たちはただ、先生を回そうとしていただけです」

10年前の思い出だ。この後の怒号は今でも夢に見る。

[コピペ]泣ける

203:癒されたい名無しさん:2004/11/21 21:51:33

小学生のとき、足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。

 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。