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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]いい話

575 名前:774RR 投稿日:2007/11/28(水) 14:43:56

その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」と告白された。
本人は死ぬ気だったらしい。迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術にこぎ着けた。

どきどき。

成功した。うれしかった。術後も良好。でも、子供は無理。受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。

10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう、「挑戦しましょう」
おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。

どきどき。

無事出産。3,000g 元気な男の子。あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」かみさんの執刀医の紹介で
小児心臓外科の先生にお願いする。十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。

どきどき。

成功した。これ以上ないくらい。あれから15年。ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、幸せを噛みしめている。

[コピペ]いい話

250 名前:名無し職人 投稿日:2007/01/18(木) 01:47:16
うちの母は鳥が大好きで、飼うだけでは飽き足らず、
家の前にパン屑など撒いてそこらの鳩や烏、雀の世話もしていた。
当然、鳥が集まれば五月蝿いだの糞が汚いなどの苦情が来る。
母は近所に謝り、路上の糞は清掃する事で勘弁してもらった。

翌朝、いつもの様に鳥が集まってきて、母に餌をねだっていた。
「あんた達、ここでご飯食べるならトイレはよそでしておいで。あと、ご飯の時は静かにね」
と独り言のように呟いてパン屑を撒いていた。

今から思うと、その辺りから糞の量が明らかに減っていた。
掃除の手伝いをしている時はあまり気にしてなかったが、鳴き声もほとんど出してなかった。

目に見えて糞の量が減ってきて、鳥も騒がなくなったので、近所も首をかしげながら
母の餌やりを黙認するようになった。
「あんたらったら、食い意地はってんだから」
と母は笑いながら、相変わらず餌をやり続けた。

251 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2007/01/18(木) 01:48:24
それから1年と少し、母は老衰から倒れてしまい、あまり長くないと診断が下った。
母は入院し、鳥に餌をやる者がいなくなっても、鳥達はいつもの時間に集まり、
30分くらいずっとそこにいた。

「もうお袋いねーから、お前らに餌やれんぞ」
といっても分かるはずもなく、やらなくなって1週間、1ヶ月経っても集まり続けた。
仕方なしに俺が時々餌を撒いても、すぐに手をつけない。
30分ほど経ち、母が出てこないと分かると
ちょこちょこつまんで去っていく。

そんな状態が更に1ヶ月ほど続いた先日、母が他界した。

葬式の日の朝、今までにない位の数の鳥が、家の前の電線に密集していた。
糞もたらさず、身じろぎもせず、鳴きもせず、ただずっとそこにいた。
出棺の時、カラスが数羽、高らかに鳴き上げて、それから一斉に鳥たちが飛び去っていった。
とても不思議な光景だった。母と鳥の間にどんな絆があったんだろう。

今では俺が毎朝パン屑を撒いている。相変わらず、糞をすることはない。

[コピペ]いい話

250 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 投稿日: 2007/10/26(金) 19:18:32

俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき
母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。
入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が「お前さぁ、目見えねぇんだろ?
素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、
その子は「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!
そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。
そしてきっとその子の家までだろう。
片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!

[コピペ]いい話

625 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2007/10/17(水) 21:18:45

結婚して子供ができて、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、
ときどき泣きそうなくらいの幸せを噛み締めるなー。
「荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグ」とか、「大皿いっぱいの散らし寿司」とか、
カミサンと子供には、自分が子供の頃に満たされなかったものを埋めてもらってる。
「ケチャップで名前書いたオムライス」「釜で炊いたお米のキレイな狐色のお焦げ」
「ジャガイモとニンジンのゴロゴロしたカレー」みんな夢見るだけで一回も与えられなかったものだ。
「年の数だけロウソクの立ったケーキ」も。
なんか、三十過ぎた今になってようやく、切ない気分にならずに見られるようになった。
最初の頃なんか幸せな食卓に座るたび「なんで俺がこんなトコにいるんだろ」とか思ったけど。
自分みたいな一人きりの惨めな飯とか、親も不在で金も食いモンも無くてひもじい思いとか
ぜったいさせたくないな。うちね、端的に言うと親が超DQNだったの。
当時のウチのメシ見たらみんな残飯かゴミかと思うよ、きっと。
幸か不幸か自立して生きて来れた。優しい嫁とも会えた。元気な子供もできた。
だから、俺はきっと神様っていると思う。

新婚当時は出されたもの食べてた。しばらくして(長男を妊娠した頃か)
「ね、好きなものなんでも作るよ、なに食べたい?」って
聞かれたから、思わず「おっきいハンバーグ」って答えた。
我ながら三十過ぎてなにいってんだ思ったけど、嫁はニッて笑って、
小さめの座布団みたいな超巨大ハンバーグ作ってくれた。
俺のこと見ててなんか感じたのかな。爪楊枝のちっちゃな旗が立ってて、
お手製ハンバーグソースで「○○くん(はぁと」とか書いてあった。

俺って妻だけではなく、初めて家庭と母親を手に入れたんじゃないのかな

[コピペ]いい話

323 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。投稿日:2007/10/14(日) 19:55:38

ニューヨークの郊外にその喫茶店はあった。
店の名前と

“水曜 定休日”

とだけ書かれたぶっきらぼうな看板の奥にひっそりと佇む。
店のマスターは無口で頑固。
その店のジュークボックスには
マスターが好きな、イギリス出身で世界的に大ブレークした、
今はもう解散してしまったグループの曲しかない。

ある年のちょうど今くらいの季節。
その日は昼下がりに突然大雨が降り出した。
通りには濡れながら急ぎ足で行き交う人々。
その中の1人が店に入ってきた。

全身が濡れそぼり寒さでガタガタ震えるその男は、
マスターが好きなバンドのメンバーの1人だった。
おそらくその事に気付いたのであろう。
マスターは一瞬目を見張り動きを止める。
しかしすぐに手馴れた作業に戻り、
注文されたコーヒーと乾いたタオルを差し出す。

身体を拭き、眼鏡をふき、コーヒーを飲みながら店内を見回す男。
店の隅に佇むジュークボックスに目を留める。
自分がやっていたバンドの曲しか入ってない事に気付いた男は
照れくさそうにコインを取り出し、曲を演奏させる。
流れ出した曲を聴きながら男は
自分たちが走り抜けてきた青春時代を懐かしむように目を閉じ、
ゆっくりゆっくりとコーヒーを飲んだ。

何曲か聴き、コーヒーを飲み終えて店を出ようとする男に、
マスターは黙って傘を差し出した。
外はまだ雨が降り続いている。
男は受け取り、礼とともに笑いながら言った。

「今度雨が降ったら返しに来るよ。」

しかし、男が傘を返しに来ることはなかった。
それから数週間後、男は自宅前で凶弾に倒れたのだ。

それから20数年が経った今でも
その喫茶店は同じように看板の奥に佇んでいる。
年老いたが相変わらず無口なマスター。
ジュークボックスも同じバンドの曲ばかり。
店の中は何一つ変わっていないが、
看板に書かれてる文字はいつからか変えられていた。

“水曜 定休日
ただし、雨の日は営業いたします”

[コピペ]いい話

554 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/09/20(木) 13:19:30

うちの旦那はバツイチ。
離婚した原因は、奥さんの浮気だったそう。
 
その話をした際、俺が寂しい思いをさせたから、俺が悪かったんだと
決して前の奥さんの悪口を言う事はない。 旦那の両親にも結婚前に、
前の奥さんの事で相当傷ついたみたいだと 話は聞いていた。

結婚前に半年位同棲してたんだけど、私の帰りの方が少し遅いので
いつも夕飯の支度をしてくれてて、休みの日は掃除に洗濯まで
してくれ、雨が降れば車で駅まで迎えに来てくれたり、寝る前には
立ち仕事で冷え性の私の 足をマッサージまでしてくれる。

結婚後も変わらず、常に優しくて、何でそんなに優しいのと尋ねると
離婚して一人の寂しさをよく知っている、お前に出会えたおかげで
今は毎日幸せで感謝してるんだと言ってくれた。

先日、旦那のDVでとても悩んでる私の親友が夜中に電話してきた。

どうやらまた旦那に殴られたとかで、その電話を
横で聞いていた旦那は さっさと着替え、車で一緒に迎えに行ってくれた。

顔に青あざを作った親友を無言で自宅に連れ帰り、
私が話を聞いてると旦那は親友の為にお風呂の支度と寝床の
用意をしてくれ、 好きなだけいて良いよと言ってくれた。

二日後、話し合いの末、親友の旦那が我が家に迎えに来た。

ヘラヘラとしながら迎えに来た親友の旦那を見たうちの旦那の
目の色がみるみる変わり、いきなり相手の胸倉を掴み、

おい!
女はな、殴るもんじゃねえんだよ!守るもんなんだぞ!

といきなり説教。

今までに見た事のない旦那の姿に呆然としてたら、
私の親友は泣き出してしまい、相手の旦那もうなだれてしまい
すみませんを連発。

結局、もう2度と殴らない事を約束させ、帰しました。

その晩、旦那の見た事のない姿に少しびっくりした私が
何であんなに怒ったの?と尋ねると、

興奮してすまなかった。
でも、おまえの大切なものは、 俺にとっても大切なんだと。

この人と結婚して本当に良かったと思ってます。

[コピペ]いい話

309 名無し職人 2007/07/27(金) 12:13:42

高校生のときに1年間片思いしてた子に告白してる最中に大量の鼻血がでたことかな。

すっげードキドキしながら「あのさ、俺さ、入学してからずっと君のことがすらばぇ」ってなってダラダラ流れてきた。
俺は恥ずかしさと情けなさで涙目になって「あ、いや、ゴメン、ゴメン…」てグダグタしてた。
もしOKされたら木陰から飛び出てくる予定だった友人達も「どーすんだどーすんだ」ってザワザワしてた。

そしたらその子が…
「鼻血と涙、どっちを先に拭きたい?」ってハンカチ差し出してきた。
俺はまだ止まらない鼻血をダラダラ流しながら「えっ?」と言った。
次の言葉で今度は失禁しそうになった。
「私、○○君のこと好きだよ。そんな顔見せられても、変わらないよ。」って。
物凄い勢いで飛び出してきた友人達に胴上げされながら鼻血と涙を飛び散らせて喜んだ。

それから8年、嫁となった彼女に今でもその話をされて恥ずかしいです。

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

342 名前: 名無しさん@恐縮です 投稿日: 2007/09/10(月) 22:25:37

これは実話なんだが七年前くらいにエガチャンが近くに住んでいた。

リア厨房のおれたちは見つける度にエガチャンを大きな声で馬鹿にしていた。酷い時はタッチして逃げた。

ある時いつものようにタッチして逃げる時に思いっきり転んで、かなり肘と膝から出血してしまった。

血がかなり出てたから焦ってたら、エガチャンは自宅のボロアパートに駆け込みハンカチを持ってきた。

止血した後エガチャンは俺たちに『いつも番組みてくれてありがとうな』と言った

その日から俺たちはエガチャンを馬鹿にすることは無くなったよ

[コピペ]いい話

920 おさかなくわえた名無しさん 2007/08/10(金) 00:36:03

今日、走ってくる自転車の前にふらふらと飛び出したおばあちゃんがいた。
ティッシュ配りのバイト中だった私がそれに気付いて危ない!と思った瞬間には自転車の兄ちゃんが急ブレーキかけつつ
「危ねーだろがババア!」
と怒鳴ってた。
確かに完全にそのおばあちゃんの不注意でのことだったんだけど、でもそんなキツイ言い方しなくても…
と、思わず2人の間に割って入ろうとした。
んだけど、私が
「ちょっと…」
って言いかけたその時にその兄ちゃんは
「おめぇーが死んだら孫とかじじいとか悲しむだろが!!」
と。あまりにも予想外だったその言葉に、私含め周囲は思わずポカーン。
で、謝るおばあちゃんにその兄ちゃんは更に
「うるせーないいから荷物かせ!カゴ入れてってやっから貸せ!つーかケガねぇのかよババア!ああ!?」
と、脅してんのか気遣ってんのかわかんない発言。
結局その兄ちゃんはおばあちゃんに付き添って来た道を引き返していった。
カゴにはおばあちゃんの荷物。
ティッシュ配りながら2人をコッソリ見送ってたんだけど、おばあちゃんと兄ちゃんは何か色々喋ってるみたいでおばあちゃんも笑顔外だった。
20分ぐらいしてから再度自転車で戻って来たその兄ちゃんにティッシュ渡しながら

「優しいですね」

って言ったら、

「別に優しくねーよ!」

とちょっと怒ったみたいに言われた。でもその後で小声で
「ババアやジジイを大事にすんのは別に優しいとかじゃなくて普通のことだろがよ」
と言ってるのもちゃんと聞こえた。
しかもちょっと顔が赤かった。

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

120 水先案名無い人 2007/08/20(月) 15:15:42

欽ちゃんはかつて、視聴率100%男と呼ばれていて、色々な番組に引っ張りだこだった。
そんなとき、24時間テレビの企画が持ち上がり、記念すべき第一回のMCを誰にしようか考えたとき、
まっさきに浮かんだのが欽ちゃんで、さっそく企画について説明し、オファーを出した。

しかし欽チャンは、提示された金額を見て、「こんな安いギャラじゃ引き受けられない」と突っ返した。
でも企画自体は、欽ちゃんがMCってことで話が進んでいたので、
そっからスタッフは何回も足を運んで、ギャラを増やして交渉するにしたが、
「これじゃ安すぎる」「ケタ間違えてるんじゃないか」と、まったく首を縦に振らなかった。

もうしょうがないので、制作費で出せるギリギリの金額を提示して、
「すいません、もうこれ以上は出せません」と言ったところ、
「よし、これならやる」と、やっと承諾してくれた。
そしてすぐ欽ちゃんが言った言葉は、

「よし、じゃあこれ全部寄付してくれ」

【関連】
■欽ちゃんのギャラ(動画)