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管理人ayu

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偉大な詐欺事件「ケペニックの大尉」

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

偉大な詐欺事件の話

1906年ドイツにおける詐欺事件「ケペニックの大尉」は、確かに詐欺事件である。

この事件は、確かに詐欺ではあるが、得た4000マルクのうち、住民票を貰うというささやかな目的の費用にしか使わなかったし、その費用が必要になった理由も、はっきりいって役所が無能だったからである。
犯罪とはいえ、情状酌量の余地は果てしなく大きい。この見事な詐欺は、国民から熱狂的に賞賛され、粋を解する酔狂な皇帝ウィルヘルム二世にいたっては「これが規律というものだ。何人もこの点でわが国の真似ができる者はおるまい!これこそが制服の力だ」と、大爆笑したうえに大喜びで、なんと恩赦まで与えているのだ。

さて、その奇妙で明るい詐欺はいったいどんなものか?

事件の概要を述べると、1906年のこと、しょぼくれた外見、57歳靴屋の親父ウィルヘルム・フォイクトは、やっと結婚がきまり、新居のためにも、どうしても旅券が必要だった。そこで旅券を得るために住民票を貰おうとしたが、お役所の仕様で、たらいまわしにされた挙句、どうあがいても旅券がもらえないという、ひどく理不尽な目にあってしまった。本当にささやかな願いであった。

だがそこで、フォイクトは「お前・・・ジョーカー気質たっぷりじゃない?」と突っ込まざるを得ない行動に出た。旅券を得るという目的のためだけに、以前から暖めていたアイデアを使い、ケペニック市役所に堂々と乗り込んで、住民票を得ようとしたのだ。

その方法がすばらしい。

まず用意したものは一着の古着、プロシア軍大尉の制服であった。これだけである。

まずフォイクトは、大尉の制服を着用し、ベルリンに赴いた。そこで帰隊中の哨兵小隊に出会ったので、さっそく呼び止めたのである。下士官は、大尉(の制服を着た靴屋の親父)の命令に疑問を挟まず従った。そして加勢を呼ぶよう指示し、なんと総勢14名の小隊を率いてケペニック市まで移動。

そのままケペニック市庁舎に乗り込んだのである!凄い度胸である。

不正経理が行われた疑いがあるとして調査を開始し、市長を呼びつけ逮捕。そのまま市庁舎を占拠した。その間にも市長と奥さんの、ガクブル過ぎる愉快な挙動が伝わっているが、ともかく会計係に金の勘定をさせたフォイクトは、その間に旅券を得ようとしたが、市役所に旅券を発行する部署がないことを知り、結局、不正の疑いがある(という設定の)4千マルクを運び出させた。市長は、大尉(の制服を着た靴屋の親父)の命令でベルリンに護送されることになってしまったのだ。
14名の小隊には、護送用の馬車を用意させ、30分ほど待機しているように、と指示を出し、自分はそのまま4000マルクを抱えて駅までいき、普段のしょぼくれた靴屋の親父に戻り、帰宅したのである。
市長と一行はというと、いざベルリンに到着するも、担当の将校がそんな連絡を受けていないわ、4000マルクの領収書には、存在しない大尉の名前でサインされているわで、行き場がないことが判明。そしていよいよ市長も、下士官も、事態に気が付いたわけである。

フォイクトは、このアイデアを過去にしゃべっていたことがあり、そこから足がついたため10日ほどで逮捕されてしまうが、面子を潰された軍以外の、皇帝を含むドイツ全体が、フォイクトに喝采を送ったのである。ちなみに、フォイクトは本気で旅券だけが目当てだったらしく、4000マルクのうち、半分を使い、それもすべて偽造の旅券を得るためだけに使用していたのである。
これがケペニック事件であるが、利得の絡んだ詐欺ではあるもの、まさにプラクティカル・ジョークというに相応しい発想、センス、雰囲気、手間、を兼ね備えていると評価できる。

なお、この事件は国民も皇帝も大喜びだったため、実際上、罪にはなっておらず、演劇としても繰り返し上演されることとなる。素晴らしい。


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