新サイト(はてなブログ)

[コピペ]いい話

1:名も無き被検体774号+:2011/07/13(水) 01:00:39.870

当時のことを思い出していたら涙が止まらなくなった。
単なる養子だった、とか後妻だった、とかそういう話ではないんだ。
俺の半生なんて需要無いことはわかっているが、お前らに聞いて欲しい


3:名も無き被検体774号+:2011/07/13(水) 01:11:24.310
どしたよ?


4:名も無き被検体774号+:2011/07/13(水) 01:12:23.240
吐きだしなよ。


8:名も無き被検体774号+:2011/07/13(水) 01:28:31.670
くだらん生い立ち話からスタートする。
よければ聞いてくれ

[コピペ]いい話


493:なご:2009/03/24(火) 02:48:14 ID:G82vSG150

文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた

自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」
自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」
A「それが、どうも支援デモらしいぞ」
B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことね?よ」
A「俺もね?よ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」

デモ隊参上
彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた

A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」
B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」

デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。
自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。

そんなこんなで後日
米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」
自衛隊「あれ?」
米&英「あれだよあれ、支援デモ」
自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」
米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」
自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」

と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。
小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw



12:1/6:2009/04/16(木) 20:15:02

一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて家から車で1時間のところにある、
自然博物館の昆虫展に向かっていました。
ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。
あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。
止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。
後方から来た大型トラックに追突されたのです。
一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、
すぐに追突されたと判断できました。
即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、
そこには息子の姿がありませんでした。
子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。
息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。
正直半狂乱になってしまいました。
あのときの私は完全に冷静さを失っていました。



13:2/6:2009/04/16(木) 20:28:54

半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。
動けない私は叫ぶしかなかったのです。

追突から時間にして1~2分でしょうか。
いきなり運転席側の変形したドアを無理やり開けてくれた人たちが居ました。
緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。
私の足が挟まれているのを知った後、何やらバールのようなもので運転席をこじって、
後ろにずらし私を出してくれました。
「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」
お礼の前にそう叫んでいました。
すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、
潜り込むように助手席に入っていきました。
他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。
数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。
そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。



14:3/6:2009/04/16(木) 20:31:33

と同時に救急車と工作車が到着。
息子は救急隊の方にゆだねられました。
私も両足が痛くて立てなかったのですが、
せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもと這って行きました。

私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」
自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。
命が無事でよかったです」

その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。

私「もしかして怪我されているんじゃ?」
自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」
 
隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ背中はさらにベッチョリと
濡れていました。普通に考えたら大量出血です。
それでもその隊員さんは笑いながら「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。
その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。



15:4/6:2009/04/16(木) 20:33:18

息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。
治療が終わって息子のベットに行きました。
「よく泣かなかったね、がんばったね」
と声を掛けてやると、息子は
「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」
冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、
隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。
その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。
嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。


その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、
その隊員さんの所属を教えていただきました。
駐屯地の場所をネットで探し出しました。
そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。
怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。


16:5/6:2009/04/16(木) 20:36:18

初めて入る駐屯地。
意外と来客も多くビックリしました。
どこに行けば良いかも判らず、車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。
そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。
なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。
午後になっても結局ウロウロ・・・。
と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。
大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。
ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。
「あの時は本当にありがとうございました!」
この一言がどれだけ言いたかったか、息子の回復振りを見てもらいたかったか。

色々とお話を聞かせていただきました。
背中の怪我は何かが刺さったのではなく、車体の金属部分で切った事。
17針縫った事。助けられて自分の子供のように嬉しかった事。
私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。



17:6/6:2009/04/16(木) 20:37:39

その後その隊員さんは普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。
足が完治していない息子を抱き上げ、一緒にバイクに跨ってくれました。
そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、一緒にバイクに乗っている隊員さんは
まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。
その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。
ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。


599:専守防衛さん:2006/03/01(水) 15:23:48
長々と書いてしまってスミマセン。
もちろん実話です。

自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、
少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。
たった1家族の小さな力ですが、私たち家族は自衛隊の皆さんを応援します。

[コピペ]いい話

305:のほほん名無しさん:2005/07/10(日) 19:57:08

ファミレスで思い出した。
数年前、不況で俺の勤める会社がヤバくなり、リストラされた。
すぐに再就職できると思っていたが、なかなか見つからず、
仕方なく親戚が支配人をやっているファミレスに三ヶ月ほどバイトすることになった。
その時、たくさんの家族連れやカップルを見てきたが、
子供の世話ってどの家族連れも母親がするもんなんだな。
暖かい食事を持っていっても、嫁さんは子供に食べさせたりして、
暖かかった皿はどんどん冷めていく。
逆に旦那は、子供が何をしようが嫁さんの飯が冷めようがお構いなしに自分の分を平らげていく。
旦那が食べ終わると、子供の世話をする人もいれば、そのまま新聞なんかを読み出す人もいる。
どっちにせよ、暖かい食事を食べる嫁さんというのは、結構少ない。
多分、家でもこうなんだろうな。
もし、俺に子供が生まれて、外で食事する時は、俺も面倒みてやろう。
嫁さんに暖かい食事を食べさせてやろう。
そう思った。
それからしばらくして、俺は前より給料は安いものの、それなりに待遇の良い会社へ再就職した。
そして子供にも恵まれた。
ファミレスに食べにいった時、子供の世話をする嫁さんとその皿を見てふと思い出した。
「あぁ。俺、あの時の旦那と同じことしてるな」と。
「俺が面倒みるから、お前、先に食えよ」そういうと嫁さんは驚いた顔をした。
家にいても滅多に子供の面倒をみることもないから。
嫁さんは「悪いから・・・」といったが「いいから。ほら」と嫁の手から娘用のスプーンを取り、娘に食べさせた。
嫁は小さく「ありがとう」と言い、暖かい食事を食べ始めた。
嫁はいつもより早口で食事をし、俺と交替した。
俺の手からスプーンを受け取る時、「ありがとう・・・本当にありがとうね」と何故か涙ぐんでいた。
俺の皿には冷めた料理がのっていたが、それでも美味く感じた。

[コピペ]いい話

96:名無しさん@HOME:2009/03/26(木) 18:36:09 0

暴力話も入っています。

私の夫は、DV夫でした。
結婚して数週間後にケンカしたら、私は頬っぺたがはれ上がるほど殴られていました。
夫も、
「何で手を出したんだろう?」
と、自分の拳を見て、ボーゼンとしてる感じでした。
なので、その時たまたまヒートアップして…って思っていましたが
やはりケンカすると、同じ事が何度かありました。
結婚して2年、首を〆られた時点で、別れを決意しました。

しかし、殴るとかそういった行為に及ぶ理由が、少々気にかかりました。
夫は、そういうのが出来なさそうな温厚なタイプです。
まあ、温厚な人に限って、怒ったら…っていうのもありそうでしたが。

「別れようと思う。」
と告げると、夫は肩をがっくりと落として、テーブルの上に診察券を出しました。
それは、精神科の診察券。
「話しづらかったけど、俺も何故手を出してしまうのか、通院している。
こんな事言うと、病気に逃げてるとか思われてしまうのが嫌だったから言わなかった。
でも、お前がそう決めたら、そうしよう。今までゴメンな。」
と、診察券をしまおうとしたので、その手をつかんで
「一緒に病院いこう!何で黙ってたの!私とアンタの夫婦の問題でしょ!」
って言うと、夫は涙を流しながら
「夫婦ってまだ言ってくれるの?ありがとう。」
と、私の手を握り返しました。

97:96:2009/03/26(木) 18:37:32 0

後日一緒に病院へ行き、私からも先生へお話しました。
首を〆られたくだりになると、先生も流石に唸っていました。
「やはり、奥さんに幼少の頃のお話をした方がいいと思いますよ?」
と、先生が夫に言うと、夫はうなだれながら話をしてくれました。

夫の父親、つまり舅は現在姑と別れて、北国で一人暮らしらしいです。
小さい頃、夫は舅に凄く殴られて育ったそうです。
殴られたってなもんじゃなかったです、はっきり言って虐めレベルでした。
「男なんて、多少乱暴にあつかったって、壊れない」
って理由で、自分の機嫌が悪いってだけで、理不尽に殴られたり蹴られたりしてたらしいです。
真冬の北海道で、気に縛られて泣いていた所、近所の奥さんに助けられたこともあったそうです。
姑は、そんな舅に逆らえずに、
「アンタが我慢してくれればそれで丸く収まるんだよ。」
と、夫を生贄状態にしていました。
夫と私が結婚して、本州に引っ越してきたので、あまり偽実家とは交流はありませんでした。
私や私の両親の前では、姑も舅も普通だったので、恐らく内弁慶DVタイプなのでしょう。
結婚後、直ぐに姑と舅が離婚したので、これは想像ですが、生贄を失った姑に、
舅の拳が向いたのでしょう。

その話を聞いて、まったく判らなかったのでビックリしました。
挨拶した時も、ゴクゴク普通の人でしたから…姑はちょっと大人しいなって感じで。
そういえば、結婚して
「里帰りしないの?いいの?」
っていっても、夫は
「う~ん、いいよいいよ。仕事忙しいし。」
とか、軽く断られていて結局あまり行ってないのを思い出しましたが…本気で嫌がってたんですね。


101:96:2009/03/26(木) 18:39:49 0

涙が出てきました。
先生が言うには、そういう経験をした子供は、大人になるとDVをしやすいと。
先生に、
「奥さんは、旦那さんのDV治したいの?」
と言われ、首を縦に振りました。
先生は、
「しょうがないねぇ~仲いいねえ~僕の所なんて奥さんは冷たいのなんのって。
いい奥さんじゃないのさ。もっと早くつれてきなさいよまったくも~。
みっともないから、奥さん連れてきたくないとかいっちゃってるんだよ。もう。」
とか笑って茶化しながら、
夫に何本か割り箸を渡しました。
「マイ箸ブームだって言うけど、そのブームのおかげで、割り箸無駄にこんなに余ってるの。
だから、カッとなって奥さんに殴りかかりそうだったら、大声出してこれ割って。
奥さんも、何本かもっといて。殴られそうになったらこれ出すの。これでも割ってなさいって。
割ってひと段落ついたら、これで奥さんと料理でも食べて。エコでしょ?」

それは、訓練でもあったのです。
カッとなったら、割り箸を攻撃するというのは、人を攻撃しない訓練。
そして、自分を落ち着かせる術を見つける訓練らしいのです。

通院後、夫はカッとなって拳をガッって出したら、思い出したかのように割り箸を出しました。
間に合いそうもなくても、私が割り箸をサッと出すと
「う!」
って感じで、それをひったくって、パキパキと割っていました。


103:96:2009/03/26(木) 18:41:11 0

先生の指示で、割り箸の置き場所をだんだん遠くして、
「危ない!」
って思ったら、人ではなく割り箸へ歩いていくという事もしました。
そうすることによって、他のものには当たらないという訓練です。

気がつけば、怒ったら二人で深呼吸をして、何が悪かったか話せるぐらい余裕が出来ました。
「あれっ?割り箸は?」
って言うぐらい、割り箸の存在は空気になっていきました。
そうすると、夫は拳を出す回数は減り、今では
「俺さ、ああいうことで怒ってるんだ。お前はどう思う?」
と、夫から話し合いを提案してくるようになりました。

先生いわく、DVとかは別れるのが一番いい逃げ道。
だけども、もしその相手が本当に必要ならパートナーも一緒に頑張らなきゃ行けないそうです。

そして、今現在結婚10年目、子供も出来てささやかながら幸せでした。
けど、去年末、舅から一通の手紙が。
内容は、私も夫も見て驚愕しました。
「孫をよこせ。俺の孫だから、俺の跡目を継がせるのがスジってものだろ?」
って事でした。
と言うか、6年ほど前に引越ししていて、姑にしか連絡先を教えてないのに、
何故舅が連絡先を知ってるんだろう?と、夫が姑に連絡。
「お父さんが…教えろって怖くて。ごめんねごめんね。」
と、泣き声でこういってました。
それだけなら言いのですが、その上
「お願い、孫君をお父さんにやれないかね?じゃないと、怖くて怖くて。」
とまでのたまいました。
夫は、ため息をついて、
「そういう人だったよ、お袋は。出来るわけないじゃないか。」
と、肩を可哀想なほど落としていました。


104:96:2009/03/26(木) 18:42:30 0

夫から受話器を奪って、
「お断りします!貴方がどうなろうと知ったこっちゃないですよ。
私、夫君と子供が一番大切です、いいですか?何かあったら警察に電話します。
貴方も、舅さんと別れてるんですから、付きまとわれたら警察に言う知恵くらいあるでしょ?」
と、捲くし立てたら、電話の向こうで姑、大号泣。
「だってね、本当に怖いんだよぉ。貴方には判らないと思うけど、
暴力を振るわれたことがある私はね、ああ、息子ちゃんは私の苦しみをわかってくれるわ。」
とか言い出したので、
「子供を産んだ私からすると、可愛い子供を生贄にする貴方は舅と同罪です!」
と、怒鳴って電話をガチャ切り。

ついでに、手紙には、夫私子3人の幸せな写真をつけて、
「私たち、こんなに幸せです。ざまぁwww」
ってメッセージをつけて、バカ舅に送り返してやったわ!

今年に入ってからは両方から音沙汰ないけど、もう本当に関わらないで欲しいです。

[コピペ]いい話


※画像は本文とは一切関係ありません

あるナースの手記です。素晴らしいので紹介したいと思います。

植物状態の人と、今日も会う。
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
家族は全てを病院に任せた。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
かえって人間の尊厳を奪い~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
 私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
人間なんて、どう生きたって、人間らしくしかならないわけで。
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。
植物状態の人と、今日も会う。
明日も明後日も、やっぱり会いたいと思っている。