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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

174 名前: 名無しって呼んでいいか? 投稿日: 2007/10/25(木) 12:38:57

兄貴へ

私の知らない内に鞄のポケットに手紙を入れるのをやめてください。
 
あのケチでバカなクソ親父に反対された大学進学を
必死になって応援してくれた兄貴。

バイトをしてでも行く!って言う私に

「金の事は心配するな。
 俺が何とかするから、お前は勉強頑張りな」

って自分の稼いだお金をほとんど学費にあててくれてる兄貴。

大学生の私の大したことでもない愚痴を
疲れた体で何時間も親身になって聞いてくれて

「そうか、お前も大変だなぁ。
 でも頑張りすぎても辛いだけだぞ。
 泣きたいときは思いっきり泣けばいいし、疲れたときは
 思いっきり休めばいいんだ。お前の分まで俺が頑張るから」

って頭を撫でてくれる兄貴。

兄貴はもう頑張らないで下さい。
本当に頑張らなきゃいけないのは私です。

誕生日にお揃いの携帯ストラップと小さなケーキを買ってあげたら
「ありがとうなぁ。嬉しいなぁ」って泣き出した兄貴。

そんなに大層なものじゃないよ!って言っても
「宝物にするよ!ありがとう」って言う兄貴。

そんなにありがとうって言わないで下さい。
本当にお礼を言わなきゃいけないのは私です。

175 名前: 名無しって呼んでいいか? 投稿日: 2007/10/25(木) 12:39:41

兄貴が現場で資材の下敷きになったって聞いたとき
頭の中が真っ白になりました。

慌てて病院へ行ったら、ベッドの上で

「全然大丈夫!ピンピンしてるよ!」

って言う兄貴。

何なんですか?
右手と右足を骨折して全治4ヶ月の重症じゃないですか。

兄貴の顔を見て泣き出した私に
「心配かけてごめんなぁ…」って謝らないで下さい。
本当に謝らないといけないのは私です。

その病院からの帰りの電車の中。
鞄のポケットに入っていた兄貴からの手紙。
利き腕が使えなくて慣れない左手で書いただろう兄貴からの手紙。

「今回は助かったけど、いつかはそのまま死んじゃうかもしれない。
 だから先に預けておきます。きっとお前の夢に必要になるだろうから。
 だから俺がいなくなったとしても夢を諦めないで頑張って下さい」

それと一緒に入っていた受取人が私になっている生命保険の証書と
兄貴が「これは俺が遊ぶ分!」って持っていたお小遣いと同じ額が
毎月振り込まれている私名義の預金通帳。

泣きました。
電車の中なのに。

どうしてこんなに優しいんですか?
どうしてこんなに私のためにしてくれるんですか?

いなくなるなんて言わないで下さい。
私は兄貴にまだ何も返せていません。
お金も。優しさも。嬉しさも。愛情も。
何一つ返せていません。

だからいなくなるなんて言わないで下さい。
本当に私に必要なのは兄貴です。

月並みな言葉しか返せないバカな妹を許してください。

ありがとう、兄貴。

今はこんな言葉しか送れないけど、いつか兄貴が兄貴の幸せを、
夢を掴めるように、今度は私が兄貴を助けてみせます。

だから早く怪我を治して、でももう無理はしないで下さい。
元気で優しい兄貴が大好きです。

176 名前: 名無しって呼んでいいか? 投稿日: 2007/10/25(木) 12:40:18
一人言スマソ。

誰かに聞いてもらいたくて書いたけど、
書いてる内に泣けてきすぎて、書き上げるのに4日もかかった。
今も軽く泣きそうです。

本当は兄貴に直接言わなきゃいけないんだろうけど、今はまだ言えなさそう…。
泣いちゃって言葉にならないだろうなぁ…。

[コピペ]泣ける

124 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/11/03(土) 01:44:10
二歳半の娘。
現在私が妊娠8ヶ月。
 
二歳過ぎまで、ここの皆さんのように
のびのび可愛いさを噛み締めながら、余裕を持って接してこれた。

妊娠して夏位から、この子の時には無かった
酷いつわり…お腹の張り…体調不良。
旦那が激務になったり…。

この子は悪くないのに、つい前のように常に笑顔でいられない…
前みたく、思いっきり遊んだり、向き合ってあげれない。
怒り方もキツくなったり。

寝顔見て申し訳なくて涙がでる事もしょっちゅう。

今日歩くのもキツくて自転車でゆっくり散歩していたら
後ろから抱きしめられて

「だいしゅきよ~。ずっとこおいうのしてようかな~」

って…。

なんか愛しすぎて泣けてきてしまった。
今日の気持ち一生忘れないよ。

[コピペ]泣ける

787 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/21(日) 22:48:02

DQNと言われるかも知れませんが。
明日、誕生日だ。20歳になる。
 
虐待され、16歳で逃げて、スーパーのレジ打ちをしながら、
ワンルームを借りて始まった私の人間らしい生活。

あの頃は、毎日ごはんが食べれる、毎日お風呂に入れる、誰も私をぶたない!
と、自由に涙したっけ。一日一回、白飯に醤油をかけて食べたっけ。

そんな私には、今現在、誕生日をお祝いしてくれる旦那がいる。
幼い頃、あんなに憧れたケーキを、今年も買ってくれる。
おめでとうって、言ってくれる。

しかも今年は、赤ちゃんだっている。

あの頃とは大違いだ。
私を殴るやつなんて、もう誰もいない。
私、幸せになったなぁ。
辛かった事もあったけど、やっぱり生きててよかった。
死んじゃわないでよかった。
生きるって、とても素敵な事なんだなぁ。

やっと得れた、あたたかいこの家庭を、私は守っていきたい。
誕生日を前に、改めてそう実感する。

789 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/21(日) 22:51:42
>>787
一日早いけど、おめで㌧。幸せになってね~。

790 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/21(日) 22:54:45
>787
DQNじゃない。よく頑張った。
これから旦那さんとお子さんともっともっと幸せになれ。

797 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/22(月) 00:38:30
>>787
お誕生日おめでとう!
これからも787タンに楽しいことがいっぱいありますように。

798 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/22(月) 00:48:05

        。 ◇◎。o.:O☆οo.
       。:゜ ◎::O☆∧_∧☆。∂:o゜
       /。○。 ∂(*゚ー゚)O◇。☆
     /  ◎| ̄ ̄∪ ̄∪ ̄ ̄ ̄|:◎:
    /    ☆。|..Happy Birth Day!!.|☆
  ▼       。○..io.。◇.☆____| 。.:
∠▲―――――☆ :∂io☆ ゜◎∂:.

みんなにいいことがありますように。

805 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/22(月) 07:08:20
>>787
今日お誕生日おめでとう。
大変な時期があったようだけど、
これからは自分の家族を大事に過ごしてね。
きっと辛い事があった分だけ、幸せも同じようにやってくるよ。

幸せな家族が出来て、本当に良かったね。

[コピペ]泣ける

511 名前: なごみ 投稿日: 2007/10/03(水) 17:39:28

小学校時代、人より二歩も三歩も遅れがちで、
そのせいで仲間はずれにされることもけっこうあったAちゃん。

なぜか私に好意を持ってきて、一緒に登下校したりすることもあった。
 
 
中学から別々になってそれきり会わなかったのだが、
先日偶然街中で再会した。

小さな子供さんを二人つれていた。

トロいと悪口を言われた動作は優雅な所作にかわり、
暗い、ウザイと言われた気弱そうな口調はおっとりとした
良家の若奥様の口調にかわっていた。

きっと中学校から先の友人に恵まれたんだな~、
よかったな~と思ったら

「あの時仲良くしてくれてありがとう」

と言われた。

ちょっとうるっと来ちゃって
「やだなあ友達じゃん」とこたえたら

「(私)ちゃんあの時も同じこと言ったね。
 一緒に登下校してくれるようになってから(私)ちゃんに
 『友達になって』っていったら『やだなあもう友達じゃん』って
 言ってくれたよ。

 (私)ちゃんがそう言ってくれたから
 中学でもがんばって友達作れたんだよ」

正直泣けた。

なんかのドラマの影響でポロっと言った台詞を忘れずに
大事にしてくれてたAちゃんに泣けて泣けてしょうがなかった。

Aちゃんも泣き出して、子供さんが不思議そうな顔で見てた。
でもすごく嬉しかった。

自分が誰かにそんなふうにいい方向に
影響を与えることができてすごく嬉しかった。

あんま和みじゃないか、ごめん。

[コピペ]泣ける

16 名前:名無しの心子知らず 投稿日:2007/10/11(木) 01:11:08

私が4歳の時、父と母は離婚した。
祖父母と同居していたため父が私を引き取った。
母は出て行く日に私を実家に連れて行った。
家具や荷物がいっぱい置いてあって叔母の結婚の時と同じだったので
「わぁ、嫁入り道具みたいだねー」と嬉しそうに言ったのを覚えている。
家に戻ると母はドアの所で「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」そう言った。
「いつ帰ってくるの?」と聞くと困った顔をして少し黙り「日曜日かな?」と答えた。
疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。日曜日がいつかも知らなかった。
それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、玄関で待つ日々が続いた。
何回か繰り返したある日、母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。
「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」
食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消えてみなが押し黙って目を伏せた。
「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。
それ以来、私はママの話しは絶対にしないようにして・・もう30年が経つ。
結婚式にも呼ぼうとはしなかった。今では1歳の娘と5歳の息子がいる。
先日、5歳の息子が「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」と聞いてきた。
「パパを産んだのはばぁばだよね?」「ママを産んだのは誰?」
「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」
「僕会いたいなぁ」「どうして?」そこまでは平気な受け答えだった。
「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」
(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに涙が止らなくなってしまった。
ずっとずっと封印してきた言葉。
育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。
ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。

[コピペ]泣ける

52 :名無しなのに合格:2007/03/18(日) 01:16:30

私を大学に通わせてくれた母へ
 
あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、
なんとか後期に合格することが出来ましたね
あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね
医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね

私がただただ泣き続けている時にあなたは

「この体の傷や癌の一つ一つが
 あなたを育てあげた立派な勲章なのよ」

と微笑みながら言いましたね

あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ
あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから

私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど
あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

ありがとう、お母さん

[コピペ]泣ける

964 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/09/11(火) 00:15:10

私の20歳の誕生日に、父が手紙をくれた。
それは、私が産まれた日の夜に書いたものだった。
 
親になった喜び、戸惑い、決心等…
親になった事の気持ちをつづっていた。

文末に、

「○○が将来幸せな結婚・出産をして温かい家庭を築けるよう、
 自分達も温かい家族であるよう努力したい。
 ○○が親になった時、私達の背中が○○の理想に重なる様な、親でありたい。

 産まれてきてくれてありがとう」

と書かれていた。

私が産まれた日に、私がいずれ親になる日のことを考えて、
今まで育ててくれたのだと涙が溢れた。

それから数年後の出産の日、この手紙をずっと持ってお産に臨んだ。
私が母親になった日に、はじめて本当にその気持ちがわかった。
私も娘のためにどんな努力でもしようと心に決めた言葉でした。

[コピペ]泣ける,

315:ポチ:2007/09/04(火) 05:19:35

20代の中頃、免疫系の病気で病院と自宅だけを行き来する
引きこもりのような生活を送っていました。

薬の副作用で絶えず襲われる虚脱感で
半日以上眠り続ける生活でしたので仕事どころではなく無職状態。

一時期は快方に向かい就職したのですが、就職先が小さな個人経営の
会社ということもあり一日中社長と二人切りで、次第にセクハラ紛いの
言動が増えてきた社長に耐えられなくなり辞職。

病名が判明するまで幾つも転院しましたが、仮病扱いする医者や
精神病院への通院を勧める医者に何人も遭遇して、本当に精神的に
参ってしまいそうでした。

その時期に祖父母の家で牛舎の番犬として飼っていた
スピッツ系雑種のポチ♂を譲り受けました。
   
鎖に繋がれた状態でブラッシングなども施されていなかったポチは
ボサボサの毛玉だらけ、シャンプーやブラッシングをしたり、人と常に一
緒にいることに慣れさせる訓練をしているうちに私の病気も少しずつ良くなり
引きこもりも改善してきました。

ポチの餌を買う為に出掛け、ポチと散歩する為に毎日外出する。

以前では考えられないくらい家から外に出るようになりました。
次第に室内犬として躾るとポチとは朝から晩まで過ごすようになり、
抱きしめることで心も体も癒やされてゆきました。

そんなポチは我が家に来た時点で14才、
かなりの高齢で一緒に過ごせたのは数年でした。

亡くなったのは雪が降り積もっていた夜のこと。
散歩から戻り、玄関の踏み台を登ったところでパタリと倒れました。

ポチを抱きかかえて居間に連れて行って、母と二人で浅くなってゆく
ポチの呼吸音を聞きながら何度も撫でました。

苦しそうなのに名前を呼ぶと尾を振り、
目をこちらに向けて耳をピーンと立てるんです。

いつものように、いつもと同じように甘えたいんだって思うと
泣きたくても泣けなくて‥‥‥‥一瞬でも見逃すまいとポチを見つめていました。

最期の瞬間、私と母を見つめたまま大きく息を吐いてポチを亡くなりました。

その日たまたま出張に出掛けていた父は最期を見届けることができず、
帰宅するなり生前と同じようにポチに話しかけていました。

涙混じりの震えた父の声と母の嗚咽が忘れられません。

続く

316:ポチ: 2007/09/04(火) 05:24:58

続き

私は死体を抱きしめたまま、泣きながら眠ってしまい、
気がつくと真っ黒な場所に立っていました。

周りは真っ黒なのに私の周囲だけが明るくて、傍には
侵入禁止の標識のポールが立っています。

無音の空間でしたが不安や淋しさを感じなかったのは
ポチが足元でじゃれついていたからかもしれません。

死ぬ1ヶ月ほど前から時折呼吸困難になったり、足腰が弱っていたポチが
元気に走り回ってるだけで嬉しくて、私は泣きながら笑っていました。

ポチにありがとう!と告げると足に顔をスリ寄せてから、ほのかに
明るくなった向こう側に走り去ってゆきました。

最後まで私を励ましてくれたんだと思うと、また涙がこぼれてしまいました。

今でも眠っていると時々ポチがやって来て、目が覚めると
フサフサの毛の感触が手のひらに残っていることがあります。

生前同じベッドで撫でながら一緒に眠っていたので甘えに来るのかな?

連投すみませんでした。
ポチの夢を見て、衝動的に書き込んでしまいました。

317:本当にあった怖い名無し: 2007/09/04(火) 07:51:45

         .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
      .。:*:゚:。:+゚*:゚。:+。・::。゚+:。   。:*゚。::・。*:。゚:+゚*:。:゚:+:。.
    .:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚      ゚( ノA`)ノ゚      ゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.   ウォォォォーーン
  。+゜:*゚ー゚:・。:+゜    =    ( ┐ノ         ゜+:。゜・:゜+:゜*。
.:*::+。゜・:+::*        :。; /              *::+:・゜。+::*:.
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318:本当にあった怖い名無し: 2007/09/04(火) 09:22:29

ポチ…・゚・(ノД`)・゚・。

319:本当にあった怖い名無し: 2007/09/04(火) 10:58:10

ポチ……!!
ポチはおまいさんたちの事が大好きだったんだね……

320:本当にあった怖い名無し: 2007/09/04(火) 15:23:05

 。・。∧_∧。・。
。゚  ( ゚´Д`)  ゚。 
  o( U U
   ’ー’ー’

322:ポチ: 2007/09/04(火) 18:39:25

>>317-320
ありがとうございました。

懐かしいポチの夢を見て、泣きながら勢いで書き込んでしまったので
読みにくい文章ですみませんでした。

ポチが我が家にやって来る前は家族がバラバラでした。

私は家族に病気であることを伝えていなかった為、
両親からは働けと叱責を受けてばかり。

詳細に反論する気力も無いほど病気と薬の副作用はひどく、
家族の会話は常に怒鳴り合いで殺伐としてました。

当時、妹は旦那のDVで悩んでいて、両親の心労はピークに達していました。
私の免疫系の病気は不治の病で、激症化すれば1ヶ月もせずに死んでしまう
病気であることを親に伝えて、更に悲しませたくなかったんです。

そこに私が病状をカミングアウトしたら両親が壊れてしまいそうで‥‥‥
私のことは怠惰な娘とでも呆れても良いからと、生きることも
弁解する気力も失いかけて、死を身近に感じてたんです。

そんな時にポチはやって来ました。

散歩や餌のこと、ワクチンや躾のこと。
犬を飼うには必要なことを話してるうちに家族の会話も穏やかに変わってゆきました。
ポチの粗相に笑ったり、怒ったりして、家族がまとまってきました。

323:ポチ: 2007/09/04(火) 18:41:20

続き

私が外出していたある日、ポチが私の部屋の前で吠え続け、
両親を部屋の中に誘導したそうです。

ベッドの前でも吠え続け、前脚で下側を引っ掻く仕草したので、
両親はベッドの下にある箱を取り出して開けてみました。

中に入っていたのは薬、診断書、請求書や領収書の類で
入院を勧める書類もありました。

両親は私が一日中眠り続ける理由を知り、親を頼れと本気で泣かれてしまい、
意地を張っていた自分も恥ずかしくなりました。

ポチのお陰で家族は一つになれました。
感謝という言葉では足りないほどポチに助けられました。

その恩を充分に返せたのかなとか、
もっと可愛がってあげたかったと悔やむ気持ちもあります。

ポチが亡くなった夜、夢の中でポチと最後に過ごした場所で
ポチのは彼岸と呼ばれる場所だったのかなと思います。

そこは静寂で清浄な空気が流れていました。
侵入禁止の標識の向こう側には決して近寄れなかったのも不思議で
見えない壁に遮られているようでした。

あの場所で健康だった頃のように思い切り走り回るポチと遊べたことで
最後に幸せな思い出をたくさん貰えました。

バカげた夢と人は言うかもしれないけど、私には現実です。

ポチ、ありがとう。
またいつか会えたら良いね。

[コピペ]泣ける

39 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。投稿日: 2007/09/11(火) 20:15:38

あるスポーツをしてて実業団でやっていたが、
怪我をしてしまい引退勧告を受けた。
   
誘ってくれたチームがあったけど、給料がかなり下がる。
生活をかんがえると引退してそのまま今の会社で普通に働いた方がいい

でも正直未練があってなかなか言えないでいた。
引退勧告を受け普通の社員として残れと言われた事だけ話し
他のチームに誘われた事は言わずにいたら

「いつまで社宅居られるんだろ?
 辞めるまでには出て行かないといけないよね?」

「えっ?ここ出ていくの?」

「だって会社辞めるんでしょ?
 社宅出なきゃいけないじゃない。まだやるんでしょ?」

「他のチーム言ったら給料下がるしさ。○○(娘)もいるし」

「給料下がった分は節約して私が働けばいいじゃん。私結構働き者だよ?」

当たり前のように自分が働くといい、当たり前に
まだ続けるんでしょ?と言ってくれた嫁

結局知り合いのいない土地のチームに行く事になった。

でも嫁は

「友達増えるね~やったね○○」

と言って毎日楽しそうに働いて、家事をしていた

チームを移ってから5年、引退することに体も気持ちも納得できた。

引退したその日「「お疲れ様でした」と泣いて言ってくれた

引退してだいぶ経つが今あるのは全て嫁のおかげだ

[コピペ]泣ける

871 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/09/04(火) 03:47:32

子供が3歳目の前にしているのに二語文はない。

専門医に色んな検査をしてもらい、
今のところ病名をつけるようなものではないと診察された。

でも不安で不安で仕方なかった。
   
いつもバス停で一緒になるお友達のお母さんが喋りかけてくれてた。
その時勇気を持って告白。

「うちの子お喋りが出来ないんだ。だから答えれなくてごめんね。」って。

そしたらそのお母さんが笑いながら

「大丈夫大丈夫。いつか喋れるよ。ね~、言ってる事は分かってるもんね~。」

と子供をあやしてくれた。

その告白以来、そのお母さんは息子に「バイバイ」と声をかけ
タッチをしてくれるようになった。

いつもよりも言葉をかけてくれるようになった。
今日はバス停まで手を繋いで行ってくれた。

その後子供と二人でお散歩に出かけた。

子供が「あっち、いく」と手を引っ張ってくれた。

初めての二語文に嬉しくて思わず泣いちゃった。
ありがとう、ありがとう。

笑顔でいつも接してくれて本当に感謝してます。
子供と向き合って必死になってる私を追い詰めず、
いつも笑顔で大丈夫といってくれたあなたのおかげです。
子供だけじゃなく、私自身がいつも救われていました。

あなたのように、大きな笑顔で他の誰かの役に立てるように頑張ります。