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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]切ない

71 :大人の名無しさん :04/10/06 20:55:44 ID:4utVLvO1

私の前の上司(課長)は無口、無表情。
雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。

誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、
堅過ぎて近寄りにくい雰囲気がありました。
そんな課長の机の上には奥さん、子供四人と写った写真が飾られてて、
「あの朴念仁でも家族は愛してるんだな」と微笑ましく思ったものです。

何年経っても同じ写真が飾ってあったので、理由を聞いてみたら、
「一番かわいかった頃の写真だからね」と照れ笑いを浮かべながら答えてくださいました。
それが私の見た唯一の課長の笑顔でした。

そんな真面目一徹、入社以来無遅刻無欠勤の課長が三日続けて無断欠勤。
家に電話しても誰も出ず、親族の連絡先も分からなかったので、
部長が直接課長のマンションを訪ね、管理人さんにお願いしてドアを開けていただきました。

課長は玄関で倒れていて、既に冷たくなっていました。急性心不全だったそうです。
部長が管理人さんに課長の家族がいつ戻ってくるか聞くと、
「○○さんには家族はいないですよ」という返事。
あわてて人事部の資料をほじくり返すと、確かに課長には家族がいません。

課長は10年前に中途入社した人なので、それ以前に家族に逃げられていて、
写真を見て幸せだった時代を懐かしんでいたんだと思い、少し悲しくなりました。
結局、課長の葬儀にも家族も親族も顔を出さず、
血縁の人たちの冷たさにもっと悲しくなりました。

後日墓参りに行くと、立派なお墓が立っていました。
死んでやっと家族と和解できて、立派なお墓を立ててもらえたのかと
安心して墓石を見てみると、愕然としました。
お墓は古びていて、課長と同じ名字の名前が墓誌にいくつも彫ってありました。
課長以外は全員十数年前の同じ日に亡くなっていました。

家族を一度に亡くしてからの十数年の歳月を、
彼はどんな気持ちで過ごしていたんでしょうか?
二度と会えない家族の写真をどんな思いで毎日眺めていたんでしょうか?

人を遠ざけ、自分のことを決して語らなかった課長の姿を思い出し、涙が止まりませんでした。

[コピペ]切ない

218 :Trader@Live! 投稿日:2010/08/17(火) 19:05:23

今日久々に会った従兄弟が話してくれた
従兄弟は学生時代虐められてたらしい。
まあでも今は一端の会社員やってんだが
なんか従兄弟の息子(小学校)のクラスメイトが虐められてて
息子がそれを助けに入って喧嘩しちゃったんだと。
まあ騒ぎになるよなで、なんか保護者が顔合わせて話し合う破目になっちゃって、
会ってみたらいじめられっ子の親は学生時代従兄弟を虐めてたやつだったんだと
一通り和睦会(?)が終わった後、
いじめられっ子の親(当時従兄弟を虐めてた奴)が話しかけてきて曰く
「同期の友人の息子に自分の息子助けてもらったなんてなんか縁を感じる。
あのころを思い出すな、楽しかったな」
みたいなこと言ったんだと
で、カチンときた従兄弟は、我慢しながら維持してた社交モードが崩壊
当時は人を虐めて楽しんで、今度はそいつの息子に子供庇ってもらって、幸せな人生だなとか
言っちゃったんだ。さすが元虐めっ子。
いやー、昔のことだろー悪かったよ、みたいにヘラヘラした応答だったもんだから
従兄弟は熱くなっちゃって、肩に掴みかかりながら
俺たちはもう昔のことだって言えるけど、未来なんてイメージもなく、
振り返る過去もろくにない子供にとって、今って言う毎日がどれだけ比重が重いかわからないのか
お前は虐められてるお前の息子に『いつかいい思い出になる』なんて言ってるのか
話し合いの場でも「子供のやること」なんていって軽く見てたろう。
自分の息子のことどう思ってるんだ
息子の苦しみを少し考えろ、
そして、お前は昔、俺のそういう『今』を滅茶苦茶にしやがったんだぞ
なんてこと言ったんだと。
後半涙が出たって言ってた
相手も神妙な顔になって「すまん」とか言って、それで我に返ったって
従兄弟がいじめられっ子を助けるような子供に教育してんのは素直に尊敬でも、
それはいじめられた経験があるからなんだろう。
そして、虐めた方の人間にはやられる方の気持ちが息子を持つ年になってもわからないんだろう。
なんか複雑だ
そして何より俺早く結婚してえ、従兄弟にずいぶん置いて行かれた 。

[コピペ]切ない

384 名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/10/02(木) 23:51:06

4年半前の俺へ

付き合って半年で初めてラブホに行った時に、行為が終わってから彼女に出血があっただろう。

その時に、只の不正出血で終わらせるんじゃない。
ちゃんと病院に行かせるんだ。
彼女が高校生の頃に子宮筋腫だったって聞かされて、訳知り顔でスルーするんじゃない。

顔も可愛くて、優しくて性格もいい彼女に惚れてるんだろ??
ちゃんと病院に行かせるんだ!

お前が惚れたその子はな、お前と今から2年後に結婚するんだ。
そんでかけがえのない幸せな毎日を送るんだ。
軽い口喧嘩したり、一緒にお風呂に入ったり、キスしたり、抱き合ったりするんだ。美味しい美味しい手料理を毎日作ってくれるんだ。仕事でどれだけ疲れて帰ってきても、優しい笑顔でお疲れさまって言ってくれるんだ。

でもな、その子はな、結婚して半年後に子宮に病気が見つかるんだ。それはな、あっという間に全身に広がって、その子から笑顔を奪ってしまうんだ。

頼む。お前が煙草を吸いながら、訳知り顔で大丈夫?なんて聞いてないで、真剣に病院に行かせるんだ!!その時に気付いてたら、可愛いその子は助かるんだよ!!
お願いだ。お願いします。

なんでだよ。なんでこんなに早く逝っちまうんだよ。駄目だよ、俺。お前がいないと駄目なんだよ。

毎日、辛いんだよ

[コピペ]切ない

125 :本当にあった怖い名無し 投稿日:2010/07/03(土) 10:38:40 ID:M0uZ4GAL0

作曲家の友人がいた。人気で実力を測るとすれば、二流にもなれない、そんなやつ。
でも俺は好きだったなあ。彼のブログは数年前で更新が止まっている。

事の発端は、彼がある曲を書いた後。これの数フレーズが、中南米で活動するバンドの曲と酷似していた。
素人は音楽のなんたるかを理解してない。
世界のどこかの作曲家がいいと思って書いたものを
他の作曲家もいいとおもってつくってしまうなんて当たり前の話なんだ。
意図的に文化交流の少ない国の作曲家の曲をパクってる連中もいるから
偶然の産物も故意の犯罪にみえたんだろうとは思う。見分けがつかないからな。
彼のブログで自称音楽の専門家が言った。
「音符の組み合わせは無限大にある。ここまで似るのはパクリ以外ありえない」
いいや、違う。いいフレーズは有限で、しかもオリジナルの余地は僅少。
似ている曲が世界中のどこにあってもおかしくない時代。
音楽学校にいきゃ、このくらいはまっさきに教わる。
それだけ人間が音楽を愛してきた歴史が長いんだ。
「証拠はあがってんだよ。氏ね」
知らないことは時に罪となる。

ある日彼と出会うとこういった。
「頭の中で楽器の音を再現すると割れるように痛くなる」
そのしばらく後に出会った時にはがりがりにやせていた。
「一曲書くたびに似た曲がありはしないかと怯えて発表が出来ない」
そして次に会った時、彼は物言わぬ躯となっていた。自殺だった。

これは間接的な殺人だ。けれど、報道はこの遺言のために自粛された。
「どうか、死に追いやった人達を責めないで。
彼らは音楽に対して恋をしている。初恋の拙さを思い出して欲しい。
夢を見すぎていて、現実が見えていない。
私も彼らと同じ傾向があった。彼らの指摘から気付かされました。
完全オリジナル、完全オリジナル、完全オリジナル。
夢を追い求めて悩み、そして死ぬだけです。
何を書いてもどこかの曲に似ている。もう耐えられません」


126 :本当にあった怖い名無し 投稿日:2010/07/03(土) 10:56:02 ID:lPIP2fyy0

>>125
怖い話じゃ、ないかもね。

クリエイティブな仕事をする人って、人にもよるだろうけどすさまじい苦悩を抱えてるんだろうな。
新しいものを生み出すってのは生半可じゃないから。

127 :本当にあった怖い名無し 投稿日:2010/07/03(土) 11:07:15 ID:M0uZ4GAL0

この遺言の最後に記されてたのはこんなかんじだったか。

オリジナル。まるで底なし沼だ。
記憶容量は有限。時間も有限。
全能の神にしか、確認はできない。
人の身で挑戦。無力を思い知らされる。
人の身で傲慢。驕りの代償は絶望。
オリジナル。まるで呪いの言葉。

俺ならこう考える。
全能神にしか確認できないことを人類がやったのか。
すげえな人類wwwwwwwwwwwwwwwww
で、オリジナル探求なんてすっぱり諦める。
全能神と匹敵する叡智に対抗なんて無理スwwww
似てようがなんだろうがもう気にしませんサーセンwwww

>>126
その上自分じゃ知る能力もないものと戦わされたりしたら壊れる
俺みたいに図太けりゃよかったんだが
佳人薄命ってほんとだよな
いいやつ程生存しにくい世の中だわ

[コピペ]切ない

646 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/08/10(火) 02:56:42

小学生のころ、夏休みといったらもう毎日いくら時間があってもたりなかった
朝早くからじいちゃんとカブトムシとりにいき、
大きらいなラジオ体操は好きな娘がきてるだろうから、内心うきうきで行ったり
ゲームやりたいのに、10時くらいからやってる時代劇をばあちゃんが見てて、
文句いいながら気付けば夢中で見入ってたり
お昼は冷たいそうめん熱々のやきそば具沢山の冷やし中華のローテーション
どれも麦茶によくあうんだ 飽きもせずよく食べた

そうしてるうちに近所の友達がやってくる
野球やってサッカーやって、上級生がきたから場所譲って駄菓子やへ
おばちゃん50円もんじゃ~はいよ!その前に手ェ洗いな!
なんてやりとりしてさ、腹いっぱいになったら
ゲームやったり、おいてある漫画よんだり
5時になるから家かえると、
母ちゃんに言われて洗濯物たたみ・・
いやいやこなしてると親父が帰ってくる
一緒に風呂はいってさ、鬼太郎のお風呂セットで遊ぶんだ
そしたら飯
なんで父ちゃんはビールのんでるのに俺はジュースだめなの?
なんていつもの口論しながら飯を食う
なんで父ちゃんはお米を食べないんだろう??

食後は近所の公園で花火!
真ん中でわいわいやってると好きな娘がお姉ちゃんと一緒に犬の散歩で通りかかる
いいなあ~ やんねえよ!
とかいってるとオヤジにしかられ、」線香花火を一緒にやることに
夏休みの友やった~?なんて当たり障りのない会話をして、
次いつプール教室に来るか、さりげなく聞き出すw

家に変えると、金曜ロードショーのあの音楽
今日こそは見てやるぞと意気込むが、体がついていかない
眠くなってお布団はいると、枕元にかとり線香
やな臭いだななんて思うまもなく意識が遠のく・・

あのころは早く大人になりたかった
大人になれば何でも出来ると信じて疑わなかった
でもなんでだろう
大人になった今、あの頃のことをよく思い出すのは

森を走り回りたい
おいしいスイカを汗だくになって食べたい
適当にサボりながらやってたプールの草むしりをちゃんとやりたい
かおるこちゃんにあいたい
そして大人になる前に死にたい

[コピペ]切ない

810 :病弱名無しさん :03/05/03 00:47

友達が、20代前半で第二子を妊娠中→検査で子宮ガン発見。
若いとガンの進行が早いこと、絶対に母体が無事では済まないこと、
お腹の赤ちゃんにも転移する可能性が高いことなどを告げられていたのに、
彼女は「子供を殺すことは出来ない」と、産んだ。
産後、全身にガンが転移した状態で、手術すら出来なかった。

命がけで産んだ赤ちゃんも、すでにガンが転移していた。
赤ちゃんは小さな体で何回も大手術をうけたけど、ダメだった。
たった半年も生きることは出来なかった。

やせ細って、意識も朦朧としている中、彼女はベッドの上で毎日毎日、
「赤ちゃんはどう?」「淋しがってない?」と周囲に聞いていた。
お見舞いに行った友達は、赤ちゃんがすでに亡くなっていることを知っていたので、
「もう赤ちゃんに会ってくれた?可愛いい?私も早く会いたい」と言われるたびに、
涙をこらえるのが必死だった。

ドラマでこういうシチュエーションの時、「私の命はどうなってもいいんです」
なんて言って、出産して、運がよければ母子ともに無事。
悪くても母親が死んで「あなた(子供)を助けるために、お母さんは・・・」
なんてことが多い。現実は全然違うんだと言うことを思い知らされた。
何一つ良い事はなかった。この事が無かったら、向井亜紀さんのように
子供を諦めたケースを「結局自分の命の方が大切なんだな」なんて
冷たい目で見てしまったかもしれない。

命がけで産んだ我が子の苦しみも、死も、何も知ることなく
死んでしまった彼女。残された3歳のお兄ちゃん。
何が正しいことなのか、わかりません。
泣ける話というより、今でも思い出すと辛くて悔しくて泣いてしまう話です。

[コピペ]切ない

437 おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/01/12(火) 01:55:53

俺が幼い頃から知っているおじさんの話。
そのおじさんは俺の父親の友人だという。と言っても数年に1回、会うか会わないか。
なぜそのおじさんが幼い頃から記憶に残っているかというと、
彼は半身麻痺で車イスに乗っていたのでインパクトが強かったのだと思う。

俺が中学2年の時、父親が工場の機械に手を挟まれ左手を失った。
父親が入院中、彼がお見舞いにやってきた。
そして彼が紙袋から取り出したのはオモチャのマジックハンド。
冗談だとしても、子供ながらに「なんて不謹慎な」とムカついたのを覚えている。
しかし父親は「結局右手がふさがるじゃねぇかwww」と、楽しそうに彼と話を続けていた。
俺は呆れて病室から出た。それ以来、彼と会っていない。と言うか会わないようにした。

俺が高校に入学した頃、父親が亡くなった。膵臓癌で発覚から死まではあっという間だった。
通夜の晩にまた彼を目にした。
しかし俺はあの時の事を根に持っていたのか軽く会釈をしただけで話す事はなかった。
彼が車イスから這い降りて父親の棺に抱きつき号泣していたのは驚いたが、
結局葬儀でも彼とは話をしなかった。

今年俺は成人式を迎えた。
高校に入りDQNになった俺は母親と話す事もなくなっていた。
昨日の晩、久しぶりに母親と色々と話をした。そして彼の話をしてくれた。
父親と彼は中学生からの友人という事。
父親の工場の経営が悪化した時、彼が持家や土地を売って助けてくれた事。
彼は結婚をして子供が産まれたが難産の後、奥さんが亡くなってしまった事。
彼は男手一つで子供を育てていたが、勤務中に車の事故で2ヵ月程の昏睡の後、半身麻痺になってしまった事。
その時1歳だった子供というのが俺だった事。

今日、彼に会いに行って来た。
家には俺が赤ちゃんの時から中学卒業するまでの写真が壁にたくさん貼られていた。
俺は上手く話せなかったが、これからまだ時間はたっぷりとある。
父さんと呼べるまで時間はかからないと思うけど。

[コピペ]切ない

130 :おさかなくわえた名無しさん:2009/09/26(土) 15:16:28

不愉快な話なので見たくない人は注意。

数年前、某県の山道を飛ばしていた時の事。
突然、目の前に若い女性がふらふらと出てきた。
急いで急ブレーキをかけたので無事だったけど、時刻は深夜で山の中。
死ぬほど驚いてよく見ると、幽霊ではなくて生きた女性だった。

見かけは派手だったけど歳は自分と同じくらいだし、疲れきっている様子だったので話を聞いてみると、彼氏とドライブ中に喧嘩して置いていかれたらしい。
携帯も財布も彼の車の中だし、山中で人もいないので困っていたそう。
気の毒に思って一緒に乗せていってあげようと思い、助手席側のドアを開けて気が付いた。

彼女は学生時代に私を虐めていた張本人だった。
向うも間近で顔を見て気づいたのか、急ににやにやとして、「やだ!あんた○○?あーやっぱり○○だ!」とはしゃぎだした。
ずかずか入ってきて、これあんたの車?○○の癖に良いの乗ってるねとか、こんな時間に一人って彼氏いないの?いるわけないよね○○だしwと言いたい放題。

131 :おさかなくわえた名無しさん:2009/09/26(土) 15:18:06

私はこいつのせいで今でも悪夢を見るほど苦しんだのに、こいつは幸せに生きて虐めた私の事なんか綺麗に忘れてたんだな。
そう思ったとたんに腹が立ってきて、彼女を怒鳴りつけて外へ追い出した。
私が反抗したのを見て最初は驚いていたけど、非常用のハンマーかざして脅したら、急に泣き出した。
今更泣かれてもどうでもいいので、そのまま彼女を置き去りにしてその場を離れた。

それっきりまた悪い夢を見たと思って忘れていたんだけど、最近になって彼女が数年前に亡くなっていた事を知った。
某県の山中で複数の人間に強姦され、殺された後捨てられていた。
地方紙にも載ったので調べてみると、事件が起きたのはあの日の後だった。
犯人はまだ見つかっていない。

自分があの日乗せていってあげたら、彼女は生きていたんだろう。
でも可哀想とは思えず罪悪感も湧かない。
それどころか犯人ありがとうと思ってしまう。
悪いとは思えないけど、自分がひどい人間になったのは分かる。
一生誰にも言う気はないし、懺悔もしない代わりにここへ吐き捨てていく。

[コピペ]切ない

99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 22:38:06

小学校の時、足の悪い子がいて、ひょこひょこ歩くのが滑稽でみんなでからかうようになった。
野球なんかでもわざと取れないところにノックして、転ぶのを見て笑ったり。
でもその子はいつもニコニコしてて何も感じてないようだった。

でも、その事が先生にばれてみんなこっぴどく怒られた。
その子の親に謝まりに行った時、その子はいつもと違って泣きじゃくりながら、
「遊んでくれるだけでいい、笑われてもからかわれても遊んでくれるだけでいい」って。
それを聞いてお母さんは泣き出し、俺たちも自分たちの情けなさに泣き出してしまった。
彼の気持ちを考えると、ごめんなって言うのがやっとだった。

[コピペ]切ない

649 :大人の名無しさん :04/05/16 18:21

初めて彼女にあったのは、内定式のとき。同期だった。聡明
を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文かなんかが
賞を取ったらしく、期待の新人ということだった。

ただ、ちょっときつめ&変わった人で、やることすべてパー
フェクトだし、自分のことはなんにも話さないので、宇宙人で
はないかとの噂もあった。まあ美人と言えば美人なんだけど、
洋服とかおしゃれに気を使わないようだったし、クソまじめだ
し、お高くとまってるというより男嫌いみたいだった。近寄る
男はいなかった。おいらも、なんかちょっと嫌いだった。

彼女とは、偶然同じ部署に配属になった。それまで出会った
どんな女の人とも違うので、からかって反応を楽しむように
なった。はじめは、すごく嫌がっていた彼女だったが、半年
も経つと馴れてきたのか、そのころおいらが結婚したんで安
心したのか、少しづつ相手をしてくれるようになった。

650 :649 :04/05/16 18:22

その後、ちょっとだけ仲良しになって、愚痴を言い合ったりする
ようにはなったが、相変わらず自分のことは、何にも話さない。
休日何をしているかとか、家族のことはもちろん、本人のことも、
例えば誕生日なんかも、何年間か知らなかった。

ある日、ある試験の申し込み書類の書き方を聞いたら、自分
の書類をもって来て見せてくれた。そこに、生年月日が書いて
あった。なんと、その日が誕生日だった。今日はデートかなぁ?
などといいつつ、とりあえず、昼休みに食べたチョコエッグに入
ってたカメを誕生日プレゼントと言って渡した。爬虫類大好きと
言って子供みたいに喜んでいたのが印象的だった。変わってる
なぁと思った。

確かに変わった人で、いまどき携帯は大嫌いとかで、持ってな
かった。写真を撮られれるのも大嫌いだった。カメラ付き携帯で
飲み会のとき撮影したら、すごく怒って、しばらく口をきいてくれ
なかったこともあった。無理やり一緒にプリクラ撮ったときは、
悪用されるといやだからと言って、シートごと全部持っていって
しまった。

651 :649 :04/05/16 18:23

彼女は、がんばりやだった。もともと才能もあったし、がんばる
もんだから、どんどん出世していった。それにほとんど遊ぶこ
ともなく、仕事がおわるとまっすぐ家に帰っていた。そんなに、
お金ためてどうすんのー?お父さんの借金でも返ししてんの?
などとからかった。

そのころには、彼女のことがとても好きになってしまっていた。
でも、おいらはもう子持ちなので、表に出さないようにぐっとこら
えていた。ただ、彼女の周りをうろちょろして、愚痴の聞き役や、
遅くなったときのタクシー代わりをしていた。でも、プライベート
な関係は一切無かったし、変な噂にならないように気を配った。
同僚は、おいらは彼女の「ぽち」に見えると言っていた。自分も
彼女の「ぽち」という立場が気に入っていた。

そんな関係がしばらく続いた。彼女は、相変わらず独身だった。
彼氏や恋人がいるかどうかは全然分からなかった。ただ、彼女
は、お守りみたいな、小さな袋をいつもバックにつけていた。何か
聞いても、秘密のお守りとしか教えてくれなかった。彼女が仕事
のトラブルで落ち込んでいたとき、彼女のデスクでそのお守りを
ギュッとにぎっていたのを見たことがあった。だから、勝手に遠く
にいる彼氏からもらったのかな?などと思っていた。

652 :649 :04/05/16 18:23

ある日、海外出張からの帰り、成田で携帯の電源を入れた
とたんに同僚から電話があった。彼女が亡くなったと言わ
れたとき。全身の力が抜けた。みみの奥がキーンと鳴った
のを覚えている。交通事故だった。事故直後は、意識もあり、
たいしたことはないと思われたらしいが、内臓からの出血が
あり、急変したとのことだった。

現実のこととは思えずに、なぜかあまり、涙もでてこなかった。
職場の何人かで、葬儀の手伝いをした。そのとき初めて知っ
のだが、母子家庭だった。お姉さんもいるが、施設に入って
いるとこのことだった。彼女が大黒柱として家族を支えていた
のだ。彼女を軽率にからかったりしたこと恥じた。とても申し
訳なくて気が狂いそうだった。

葬儀の後、帰ろうとしていると、彼女のお母さんに呼び止めら
れた。渡したいものがあるから彼女の実家にあとで一緒に来
てほしいと言われた。貸していた本のことかな?と思いつつ
彼女の母親と実家に向かった。母親は、道すがら、彼女は大
好きだった父親が出て行ってから、男の人が嫌いになったこと、
誰にも頼らないで自分の力で生きていこうと誓ったこと、土日
はあまり健康でない母親と、施設の姉の世話をしていたことを話
してくれた。自分の子供とは思えないほどがんばりやだったと。

653 :649 :04/05/16 18:24

家に着くと、彼女の部屋に案内された。きれいに片付いていた、
というより女性の部屋とは思えないくらい何も無かった。ただ、
専門書とノートがたくさんあった。母親は、彼女がいつもおいら
の話を楽しそうにしていたこと、おいらのことが大好きだったけど、
おいらの子供たちを自分のように悲しませることになるといけな
いと思い黙っていたこと、彼女が意識を失う直前に、おいらに会
いたいと言っていたことを話してくれた。机のすみにおいらと写っ
たプリクラが貼ってあった。声を出して泣いたのは、大人になっ
てから初めてだった。

帰るとき、彼女が亡くなったとき身につけていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見にもらった。そばにおいて
やって下さい。と言われた。ネックレスは母親が就職記念にあ
げたものだった。ただ、母親にもどこで手に入れたか分からない
お守りを受け取るのはちょっと気が引けた。でも、とても大切に
していたので、受け取ることにした。開けてみようとも思ったが
やめた。

それからすぐ転職をした。一年後、ようやく少し落ち着いた。形
見のお守りは、いつも彼女がしていたようにかばんにつけて
持ち歩いていた。ネックレスもお守りと同じような袋を買い、中
に入れて一緒に持ち歩いていた。先日、職場の女の子が、
「これ前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」
といい、かばんのお守りを開けてしまった。とめる間もなかった。
というより、そういったときはもう中身を取り出していた。彼女は、
突然、なにこれー?といって大笑いを始めた。

お守りの中には、チョコエッグのカメが入っていた。

おいらは、もう、職場にいることも忘れ、ただただ泣き続けた。