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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

251 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2009/01/31(土) 05:40:06

昨日、朝一番で4歳の娘を保育園に預けた。
いつもならチラホラ園児が居てって感じだったのだけど
一番だったので誰も(先生意外)いなかった。

先生は朝、廊下をモップで掃除する。
「お預かりしまーす」と言った後、子供を教室に入れて
そのまま放置。で、モップがけを始めた。

ま、4歳だし保育園通い始めて4年目だから子供も慣れてるっちゃ慣れてるから
自分で上着脱いでハンガーにかけてって出来るけど
昨日は、教室の入り口でハンガー持ったまま
私が車に乗り込んで園の駐車場から出るまでずっと見てた。

背伸びして見えなくなるまで見送ってた。
バックミラー越しに見えたし振り返ったらまだいた。
切なかった。涙が出そうになった。

娘。がんばってくれ。

[コピペ]全米が泣いた

18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/10/21(水) 10:10:07
昔オリジナル超人を小学校で描いて帰り道、毎日のようにポストに投函してた
オノヨーコの両手に血まみれの斧持たせた 斧ヨーコとか
レモンを持って頭が斧でかち割られてるジョン・レモンとか
ある日ゆでたまご先生から手紙がきて、
いつもハガキありがとう
なんで採用されないかは自分で考えようって書いてあった

[コピペ]怖い

880 名前:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 09:30:37

建築現場でアルバイトしてた時に仲良くなったおいさんがいました
そのおいさんは流れ者で関西の方から来てたらしいです
元は生コン車の運転手をしてたらしいです
ある日、893と飲み屋で意気投合し顔見知りになり友達になったらしい
賭場や麻雀に誘われ負けが込んできた時、借金を作ってしまいどうにもならなくなった
その893に相談すると300万程気前良く貸してくれたんだって
最初は利子も取らずに返済の要求もなかった

ある日、夜中に電話があり事務所に呼び出されて行ってみると
893が3人とズタ袋に入った長さ1.7メートルの物体が転がっていた
「これを処分したいからお前も手伝え。生コン車を持ってこい。」

おいさんはコレは死体だと直感し勘弁してくれと頼んだ
すると893は今まで見せた事ない鬼の形相となり怒鳴り散らされた
仕事を手伝うか金を全額すぐに返済するかどっちか選べと

しぶしぶおいさんは生コン車を出し893の仕切るマンション現場に行った
おいさんがオロオロしていると893が袋を基礎の中に投げ捨ててしまった
そしておいさんは生コン車のレバーを押し生コンが注がれていった
帰り際5万ほどもらったらしい
それ以来、数ヶ月に一度同じ事をやらされ続けておいさんの神経も麻痺し
借金が減るんなら何も考えずに手伝おうと思い始めていた

そして運命の日
いつものように現場に行くと袋ではなくボロボロに殴られて生きているおっさんがいた
893は生きたまま基礎に投げ捨てニヤニヤしながら早く生コンを注げと言う
おいさんはどうしてもレバーを押すことが出来ずに泣きながら勘弁してくれと謝り続けた
イライラしてきた893はおいさんを押しのけレバーを押した
基礎の中から聞こえる断末魔はこの世の者とは思えなかったらしい

そしておいさんは逃げた
借金は残っていたがいつか自分も殺されると思ったらしい
この話をするおいさんは真っ青な顔して体が小刻みに震えていたので嘘とは思えない
マンションの基礎に死体を捨てるの発覚しにくい確実な方法なんだって
数十年後に解体することになっても骨とコンクリがバラバラに混じって見分けもつかないらしい

[コピペ]ほのぼの

573 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/03/02(木) 14:33:22

以前このスレで
「食事する時に、餓死寸前のシチュエーションで食べる。」ってのをふと思い出し、
ご飯を目の前にして、「・・・・・・・。」おもむろにハシをとって白米をかっ 込む俺。
目線を落しつつ、おかずを掻きこんで、味噌汁を飲む。
「・・・ホントに・・・死ぬかと思った・・・・!」だの
「・・・すまねぇ!!本当にすまねぇ・・・・!!」だの言ってて、
なんとなく理解したのか、嫁も爆笑。

なんて事をしてたらですね、ふすまが開いていてですね、
幼稚園に行ってるはずのですね、娘が出てきましてね、
どうやらその場面を見ていたらしくてですね、冷蔵庫に走っていってですね
アンパンマンチョコレート(娘の大好物)の袋を出してですね、泣きながらですね、
「おとうさん、これ食べてぇぇぇ(´;ω;)
食べなきゃ死んじゃうんだよー!( ;д;)あばばば(声になってない)」
とか言われてですね、優しく育ってくれてるなぁ、
とか思う前にですね、動揺しまくって、ついつい、
「ご飯・・・・おいしかった・・・。」とか行って、
正座してスーツ着たままパタッと横に倒れたの。

「お父さんが死んじゃっpぴぎゃあああああああ!!!!( ;Д;)」
泣く娘を宥める嫁。さすがにまずいと思って、チョコをひとつ口の中に入れて
「おとーさん、ふっかーつ!元気もりもりあんぱんまん!」とか言っても泣いて るの。けっこう似てたのに。

今、嫁は熱出して休んだ娘の看病とアホな旦那への怒りか、全然かまってくれず、
自分でスーツにアイロンかけてます。どうしよう。やはり俺が悪かったのか。

[コピペ]笑える

91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/11/27(木)
03:47:50.76 ID:b7/AsLwH0
君が代

kiss me, girl, and your old one
a tip you need, it is years till you’re near this
sound of the dead “will she know
she wants all to not really take
cold caves know moon is with whom mad and dead

訳:
僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも(サヨナラの)キスをしておやりよ
君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が君に届くまで何年もかかった
んだよ
「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど
そのことに気がつく日が来るんだろうか?
冷たい洞窟だって知ってるんだ
(戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを
お月さまはいつも見てるってことを」

[コピペ]ほのぼの

166 :名無しの心子知らず:2009/09/29(火) 15:38:16

去年の話。近所のSCに子と義妹と買い物に行ったときのこと。
帰ろうとしたらいきなりの雨。そのころやたら通り雨が続いていたので、運良く
雨具の準備があった。
義妹は「ちょうど傘こわれたところだから買ってくる」とSCに戻っていったその
あいだにベビカに雨除けをかけて、私は折り畳み傘を広げていたら親子連れに声
をかけられた。
親「ちょうどいいわ。その傘下さい」
私「え?」
親「○○姫が濡れて風邪を引いちゃうから。あなたは大人なんだから大丈夫でしょ」
その場からさっさと離れたかったが、義妹を待っているので離れられない。
傘渡しなさい、と手を出す親。そこに義妹が傘を買って戻ってきた。どうした
の?と聞く妹に親が「雨が降ってきたが私達は傘を持っていない。が、大人なら
濡れても平気だろう。私の姫に傘を渡せ。
あんた(義妹)の傘でもいい」ということを言った。義妹笑い転げる。
「ちょwwwおばさん、頭おかしいwwww姫ってその子豚?まじウケルwwwつーかびん
ぼすぎて傘かえねーの?
そこで500円で売ってるしwwwやっべーまじやっべーwww500円も持ってない姫ウケ
ルwwwwびんぼ姫wwww」
箸が転がってもおかしい年頃のギャル義妹、笑いが止まらず、貧乏ウケルやべー
を連呼しまくり。
親子は顔をまっかにして「ふんっ」て感じでどっかいってしまった。
義妹は帰りの道でもずっと「まじあの親やばいよね!ちょーうけた!写メればよ
かったwww」と笑って腹筋つってた。
若いってなんでも面白く感じるんだねー。

178 :名無しの心子知らず:2009/09/29(火) 15:59:16

義妹にGjありがとう。
このあと姑の家によってSCで買ったケーキでお茶したんだけど、そのときも義妹
大笑いだった。
「おかーさん、さっきちょやば親いてねwwwwねーちゃから傘ぱくろうとしたんだ
よ!ぶー姫がいてwww
ぶははっはははwww500円もなくてwwwwびんぼ姫ちゃwww」みたいな感じで姑に報
告してて姑は「???」あとで「私、さいきん義妹ちゃんの言うことの半分も分
からないの」と打ち明けられた。
大丈夫お義母さん、私も2/3位しか分かりませんと伝えておいた。

194 :名無しの心子知らず :2009/09/29(火) 16:26:09

義妹、素だと思う。けど舅の前では普通。
舅がギャル語だいっきらいで、「やべー」とか言うと雷落とすから。
たまに「ねーちゃ、やべーって日本語でなんていうの?」とメールが来る。日本
語www
ただ、ギャルはほんと最強だと思う。姑がセコ託児ママにタゲられたときも撃退
したツワモノ。

姑タゲラレ話。
近所に住むママが姑の「元幼稚園教諭」という経歴に目をつけ姑宅に子供を放置
していくことがあった。
人がいい姑は面倒を見ていたが、今は持病持ちで幼児の相手は辛い。しかも放置
子は煩い乱暴汚い。
そのうえおやつや食事も姑宅にたかる。放置子が「散歩に行きたい」といっては
姑を連れ出し、玩具屋の前で泣き喚く(わざとか?)ので姑が買い与えてしまう。
更に子供の汚れた服を持ってきて、「汚したらこれに着替えさせてください」と
言われ、姑は洗濯までしていたそうだ。
あるとき学校が休みだった義妹が「私が面倒を見るよ!」と買って出た。
義妹は親切心から放置子を風呂に突っ込み、暴れたら押さえ込み、いろんな言葉
を教えた。
ママが迎えに来たとき放置子は「やべーやべーママうぜーちょーママうぜー」と
喚いていたそうだ。
しかも放置子と遊んで情が移ってた義妹がママに
「まじちょーきたねーし、親なにしてんのってかんじーなんかうちらの友達の知
り合いでこーゆーの貰ってくれる人いるからさーそっち行ったほうがいいんじゃ
ね?」みたいな感じで言って、ママはガクブルで帰っていったそう。
姑曰く「あの言い方じゃ、変な筋に売られると思ってもしょうがないわ
よ・・・」と。
義妹は「児童施設とかいうところでボラしてる子がいるから相談すればいいと
思った」とちょっと凹んでた。
それ以降ママは姑と義妹の顔を見るとさっさと逃げだすそうだ。

[コピペ]ほのぼの

28 名前: C.N.:名無したん 投稿日: 2009/01/18(日) 14:48:51

私は、中学校入学ごろからコスプレをしだした。

おじいちゃんとおばあちゃんは、洋裁屋さんだった。
両親も共働きで帰りも遅いので、必然的に、
おじいちゃんとおばあちゃんのお店に入り浸ってた。
だから、いろんなものの作り方を教えてもらったり、作ってもらったりした。

おじいちゃんもおばあちゃんも、私のことをすごく可愛がってくれて、
コスプレ衣装を作りたいと言ったときにも、
「面白い服だねぇ。どれ、じいちゃんもがんばって見よう」と、
じいちゃん達は、どう考えても今まで作ったことがないだろう種類の服を、
私と一緒に作ってくれた。

おばあちゃんは昔、美容師をやっていたから、
髪型もキャラと同じにアレンジしてくれたり、化粧もしてくれた。

完成した時、おじいちゃんもおばあちゃんも、

「Oちゃん、お姫様だねぇおじいさん」
「Oちゃんはオラ達のお姫様だよ」

と、こっぱずかしくなるような喜び方をしてくれた。
10年ぐらいたつのに、今でも忘れない。

そのうち、おばあちゃんとおじいちゃんは
「今度はなに作ろうか?」と、言ってくれるようになった。

年のせいもあるし、大型店舗がそこに移ってくると言う理由で
おじいちゃんおばあちゃんは、店を畳んで暇になったからかもしれない。

「Oちゃんと一緒にお洋服を作って、
それをOちゃんが着てニコニコしてくれてるのが、じいちゃん達の生き甲斐だよ」

と、言ってくれた。

「何でそんなに上手なの?」と聞くと、じいちゃんは
「基本がわかっていればなんだってできるよ」と言った。

「基本がしっかりしていれば、応用もある程度効く。
だからOちゃん、基本は何事もしっかりとやるんだよ」

と、笑ってた。

コスプレ衣装も、ロリ服もゴスロリも、じいちゃんとばあちゃんは作ってくれる。

29 名前: C.N.:名無したん 投稿日: 2009/01/18(日) 14:49:27

ある時、鎧や武器とかを作りたくなった。
でも、じいちゃんとばあちゃんには作れなかった。
鎧を脱いだ服は、何とか自分で作れたけど…。

落ち込んでる私に、じいちゃんたちは「ごめんね」と言った。じいちゃん達は悪くない。
むしろ、悪かった所を、直してくれたりもしてくれて、衣装は完璧だった。

コスプレを通じて出来た友達との、初あわせだったから、
すごく楽しみにしてたから、しょんぼりしてた。

「ごめんね、鎧だけはできない」

って、じいちゃんすごく悲しそうだった。

ばあちゃんが後で話してくれたけど、じいちゃんは
ダンボールで作ったりと試行錯誤を続けてた。

それでも

「Oちゃんにこんなのを着せるわけにはいかない。
プロとしても、もっと良い物が作りたい」

と、それを秘密にしていたって。

そうして三人しょんぼりしてるうちに、
じいちゃんの弟が訪ねてきた。おじさんは看板屋さん。

おじさんが、「ライオンボード使えば良いじゃねーの。
うちにあるから好きなだけ持ってけー」と、言ってくれて、
その加工の仕方をじいちゃんと私に教えてくれた。

そのほかにも加工の仕方を二人で勉強して、以来、じいちゃんは何でも作れるようになった。

じいちゃんとばあちゃんの洋裁屋を再興させたくて、
高校も服飾学科だったし、専門学校もそっちに進んだ。

じいちゃんとばあちゃんはそれを喜んで、何十年も使ってるトルソーを、私にくれた。

「オラ達が死んだら、この道具はOちゃんに全部あげるよ」

と言ってくれた。

成人式の着物は、じいちゃんとばあちゃんが作ってくれた。
とてもきれいな振袖で、ちょっと覚えた「ゴシック」入ってるけど、
友達や周りの人からは「いいなー」って言われた。
「何円で売ってくれる?」とも言われたけど、売れないと断った。

30 名前: C.N.:名無したん投稿日: 2009/01/18(日) 14:49:58

私の成人式から三ヵ月後、じいちゃんの癌が発覚。余命一年だと宣告された。
「入院しますか?してください」と言われても、じいちゃんは

「一年?…十分、最後の一仕事ができる」

と言って、ウェディングドレスを縫ってくれた。

結婚する相手なんて居なかったけど、
完成したそれを着た時、じいちゃんとばあちゃんは
「思い残すことなんかないな」と頷きあって、嬉しそうに笑って泣いた。

それが良かったのか、何が良かったのかはわからないけど、
じいちゃんは余命一年と言われ、三年経った今でも元気。
お医者さんにも、不思議がられてる。

「あれ?オラ、死ぬんじゃなかったっけ?」

とよく言ってるけど、今でも元気にコスプレ衣装を作ってくれてる。

友人に「売ればいいのに!」と言われるけど、
「これは趣味だから」と言って、じいちゃんもばあちゃんも突っぱねてる。
もう少し、私の腕が上達したら、またどこかにお店を出そうねと約束してる。

今度、お金が入る予定なので、じいちゃんとばあちゃんと一緒に温泉旅行行ってきます。

[コピペ]ほのぼの

187 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2009/08/28(金) 03:09:55

今度、結婚することになった。なぜか言い出しにくくて、
3日くらい悩んだけど、夕食の席で、ようやく両親に
「来月の土日、空いてる?いつが都合いいかな?
彼が挨拶に来たいと言ってるんだけど…
け、結婚の挨拶に…」と言い出すことに成功。

母は「まー!ついに!?いつそんな話に??
あんたみたいなのをもらいたいなんて物好きねー。
で、プロポーズは?式はどうするの?孫が出来る?!」
と予想通りのウキウキモードw
父は「わかった。ただ、結婚するということは…云々…
ちゃんと自立しないと…云々…」みたいにお説教モードに。
父とは仲も良いし、いつも冗談ばっかり言い合ってるから、
「おお!おめでとう!!」とかもっと軽い感じのおめでたいモードに
なるかと思っていたので、ちょっと予想外でちょっとだけ寂しかった。

夕食後、ようやく言えたなーとくつろいでいると、
父が飼い猫と何やら話しているのが聞こえた。

父「○○ちゃーん・・・おねえちゃん(私のこと。長女)
結婚するんやってー。」
猫「・・・・・・・」
父「さみしいなー。どうする?
○○ちゃんは、ここにいる?
それとも、おねえちゃんに着いてく?」
猫「・・・・・・・・・」

お父さん・・・猫は置いていくよ(´;ω;`)

[コピペ]泣ける

109 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 22:44:51.72 ID:HQ3Y04ZC0

ここ数ヶ月いろんな意味で忙しかった。
25で自営をはじめて10年ちょいやってきた店をたたんだ。
利益が出ず、嫁の収入が主な生活費になっていて、いつやめるかのタイミングをみていただけだったからな。
そんな俺を嫁は「13年間お疲れ様でした」と優しく迎えてくれた。
最後の2年くらいは全然仕事にならず、イライラして嫁に当り散らしたこともあった。
でも、そんな時でも嫁は俺のストレスのはけ口になってくれて、夜には抱きしめて眠ってくれた。
一時、共同経営してたやつに騙されて借金を負わされたとき、死のうと思ったこともあった。
色んなものが残ってたら嫁が俺を思い出してつらいだろうと思って、写真や身の回りモノを処分してた。
すると、嫁がそれに気づいてこういった。

「もし、本気で死ぬんなら私も一緒に連れてって。その代わり一週間だけ時間を頂戴。
私も身の回りを整理してから死にたいから」
結局、その一週間の間に嫁と何度も話し合い、二人で乗り越えていこうと決心した。
あの時、嫁が気づいてくれなかったら、一週間待ってといわなかったら、俺は今ごろ死んでただろうな。
何度も泣きながら嫁と話し合ったのも、今じゃいい思い出だ。
この年で手に職もなく無職になったから、これから大変だろうけど、俺には嫁が残ってるから。
一番大切なものが残ってる以上、頑張っていこうと思う。

[コピペ]泣ける

839 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/05(土) 19:00:16

父親が借金を残したまま失踪。母兄俺妹の4人で生活してた。
母は夜まで仕事で帰らないし毎日の様に借金取りが来るから
3人でいつも押し入れに隠れてたなぁ。
ある日、学校から帰ると入り口に偉そうなオジサン&借金取りが居て、
顔を知られてた俺は逃げようとしたけど捕まえられた。
殴られるのかと思ったら、そのオジサンが兄弟はどうした?
飯食ってるのか?と
今まで見たこと無い位のハムや野菜とかの食材と何故か
子供服をくれた。夜になって母親が帰ってきた。
何故か手には駄菓子やたくさんの食材が。そう、
ついに母は約5年かかって完済したのだった。
これからはたくさん食べようね、いっぱい遊びに行こうねと
母が初めて俺たちの前で泣いた。俺達も何も言えずにただ泣いた。
そして中学に入った頃、父親が現れた。金をせびりに。
帰ってきた兄は激怒し父親をボコボコに殴った。
泣きながら。騒ぎを聞いた近所の人が通報し警察が来て
母と兄が連れて行かれた。俺と妹は部屋で待ってた。
妹は部屋の隅で何かを泣きながら作ってた。
2人が帰ってくると妹は母俺兄と自分に作った
メダルを首にかけた。メダルには、『みんななかよし』と
書かれていた。4人何も言わずに泣いた。
残業して帰ってきて自分の子供が作ったであろう
黄色い首からかけるメダルを見て思い出したので
書いてみた。”