世界史のことをなにも知らない人でも、ピラミッドを知らない人はいない。エジプト各地にそびえる、巨大な石の建造物だ。もっとも大きいクフ王のそれは、底辺230m、高さ147mというから恐れ入る。しかし、世界の七不思議に数えられるように(ちなみに、七不思議で現存するのはピラミッドだけ)、ピラミッドにはあまりにも謎が多い。こんな巨大なものを、4600年も昔にどうやってつくったのか、ということはもちろんだが、そもそもなんのためにつくられたのかもよくわからない。
古代ギリシアの歴史家にヘロドトスという人がいた。彼はピラミッドを実際に見て、「大ピラミッドは、10万人の奴隷が20年間働いてつくった、クフという残忍なファラオの墓である」と記している。
2500年前のこの話が、定説としてずっと語り継がれてきたのだが、最近の新発見から、これに対する強力な反論が出てきた。1990年、ピラミッドのすぐそばで、ピラミッドをつくった労働者たちの墓が発見された。これまでに600以上の墓と1000体あまりの遺体が発掘され、そこから意外な事実が明らかとなったのだ。
まず、遺体の中には、脳外科手術や切断手術、骨折の治療など、高度な医療がほどこされたものが多数見つかった。さらに、遺体の男女比は半々であり、子供の骨も出てきた。これらのことから、奴隷がピラミッドをつくったのではなく、ふつうのエジプト国民が家族で暮らしながら工事をしていたことがわかった。
では、なぜピラミッドがつくられたのか。ファラオのなかには、ひとりで5個もピラミッドをつくったものがいる。墓ならば、ひとつあれば十分ではないか?
1974年、新説が発表され、大きな議論を巻き起こした。それは、「ピラミッド建設は、エジプト国民救済のための公共事業である」というものだ。
「エジプトはナイルのたまもの」とヘロドトスが言ったように、エジプトの農業はナイル川に支えられている。ナイル川は毎年7月から10月まで大洪水を起こし、川沿いの農地をすべて水没させる。しかし、この洪水は上流から養分たっぷりの土を運んでくるので、農民は水が引いたあと種をまくだけで豊かな実りが得られたのだ。
しかし、洪水のあいだ、人々は職を失い、路頭に迷うことになる。そこでファラオは、洪水で農作業ができない農民を全国から集めて、ピラミッド建設という仕事をさせ、衣食住を与えたというのだ。
ピラミッド付近から発見された神官の墓からは、「人々にビールとパンを支払い、彼らを喜ばすことを保証する」と記されていた。また、石切場にある労働者の落書きには、「国王万歳」「帰ったらパンを腹いっぱい食べよう」とある。
ピラミッドは、なんのためにつくられた、というより、つくること自体に意味があった、といえるだろう。