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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]いい話

172 ななしのいるせいかつ :2008/06/11(水) 19:33:56
高層マンション。
靴を揃え、遺書を添え、今にも飛び降りようとする中年。
高層マンション。
仕事をサボり、気分転換に、煙草を噴かしに来たオレ。

高層マンションの屋上でこんにちは。

オレは言う。
「どうせ死ぬなら金をくれ」

中年は言う。
「もったいないから金はあげない」

オレは言う。
「金に執着するなら死ぬんじゃねえ」

中年は言う。
「それなら自分で何か買う」

オレは言う。
「欲しい物があるなら死ぬんじゃねえ」

中年は言う。
「それなら家族の為に残す」

オレは言う。
「家族の事を想うのなら死ぬんじゃねえ」

中年は言う。
「死ねないじゃないか」

オレは言う。
「死ぬ理由が無いじゃないか」

中年は言う。
「なるほどな」

オレは言う。
「納得したなら金をくれ」

中年は言う。
「ふざけるな」

オレは言う。
「ふざけるな」

中年は言う。
「頭に来たから家に帰る」

オレは言う。
「いいな幸せで」


自殺の心理学

[コピペ]いい話

どうしても誰かに聞いてもらいたくてしかたがなかったんだが、聞いてくれる人もいないからここに吐き出してしまった。こんな話を期待している人ばかりではないことを承知していながら身勝手にも投稿してしまったことを許して欲しい。

昨日の帰りに妖化堂によって買い物をした。仕事がきつかった日は、妖化堂で惣菜を買って晩飯を済ませることにしている。

うちには男の子がふたりいる。妻は下の子を産むときに逝ってしまった。今年で六つになる下の子は、大切な幼少期を片親で育てられてしまったせいか、ずいぶんわがままが多くなってしまった。育児休暇(実はそんな制度は勤め先にはないんだが、事情を汲んだ上役が人事にかけあってくれた)をとって、まったく慣れない家のしごとをこなすときは、どうにか妻のいない分もしっかりやらなきゃいけないと思っていろいろ努力はしてみたんだが、やっぱりどこか足りない部分があったんだろうな。妖化堂で惣菜選んでるときも、時々脱力感に襲われるんだよ。ああ、ちょっと仕事で疲れたからって、手料理もつくってやらないなんて、おれはひどい親だな、って。

ふと、「夏野菜の揚げ浸し」の涼しげな色合いが目に付いた。死んだカミさんはよく揚げ浸しを作ってくれて、おれはそれが大好きだった。昇進が決まったときも、念願の資格試験に通ったときも作ってくれて、おれと上の息子がパクつくのをにこにこ眺めてくれてたっけ。薄味でさっぱりしたあの味が懐かしく思い出されて、おれはうっかりそれをカゴに入れてしまった。

帰って白い飯と簡単な具の味噌汁だけつくり、惣菜を皿にうつして、子供たちをリビングに呼んだ。

揚げ浸しは作り置きの惣菜にしては思いのほか旨かった。ところが、食べ初めてすぐに下の子がぐずりだした。「ぼく茄子きらいなのに…」

おれはほんとうにうっかりしていた。この子は嫌いなものを出すととことん嫌がって食事するのを投げ出してしまうのだ。

この子がまだ保育園に上がりたてのころ、おれは子育てに神経質になりすぎて、かえって失敗してしまったことがある。ピーマンを食べたがらないこの子のために、料理の本でピーマンの肉詰めを勉強して、自分の弁当のおかずとして試作しながら、食べてもらえるような出来についに仕上げたのだが、それでもその肉詰めを息子は食べてくれなかった。前日寝不足だったのも手伝って、そのとき俺は息子をひどく叱り付けてしまった。その時以来、下の子は嫌いな食べ物を徹底して拒絶するようになり、おれは下の子を叱れなくなってしまったのだった。

「おいしいよ。食べてみてごらん」
おれはつとめて優しく言ったのだが、

「やだ!こんなのいらない!」
と言って、下の息子は揚げ浸しの盛られた小鉢をひっくり返してしまった。おれは胸がしめつけられて、何も言えなくなってしまった。

実母や義母の申し出もはねつけて、自力で子育てをしたいと言い出したのはおれだ。そうすることが、献身的に家庭を支え、命を懸けて小さい命を遺してくれた妻に対するおれなりの責任の取り方だと思ったからだ。

だけど、本当だろうか?おれは責任を取りたかったんじゃなくて、自分の面目を保ちたいだけだったんじゃないのか? 現に目の前で子供を泣かせているおれは、子供のしつけもできないおれは、家庭を明るくたもてないおれは、父親失格じゃないか…!

パシン、という乾いた音がして、おれは我にかえった。視線をうつすと、目をうっすら赤くした上の息子が、下の息子の頬をひっぱたいて、テーブルに散乱した茄子やらかぼちゃやらを拾い集めているところだった。

しゃくりあげそうになるのをこらえながら、上の息子が言う。
「こんなことするなよ。父さんが働いた金で食えるメシなんだぞ」
中学校の野球部でキャプテンをしている上の息子は、親のおれが言うのもなんだがしっかり者で、泣いているところなんか赤ん坊のころ以来見せたことがない。

「これはおれの好物なんだ。我慢してひとつ食ってみろよ」
自分の小鉢を下の子の前に置いて、上の息子は精一杯作り笑いして見せた。普段兄と喧嘩など滅多にしない下の子は、しばらく呆然としていたが、やがて箸をとると、ひかえめな大きさの揚げ茄子をひとつつかんで口に運び、もそもそと咀嚼しはじめた。

ごくり、と飲み込んだあと、下の子が不思議そうな顔をして上の子に尋ねた。
「これ茄子? 茄子じゃない?」

すると上の子は、弟の頭をわっしわっしと撫で回し、
「いいや、これは茄子だよ。えらいな、食べられたじゃんか。えらいぞ」
それに下の子、にっこりと答えた。
「これならたべられるな」

胸につかえていたものが急にとれた気がして、おれは思わず脱力してしまった。肩の荷がおりた、というにはまだはやいかもしれないが、少なくともその時「救われたな」、と感じた。

もちろん、買った惣菜の具を息子が食ったからと言って、それでよかった、などと思ってはいけない。妻が作った揚げ浸しなら、きっと下の子だってうまいうまいと食ったにちがいない。母親の味を知らずに生きていく不憫な子供のためにも、おれはくさらずに頑張っていかなきゃならない。

さしあたって、今度はおれの手料理で、茄子のおいしさを教えてあげられたら、と思う。さっそく今日の晩から練習だ。市民プールに行くのだという息子二人に朝食を摂らせてから、仕事に出かけてこようと思う。


男の手料理

[コピペ]いい話

59 :おさかなくわえた名無しさん :2007/08/22(水) 10:41:23

ちょっとスレタイに関係ないかもしれんけど、
留学先で外国人の同級生にぶん殴られたことがある。
どこだったかな、フィンランドかノルウェーか、
あの北欧のチンチン型半島のどこかから来てたヤツだった。

なんか、「自分の国を悪く言うな」ってね。
何を怒ってるのかわかんなかったから、さすがにムカついて殴り返した。
良いも悪いも北欧なんて知らんわって。
そしたら、違って。
俺が、自分の国(日本)を悪く言っていたのが許せないんだそうな。
なんだっけな。日本嫌いのヤツになんか言われて聞き流してたんだよ。
はいはいナチスの仲間で苦労かけましたね、とか言って。
「欠点の無い国なんて無い。でもお前のその態度はお前とお前の家族と、
お前の仲間と、お前の国を好きな人間まで侮辱してる」
みたいな感じのこと言われた。
「お前らは俺の国なんて知らないだろうけどな、俺たちは知ってるし尊敬してるんだ」
って。

なんでかな、急に泣きそうになったのだけ覚えてる。

[コピペ]いい話

497: 2008/04/30 15:30:43

電車でお婆さんに道を聞かれた男子高生が「俺の家その病院の隣なんで送ります」と次の駅でお婆さんと降りて行った
窓越しに2人を見送り終点の駅で待ち合わせに遅刻した友人を待ってたらさっきの男子高生が降りて来た
そのまま駅前の自転車屋さんに入ると「ただいまー」という声が聞こえて来た

泣きそうになった
良い子だなあ


プラレール N700系新幹線ベーシックセット

[コピペ]いい話

234 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2007/08/29(水) 07:20:20

学生時代、貧乏旅行をした。

帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
 

 
 
すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。
わけを話すと、持っていた茹で卵を2個分けてくれた。
さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。

さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、

「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら
 手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」

私は感極まって泣いてしまった。

お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスには
お爺さんが。最近産まれた初孫のことを詠った自作の
和歌集を携えて遊びに行くという。

ホチキスで留めただけの冊子だったので、
あり合わせの糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。

ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座して
ぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。

「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。
 物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
 せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」

恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。

結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、
駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。

何か有意義なことに遣おうと思いつつ、
その千円札は14年後の今もまだ手元にある。

腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど
こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。

[コピペ]いい話

910:名無しの心子知らず:2007/04/04(水) 11:54:07

突然だけど、母親のこと子供にどう話してる?
俺の娘は今年4歳になるが、嫁は娘を生んですぐに家を飛び出したので、
子供には母親の記憶はない。
今まで母親のことはあまり話題にせず避けてきたんだが、
こないだちょっと考えさせられる出来事があった。

仕事の移動中に乗った電車の中でのこと。
俺の隣には、幼稚園くらいの女の子が、
母親らしい若い女性と一緒に乗っていた。

途中、駅で片腕のない女性が乗ってきて、
俺達の向かい側に座った。

女の子が「お母さん、なんであの人は手ないん?」と、
みんなに聞こえる声で言ったので、
俺は一瞬ドキっとして、女性と親子から思わず目をそらした。
が、母親らしき女性は慌てることなく、女の子に向かって言った。

母親「いろんな人がいるの。みんなが同じじゃないの。
  ○○ちゃんにはおじいちゃんとおばあちゃんがいないでしょう?」
女の子「うん、みんなはおるけど私はおじいちゃんとかおらへんねんなー」
母親「うん、いろんな人がおるけど、
   おじいちゃんやおばあちゃんがいないのは、
   ○○ちゃんのせいじゃないでしょ?」
女の子「うん、違う。あ、△△ちゃんとこはお父さんおらへんねんで」
母親「そうね、でも、それは△△ちゃんのせいじゃないよね」
女の子「うん、違う!」
母親「だからね、みんなおんなじじゃないの。
   みんなそれぞれ、持ってるものと、持ってないものがあるんよ。
   でもね、持ってないからって、
   その人は何も悪くないし、
   他の人と何も違わないんよ」

腕のない女性を含めて、車内に乗り合わせていた人たちは
みんな暖かい目でその親子を見守っていた。
思わず目をそらしてしまった自分が恥ずかしくなった。

自分の娘にも、母親のことを恥じない子に育って欲しいと思った。
この電車の親子は、俺に子育ての大事なことを教えてくれた気がする。

[コピペ]いい話

102 :名無しさん@八周年 投稿日:2008/01/15(火) 12:55:04

みんなをうらやましがらせる話をしてもいいか。

おれは小さい頃ヤッターマンが大好きだった。
イッパツマンがやっているというのに、毎日
ビデオでヤッターマンばかり見ていた。
ある日、俺の両親が、おれの誕生日をファミレスで祝ってくれた。
どこから探してきたのか、当時は売ってなかっただろうなぁというような
やったーわんとやったーきんぐの超合金だった。

それだけでなく、神様は偶然をプレゼントしてくれた。

なんと三悪+その他の声優さんたちが、そのファミレスで食事して
いたのだ!!
やったーまんだーー!と騒ぐ俺を見て、スタッフの人らしき人が、
「ぼうや、ちょっとこっちへおいで!」と、声優さんのテーブルに
案内してくれた。
もうわかるな。なまで「お誕生日おめでとー」「ぽっちっとな」など
の名台詞をプレゼントしてくれたんだ。
いまでも、俺の人生で最高の瞬間だといえる。帰り際に
「三悪が好きでも、普段はいい子にならないといけないよ」と
頭をなでてくれた小原さんの手の温かさは覚えてる。
そして、ヤナミさんが「なんでヤッターマんじゃなくて三悪が好きななの」
と最後に聞いてくれて、俺が「やられてもやられても、あきらめないから」
と答えたら、ものすごく嬉しそうな顔をしてくれた。

いい思い出だな。皆さん、俺は今でもがんばってます。
草葉の影から見守っていてください!

[コピペ]いい話

128 チラシ ◆4PFx7PdJkA 2007/12/11(火) 11:13:36

先月からバイト先で軽くハブられ始めた
まあこんな外見だしオタクだし気持ち悪いよな~とは思うから別に良かったんだけど
同時期に入ったギャル女だけは普通に喋ってくれる
見た目は髪の毛とメイクに何時間かけてんだって感じだけど字が綺麗で常識人

見た目だけで人を判断しやがってなんて思ってた自分こそ
そういう目で見ていたんだと気付かせてくれてありがとう
そんな感じの言葉と好きになったという告白を昨日の忘年会の帰りに伝えた
キモオタが更に挙動不審になるのを気にせず最後まで話を聞いてくれてありがとう
緊張しすぎて泣き出した俺を労ってくれてありがとう
こんなんだけどこれからよろしくお願いします

[コピペ]いい話

141 :名無しさん@八周年:2007/10/01(月) 22:16:45

友達の親父さんの話なんだけど
親父さん鈴鹿サーキットで警備員やっててある日黒塗りのハイヤーがゲートに来た

警備員の親父さん「通行証お願いします」
黒塗りの運転手  「関係者だ」
警備員の親父さん「デスから通行証を」
黒塗りの運転手  「だから関係者だといってるだろう」
警備員の親父さん「関係者でも何でも通行証を提示して頂かないとお通しできない
ことになっているんですよ」
黒塗りの運転手「・・・(不満そうに)」

すると黒塗りのハイヤーの高部座席から声が
「通行証を忘れてきたのは我々のミスです、今日は引き返しましょう」
こうしてハイヤーは帰っていった
数日後警備会社にあの本田宗一郎から手紙が!

「貴方のようなちゃんとした方が警備してくださってることを心強く思います」
的なこと書いていたそうで警備会社は騒然
親父さんが追い返したのはあの本田宗一郎の車だったわけで警備会社も大慌て
親父さんは本田宗一郎を追い返した伝説の男となった
ただ本田宗一郎の手紙は大変好意的だったので無論処分無し

その後も親父さんはその警備会社に勤めれることになった
そしてまたその後鈴鹿サーキットにあの車がやってきた

警備員の親父さん「通行証お願いします」
黒塗りの運転手  「はい(通行証差し出す)」
警備員の親父さん「はいどうぞお通りください」 

すして黒塗りの車は通過して行った、親父さんの前を通過していくその時
後部座席の窓が開き窓から本田宗一郎が親父さんに会釈したとさ

権力者って権力を濫用しないものなんだね、これが奥田だったら・・・

[コピペ]いい話,[コピペ]トリビア

13:ホペータにチュウ星人◆IDZe1N1i.o :2007/10/28(日) 21:32:54

だから きみは とぶんだ どこまでも

(*・∀・)アンパンマンの作者、やなせたかしさんは若い頃、弟を特攻で亡くしてるんだお
終戦後、やなせさんが疎開先から故郷へ歩いて帰る道中、
飢餓で死にそうになったていたところを
偶然出会った同級生の親に、お芋をいただいて助かったんだお
アンパンマンという優しいヒーローにはやなせさんの思い出がたくさん詰まってるんだお

【(*・∀・)♪アンパンマンマーチ一部抜粋】

時は 早く 過ぎる 
光る 星は 消える
だから 君は 飛ぶんだ どこまでも
そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
たとえ 胸の傷が 痛んでも
ああ アンパンマン やさしい君は
行け みんなの夢 守るため