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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

16 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/05 /23(日) 11:33:18

自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。

今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。
アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。

[コピペ]泣ける

362 :名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2008/08/30(土) 11:19:23
»361
慣れていなくて間違ってしまった。

先週娘の結婚式だった。
私も娘も素直な性格じゃあないので、ろくに会話を交わすこともなく結婚前夜が過ぎた。
結婚式当日は娘を直視できなかった。
バージンロードでは体が震えた。
披露宴では泣きたくなかったので、やはり直視せずにいた。終始上の空だった。
式が終わり帰宅し、リビングのテーブルに座りボーっとしていたら妻がパソコンを持ってきた。
今日までしっかり娘を育ててきたお父さんに私からのご褒美だと言い、画面に映像が写った。
生まれたての小さな娘、カメラの前で歯がない口を大きくあけて笑う娘、
ハイハイで駆けずり回る娘、歩く娘、転んで泣く娘、
とうたん、と言う娘、
おとうさん大好きと笑う娘、私に抱き上げられぎゅっとしがみつく娘、
運動会で頑張った娘、
撮らないでとそっぽ向く娘、
カメラに気付き髪を直す娘、
映像の中で娘はどんどん成長していき、見慣れた今の娘になった。
結婚式前夜にちゃんと話をできたらいいんだけど…という言葉から始まり、
最後にお父さん本当にありがとうございました。お父さん大好きと泣きながら言ってくれた。
パソコン教室に通ってまで頑張ってくれた妻と、これまで健康に成長したくさんの思い出をくれた
娘に感謝の気持ちで一杯で涙が溢れた。
死ぬときには、このDVDと一緒に棺に入る。死んでもずっと私の宝物だ。

[コピペ]泣ける

874 :大人の名無しさん:2009/10/23(金) 17:47:49

親戚の兄ちゃんの奥さんが、3歳の娘と兄ちゃんを残して亡くなられた。
女の子はよくわかってないかのようにきょとんとしたりしてた。
通夜がひととおり落ち着いて、少しの親戚や身内だけが残っていた時、
兄ちゃんがあまりの心労からか、こてっと寝てしまった。

それを見ていた兄ちゃんの娘は、小声で「しゃーしゃん?しゃーしゃん?」
と言いながらウロウロしだした。しゃーしゃんとはお母さんのこと。
お母さんを探してるんだね…と思って泣きそうになってたら、
その子がおもむろに自分の上着を脱ぎ、寝てる兄ちゃんにそっとかけた。
そして兄ちゃんの頭を撫でながら「おしょーとがんなったねーねんねねー」と言った。

奥さんはいつもこうやってたんだろうかとか、そんなお母さんを見てたんだなとか、
こんな優しい子に育っててとか、色々一気に押し寄せて皆でボロボロ泣いてしまった。

兄ちゃんの娘はきっと良い子に育つよ。
頑張れ兄ちゃん。

[コピペ]泣ける

その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に間違いない。先生はそう思った。

2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いてる生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに間違いない。先生はその1滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから6年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です」

そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と1行、書き添えられていた。

[コピペ]泣ける

241 : 癒されたい名無しさん 投稿日: 2010/02/22(月) 00:39:30

高校生の駄文ですみません。

私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、
お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。

5月、母は病院に入院しました。
たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。

そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。
部活がなくなったので当然時間も増えました。

それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、
早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。

それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。

すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。

その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか
生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することができました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。

そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、
ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。

その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。

スパムメールにまぎれて何通も何通も。
開いてみると誕生日おめでとうとか、東北大会出場おめでとうと言ってくれているのもあれば、
ちゃんとご飯食べた?とか、父のことを手伝ってあげてねとかそんな内容のが何通もきていました。

泣きました。
泣いて、そして後悔しました。
なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。

ありがとうって言えない。

母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。

返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。

[コピペ]泣ける

317 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/05/28(水) 23:42

兄弟の中で一番仲良しだった1つ上の兄貴。
その兄貴がガンで余命1年を宣告され、病院から出れない状態だった。
母と一緒に、県外の病院に入院してる兄貴に会いに行った時。
兄貴とあたしはいっぱいいっぱいはしゃぎながら、あれこれ話した。
本当はそんなに長時間会話する体力もなかったのに。
付き添いをずっとしてた兄貴の恋人は、
「妹さんのこと、いつも自慢げに楽しそうに話してたんだよ。
こんなにいっぱい話して・・・会うの、すごく嬉しかったんだね」
そう言ってくれた。
兄貴はとても賢いひとだったので、自分の病気、余命のこと
すでに知ってて、2人きりのとき。
「自分はいなかったと思ってくれ」って言われた。

その時の震える兄貴の手を、声を、あたしは絶対忘れない。

辛い時、いつも最後の一瞬まで闘病した、尊敬する兄貴を思い出して、
自分に喝を入れてます。

[コピペ]泣ける

663 名前:おさかなくわえた名無しさん投稿日:2010/01/29(金) 10:46:23

和んだというか感謝した話。

中1の時、親の転勤でいきなりアメリカの学校に通う事になってしまった。
中1で田舎の中学でやってた英語なんで「Hello,this is pen」のレベル。
ひたすら「This is ○○」のレベル。
コミュ力はある方だと思っていたが完全にお手上げ。日本人なんて学校で自分一人。
ESLという英語が第一言語じゃない生徒の為のクラスへ入れられたんだけど、
クラスのほとんどはヒスパニック。先生も授業中はほとんどスパニッシュ。アウェー感はんぱない。ここでも友達作りに失敗。
ほかの授業も、周りは発言をどんどんして、グループワークをするっていうのに、ただ黙って小さくなってノートをとり続ける自分。ぼっちパネェ
元々が友達が多かっただけに、孤独に耐えられずに学校で腹痛を起こすこともしばしば。

そんな自分を見つけてくれたのは、サンタクロースだった。

酔っ払ったサンタクロースを想像してくれたら良い。
赤ら顔で顔中が真っ白な髭の先生。流石にサンタクロースほど髭は長くないんだけど、ビジュアル的にはそんな感じ。
太った大きな赤ら顔のおじいさんで、いつも笑ってて、いつもジョークを言う先生だった。

学校の隅で一人で弁当を食べてたある昼休み、サンタクロースがいきなりやってきて、「コニチワ」と挨拶してくれた。
びっくりしてると、「コニチワ、ワタシは○○デス。アメリカ人デス。どうぞヨロシク」と拙い日本語で挨拶してくれた。
ただびっくりした。
人気者のサンタクロースは、自分には遠くて眩しい先生だったのに、今、目の前でたどたどしく挨拶してくれた。
私も、ぼっちの寂しさで色々切羽詰ってたんだろう、驚く先生放置でぶわあああと涙流して号泣。
おどおどするサンタクロースは、私の頭を撫でたり、抱き締めたり、擦ったり、あわあわと動揺。
なんとか思い出した英語で「Thank you, Im so glad」と繰り返してた。

それから、お昼休みはサンタクロースのオフィスに行くのが習慣になった。(オフィスは個人部屋。職員室がない)
オフィスでサンタクロースは、よくホットチョコレートを出してくれた。
そして言語力が必要になる歴史にさっぱりついていけていなかった自分に補習もしてくれた。
ちょくちょく「ダイトウリョ」「ミンシュシュギ」とか日本語を挟んでくれる優しさが、また嬉しかった。
多分、事前に私が詰まりそうな単語を調べていてくれたんだと思う。歴史以外の教科でも、いつでも快く助けてくれた。

そして授業中のジョークに日本のことを色々取り入れてくれるようになった。
サンタ「NYはしょっちゅうキングコングに攻撃されてるけれど、しょっちゅうUMAに攻撃されてる国があるんだよー。どこか分かる?」
生徒「は?えーっと、・・・・やっぱりNY?」
サンタ「ちがうよ、JAPANだよ、TOKYOだよ!ゴジラだよ!」って具合に。
丁寧にゴジラの写真までプリントアウトしてきてくれたり、授業中に歴史DVDをみる時、ゴジラのPVをみせてくれたり。
そうやって日本のことを色々と話題提供してくれたお陰で、クラスのみんなが私に親しみを覚えてくれて、仲間に入れてくれるようになった。
サンタ「Helloは日本語でコニチワだよ、じゃ、○○(私)に言ってみよう、せーのっ」
生徒「コニチワー!」とか。だからみんなが私をみつけると「コニチワ(・∀・)」って声を掛けてくれるようになった。
だんだん、歴史のクラスに受け入れられていくのが分かった。そしてそのクラスメイトからの紹介でどんどん友達ができるようになった。
そして一緒にランチを過ごす友達が沢山できて、やがてサンタクロースのオフィスから足の遠のいていった私を、
サンタクロースは「ヨカッタネェ、ヨカッタネェ」って喜んでくれた。

そして卒業セレモニーで、“一番頑張った生徒”に選ばれて表彰される事になって、全シニアと保護者の前で短いスピーチをする事になった。
そんな所だったんだけど、スピーチではもちろんサンタクロースの事を話した。
自分がどれだけ不安だったか。どれだけさみしかったか。どれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたか。どれだけ感謝しているか。
サンタクロースには感謝してもしきれないし、受け入れてくれていったクラスメイトも大好きだということをスピーチした。
サンタクロースと歴史クラスの仲間達が泣いてた。自分も泣いてた。
アメリカの卒業式は沈黙で厳かで涙で・・・ってのじゃなくて、歓声あげて、バルーン持込で「WE LOVE MY ○○」とかいっぱいプレート持ってくるような派手なのに、
自分のスピーチですすり泣く人が出て、自分も写真撮られているのにずるずる汚い顔で涙や鼻水たらしながらスピーチした。
スピーチが終わると、サンタクロースが駆け寄ってきて、抱き締めてくれた。
サンタクロースにも一言どうぞって事で、サンタクロースが私の話をしてくれた。

最初、いきなり自分のクラスに英語の話せない生徒が入ってきてどうしよかと思ったとか。
どうやって授業をしていけばいいのか不安だったこと。
本当は中国人かと思ってたこと。一人ぼっちの私をとても心配していたこと。仲良くなりたかったこと。
友達ができていくのをみる事ができて、本当に嬉しかったこと。

私は、サンタクロースの、あの大きな腕や胸や抱き締められたときに胸にぶつかってくるようなお腹の大きさと暖かさを絶対に忘れないと思った。
そして彼がいたから、今はアメリカの大学にも進学できた。本当に感謝している。
感謝なんて二文字じゃ伝えられないくらい感謝している。
サンタクロースは何も言わなかったけれど、ネットで日本のことを色々調べてくれた事も、
心配してくれていたことも、一人の生徒としてとても愛してくれたことも、
私に素晴らしい青春をくれたことも、全部全部忘れない。

今でも、サンタクロースは、私のカミサマです。

長文しつれいしました。

[コピペ]泣ける

267 :名無しさん@HOME:2009/11/13(金) 10:22:29 0

うちのかーちゃんは15歳で私を産んだ。ちなみに弟は14歳年下。
とーちゃんとは結婚できる年齢を待ってから何とか結婚した。

自分が若すぎるせいで子供まで白い目で見られるのが嫌で、
育児が楽になってから勉強して大学へ行った。

私も普通以上の環境を与えてもらって、
勉強もかーちゃんが一生懸命見てくれたおかげで、成績は良かった。

かーちゃんは今は医師として元気に働いてる。
とーちゃんも自営業を楽しくやっている。弟は可愛い。

前に恋人にかーちゃんと15しか離れてないと言ったら、動揺していた。
そりゃそうだ。

初めて両親と会わせて、実家に一泊して行った後、
見送った駅の改札で恋人に頭を下げられた。

「15で子供を産むってとんでもない親なんじゃないかとずっと思ってた。
でも間違ってた。本当に失礼な思い違いをした。」

家に帰って思い切ってその話をかーちゃんにしたら、
かーちゃんも私に泣きながら謝った。

「辛い思いをさせたこともきっとあったよね。本当にごめんなさい。
でもお母さん、あなた達を産んで良かったと思ってる。」

私も号泣。
今まで自分のかーちゃんやとーちゃんより優しくて厳しい人なんていなかったから。

両親が若すぎることに関して尋ねたことはなかったけど、
かーちゃん達が一番気にしてたんだよね。

遊びたい時期もあったろうに、
自分のすべてを犠牲にして一生懸命私を育ててくれた両親を、
本当に尊敬してるし感謝してる。

もうすぐ私は件の恋人と結婚します。
かーちゃん達が結婚した年齢よりだいぶ年上だけど、
不安と期待でいっぱいです。

本当にちゃんとやっていけるんだろうかとか、
子供が産まれたらちゃんと育てられるのかとか。
でも相手も良い人だし、2人で頑張ってやっていこうと思います。

とーちゃん、かーちゃん、ありがとう。
でも、これからもまだまだあなた達の子供でいさせて下さい。

[コピペ]泣ける

29 名前:1/2 投稿日:2009/09/10(木) 20:25:39

近しい人達の死や、色々なことが短期間に重なって、嫁から表情や感情が消えた。
家事は完璧だけど、笑わないし泣きもしない。
話しかけても、ポツリポツリと返すだけ。
元々顔立ちの整ってた嫁だけど、よく研がれた刃物みたいな綺麗さに変わってた。

そんな嫁に、毎日毎日いっぱい話しかけた。朝も夜も。
だけど、テレビ見てもDVD見ても俺が料理しても無反応。本当人形みたい。
先日、仕事から帰って落ち着いてから、また嫁に話しかけてた。
でもやっぱり無表情で、なのにまっすぐに見つめてきて。
なんか急に悲しくなって、泣くの禁止してたのに嫁の前で泣いてしまった。
言葉も途切れ途切れになって泣いてる俺を、嫁はじっと見てた。
で、そのまま、スッと立っておそらく寝室に行った。
無表情になる前の嫁とのあまりの違いにまた泣けて、結局その日はソファーで寝た。

次の日仕事から帰っても、嫁はやっぱり無表情のままだった。
風呂入ってご飯食べて、テレビつけようとしたけどリモコンなくて、
嫁に聞いたらまた俺をじっと見てきた。
そして本当久々に嫁から口を開いた。

30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/10(木) 20:45:45

嫁「テレビ、見ないで。」
どうしたんだと思って嫁を見てたら、さらに嫁が喋った。

「いつも、ごめんなさい。
聞こえてる、ありがとう。
声が、安心、する。
なのに、返せなく、ごめんなさい。
ありがとう。もう、苦しませない。」

変わらず嫁は無表情なんだけど、鼻の頭を真っ赤にしてポロポロ泣いてて。
どういったらいいかわからないけど、気持ちがすごく溢れた。
抱き締めた嫁体はすごく細くて、もう折っちゃいそうなくらいで泣けたよ。

それから嫁は、ちょっとずつ回復してきて、今はぎこちなくだけど少し笑う。
ずっと、嫁は無表情なだけだと思ってたけど、嫁はちゃんと表情だしてたよ。
テレビをみないで嫁をじっくり見るようになってからやっと気付いた。
目元だとか口元だとかに、ごく僅かにだけどちょっと出てた。
これからももっと嫁を見つめるぞ。キモいけど、嫁の表情に誰より気付く夫であるんだ。

嫁が喋った日なくなってたリモコンは、嫁がかばんの中に隠してた。
今でも、嫁はたまにリモコン隠す。
そんな時は二人で見つめ合って、ゆっくり過ごすんだ。

[コピペ]泣ける

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 20:11:49
今日は特別な日でも何でも無いんだけど・・・
気持ち伝えて来るかな。。。
すげえ緊張してきた。。。

104 :98:2009/07/01(水) 21:31:26
ヌルヌル?w

言ってきた。

俺35歳
嫁35歳

嫁上に上がって来た。

俺「お疲れ様」肩もみ

嫁「うむ、ご苦労w」

俺「あのさ、その・・・俺、一生懸命がんばるよ」

俺さ、鬱病らしいのよ、勤務先が潰れて就職活動が上手く行かなくて・・・

嫁が一生懸命支えてくれたんだけど、明らかにおかしくなって病院連れてかれたら
そう診断された。。。嫁にすごい迷惑かけてんの、情けね~

嫁「おう、期待してんぞ」

俺「愛してるお前の為に本当にがんばる」

嫁「本当だぞぉw」

ちょっと頬を膨らませる。かわいい、この笑顔に惚れたんだw

俺「ああ、約束する、まだ全然、お前を幸せにしてないから」

嫁「幸せよ?w、でも二人でがんばろうw、もっと幸せにしてねw」

俺「うんw」

期待するほどのドラマも無いけど、こんな感じ。
俺、情けねえし恥ずかしいけどこのスレのおかげで嫁に
素直に感謝の気持ちを伝えることができた。
病気なんぞにもう負けない、みんなありがとう。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 21:44:34
これはこれでいい
GJ!

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 22:17:44
>>104
よーし よくやった!

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 22:31:03
>>104
いいぞ、いいぞ。
次は同じようなシチュエーションで「愛してる」と言うんだぞ。

110 :98:2009/07/01(水) 22:52:05
>>106>>108>>109
ありがとうw

嫁がなかなか風呂から出てこないから、覗いて見たら泣いてたよ。
「うれしかった」って。
愛してるも、俺が前向きになったのも。

俺さ、何回嫁を陰で泣かしてきたんだろう。
二人でちょっと泣いた。

本当に嫁と結婚して良かった、こんな事でもう負けてられない。
みんな本当にありがとう。
ではROMに戻ります。
既男のみんなに幸あれ。