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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

329 名前: 彼氏いない歴774年 投稿日: 2009/12/03(木) 01:23:23

私はお母さんのお腹にいる時誤診なのか男の子だと診断されてた
父親は長男、お姉さんいるけど「跡継ぎなら」と思ったらしい
私が産まれてすぐ、みんな「なんだ女かよ」と父親も祖母も親戚も白けて帰ったらしい

そんな中、おじいちゃんだけが新生児室にずっと張りついていて
お母さんに労いの言葉を涙ながらにかけてくれたらしい

おじいちゃんは私に凄く素敵な名前をくれた
同じ漢字の名前の人はあまり見た事ない

おじいちゃんは小さな頃、両親が他界し
小学校もまともに出てないと苦笑しながら話してくれた
だけど、人の悪口は何もならないとか人の悪いとこ見つけるより
人の良いとこを見つけた方がお互いに幸せだとか、笑顔の大切さ
人間として大切な事は全部おじいちゃんから学んだ

おじいちゃんはいつもニコニコしていて、私の為に電車の車掌を独断で辞め
少しでも私と時間を過ごしたいと個人タクシーの運転手さんになった

保育園はおじいちゃんのタクシーで送り迎え
ご飯はおじいちゃんの膝にいつも乗ってた
自分はあまり食べず、雛鳥みたいに私にご飯を食べさせてくれた
ご飯より私の幸せそうな顔が何よりのご馳走だと

私が家出した時も、ただずっと向かい合ってニコニコしてた
罪悪感に耐え切れず私が謝ると抱き締めて頭を撫でながら
「お利口さんだから何も言わなくても(私)はわかってると思った。
よしよし…疲れてたんやな。おじいちゃんはいつでも(私)が世界一大事や」
と、言ってくれた

私は辛い事が沢山あった
でもおじいちゃんの孫として産まれた事で一生分の幸せを使ったとしても後悔はない

私が何かあるとすぐに車を飛ばして迎えに来てくれた
そしていつもおじいちゃんの家にお泊まりした
おじいちゃんは寝相の悪い私をほとんど眠らず包み込むように抱っこしてくれた
私が寝相悪いとずっと「大丈夫大丈夫」と一晩中背中をさすってくれた

私の理想の男性はおじいちゃん
私が世界一愛してるのはおじいちゃん
尊敬出来るのもおじいちゃん

辛い事は沢山あった
でも私はおじいちゃんの自慢の孫として誇りを持ってる

おじいちゃんと一緒に入れたのは、たった10年
本当に幸せだった

おじいちゃん本当にありがとう

[コピペ]泣ける

87 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2009/12/02(水) 08:49:11

ことしこどもがうまれた。
まつげのながい、かわいいおんなのこ。
だんなやだんなのしんせき、ぎりのりょうしんたち、
おじいちゃん。みんなとってもよろこんだ。

はつまご&はつひまごふぃーばーであいどるじょうたいのわがこだけど、
ひとたびいえにかえればあいどるでもなんでもない、ふつうのあかちゃん。
だけど、とってもかわいい。

わたしはにさいのころにおやがりこんした。
ははおやはしんけんをとったものの、そだてられるわけもなく
じぶんのりょうしんにわたしをまるなげ。

それからようちえんにはいるまで、ははおやはあらわれなかった。
そふぼはやさしくきびしくそだててくれ、なんとかいまのわたしがある。

しばらくしてははおやにひきとられ、ぎゃくたいのまいにち。
からだもこころもきずだらけ。

にげるようにとおいだいがくへいき、しゅうしょくし、いまのだんなとであった。
けっこんするきなんてさらさらなかったし、あいてにもそれをりょうしょうずみだった。

あるひ、せいりがこなくてびょういんにいったらにかげつ。
ひにんはきっちりしていたのに、とおもいつつだんなにはなしたら、わざとひにんさなかったらしい。

それからわたしのははおや、いままでのこと、ぜんぶはなして「けっこんはむり」とつげた。
それでもだんなはゆずらなかった。

うちのははおやのどくおやぐあいをじっさいにたいけんさせたが、だんなのいしはかたい。
だんなのりょうしんにも はくとこはいて、とうぜんはんたいされるとおもったのに、
ぎゃくにようじょにされた。

うよきょくせつあり、こどもがうまれ、
たまにははおやとおなじことをしてしまうんじゃ、とおもうことがある。

だけど、かこをおもいたすたび「あんなこと、わがこにできるわけがない」ともおもう。
いずれからだにのこるきずあとをきかれるだろうけど、うまくごまかそうとおもっている。

きょうもうちのこは おばあちゃんにあそんでもらって、きゃっきゃっとよろこんでいる。
わたしのおかあさんはいま、このひとだ。

[コピペ]泣ける

121 名前:無情男 投稿日:2008/12/02(火) 15:33:08

東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、
東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしく
ボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、
俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと
喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

[コピペ]泣ける

902 :ほんわか名無しさん :2007/01/21(日) 01:13:15
かなりの長文で読みにくいと思うがすまん。

俺が消防の時、学校から帰ると二軒隣にあるばあちゃん(父方)とこに毎日のように遊びに行ってた。
連れと一緒にわらわら行くとばあちゃんはニコニコしながら「おやつあるから手ぇ洗ってきんさい。皆で仲良く食べるんよ」っておやつをふるまってくれ

たんだよね。
連れからは優しいばあちゃんだと羨ましがられてすげー嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
けど、例に漏れず反抗期に入った俺は高校にも行かず、毎日のように連れと深夜まで遊び歩くようになっていった。
当然ながら親父とは顔を合わせれば怒鳴りあいのケンカ、時には手が出ることもあったな。
その度にケンカの声を聞きつけたばあちゃんが家にきては泣きそうな顔で「○○ちゃん、ケンカはあかんよ」って言うんだよ。
俺は「うっさいわ!」なんて怒鳴り付けてた。
ばあちゃんがぼろぼろ涙を流しながら家を出ていこうとする俺の後ろで「○○を堪忍したって」と親父に言って頭を下げていた。

俺はそんなばあちゃんの背中を見ても疎ましいとしか思わなくて、徐々に連れの家を泊まり歩くようになってた。
家に寄りつくこともなくなった。
悪い先輩から教えてもらった悪さして毎日遊び歩く日々。
あの時の俺はホントにクズの極みだったね。
そんな生活を18になるまで続けてたけど、その頃から悪仲間だった連れ達が口々に就職するって言い出したんだ。
「もう好き勝手出来る年じゃねぇからな」なんて言ってさ。
その日泊まってた連れの家を出て、俺は公園で一人ボーッとしてた。
金も食うものも寝るとこもない。
かと言って今さら家に帰ることもできない。
途方にくれてた俺は、ふとばあちゃんのことを思い出したんだ。
ばあちゃんなら怒らないだろうって。
情けないことに飯とその日の宿、あわよくば小遣いを貰えることを期待して。
そっからチャリ飛ばしてあっという間にばあちゃん家の前。
玄関に手をかけると鍵がかかってたから裏口へまわった。
裏口の鍵はいつも開けっぱなしだったから。
ドアを開けて中を見回して、俺は初めて違和感があることに気が付いた。
整然と片付いた室内。
まるで、長い間留守にしている部屋のような。

ばあちゃん、と呼んでも返事はない。
俺は急に言い様のない不安に襲われて実家へと走った。
少し前まで「帰れねぇよ」とか思ってたことなんて吹っ飛んでた。
親父はいきなり部屋に飛び込んできた俺を見て驚いてたよ。
当然だよな。
母さんは怒りながら泣き出すし、兄貴にはバカ野郎、と思い切り殴られた。
俺は殴られて口から血を流しながらばあちゃんは、って兄貴に聞いた。
そしたら親父が眉間にシワ寄せてさ、言うのよ。
「そこにいるだろう」って。
親父が指差した先には、四角く黒い写真立ての中で昔のように優しい笑みを浮かべてるばあちゃんがいてさ。
遺影だった。
俺は呆然としたね。
嘘だろって。
まさかって。
だって俺はばあちゃんに小遣いをねだりに帰ってきたのに。
ばあちゃんが死んでるかもなんて、そんなの頭を掠めもしなかったのに。
「ばあちゃん、一週間前に死んだんだ。お前のことを最期まで気にしてた」
親父が言った。
俺が家を飛び出してから、毎日毎日俺が帰ってきたかと実家にきてたって。
一週間前、俺の家からの帰り道、心筋梗塞を起こしてそのまま帰らぬ人となったって。

なんかね、もうホント、頭の中が真っ白で声なんか出なかった。
そしたら親父が「もういいだろう。帰ってきなさい」なんて言い出すの。
父さんが悪かった、って。
そんでばあちゃんの遺影の裏から茶封筒を三つだしてきて俺に差し出すんだ。
俺は黙って受け取って、中身を見て、家を出てからの一年半を激しく後悔したよ。
封筒の中身はばあちゃんから俺に宛てた三通の手紙。
18才、20才、結婚した時の俺に宛てたもの。
「○○ちゃん、18才ですね。
今はおうちに帰っていますか。
ばあちゃんは○○ちゃんの帰りをとても待っていました。
おやつを用意していますからまたばあちゃんの家に遊びにきなさいね。」
「○○ちゃん、20才おめでとう。
もう立派な大人ですね。
お仕事が大変でしょうが体を壊さないよう頑張ってくださいね。
ばあちゃんも頑張ります。」

「○○へ。
○○がお嫁さんを見つけてくれてとても嬉しいです。
もしかしたらばあちゃんはもう生きていないかもしれませんが、ちゃんと○○とお嫁さんを見にきます。
○○は優しい、いい子ですからお嫁さんもいい人だと思います。
幸せになってくださいね。」

俺は馬鹿みたいに泣きまくった。
手紙を強く握りしめながら激しく泣きじゃくった。
もう二度と会えないばあちゃん。
ばあちゃんはいつだって俺の味方だった。
そんなばあちゃんに酷い言葉を浴びせて、自分一人でここまででかくなったような勘違いして思い上がっててさ。
そのばあちゃんの優しさと愛情を無下にし続けた自分の愚かさに今さら気付いたんだ。
同時に親父、お袋、兄貴にも申し訳なくて申し訳なくて、俺は何度も何度も土下座して謝った。

それから俺は先輩達とは縁を切り、小さな企業に何とか就職した。
ばあちゃんの知り合いが社長さんで、常々「孫を頼む」と頼まれていたと。
そこで今の嫁さんと出会って結婚、再来月には子供も産まれる。
せめてばあちゃんに嫁さんの顔を見せてやりたかったとつくづく思うよ。
お前らも家族やじいちゃん、ばあちゃんには出来る内に孝行してやってくれ。
俺もこれからは自分の家族と新しい家族を大切にしてばあちゃんにしっかり顔向けできるよう生きてくからさ。

長文スマン。
すっきりした…。

[コピペ]泣ける

251 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2009/01/31(土) 05:40:06

昨日、朝一番で4歳の娘を保育園に預けた。
いつもならチラホラ園児が居てって感じだったのだけど
一番だったので誰も(先生意外)いなかった。

先生は朝、廊下をモップで掃除する。
「お預かりしまーす」と言った後、子供を教室に入れて
そのまま放置。で、モップがけを始めた。

ま、4歳だし保育園通い始めて4年目だから子供も慣れてるっちゃ慣れてるから
自分で上着脱いでハンガーにかけてって出来るけど
昨日は、教室の入り口でハンガー持ったまま
私が車に乗り込んで園の駐車場から出るまでずっと見てた。

背伸びして見えなくなるまで見送ってた。
バックミラー越しに見えたし振り返ったらまだいた。
切なかった。涙が出そうになった。

娘。がんばってくれ。

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109 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/09(土) 22:44:51.72 ID:HQ3Y04ZC0

ここ数ヶ月いろんな意味で忙しかった。
25で自営をはじめて10年ちょいやってきた店をたたんだ。
利益が出ず、嫁の収入が主な生活費になっていて、いつやめるかのタイミングをみていただけだったからな。
そんな俺を嫁は「13年間お疲れ様でした」と優しく迎えてくれた。
最後の2年くらいは全然仕事にならず、イライラして嫁に当り散らしたこともあった。
でも、そんな時でも嫁は俺のストレスのはけ口になってくれて、夜には抱きしめて眠ってくれた。
一時、共同経営してたやつに騙されて借金を負わされたとき、死のうと思ったこともあった。
色んなものが残ってたら嫁が俺を思い出してつらいだろうと思って、写真や身の回りモノを処分してた。
すると、嫁がそれに気づいてこういった。

「もし、本気で死ぬんなら私も一緒に連れてって。その代わり一週間だけ時間を頂戴。
私も身の回りを整理してから死にたいから」
結局、その一週間の間に嫁と何度も話し合い、二人で乗り越えていこうと決心した。
あの時、嫁が気づいてくれなかったら、一週間待ってといわなかったら、俺は今ごろ死んでただろうな。
何度も泣きながら嫁と話し合ったのも、今じゃいい思い出だ。
この年で手に職もなく無職になったから、これから大変だろうけど、俺には嫁が残ってるから。
一番大切なものが残ってる以上、頑張っていこうと思う。

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839 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/05(土) 19:00:16

父親が借金を残したまま失踪。母兄俺妹の4人で生活してた。
母は夜まで仕事で帰らないし毎日の様に借金取りが来るから
3人でいつも押し入れに隠れてたなぁ。
ある日、学校から帰ると入り口に偉そうなオジサン&借金取りが居て、
顔を知られてた俺は逃げようとしたけど捕まえられた。
殴られるのかと思ったら、そのオジサンが兄弟はどうした?
飯食ってるのか?と
今まで見たこと無い位のハムや野菜とかの食材と何故か
子供服をくれた。夜になって母親が帰ってきた。
何故か手には駄菓子やたくさんの食材が。そう、
ついに母は約5年かかって完済したのだった。
これからはたくさん食べようね、いっぱい遊びに行こうねと
母が初めて俺たちの前で泣いた。俺達も何も言えずにただ泣いた。
そして中学に入った頃、父親が現れた。金をせびりに。
帰ってきた兄は激怒し父親をボコボコに殴った。
泣きながら。騒ぎを聞いた近所の人が通報し警察が来て
母と兄が連れて行かれた。俺と妹は部屋で待ってた。
妹は部屋の隅で何かを泣きながら作ってた。
2人が帰ってくると妹は母俺兄と自分に作った
メダルを首にかけた。メダルには、『みんななかよし』と
書かれていた。4人何も言わずに泣いた。
残業して帰ってきて自分の子供が作ったであろう
黄色い首からかけるメダルを見て思い出したので
書いてみた。”

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489 :彼氏いない歴774年:2008/05/02(金) 17:29:32

先に言っておく。長いよ。

私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど
忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。

新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。

ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。

意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら
「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに
娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが
置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、
「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。

最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
夜、娘さんに電話してその日のことを話したら娘も新郎も号泣。私も号泣w
数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。

…長いな。ごめん。で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、
ブーケトスで娘がブーケを投げない。
??? なにこっち向いてきょろきょろしてるの?と思ってたら娘、すたすたと歩いてきて
私に手渡しでブーケをくれたの。まわりの人たちは拍手。
どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや私のことを参列者に話してたみたい。

もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。
今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。
正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか自分のやってることは正しいのか?とか
考えてしまうこともあったんだけど、
たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや。もうそれだけでいい。

今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。
赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで。

[コピペ]泣ける

190 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:13

良い父親とは何でしょうか。

休みの日には遊びに連れて行ってくれる父親でしょうか。
優しい父親でしょうか。
よく話を聞いてくれる父親でしょうか。

私は父に誉められた記憶は多くありません。
「よし」と一言言ってもらうのが最高の報酬でした。
一緒に遊んだ記憶も多くはありません。
父はいつも大きく、無口で、岩のようでした。

父が若くして死んだとき、私は初めて、父の偉大さを知りました。

駆けつけてくれた人の数。
泣きながら棺を叩き、俺より先に死ぬとは何事か、と怒鳴った人。
まだ恩を返していないのに、と泣き崩れた人。
通夜の後、棺の上にコップを置いて、いつものように父に話し掛け、酒を酌み交わす父の友人達。
8回忌を迎えた日、呼んだわけでもないのに集まってきた多くの人達。

191 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:14

父は骨髄癌の激痛の中、死のわずか10分前に私を呼んで言いました。

母を守れ。弟を守れ。妹を守れ。祖父を守れ。祖母を守れ。
男は、誰かを守って死 ね。俺のような死に方はするな。
俺が死んでも泣かなくていい。
人が死ぬとはどういうことか、よく見ておけ。

そして母に、かすれる声で言いました。

皆によろしく伝えてくれ。悪いな、俺はここまでだ。

最後の言葉でした。

主治医の先生が心臓マッサージをしてくれましたが、蘇生はしませんでした。
最後は母が、先生を止めました。
主人を楽にしてやってください、と。
私はただ圧倒され、何も言えず、何も出来ず、涙を流すだけでした。

私は今月、父親になりました。

[コピペ]泣ける

581 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/08(月) 01:35:57

この前昔からの友人の娘の結婚式に出席した
私と友人は高校からの友達で、かれこれ30年以上の付き合いで、その娘の事も知っている。
その子の結婚式という事で電話が来て出席することにした。
しかしその子、本当は友人の娘ではなく、友人が20歳の時に生まれた妹だ。
なぜ妹を娘としていたのかというと、友人が21歳の時に両親が事故で他界、家族は兄妹二人となり、
親のいない家族として育てるよりも、片親ではあるが父親のいる家族として育てたほうが妹のためにもなるのではと、彼なりに判断したからである。
当時そのことで友人から相談された時は私はすごく反対した。
確かに妹のことを考えればそれがよいのかもしれないが、お前自身はどうなるのか?
21才やそこらで子供一人、しかも片親として育てる事は幾らなんでも無理がありすぎる。
母親のことを尋ねられたらどう答えるのか?そもそも戸籍を見られた際気がつく。
祖父の元で育ててもらったほうが良いのではないか?
それに友人自身の将来の結婚などのこともどうするのか?
それらの事を友人に尋ねると、友人は父親母親方の祖父はすでに病気で他界、親戚に預けるのも嫌、
それ以前に自身、両親の他界しつらい時妹の笑顔に救われた、この子が無事育ってくれるのならば
自分の幸せは二の次でも構わない。
そういわれたら私自身何も言い返せず、ただ
「つらい道なのかもしれないが、頑張れ」
としか言えなかった。
それから友人は一家事と仕事、妹の育児とで一生懸命だった。
私も何か手伝えることはないか?と時折聞いてはみたものの、酒に付き合い話を聞くぐらいしか出来ることは何もなかった。
私の知る限りその子が友人が父親ではなく兄という事を知っている様子はなく
又友人からそのような話を聞いた事もなかったので、うまくいっているのであろうと思っていた。
式も順調に新郎の会社の方、友人のスピーチなどすべてが順調に進んでいた。
そして新婦が友人に手紙を読み始めた。良くある内容の父への手紙である。
「お父さん今まで本当にありがとう」
そう言って娘さんは泣いていた。泣きじゃくっていた。
しかしそこで事態は変わった。娘が一向に続きを読まないのである。
そして首を横に振りながら何か訴えてる。何が起こったのかわからず周りはざわつきだした。

583 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/06/08(月) 01:37:11

次の瞬間彼女の口からお兄ちゃんという言葉が出てきた。
私は口から心臓が飛び出るかと思った。きっと友人もそうに違いない、なにせ顔色が一瞬にして変わっていた。

彼女はすべて知っていたようである。何でも高校生の時、書斎を整理している際に偶然友人の日記を見つけ読んだようで
その時自分が娘ではなく妹である事を知ったようである。

彼女は言葉にならないぐらい、泣きながら友人に感謝の言葉を言っていた。
そしてそれと同時に謝罪もしていた。自分のせいで兄の人生を狂わせてしまった。
本当にごめんなさいと何度も謝っていた。

友人は「それは違う。俺の人生はつまらない物じゃない。お前がこんなに大きく育ってくれた。それだけで俺には十分だ」
そういっていた。俺も自分のことではないのにもかかわらず涙が流れていた。

そうして周りから拍手が送られ何事もなかったかのように式は進んでいき、結婚式は終わった。
私は友人とその後居酒屋へ行き酒を飲みながら話をした。
話をしながら友人は妹のことを思い出しながら涙を流していた。
私はその時友人におつかれさまと言ってやった。
友人は笑いながら、いえいえと言い泣いてた。
そんなこんなな話。友人が今一番楽しみにしているのは孫が生まれることらしい。