親父の手料理
どうしても誰かに聞いてもらいたくてしかたがなかったんだが、聞いてくれる人もいないからここに吐き出してしまった。こんな話を期待している人ばかりではないことを承知していながら身勝手にも投稿してしまったことを許して欲しい。
昨日の帰りに妖化堂によって買い物をした。仕事がきつかった日は、妖化堂で惣菜を買って晩飯を済ませることにしている。
うちには男の子がふたりいる。妻は下の子を産むときに逝ってしまった。今年で六つになる下の子は、大切な幼少期を片親で育てられてしまったせいか、ずいぶんわがままが多くなってしまった。育児休暇(実はそんな制度は勤め先にはないんだが、事情を汲んだ上役が人事にかけあってくれた)をとって、まったく慣れない家のしごとをこなすときは、どうにか妻のいない分もしっかりやらなきゃいけないと思っていろいろ努力はしてみたんだが、やっぱりどこか足りない部分があったんだろうな。妖化堂で惣菜選んでるときも、時々脱力感に襲われるんだよ。ああ、ちょっと仕事で疲れたからって、手料理もつくってやらないなんて、おれはひどい親だな、って。
ふと、「夏野菜の揚げ浸し」の涼しげな色合いが目に付いた。死んだカミさんはよく揚げ浸しを作ってくれて、おれはそれが大好きだった。昇進が決まったときも、念願の資格試験に通ったときも作ってくれて、おれと上の息子がパクつくのをにこにこ眺めてくれてたっけ。薄味でさっぱりしたあの味が懐かしく思い出されて、おれはうっかりそれをカゴに入れてしまった。
帰って白い飯と簡単な具の味噌汁だけつくり、惣菜を皿にうつして、子供たちをリビングに呼んだ。
揚げ浸しは作り置きの惣菜にしては思いのほか旨かった。ところが、食べ初めてすぐに下の子がぐずりだした。「ぼく茄子きらいなのに…」
おれはほんとうにうっかりしていた。この子は嫌いなものを出すととことん嫌がって食事するのを投げ出してしまうのだ。
この子がまだ保育園に上がりたてのころ、おれは子育てに神経質になりすぎて、かえって失敗してしまったことがある。ピーマンを食べたがらないこの子のために、料理の本でピーマンの肉詰めを勉強して、自分の弁当のおかずとして試作しながら、食べてもらえるような出来についに仕上げたのだが、それでもその肉詰めを息子は食べてくれなかった。前日寝不足だったのも手伝って、そのとき俺は息子をひどく叱り付けてしまった。その時以来、下の子は嫌いな食べ物を徹底して拒絶するようになり、おれは下の子を叱れなくなってしまったのだった。
「おいしいよ。食べてみてごらん」
おれはつとめて優しく言ったのだが、
「やだ!こんなのいらない!」
と言って、下の息子は揚げ浸しの盛られた小鉢をひっくり返してしまった。おれは胸がしめつけられて、何も言えなくなってしまった。
実母や義母の申し出もはねつけて、自力で子育てをしたいと言い出したのはおれだ。そうすることが、献身的に家庭を支え、命を懸けて小さい命を遺してくれた妻に対するおれなりの責任の取り方だと思ったからだ。
だけど、本当だろうか?おれは責任を取りたかったんじゃなくて、自分の面目を保ちたいだけだったんじゃないのか? 現に目の前で子供を泣かせているおれは、子供のしつけもできないおれは、家庭を明るくたもてないおれは、父親失格じゃないか…!
パシン、という乾いた音がして、おれは我にかえった。視線をうつすと、目をうっすら赤くした上の息子が、下の息子の頬をひっぱたいて、テーブルに散乱した茄子やらかぼちゃやらを拾い集めているところだった。
しゃくりあげそうになるのをこらえながら、上の息子が言う。
「こんなことするなよ。父さんが働いた金で食えるメシなんだぞ」
中学校の野球部でキャプテンをしている上の息子は、親のおれが言うのもなんだがしっかり者で、泣いているところなんか赤ん坊のころ以来見せたことがない。
「これはおれの好物なんだ。我慢してひとつ食ってみろよ」
自分の小鉢を下の子の前に置いて、上の息子は精一杯作り笑いして見せた。普段兄と喧嘩など滅多にしない下の子は、しばらく呆然としていたが、やがて箸をとると、ひかえめな大きさの揚げ茄子をひとつつかんで口に運び、もそもそと咀嚼しはじめた。
ごくり、と飲み込んだあと、下の子が不思議そうな顔をして上の子に尋ねた。
「これ茄子? 茄子じゃない?」
すると上の子は、弟の頭をわっしわっしと撫で回し、
「いいや、これは茄子だよ。えらいな、食べられたじゃんか。えらいぞ」
それに下の子、にっこりと答えた。
「これならたべられるな」
胸につかえていたものが急にとれた気がして、おれは思わず脱力してしまった。肩の荷がおりた、というにはまだはやいかもしれないが、少なくともその時「救われたな」、と感じた。
もちろん、買った惣菜の具を息子が食ったからと言って、それでよかった、などと思ってはいけない。妻が作った揚げ浸しなら、きっと下の子だってうまいうまいと食ったにちがいない。母親の味を知らずに生きていく不憫な子供のためにも、おれはくさらずに頑張っていかなきゃならない。
さしあたって、今度はおれの手料理で、茄子のおいしさを教えてあげられたら、と思う。さっそく今日の晩から練習だ。市民プールに行くのだという息子二人に朝食を摂らせてから、仕事に出かけてこようと思う。
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