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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]ほのぼの

98:おさかなくわえた名無しさん:2010/11/02(火) 18:58:22

剣道六段、空手五段、学生時代に柔道で全国大会出場経験あり、ボクシングC級ライセンスを取った事もあり、「趣味は修行」とか言う父(職業は銀行員)。
そんな父に、旦那(当時彼氏)が私との結婚を申し込みにきた時のこと。

父「・・・君は格闘技の経験はあるか?」
旦那「空手で県大会に出た事があります、中学生の時ですけど」
父「空手か。俺は五段だが、俺に勝てるか?」
旦那「ええぇ、えっと・・・」
父「宜しい。母さん、和室片付けてくれ」

母「アンタ何考えてんの!!」
父「俺に勝つ男にしか俺の娘はやらん!」

どこの格闘技漫画かと思った。父は結局、母に

「バカな事言わないの!」

と一喝されて(´・ω・`)ってなってた。
書道八段の母に頭の上がらない父に萌えた。

ちなみに父と旦那、今はよく取っ組み合いしてる。
昨日和室の花瓶倒して、二人して母に正座させられていた。

[コピペ]トリビア

高熱が出た時などによく、「ポカリを飲みなさい」って言われます。水だったりお湯だったり人によって色々信仰はあるようですが、そのスポーツドリンクよりも、水よりも吸収力が凄い魔法の水のレシピが存在したようです。

詳細は以下より

[コピペ]いい話

※画像は本文とは一切関係ありません

あるナースの手記です。素晴らしいので紹介したいと思います。

植物状態の人と、今日も会う。
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
家族は全てを病院に任せた。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
かえって人間の尊厳を奪い~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
 私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
人間なんて、どう生きたって、人間らしくしかならないわけで。
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。
植物状態の人と、今日も会う。
明日も明後日も、やっぱり会いたいと思っている。

[コピペ]トリビア

ダイエットの敵であるところの炭水化物。旨いものは大抵炭水化物でできてますよね!
というわけで、低炭水化物ダイエットという正気の沙汰とは思えないダイエット法を紹介したいとおもいます(遠い目

詳細は、以下より

[コピペ]いい話

973: 本当にあった怖い名無し:2009/05/20(水) 14:08:10

昔の話だが、近所に、ダンナさんに先立たれて
独り暮らしの婆ちゃんが居た。室内で柴犬を飼っていた。
嫁いだ娘さんや孫たちが、しょっ中様子見に来ていたから
そう寂しくは無かったとは思うが、
ちょい心臓を患っていて、親族には心配の種だったようだ。

ある日、婆ちゃんの柴犬が、窓ガラスに体当たりして
血塗れで道に走り出し、偉い勢いで吠えつつ
近所中を駆け巡ったそうだ。

近所の人は驚き、婆ちゃんに何か?と思って駆け付けてみると
案の定,婆ちゃん心臓発作起こして、台所で苦しみ悶えていた。
即救急車。入院。手術。
その間、当時まだ若かった俺の爺ちゃんが柴犬を預かっていた関係で
この話は何度も聞かされたのだ。

婆ちゃん目出たく退院し、数年。柴犬もすっかり年を取ったある日
婆ちゃんちの雨戸が、昼になっても開かない事を心配して
隣家のおばさんが、婆ちゃんの娘さんに連絡。

娘さんが駆けつけ、俺の爺ちゃんら、近所の人も一緒に家に入ってみると
婆ちゃんは寝床で既に冷たくなっていた。
苦しんだ痕は無く、死に顔は安らかだったと言う。
眠ってる間に心臓が止まってしまったのだろう、との事だった。
枕元では、柴犬が、婆ちゃんに顔を寄せて冷たくなっていた。

愛犬が主人と共に逝く話は,割と良く聞くが、
あいつらは自分の死をコントロールできるのか?
柴犬は年老いていたが、大事にされていて栄養状態も良かったから
まだまだ元気だったはずだと、俺の爺ちゃんは言っていた。

それが、人間みたいに首吊ったりとかではなく
蝋燭の火を吹き消すように、自分の命を終える事ができるのか?
それが、なんとも不思議だな。

[コピペ]これはひどい

909:恋人は名無しさん:2012/08/07(火) 08:08:09ID:vpOFI1Q3O

彼とは遠距離5年目。
仕事の休みをやりくりして、彼の案内で観光などをしながら数日間を一緒に過ごす予定にしていた。
駅まで彼が車で迎えにきてくれて目的地に行くドライブの途中、たまたま彼の地元の郊外の大型書店に立ち寄った時のこと。
『おー、A君。久しぶり!』と彼に声をかけてきた男性は、高校のときの同級生のようで、他にも数人の男女がいた。
『そっちの女性は? もしかして彼女? 奥さん?』と尋ねられ、彼の返事は、

『親戚の叔母さん』…。

確かに自分が10歳年上だし、普段は何も言わないけれど負い目もあり、場の雰囲気を壊すのも悪くて、ついつい、
『いつもA君がお世話になっております』的な挨拶を、ニコニコしながら返してしまった。
そのあと、彼は友達に食事とカラオケに誘われ、『叔母さんを親戚の家まで送る途中だから』と最初は断ったのだけれど、
海外に住んでいるB子さんも来るんだという話を聞いたら、途端に歯切れが悪くなった。
彼と部活のマネージャーだったB子さんとはいい雰囲気だったけど、親の仕事で海外に行くことになり泣く泣くみたいな話を、同級生たちから聞かされて、
お前がきたらB子ちゃん凄く喜ぶ、いい思い出を作ってあげよう、叔母さんからもこいつに言ってやってくださいなどと言われ、
結局『私のことは気にしなくていいから、お友達と楽しんできたら?』と言ってしまった。
内心まさかとは思ったが、彼は拝むしぐさをしつつ、友人たちと車で行ってしまい、私は見知らぬ土地に一人で残された。
一時間くらい書店で待ってみたけど、彼からメールも何もなく、結局店員さんにバス停の場所を教えてもらい、街中から更にタクシーで最寄りの駅まで。
彼からメールがきたのはさらに三時間後。

『今どこ? こっちまだ盛り上がってて抜けられない』
『東京に戻る新幹線の中』

とだけ返したら、それっきり音沙汰なし。

三日間待ってみたけど、彼からは電話もメールもなく、
今回の対応には正直傷ついたけど、本音が透けて見えて良かった。今までありがとうということを短く書いて、メールして、アドレスと電話番号を変えた。
仕事終わって帰ると、目玉が溶けるほど泣いてる。
早く忘れよう。

[コピペ]ほのぼの

137:愛と死の名無しさん :2011/09/15(木) 10:19:05

母が5回の結婚と離婚をしてるため、私には5人の父がいる
実の父は、私がおなかにいるときに女と出て行ったらしく記憶にないけど
2番目の父からは、私のことを可愛がってくれた
離婚理由はすべて母の浮気と借金だったけれど
「俺も○○(私)の父親だ!」と4人とも言ってくれて
大学の学費も4分の1ずつ出してくれた
4人がなぜか仲良くなって私もふくめ5人で食事もよくしていた

で、私の結婚式
バージンロードを誰と歩くかで本当に悩んだ
悩みに悩んで、5メートルずつ一人一人と歩き、最後の2メートルくらいは5人で歩き
4人の新婦父が新郎に娘を託すというパッと見わけわからない式になった

父たちは一人泣き出したらもう止まらず、一人につき5分ぐらい時間がかかった
新郎親族は呆気にとられていたけど、私の親族の複数の祖父母はもらい泣きしていた

そんな式に呼ばれなかった母の不幸

145:愛と死の名無しさん:2011/09/15(木) 12:29:49

母はまた男ができたようです
男を見る目だけはありますが、女としては見習いたくないです

花束贈呈は一人一人にしましたが、これまた時間かかりました。
それぞれ一緒にいた時期が違うので「よちよち歩きだったお前が。。。」
「ランドセル背負ってたお前が。。。」とか
それぞれ泣きながらw

[コピペ]これはひどい

925:名無しさん@HOME:2012/07/30(月) 23:01:31
20年前の話。

小学生生活半ば頃、通信簿をほぼオール3・オールBにされたことがある。
当時テストは全部100点、都道府県単位で順位が出るテストでもいつも一桁台だったし、
教師の父に厳しく言われていたので提出物も授業態度も問題なしだったのね。
それまではほぼオール5だったのに、いきなりオール3。
渡された時の衝撃は今でも忘れられない。
頭が真っ白になってるときに、担任に「ショックでしょう。そのショックが大事なの。」
と笑顔で言われた。
その時は多分「どうしてですか」みたいなことを聞いたんだと思うが、
「そこを考えなさい。だからダメなの。」という返答があったのを覚えてる。
友達に慰められ泣きながら帰った。
怒られるのが怖くて泣いてたんじゃなくて、ただショックで、だからダメ」って言葉が
自分を全否定しているようで。

帰宅後すぐに見せた母には怒られた。
完璧に近い成績でオール3なんだから、さぞ授業態度が悪かったのだろうと思うのは当然だよね。
私もわけがわからないまま大泣き。
父が仕事から帰ってきて、「手を挙げて積極的に授業に参加したか」「授業は静かに聞いたか」等
ひとつずつ確認。
した、としか言いようがない私。

父は首をひねりながら、
授業態度はわからないけど、担任からのコメント欄はいいことしか書いてないし、
全教科均一に下がるのはおかしい。
理解度、提出物の項目にまでBがついている。
それにここまでいきなり成績が下がったら、少なくともうちの高校じゃ
担当みんなで職員会議モノだなあ…と、
翌日、父が学校の夏休みコールに電話してくれることに。
後で話を聞いたところ、両親はこの時点で「なんか変じゃね?」という雰囲気になっていたそうだが、
ガキな私は全然気づかず、何が悪かったんだろう…とグスグス。

926:名無しさん@HOME:2012/07/30(月) 23:03:05
で、翌日。電話したら担任がいたので、代わってもらって喋る父。
途中で子機を持って車に籠った時点で変だなあとは思ってた。
しばらくして車から出てきた父は顔が真っ赤でマジギレモード。

要約すると、
「私ちゃんはあまりにもいい子ちゃんすぎて、
今のうちに挫折しておかないとダメな子になってしまう。
だからあえて酷い成績をつけました。
ショックを受けていたでしょう?人間的に成長できたと思います。
何が悪かったのか考えさせて下さい。」
って理由だったんだと。

後に父が言うには、最後の「何が悪かったのか~」でブチ切れたらしい。
そのまま教頭だの何だのに連絡。管理職の方々は説明させますので!と父と私を学校に呼び出し。
校長室に呼ばれると、校長教頭+担任がいた。担任は泣きはらした顔で、
部屋に入ってくるなり私を睨む。
睨むのはやめなさい、と父の地底から出てきたような声。

途中に担任のヒスが差し込まれるも、話し合いはサクサク進んでた。多分。
私にもちょこちょこ状況確認が入った。
驚いたことに、私の成績がアレだったことに対して、他の生徒の親から
「私さんがオール3だったそうだが、子どもは不思議がっている。
どういう基準でつけているのだろうか?」と連絡が数本入っていたらしい。
後から知ったのだけど、中学受験組の親だったみたい。

最終的に学校からは謝罪。担任が勝手なことをして悪かった、チェックが杜撰になっていた、等。
先生内で回してチェックする仕組みにはなってたんだけど、ハンコ押すだけの
流れ作業になっていたそうだ。
最後の最後に担任が大泣きで喚き、話し合い終了。夏休み明けには担任が変わってた。

10歳になるかならないかの子供心には大ショックだった話です。

[コピペ]切ない,テレビ・ラジオ

2013-11-17_1559
322:名無しさん@九周年:2008/12/01(月) 13:11:41

前に伊集院のラジオ企画でいろんな人にインタビューしようってのがあった
そん時の救急隊員だかなんかの人が語ってくれた話

夜中3時くらいに通報が入った。どうやら高速で事故があったみたいだ。
現場に急行すると、車に挟まれ下半身切断された男性がいる。
しかし、幸か不幸か切断面が圧迫され出血は少なく意識がある。
その男性は「私はあとどれくらいもちますか?」と聞いてきた。
出血が少ないとはいえ下半身切断。救出しようと動かせば即死。
経験から5分くらいだろうと答え、なにか望みはあるかと聞き返すと、
「家族と話したい」とのこと。
近くにあった携帯は生きていたので、男性の家にかけてみる。
しかし時間は深夜。何度かけても電話には誰もでない。
「もういいです。ありがとう」男性はそう言って息を引き取った。

数分後、男性の家から携帯に電話がかかってきた。
救急隊員は、男性が事故に遭い即死だったと伝えた。
もし男性が数分間生きていて、話したがっていたと遺族が知れば、
電話に出られなかったことを一生後悔するだろうと思ったからだ。
それでも未だに、あの時どうするのが正しかったのか考えてしまうのだ。

[コピペ]怖い

395: 本当にあった怖い名無し:2006/11/24(金) 12:36:34 ID:5ebS3UtO0

少々長い話しになりますが、私の不可解体験を書きます。

「僕のお母さんですか?」
登校中信号待ちでボーっとしていると、突然となりの男が言った。
当時私は20歳の大学生で、妊娠・出産経験は無い。
それに相手は、明らかに30を超えていた。

ビックリして、「ひっ…人違いです」と答えると、
相手はその答えが意外だったかの様な反応で、何でそんな嘘を付くの?
と言った表情だった。
その反応に私が驚いた。

信号が青になると、私は急いでその場を去りました。
こんな事を言っては失礼だが、障害者っぽい雰囲気で、ガリガリで目はギョロッとしていて、
よれよれのシャツに、肩から黄色いポシェットを下げていた。
これが彼との最初の出会いで、この後数年に渡って何度も彼と遭遇しました。

その日から彼は毎日その場所で私を待っていて、必ず「僕のお母さんですか?」と聞くのだ。
「違います」そう一言言えば去って行ってくれるので、
気味は悪いが警察に言う程でもありませんでした。

しかしいつの日から、大学にまで現れる様になり、私は彼にきつく怒鳴りました。
二度と現れるなとか、気持ち悪いとか、そんな事を言った気がします。

それからは現れる事も無く、東京の大学を卒業して実家へ戻り、
1年が過ぎたとき、東京の友人から久々に電話があった。

「あんたのストーカー男。こないだ大学の近くで合っちゃってさぁ、
『お母さんはどこですか?』って聞かれて、恐くて逃げちゃった」
と言う内容でした。

その話を聞いても、ああそんな男もいたな、ぐらいにしか感じず、
こっちには関係ないと思っていました。

次の年の母の日、玄関に萎れたカーネーションが置かれていました。
私は瞬時に、あいつだ!?っと思い、恐くなって父に相談し、
警察に行ったが相手にされません。
被害と言った事件もなかったので、当然と言えば当然なのですが、
私は不安で仕方がありませんでした。

そして数カ月が経った、雪が積もる夜の事です。私は街の歩道を歩いていました。
すると突然車がスリップし、玉突き事故に巻き込まれたのです。

一瞬意識を失い、次に気付いた時は車と倒れた木の隙間でした。
体中が痛くて身動きがとれず、声を上げても、周りは騒々しく
誰も私に気がついてくれません。
隣では火も上がっていて、もう駄目だと思ったとき、

「おか~さ~ん、おかあさ~ん」
あの男の声がしました。

私は思わず、「ここ!!助けて!!ここにいるの!!」と叫びました。
彼も事故に巻き込まれたのか、血まみれでした。

雪を掻きわけ私を引っぱりだしてくれた彼を改めて見ると、彼の方が重傷に見えました。
とても痛そうだったのに、彼は私を見て笑って、「お母さんですか?」と聞きました。
私は何とも言えない気持ちになり、「…うん……うん」とうなずき、ぽろぽろと涙を流しました。

涙を拭い顔をあげると、彼の姿はそこにはありませんでした。
ほんの一瞬で消えたのです。
それっきり、もう何年も彼を見ていません。

いったい彼が何だったのかは分りませんが、幽霊と言う物ではないとは思うのです…
雪が降ると時折思い出します。
名も知らぬ息子の事を。