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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]いい話

185 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/07/30(金) 10:11

じゃあ、ちょいと私の青春時代の話を・・・

私(♂)は中学生の頃、バスケ部に所属してたんですが、
同じ学年のチームメイトにかなり家が貧乏な奴(A君)がいたんです。
バスケットシューズって、目が飛び出るほどの高額とはいかないものの
やっぱり1、2万くらいはするじゃないですか、だからA君は
どうしても親に言い出せなくて、いつも先輩のお古のバッシュで
練習してました。

A君は家庭の事情にもめげずいつもニコニコして、練習はすごく真面目で
実際チームの中でも中心選手でレギュラーでした。
もちろんチームメイトのみんなからの人望も厚く、ほんとにすごい奴でした。

しかし、どの学校にもいるようないじめっ子グループからはいつも
「お前、バッシュも持たんでよく部活にいれるなぁ?」とか
いつも嫌味を言われており、それがA君や私達の唯一の悩みでした。

そんなある日、キャプテンをしている同学年のB君が突然
「ミーティングするぞ、ただしAには内緒だぞ」
と言い出しました。
みんな何を話し合うんかな等と言いながらミーティングに出席しました。

B君は
「みんなで少しずつ金を出し合ってAにバッシュをプレゼントしないか?
ただし、親から貰った金じゃなく、自分で稼いだ金だ。」
と切り出しました。
その後の話し合いで、
B君の知り合いの新聞配達の人が、そういう事情なら期間限定でも
雇ってくれるということらしく、そこで2ヶ月みんなで新聞配達する。
でもプレゼントだと多分A君は皆に負い目を持つだろうから、
これまた近所のスポーツ店のおっさんに頼んで、福引きでうまく
A君に当たりをひかせ、バッシュをゲットさせるという作戦になりました。
それからの2ヶ月間はまさに青春でした。
友達のために全員が一丸となって新聞配達してました。
まあ、友情に尽くす自分たちにもちょっと酔ってるところもあったんですけど。

そしてついに目標の2万円が貯まり、作戦がスタートしました。
スポーツ店に行って、まず皆でバッシュをワイワイ選びました(これがけっこう
楽しかったw)。
そして店主のおっさんに頼んで福引セット(偽モノの)をスタンバイしてもらいました。

作戦決行の日、B君がA君に
「ちょっと買い物したいけん○○スポーツに行こうや」と誘います。
(BとAは日頃よく一緒に帰っていた)
そこでBはちょっとしたものを買いました。(たしかリストバンドだった)
店主のおっさんは
「いまちょうど感謝セールで福引やっとるから一回引いてみな、
特賞はバッシュだぞ」と、なかなかの演技をみせてくれます。
B君はA君に
「お前ひいてよ、おれくじ運悪いから」と譲ります。
A君はエイヤッとくじを引きました、ビリっとくじを破り、中を確認します。
「特賞」と書いてあるくじを見た時のA君の表情は忘れられません。
私達は倉庫室のドアの隙間から一部始終を確認し、
お互いにガッツポーズを決めあいました。

その次の日から体育館には、カッコイイバッシュを履いたA君の姿と
それをつまらなさそうに見るいじめっこたち、
それをみてほくそ笑む私たちの姿がありました。

[コピペ]泣ける

46 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/08/23(月) 19:59:55

腹が減ったと泣けば弁当や菓子パンを食わせてくれた
電気がつかない真っ暗な夜、ずっと歌を歌って励ましてくれた
寒くてこごえていれば、ありったけの毛布や服をかぶせてくれた
何人もの男が怒号をあげて部屋に入ってきたときは、
押し入れに隠してかばってくれた

兄ちゃんは俺の神様で、ヒーローだった
いつだって体を張って俺を守ってくれてた
だから2人きりでもいつだって安心できた
だから全然気付かなかった
ごめんなさい
ごめんなさい

47 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/08/23(月) 20:00:10

俺に食わすために毎日万引きしてたんだってな
父ちゃんと母ちゃんがお金送ってくれたとか全部うそだったんだな
2人とも借金でどうしようもなくなったあげく俺たちを置き去りにして消えちゃって
でも借金取りの追跡が怖くて
「すぐに帰ってくるから、いないことは誰にも言うな」なんて言い残したもんだから
兄ちゃん誰にも助けを求められなかったんだってな
泣きわめく俺を抱えてどんなに怖かったか不安だったか
だけど見捨てもせず、怒りもせず最後まで面倒見てくれたんだな

結局兄ちゃんが万引きで捕まって、家に警察が来て
呼び出された親戚は兄ちゃんを怒ったけど
たとえほめられた方法じゃなくても
親との約束を守って俺を守った兄ちゃんはかっこよかったって今でも思ってる
それから1週間くらい後だったかな
兄ちゃんが父方、俺が母方の親戚に引き取られた日が
兄ちゃんを見た最後だった
今どこにいるんだよ
元気でやってるのか
会いたいよ、会ってありがとうって言いたいよ
大好きだって言いたいよ
普通の兄弟みたいに遊んだり喧嘩したりしたいよ
あのころは大変だったな、なんてかっこつけて語る兄貴の武勇伝聞いて笑いたいよ
いつか会えるよな、絶対

[コピペ]笑える

927 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/10(月) 20:59:11

この間、売店で新聞買って電車に乗り込んだ。
乗客は俺も含めて十数人。
俺は新聞をパシッと広げて読み始める事に憧れていたので、
思い切ってパシッと広げたら新聞が真ん中から裂けた。
隣の女の人が口元を押さえて顔を反らしたのを合図にしたかのように、乗客全員が俺から顔を反らした。
恥ずかしくなった俺は「最近の新聞はこれだからな」とか言い訳をしつつ、それを鞄にしまった。
あの後、俺が下車する10分ほどの間、車内には微妙な沈黙が漂ってた。

[コピペ]いい話

565 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/07/31(土) 11:47:52 ID:hjbxChdf

20代の時失業したので、田舎で一人暮らしをしている祖父の家に泊まりに行っていたら
祖父が階段から落ち、入院した。
漁師の祖父に船を、水屋(家の一階が半分海に繋がっている家。うちでは倉庫に使っていた)に
入れるように頼まれた。
何度も手伝っていたので(俺も船舶免許有り)了解して、船を動かした。
舟止め場からいったん沖に出て、迂回して水屋を目指したが鈍い回転音がしたと思ったら
エンジン停止
かろうじて手動で舵が効く状態になり、どんどん沖に流された。
遠洋用の漁船ならともかく、祖父のモーターボートには無線も無い。
慌てて発光信号を送ったが既に岸から8kmは離れている。
4時間ほどたち、小さな島の傍まで流されたので必死にオールで漕いで岸に着けた。
船を固定し、島中歩いてみたがどう見ても無人島。
手持ちは、煙草とライター、腕時計、晩飯に買った弁当とカップ麺、2㍑のお茶。
船の道具入れに、ヤカン、合羽、裁縫道具(網を修理する用)、薬各種、ナイフ、工具があった。
あと、釣り道具は当然ある。

それからサハイバルですよ。こつこつエンジン直して自力脱出するまで5日間。
祖父は「見舞いに来ないなー。交通が不便な場所だし仕方ないか。
退院するときは迎えに来るだろう」
と呑気に構えていたらしい。
地域の人は、みんな俺が船を水屋に入れたと思っていたし、姿が見えないのは
祖父の看病に病院に行っていると思っていたらしい。

船の学校出ていて本当に良かった。エンジンいじる知識を教えてくれた先生ありがとうございます。
遭難したら、まずは水の確保。そして体力温存しつつ救助を待つ。
出来れば船影を見つけたらSOS信号を送る事。

当時ちょっとニュースになって、顔や名前が出たので少しフェイクいれてますが
上記はほぼ実話。

566 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/07/31(土) 12:18:23 ID:sVj+kYtr

»565
ひえ~~
自分だったらまず助からんわ
救助されるまでの過程などお伺いしてもよろしいか?

579 :565 投稿日:2010/08/01(日) 08:22:52 ID:wVyLz3B5

»566
救助されてないんです。
エンジン直して自力で生還しました。

海水を沸かして、弁当の入っていたコンビニの袋を裂いて広げ蒸留水を集めたり
魚や貝を食べて生き延びました。
合羽は重要!あれが無かったら体温奪われて衰弱していたはず。

ネタ,映画・ドラマ

その問いはイエス、と言わざるを得ないと僕は思います。

映画にもなった、恐ろしい実験、
「集団が囚人役と看守役に分かれて生活したら人はどうなるのか」
の動画を発見しましたので、ご紹介です。

[コピペ]全米が泣いた

678 : 水先案名無い人:2009/07/21(火) 21:11:53

「人数足りないから」と誘われて、久しぶりの合コン。
おれの目の前に座った女の子は、ロナウドに似た、とてもおっぱいの大きい女の子だった。
メーカーの受付嬢ってもっと可愛い子ばっかり揃えているのかと思っていたのに。何?このクリーチャー。
そう思って回りを見たら他の子はそれなりに可愛い。おれだけロナウド。
それでも、おれの目線は彼女に釘付けだった。正確に言えば、彼女の胸元に釘付け。だって、大きいから。
Gカップぐらい?いやもっと大きい。ふと、昔見たプロ野球中継の映像が頭に浮かぶ。1999年の4月7日西武対日本ハム戦。
たしか、松坂大輔のデビュー戦だったはずだ。
2ストライクまで追い込まれた片岡が、高めのボール球に思わずスイングする。球速155キロ、空振りの三振。甲子園の怪物の鮮烈なデビュー。
あまりのおっぱいの大きさに、ロナウドと分かっていながら思わず興奮する、今日のおれは片岡だった。
ロナウドのおっぱいは、松坂の155キロと同じぐらいのスピードで眼球を直撃し、脊髄を通っておれの股間を刺激した。もう我慢できません。
「きょう、おれ、こいつ、いただく」と幹事の板倉に目で合図してから、おれ対ロナウドの一本勝負のゴングが鳴る。カーン。

おれはまず相手を褒めることから始める。
褒めて褒めて、褒めたおす。爪を褒める。服装のセンスを褒める。顔だって褒める。化粧を褒める。肌を褒める。笑顔が可愛いね、とか言っちゃう。
本当は「ドリブル得意そうだよね」と言いたいところをぐっとこらえて、楽しい時間を演出する。
試合終了後のお楽しみのためにおれは精一杯道化を演じた。興味も無いくせに血液型占いの話だってした。
そして、程よくお酒も入ってロナウドとも打ち解けてきたところで、おっぱいについて触れる。
「いやー正直最初見たときビックリしたよ。すごく大きいよね。意識しようとしなくても目線がついついそっちに行っちゃう。何カップぐらいあるの?」
そしたらロナウドは、少し恥ずかしそうに答えてくれた。

「ワールドカップ」

少し間をあけてから、おれは笑った。
ゲラゲラ涙を流しながら笑ってやった。
おれが笑っているのを見て、彼女も嬉しそうに笑った。板倉が変な目で見ているのも気にせず、そうしてたっぷり笑ったあと、おれは彼女を本気で愛し始めていた。

[コピペ]泣ける

492 :1/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:50:13

俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

493 :2/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:13

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

494 :3/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:48

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」

たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

495 :4/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:52:20

聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。

幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

496 :5/5 聞いてくれてありがとう 投稿日:2006/02/13(月) 05:53:09

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。

イベント

このサイトを以前から見てくださってる人にはもうお馴染みのVOODOOという怖いイベントが先日開催されました。

上の画像を見てもらえばわかるとおり、大変な事になっていたようです。

勿論僕は行きませんでしたが。

詳細は以下より

[コピペ]怖い

288 :おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2010/09/08(水) 23:34:53

叔父の話なんだけど、会社帰りに行方不明になって、1週間後に警察から連絡。
叔母が慌て警察から聞いた病院(隣県)に駆けつけると、叔父は記憶喪失。
叔母はもちろん、溺愛してた2人の娘や親のことも忘れてた。
しばらく入院したみたいだけど、回復の兆しもなく、退院して自宅に戻った。

親(私からみると祖父母)と同居だったんだけど、祖母の取り乱し様は忘れられない。
本人は素直に「これが自分の家で自分の家族なんだ」と受け入れていたみたい。
でもやっぱりどこか他人行儀で、当時9歳だった私にも敬語でさん付けだった。

記憶を無くしたまま2年ちょっと経つ頃だったと思うけど、
突然「ママ(叔母のこと)、明日の出張の準備できてる?」と言い出したらしい。
実際、2年前に行方不明になった日の翌日から2週間の出張の予定だったらしい。
何がきっかけで思い出したのかはわからないけど、
記憶喪失になっていた2年間の事はすっかり忘れていて、というか、なかったことになっていたみたい。
今でも元気に暮らしてるけど、やっぱり2年間のことは思い出せないって言ってる。
始めは自分が記憶喪失になっていたということさえ信じられなかったみたいだけど、
いつのまに中学生だった娘が高校生になっていて驚いたらしい。

祖母や叔母の苦労は半端なかったみたいだけど、幸せな家庭に戻れて良かった。

[コピペ]泣ける

247 : 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2008/12/20(土) 06:08:50

両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。

俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。

両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、
兄は母方の祖父母と住んでいた。

それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。

俺はびっくりした。
兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。

俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は
「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。

俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、
俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから
頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。

それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、
ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。
そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。

・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。
小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、
がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・
俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・

最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!