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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]笑える

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/29(木) 13:39:39

駅前でぼーっとしてたら、男が女の集団に声かけて時間聞いてたんだ

女「5時半ですよ」
男「違うなぁ…」
女2「え…?5時半だよね?」
男「今は~…8時だよッ!」

すると人混みの中から数人がこう叫んだ
「「「全員集合!!」」」
すると男が数人走り寄ってきて歌いだした
「「「ババンババンバンバン」」」
男「カラオケ行こうよ♪」
「「「ババンババンバンバン」」」
男2「飯おごるよ♪」
「「「ババンババンバンバン」」」
男3「合コンしよ♪」
「「「ババンババンバンバン」」」
男4「これナンパだよ♪」
そして女の子たちの1人がこう言ったんだ
女「無理無理無理!みんな行こうよ」
男「ダメだこりゃ!!」

最後の最後に笑ってしまった

[コピペ]ほのぼの

12 :名無しさん@HOME:2009/11/26(木) 21:12:13

冷え込みも厳しくなってきた朝

かわいい小学校低学年くらいの男の子が
前方を歩いてたんだ

自転車で追い越そうとしたときに気付いた
その子耳当て付けてたんだよ
ヘッドホンみたいなやつね
それってふつうヘッドホンみたいに両耳に付けるよね?
だけどその子、横じゃなくて縦に付けてた
具体的に言うとモフモフが鼻と後頭部に来るようにしてた
んでもって唐突に、まわりに友達とか見あたらないのに
「はなあったか~い」
って言ったwwwwwwwwwwwwwwww
ちょwwwwwおまえwwwww天才かwwwwwwwww危うく吹くとこだったwwwwwwwwと思った次の瞬間
「みみさむ~い」

こんどこそ吹いたwwwwwwwwww

[コピペ]切ない

810 :病弱名無しさん :03/05/03 00:47

友達が、20代前半で第二子を妊娠中→検査で子宮ガン発見。
若いとガンの進行が早いこと、絶対に母体が無事では済まないこと、
お腹の赤ちゃんにも転移する可能性が高いことなどを告げられていたのに、
彼女は「子供を殺すことは出来ない」と、産んだ。
産後、全身にガンが転移した状態で、手術すら出来なかった。

命がけで産んだ赤ちゃんも、すでにガンが転移していた。
赤ちゃんは小さな体で何回も大手術をうけたけど、ダメだった。
たった半年も生きることは出来なかった。

やせ細って、意識も朦朧としている中、彼女はベッドの上で毎日毎日、
「赤ちゃんはどう?」「淋しがってない?」と周囲に聞いていた。
お見舞いに行った友達は、赤ちゃんがすでに亡くなっていることを知っていたので、
「もう赤ちゃんに会ってくれた?可愛いい?私も早く会いたい」と言われるたびに、
涙をこらえるのが必死だった。

ドラマでこういうシチュエーションの時、「私の命はどうなってもいいんです」
なんて言って、出産して、運がよければ母子ともに無事。
悪くても母親が死んで「あなた(子供)を助けるために、お母さんは・・・」
なんてことが多い。現実は全然違うんだと言うことを思い知らされた。
何一つ良い事はなかった。この事が無かったら、向井亜紀さんのように
子供を諦めたケースを「結局自分の命の方が大切なんだな」なんて
冷たい目で見てしまったかもしれない。

命がけで産んだ我が子の苦しみも、死も、何も知ることなく
死んでしまった彼女。残された3歳のお兄ちゃん。
何が正しいことなのか、わかりません。
泣ける話というより、今でも思い出すと辛くて悔しくて泣いてしまう話です。

[コピペ]泣ける

4 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:07:15

小学生の時僕はイジメられていた。
無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのは
とても辛かった。イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは
自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。

ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
先生はなんでもいいんだよ。遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかで
いいと言っていた。けど僕はなかなか書く事ができなかった。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。

結果から言うと作文は書いた。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけで
イジメられるのかなと子供心にとても不安だった。でもそれしか書けなかった。

5 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:08:33

作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「来週発表会をします。」
と言った。先生はそのまま教室を後にした。その後は頭を叩かれて
イジメられているふだんの僕がいた。

「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」
今日は作文の発表会の日。
ただひたすら「僕の作文は選ばれませんように」
ただ祈って下を向いているだけだった。

発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。
僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。
「では最後に〇〇君に読んでもらいます」
頭の中は真っ白だった。

「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」
クラス中から非難の声が上がった。「バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ」
様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」
突然の大声に教室は静まり返った。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」

6 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:09:17

「さあ読んでください」

「ぼくのお父さん。
僕のお父さんはいません。幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。
写真があるのでみましたがおぼえていないです。

だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。
いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるので
とてもだいすきです。

おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど
でもとてもやさしいいいおばあちゃんです」

7 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:09:58

「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんはお父さんがいなくてゴメンねと言ったりするので
早く僕が大人になって仕事をしてうちの家族のお父さん代わりになって
お母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います

だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、
お母さんにはいつも肩をもんであげています。
二人とも泣いたりするのですこしこまるけど、
そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」

一気に僕はしゃべった。
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?
もしかして捨て子だったんじゃねえか?とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。

先生は立ったまま泣いていた・・・

8 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:10:43

先生だけではなかった。他の子たちもみんな泣いていた。
僕が始めて好きになった初恋の子は、机にうつぶして泣いていた。
イジメていた子たちもみんな泣いていた。

でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
どうして?
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?
「〇〇君・・・」
「はい・・・」
「先生は人の心が分からないダメな先生でした。ゴメンなさい。
世の中には親御さんのいない子もいるのにね。
そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて
あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」
先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。

それがその日起こった出来事だった。

9 :ローカルルール変更議論中@VIP+ 投稿日:2009/06/21(日) 21:11:31

次の日からなぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなく
イジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。

先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、
今は亡くなったばあちゃんも、うれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。

大人になった今でもその時の事はなぜか覚えているし
ふと思い出したりもする。これが僕がかける自分の思い出です。

私的な事を長々書きすぎましたね。でも読んでくれた方には
「ありがとう」と言いたいです。

ネタ

不覚にも吹いてしまったので紹介です。コミック初版発行数記録更新中のワンピースより。


ONE PIECE 1 (ジャンプ・コミックス)

主人公のルフィが名古屋弁だったら・・・

詳細は以下より

[コピペ]いい話

125 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/07/27(日) 17:40:08

遠くに住んでいる父方の祖父のことを、小さい頃から「頭のいい人」と聞いていた。
教師だった祖父は、定年後もパソコンなどの新しいことを、いつでも勉強していたらしく、なるほど聡明な人だったみたいだ。
そんな祖父が八十歳の時、癌になって入院した。
最初は軽い程度のもので入退院を繰り返していたが、いろんな場所に何度も発症している内に、寝たきりになってしまった。
そんな祖父に、父は病院に特別な許可を得て、一つの携帯電話を渡した。
祖父はその動けない身体で、黙々とあの分厚い説明書を読んでいたそうだ。
後で父に聞いた話だけど、病室で携帯を持つ祖父は、密閉されていながら外部と一点だけ繋がっている胎児みたいだったらしい。

そして、ある日の授業中に突然、
「レイ君。じいちゃんだよ。元気にしてるか?」
というメールが僕の携帯にやってきたのだ。
僕は驚きながら、「入院してるんじゃないですか?」というメールを送った 。
少し時間を置いて、メールは返ってきた。
何か検査でもあるのだろうか、時々遅れることはあっても、絶対に途切れず確実に返ってきた。
そうして、僕と祖父のメールは日常化していった。
お正月にする、緊張と遠慮だらけの短い電話しか繋がりがない僕と祖父は、互いに知らないことばっかりだった。
好きな食べ物や、趣味、今までのこと。とにかく知らないことだらけだった 。
でもそのやりとりの中で、僕はとんでもないことに気が付いた。
僕は、祖父の名前を知らなかったのだ。
そもそも僕はいろんなことに無頓着で、近くの町の名前も知らないことがあったけど、祖父の名前を今まで知ろうともしなかったことに、胸がぎゅっと痛んだ。

それと別にやましいことなど何もなかったけど、何故かこのメールは父にも誰にも内緒ということになっていた。
当時は特に理由なんて考えなかったけど、祖父も僕も、メールをしているのが何となく気恥ずかしかったのかも知れない。
そうして、そのやりとりも三ヶ月を超えた頃。
祖父はすっかり携帯を使いこなし、顔文字や絵文字もたくさん使っていた。
元々、お茶目な人だったのだ。メールはいつも楽しくて軽快だった。

そんなある日、昼休みに携帯を開いた時、祖父から来たメールには、
「携帯を、持ってよかった」
という一言だけが書かれていた。
いつもの取っつき易い内容とは違っていたので、すぐに返信できなかった。
そうしている間に電池は切れてしまった。
充電器も持っていなくて、僕は仕方なく携帯をリュックにしまった。

そして家に帰った時、母さんが辛そうな顔をしていた。
僕の鈍い勘は、そこになってようやく嫌な予感を感じ取った。
祖父は、亡くなっていた。
話を聞くと、祖父が亡くなったのはあのメールを打ってから三時間くらい後のことらしい。
僕は、震えて壊れてしまいそうな気持ちで、携帯電話のメールボックスを開いた。
一番上には、やはりあのメールがあった。

――――――これは、祖父の遺言だったんだ。

もし今から自分が死んでしまうとしたら、どんな言葉を遺そうとするか、全く想像できない。でも祖父にとっては、この一言だったのだ。
僕とメールが出来てよかったなんていう、そんな一言だったんだ。

僕はメールに添付ファイルがないか、何かないか、必死になって探していた 。
でも、そんなものは影も形もなかった。
どこまでもあの一言だけ―――。
そう思って携帯を閉じようとした時、題名の欄に気が付いた。
見てみれば題名の欄には、返信を意味する「Re」が、それはたくさん並んでい た。
本文よりもずっとずっと長い、Re.の大群。
数えるまでもなく、明らかに本文よりも長かった。
でも、決して無駄や無意味なんかじゃないと思った。
それは間違いなく、祖父の生きていた大切な証だった。

「それで、お葬式だけど、どうしても無理なら……」
祖父の住んでいる所は、やっぱり遠い。
母さんはあんまり成績のよくない僕の、期末テストを心配しているようだ。
でも僕は、「準備しよう」と言って、その心配を断った。

返信できなかったメールの代わりに、会いに行こうと決めていたから。

web,ネタ

484fc35c369f8.jpg
定額給付金に便乗した詐欺が横行しているようですね。

「定額給付金」の給付をよそおった振り込め詐欺等にご注意!!(報道発表資料)_国民生活センター

「そんなのひっかかるわけないじゃねえか!」

って誰もが思っているようですが、詐欺なんて意外とあっさり引っかかると聞きます。
ただ、自分がターゲットになっていないだけ
というハナシを聞いたことがあって、なるほどなあ、と感心したことがあります。
そんな中、mixiやgreeなどのSNS(ソーシャルネットワークサービス)をつかった詐欺というのを見つけましたので紹介したいと思います。twitterなんかも意外と当てはまるかもしれません。

詳細は以下より

2ch

もう随分昔の事になってしまった高校生の頃。バカな僕は中二病を患ったまま通過したような気がします。思い出すと顔から火がでそうな出来事ばかり。淡い思い出のひとつでもあれば、自慢気に語りだすのですが・・・今日紹介するネタのような・・・

125 :名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/06/27(日) 17:53:08

高3の1月だったと思う
入試前の最後の追い込み中だったかな
担任+副担に毎日19時ぐらいまで勉強見てもらってて
帰り際に1年の教室の電気が点きっぱだったんで、消して帰れと言われて消しに行った
俺(あれ?人居るじゃん)
俺「おーい、先生がさっさと帰れだとさ」
嫁「あ・・・はい。すいません・・・(涙声)」
俺「ん?・・・あー、机落書きされたか」
嫁反応せず、机見て泣きそうになってたんで
俺「はぁ・・・今年の1年はしょうがねーなwちょっと待ってて」
と3年の教室行って、俺の机を担いで来て嫁の机と問答無用で交換
俺「ちょっと汚いけどwwまあこれ使って」
嫁「でも・・・先輩の机が・・・」
俺「俺もう授業無いからwwあぁ、これ落書きされたら先生に言って他の3年の貰いなよww」
嫁「でも・・・でも・・・#%$*;”#%&$$%#%(号泣してて何言ってるかわからなかったw)」
とりあえず、嫁が落ち着くまで待ってから門まで送って、俺は職員室に戻って↑の説明だけして
帰った
まさか付き合って結婚するとは思わなかったw

こんな出会いねえよ!バカ!

というわけで、30歳を超えてるアナタはネタだと思って読むのが吉です。何かが壊れること必至です(笑

詳細は以下より

[コピペ]全米が泣いた

68 :名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/19(月) 12:57:45
誘発分娩にて。点滴開始時。
私「あのね、これから私、あなたにひどいことするかもしれないの」
夫「お産ってのはそういうもんさ」
私「だから私がいらついてるなーと思ったらほうっておいてね」
夫「そんなことできないよ。何したって構わないから、一緒に頑張ろう」
私「あなた…(キラキラウルウル」


一時間後
私「どいて」
夫「ごめん」
私 「あ、ううん、こっちこそごめん…。やっぱり、いざという時は出てていいんだからね」
夫「一緒に頑張るって言っただろ?」
私「………フー ン」

三時間後
私「触るな!うるさい!喋るな!動くな!あーもう!………出てていいんだよ?」
夫「気にしなくていいよ」

五 時間後
私「出てけーーーーーー!!!失せろーーーーーー!!!消えてくれーーー!!ハァハァハァ…!」
夫「大丈夫か?落ち着いた?」
私 「うん大丈夫。だから外にいなよ」
夫「何があってもここにいるから安心しなさい」

クライマックス
私「先生ーーーーー!先 生助けてーーー!お願いそれをつまみ出してーーー!
そこに突っ立ってるクソ野郎をーーーーー!!!!
私の視界に入れないでーーーーー!
存 在を感じさせないでーーーーー!!!!!!」

なんで離婚されなかったのかビデオ見るたびに不思議に思います。

[コピペ]泣ける

97:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:41:23

どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。


いや・・・一度だけあった。


クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。

98:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:42:49

あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ

「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった

梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい


99:おさかなくわえた名無しさん 2010/01/29(金) 00:44:05

死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね

あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」

お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。

お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・

まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド