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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]泣ける

俺と18年間過ごした雑種犬。

言うことも聞かないし犬らしいリアクションも少なく、ただただ所定の場所に座り行き交う人を睨みつける。
当時は本当に不安になって獣医に耳が聞こえてるか検査に連れて行ったくらい。

愛嬌というものが皆無でお手やおすわりも覚えなかった。ムカつく犬だったなー。
「ムサシ!」って読んでもシカト。「おい!」って軽く小突いてもシカト。散歩とメシの時は目を合わせずに尻尾だけ振ってるし。
だからあいつが病気になって入院した時はスゲー不安だった。

痛がったり苦しがったりのリアクションを先生にわかるかな?とか辛くても空中睨みつけるだけで我慢してんじゃないのかな?とか考えてたら眠れなかった。
病気のせいで記憶障害起こしてる可能性があるって医者から聞いた時、目の前が真っ暗になったよ。

生まれた時から一緒だった俺の事も忘れてんのかなって思うと怖くて仕方がなかった。
もう助からないってわかって、せめて最後は自宅でゆっくりさせてやろうって事になって、俺が病院まで迎えに行った。

おそるおそるムサシの檻に近づいて、我ながら頼りねーって思うくらい情けない声で「ムサシ…」って呼んでみた。
そしたらさ、横になってゼェゼェしてたムサシがゆっくり体を起こしてくれたんだよな。それだけじゃなくて、俺の方に近づいて声にならない声で、口パクだったけど「ワン」って吠えてくれた。もう今まで堪えてた涙がそこで一気に溢れた。
ムサシに泣かされたのはそれがはじめてだった。

それから3日くらいでムサシは息をひきとった。ホントムカつく犬だったなー。
学校の同級生にも親にもあんなに泣かされた事ないっての。

俺のはじめての友達で兄弟だった。

ネタ

yatsume01.jpg

久々のキモいシリーズですよ。非常に閲覧注意です。
ヤツメウナギ(八目鰻)という生物をご存知でしょうか。
なんの変哲もないウナギのようなお姿をされていますね。見方によっては「カワイイ」とさえ思ってしまいそうな・・・
なるほど、これが・・・・!

驚愕の詳細は以下より

[コピペ]いい話

小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。

その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。

帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、
親友はずっと付き添っていてくれ、

「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」

とか言って、カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、
水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、

「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」

なんてメロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、
思わず泣きながら笑いあった。

十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、
あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり
忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して

「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」

と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、
進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと
伝えたかったのに、ダーダー涙流しながらダミ声で
ドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、
お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。もちろんメロンのカップで。

もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。

[コピペ]笑える

19 名前:名無しさん@九周年 投稿日:2008/10/31(金) 02:11:44

友人達と四人で汽車に乗った時のこと。
その時の車両の座席は、通常全席が汽車の進行方向を向いているものを回転させる事で
四人が向かい合っても座れるような仕組みのものだった。
どうせなら皆一緒に座ろうと友人が座席を回転させると、
座席と一緒に新聞を持ったおっさんが回転しながら現れた。
友人はそのままその椅子を回転させ、おっさんは再び回転しながら元の位置に戻っていった。
おっさんも私達も終始無言。

[コピペ]トリビア

639 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/01/10(土) 03:24:21

「アート引越しセンター」の「アート」に意味はなく
単に職業別電話帳で業界トップに来るようにしただけ。

しかしその後「アーク引越しセンター」に抜かれ、しまいには
「アーアーアー引越しセンター」というワケわからんが
間違いなく当分抜かれることがないやつが現れた。

2ch

タイトルに釣られて読み始めたスレまとめでしたが、これが非常によかったので紹介したいと思います。

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/04/16(木) 03:16:51
母ちゃん48歳
自分23歳
オヤジの借金で家に乗り込んできた893相手に
「そんな雷おこしみたいな髪の毛して!恥ずかしくないの!?」と
馬頭して追い返した事のある母ちゃん。
ありがちな、母ちゃんが死んじゃうオチや、母ちゃんが病気しちゃったオチはないけど、
ちょっとお前らに母ちゃんを自慢したかったのでスレ立てた。

ああ、死んだり病気したりないんだ!よかった!
詳細は以下より

[コピペ]これはひどい

351 : ベニバナヤマボウシ(千葉県):2009/04/05(日) 23:20:53

宅間事件のすぐ後に、池田小学校にある内容の電話が
殺到したのをご存知だろうか。
その内容は、以下のようなものである。

「子供が7人殺されたんですよね?それなら、定員分補充
される筈ですよね!?うちの子供は入れられないんですか?」

国立である池田小学校には、定員がある。その定員が減ったから、
我が子を入れられないか、というものである。

[コピペ]いい話

213 :名無しの心子知らず:2009/01/16(金) 09:31:12

左足を脱臼して生まれてきた娘。
産み方が下手だったからとか、
お腹の中でも苦しかったろうと義母に言われて悲しくて泣いていたら、出産祝いに来た実兄に
『根性あるよなぁ、こいつ。痛い思いまでして産まれて来たんだ。
さすが俺の姪っ子!ギプス取れるまでに写真沢山撮れよ。
いつかこいつが何かにつまづいた時に見せてやれよ。お前は頑張れる奴なんだって教えてやれよ。』

激しく泣いた。
兄ちゃんが帰り際に
『産んだばっかなんだから、こいつだけ見てろよ。周りが何を言っても、俺はお前を尊敬するよ。』
育児に行き詰まって、パニックになりそうな時もこの言葉に助けられてる。

長文スマソ


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[コピペ]切ない

649 :大人の名無しさん :04/05/16 18:21

初めて彼女にあったのは、内定式のとき。同期だった。聡明
を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文かなんかが
賞を取ったらしく、期待の新人ということだった。

ただ、ちょっときつめ&変わった人で、やることすべてパー
フェクトだし、自分のことはなんにも話さないので、宇宙人で
はないかとの噂もあった。まあ美人と言えば美人なんだけど、
洋服とかおしゃれに気を使わないようだったし、クソまじめだ
し、お高くとまってるというより男嫌いみたいだった。近寄る
男はいなかった。おいらも、なんかちょっと嫌いだった。

彼女とは、偶然同じ部署に配属になった。それまで出会った
どんな女の人とも違うので、からかって反応を楽しむように
なった。はじめは、すごく嫌がっていた彼女だったが、半年
も経つと馴れてきたのか、そのころおいらが結婚したんで安
心したのか、少しづつ相手をしてくれるようになった。

650 :649 :04/05/16 18:22

その後、ちょっとだけ仲良しになって、愚痴を言い合ったりする
ようにはなったが、相変わらず自分のことは、何にも話さない。
休日何をしているかとか、家族のことはもちろん、本人のことも、
例えば誕生日なんかも、何年間か知らなかった。

ある日、ある試験の申し込み書類の書き方を聞いたら、自分
の書類をもって来て見せてくれた。そこに、生年月日が書いて
あった。なんと、その日が誕生日だった。今日はデートかなぁ?
などといいつつ、とりあえず、昼休みに食べたチョコエッグに入
ってたカメを誕生日プレゼントと言って渡した。爬虫類大好きと
言って子供みたいに喜んでいたのが印象的だった。変わってる
なぁと思った。

確かに変わった人で、いまどき携帯は大嫌いとかで、持ってな
かった。写真を撮られれるのも大嫌いだった。カメラ付き携帯で
飲み会のとき撮影したら、すごく怒って、しばらく口をきいてくれ
なかったこともあった。無理やり一緒にプリクラ撮ったときは、
悪用されるといやだからと言って、シートごと全部持っていって
しまった。

651 :649 :04/05/16 18:23

彼女は、がんばりやだった。もともと才能もあったし、がんばる
もんだから、どんどん出世していった。それにほとんど遊ぶこ
ともなく、仕事がおわるとまっすぐ家に帰っていた。そんなに、
お金ためてどうすんのー?お父さんの借金でも返ししてんの?
などとからかった。

そのころには、彼女のことがとても好きになってしまっていた。
でも、おいらはもう子持ちなので、表に出さないようにぐっとこら
えていた。ただ、彼女の周りをうろちょろして、愚痴の聞き役や、
遅くなったときのタクシー代わりをしていた。でも、プライベート
な関係は一切無かったし、変な噂にならないように気を配った。
同僚は、おいらは彼女の「ぽち」に見えると言っていた。自分も
彼女の「ぽち」という立場が気に入っていた。

そんな関係がしばらく続いた。彼女は、相変わらず独身だった。
彼氏や恋人がいるかどうかは全然分からなかった。ただ、彼女
は、お守りみたいな、小さな袋をいつもバックにつけていた。何か
聞いても、秘密のお守りとしか教えてくれなかった。彼女が仕事
のトラブルで落ち込んでいたとき、彼女のデスクでそのお守りを
ギュッとにぎっていたのを見たことがあった。だから、勝手に遠く
にいる彼氏からもらったのかな?などと思っていた。

652 :649 :04/05/16 18:23

ある日、海外出張からの帰り、成田で携帯の電源を入れた
とたんに同僚から電話があった。彼女が亡くなったと言わ
れたとき。全身の力が抜けた。みみの奥がキーンと鳴った
のを覚えている。交通事故だった。事故直後は、意識もあり、
たいしたことはないと思われたらしいが、内臓からの出血が
あり、急変したとのことだった。

現実のこととは思えずに、なぜかあまり、涙もでてこなかった。
職場の何人かで、葬儀の手伝いをした。そのとき初めて知っ
のだが、母子家庭だった。お姉さんもいるが、施設に入って
いるとこのことだった。彼女が大黒柱として家族を支えていた
のだ。彼女を軽率にからかったりしたこと恥じた。とても申し
訳なくて気が狂いそうだった。

葬儀の後、帰ろうとしていると、彼女のお母さんに呼び止めら
れた。渡したいものがあるから彼女の実家にあとで一緒に来
てほしいと言われた。貸していた本のことかな?と思いつつ
彼女の母親と実家に向かった。母親は、道すがら、彼女は大
好きだった父親が出て行ってから、男の人が嫌いになったこと、
誰にも頼らないで自分の力で生きていこうと誓ったこと、土日
はあまり健康でない母親と、施設の姉の世話をしていたことを話
してくれた。自分の子供とは思えないほどがんばりやだったと。

653 :649 :04/05/16 18:24

家に着くと、彼女の部屋に案内された。きれいに片付いていた、
というより女性の部屋とは思えないくらい何も無かった。ただ、
専門書とノートがたくさんあった。母親は、彼女がいつもおいら
の話を楽しそうにしていたこと、おいらのことが大好きだったけど、
おいらの子供たちを自分のように悲しませることになるといけな
いと思い黙っていたこと、彼女が意識を失う直前に、おいらに会
いたいと言っていたことを話してくれた。机のすみにおいらと写っ
たプリクラが貼ってあった。声を出して泣いたのは、大人になっ
てから初めてだった。

帰るとき、彼女が亡くなったとき身につけていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見にもらった。そばにおいて
やって下さい。と言われた。ネックレスは母親が就職記念にあ
げたものだった。ただ、母親にもどこで手に入れたか分からない
お守りを受け取るのはちょっと気が引けた。でも、とても大切に
していたので、受け取ることにした。開けてみようとも思ったが
やめた。

それからすぐ転職をした。一年後、ようやく少し落ち着いた。形
見のお守りは、いつも彼女がしていたようにかばんにつけて
持ち歩いていた。ネックレスもお守りと同じような袋を買い、中
に入れて一緒に持ち歩いていた。先日、職場の女の子が、
「これ前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」
といい、かばんのお守りを開けてしまった。とめる間もなかった。
というより、そういったときはもう中身を取り出していた。彼女は、
突然、なにこれー?といって大笑いを始めた。

お守りの中には、チョコエッグのカメが入っていた。

おいらは、もう、職場にいることも忘れ、ただただ泣き続けた。

[コピペ]泣ける

181 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/10(日) 00:12:14.54

娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。
千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、
あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。
先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。

「いつになったらお外へ出れるの?」

悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。
結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。

小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。
闘って、闘って、闘い抜いた千春。
とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。

「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」

主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。
私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。

小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。
外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので。

千春、千春、今あなたはどこにいるの? 空? 海? 山? 幸せでいる?
今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。またいつか会おうね。