[コピペ]泣ける

172 :大人の名無しさん 投稿日:03/12/01

ボジョレーの季節でしょ。
でも僕は下戸なんで、イマイチわからんけど。

いまいち仲が良くなかった父が入院する前夜、
まあいつまで入院するかわからないけど
一応、別れの杯だ、なんて冗談めかして言ったんだ。
こんなの初めてのこと。

ワインが大好きだった父は、とっておいたビンテージ?を
開けて僕と自分につぎわけ、乾杯した。

母も珍しいこともあるもんだと言って、
これまた珍しく家の中で写真をとった。

父と初めて対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、
父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと
笑っていた。

それで入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病4ヶ月であっけなく逝った。
最初で最後の父と息子の晩酌だった。

父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。

「××(僕の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

それ以来下戸ながら、月の命日には赤ワインを開けて、
父を思い出すようにしている。

僕はもう結婚まですませ子供もできたが、
父の残したボトルは空けてない。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、本当に思う。

[コピペ]泣ける

172 :大人の名無しさん 投稿日:03/12/01

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。

母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。

口数が少なく、何かにつけて小言や愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていた私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたかった。日帰りできないくらい通えない学校を選んだのも
父から距離をおきたかったからだ。

父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。

その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、
どれもこれも 切なかったり苦かったりばっかりで。

手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。

[コピペ]ほのぼの

691 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:23:31

息子の友達が 昨日、遊びに来たのよ。
大学落ちまくって なんとか最後にひっかかって入学許可をもらったらしい。
それで、彼らの話を聞いてる間に俺もいろいろと思いだした。

思いかえせば14年前のこと。
ある日、突然に 28の毒男が、3才の息子ができたのよ。
はじめて会った時、嫁の縮小コピーってかんじだっけな。

電車の中で騒ぐガキがうざいとか
親子連れを見てもイライラしてた自分には
可愛いかったのかと、聞かれても 正直「?」なわけ。

一緒に暮らし始めた頃、
話しかけても、軽く無視をするか嫁の後ろに隠れてた。
たまに、じーっと俺を見てたと思ったら、すっと視線もそらす
保育園に迎えに行っても、ふーんってな顔されたり、
先に駆け出していっちまったり…
まぁ 嬉しいことではないが、そんなしぐさも、
ちょっとおもしろいと思ってた。

嫁の仕事はかなり不規則でハードな仕事なんで
息子は赤さんの頃から、嫁と離れてることには慣れている。
保育園や託児所に、息子を置いて行くときも泣いて嫌がったことは
今までに、一度もないという。エライ自立したガキだと、思った。

692 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:24:31

お互い変な緊張はなくなったが、態度はかわらぬ息子。
俺も自由気ままにビデオみたり、本をみたり過ごし
息子は息子で、時々、でゅひ!とかボクンとかいいながら
ポケモンを闘わせて妄想の世界で楽しむというかんじ。
だが、いつも 俺の足だったり、背中に、足を乗せてきたり
どっか体をくっつけて遊ぶんだ。俺に気がつかれると、サッと元に戻す。

めんどうくさいんで、膝に乗せてやったら、
俺の顔をいじくるわ、ヒゲそり後のジョリジョリをいつまでもさわってきやがった。
あんまり、うるさいんでコラ!といったら、ニッコリ笑いやがった。

不覚にも 可愛いと思った。
それと、今まで、どんなに寂しい思いを我慢してきたんだろうと考えたら、
ちょっと目から汁がでた。

そんな息子の誕生日。「何が欲しい?」と聞いた。
答えは、「銭湯に行って男湯にはいりたい」だった。

もちろん、露天風呂のついた銭湯へ!
それからは、風呂を入れるのは俺の役目となった。
少々、窮屈なのは我慢しよう。
ただ、珍しがって股間を覗くのは、犯罪行為だと注意した。

しばらくして、嫁の仕事も落ち着き、生活に慣れてきた頃、
息子を預けて、北海道に新婚旅行に行くことになった。
荷物は、すでに送っていよいよ出発となった。
嫁はすごく楽しみにしてたし、満足してた。

だが、空港に着くなり、俺がダメになった。
飛行機が落ちたらなんて、今まで考えたこともない事が浮かぶ。
息子の顔のナキベソが浮かぶ。

天候のせいで便が遅れているというアナウンスに反応してしまい
その勢いでキャンセルしちまった。

ついつい、払い戻しで伊豆行きの特急券を購入しちまった、3人分。
「イドリコ、イドリコ」とはしゃぐ息子。踊り子号だバカタレ!

693 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:27:28

それから、ちょっと成長して、息子が夢中になったのは
ザリガニ。俺の職場と自宅は歩いて5分のところ。

昼休みの時間を見計らって、息子が現れる。
バケツ一杯のザリガニだったり、ダンゴムシだったり、カメムシだったりを自慢しに来る。
かなり面食らうが、今日は何だろうと…ひそかな楽しみでもあった。

周りから、カワイイといえるのは、今のうちだよと、強迫めいた言葉を尻目に、
ランドセルに背負われて入学式。
俺もからかいネタの収集のために参加したよ。

この頃より、夢中になったのは 映画。
映画は、のびたの…とか、しんちゃんの…には、行きたがらない。
アニメといっても、宮崎アニメ
俺の好みの洋画にばっちし、バッティングしてきた。
スターウォーズ ロスト・ワールド メン・イン・ブラック GODZILLA
なかでも、スターウォーズは、ヲタク並み。
ロスト・ワールドの影響で、考古学者になりたいだと吠えだした。
なので、軽く夢を潰しに、いわきや多治見に化石堀の困難さを経験させに連れて行った。
帰りに、あまりの興奮で熱だしやがったけどな。

学校では、おきまりの学級崩壊やイジメなどの問題が山積み。
当事者になるには、弱虫すぎるので安心していたが、
巻き込まれて、泣きをみるのではないかと心配した。みごと的中!

友達の高級品紛失事件。ふてくされてひとりで登校拒否するなんぞ
百年早いわ!しょうがないから、有給休暇という出社拒否をしてやった。
ついでに、出始めたばかりのDVDレコーダーを買いにいって、
キレイな画像を一緒に初体験したっけね。
ま、それも担任の先生が息子の事をよくわかってくれたから
たった3日のお楽しみに終わったけどね。毛が薄くなった気がしたよ。

694 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:30:13

中学校になったら、ライトセーバーを振り回したかったのか剣道に夢中になりやがった。
こっちもつられて、剣道アニメとかにはまちゃったりしちゃったヨ。

でも、助かったよ 竹刀を喧嘩の道具じゃないとか、剣の道とか言い出したり
ヘナチョコ剣士で負けては凹んでたけど、剣筋はキレイだった。
そういえば、剣道は勝ち負けじゃないってイイワケも格好よかったゼ!

高校受験も、肝冷やしたよ。
中学ぐらいだったらなんとか教えられると思ってた俺だったけど
教える能力が皆無だったことに気がついた。よく、喧嘩したな。
アタマは悪くないだろうけど、やる気スイッチがみつからなかったね。
最後の手段でカテキョに任してしまったけど、よく頑張った!

695 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:31:14

高校時代はの息子は、何を考えてるのかわかんなかったよ。
ネトゲにはまってみたり、あんまり楽しそうなんで、
つい俺もやっちまったじゃないか。

「おとん!エヴァは面白い!」と、なんだかわからんうちに
映画に連れて行かれたな。みごと、はまった俺。

だが、修学旅行の土産に…アスカのフィギュアはちと痛い。
ちなみに、レイちゃんのが好みだ。

高校生になって、クソ生意気なこといいながらも、足癖は直らない。
わざわざ俺の部屋にWiiを持ち込んで大剣で狩りをする。
足は相変わらず、俺の足の上。笑っちまうゼ。

それに、あれだぞ…ネットのネタだったとはいえ、歴史や社会情勢で
息子と討論するなんて、想像できなかったよ。
「やらない善よりやる偽善」とか、目が点になった。

最近だと、国母くんの問題。
俺が、ああいう格好は見慣れたもんだし、壮行会中止はやりすぎだと言ったら、
記者会見の態度がいけない。思っても口に出したりしないのがオトナ。

んん??  ・・・完敗

来月で、19歳になる息子。
背もみごとに追い抜かされた。アタマを叩くこともままならぬ。

躾とか、人生を教えるとか、父親としての自信なんて、
かけらもなかったが、息子が父親に育ててくれた気がする。
俺が未熟なんだからできっこなかったしね。

反対に、俺が学んだことが多かったな。
泣いたり、怒ったり、喧嘩したり、理不尽なこともあったが、
子育ては、十分 楽しませてもらった気がする。

あと、1年で成人。オトナになっちまうんだな。
俺も子離れしないといけないな。

[コピペ]いい話

33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/26(日) 01:33:11

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。

見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・
と撮った写真らしかった。

俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には
父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

[コピペ]いい話

190:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:13

良い父親とは何でしょうか。

休みの日には遊びに連れて行ってくれる父親でしょうか。
優しい父親でしょうか。
よく話を聞いてくれる父親でしょうか。

私は父に誉められた記憶は多くありません。
「よし」と一言言ってもらうのが最高の報酬でした。
一緒に遊んだ記憶も多くはありません。
父はいつも大きく、無口で、岩のようでした。

父が若くして死んだとき、私は初めて、父の偉大さを知りました。

駆けつけてくれた人の数。
泣きながら棺を叩き、俺より先に死ぬとは何事か、と怒鳴った人。
まだ恩を返していないのに、と泣き崩れた人。
通夜の後、棺の上にコップを置いて、いつものように父に話し掛け、酒を酌み交わす父の友人達。
8回忌を迎えた日、呼んだわけでもないのに集まってきた多くの人達。

191:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:14

父は骨髄癌の激痛の中、死のわずか10分前に私を呼んで言いました。

母を守れ。弟を守れ。妹を守れ。祖父を守れ。祖母を守れ。
男は、誰かを守って死 ね。俺のような死に方はするな。
俺が死んでも泣かなくていい。
人が死ぬとはどういうことか、よく見ておけ。

そして母に、かすれる声で言いました。

皆によろしく伝えてくれ。悪いな、俺はここまでだ。

最後の言葉でした。

主治医の先生が心臓マッサージをしてくれましたが、蘇生はしませんでした。
最後は母が、先生を止めました。
主人を楽にしてやってください、と。
私はただ圧倒され、何も言えず、何も出来ず、涙を流すだけでした。

私は今月、父親になりました。

[コピペ]泣ける

860:彼氏いない歴774年 投稿日:2010/10/29(金) 21:37:34

ファミレスで独り飯してたら前のテーブルでのおっさんと女子高生の会話
おっさん→スーツの普通の中年。痩せてて東幹久系の雰囲気
女子高生→制服で黒髪で目ぱっちり可愛いかんじ

お「なんでも頼めww〇〇(多分女の子の名前)は昔から□□(聞き取れなかった)好きだもんなwww」
女「んーww」 注文して料理食べてた。
お「お母さん元気かwwww?」
女「元気だからww」
お「ご飯ちゃんと食べてるかwww?」
女「食べてるからww」

みたいな会話を延々と話してたから多分訳あり親子だと思った。
とにかくおっさんが場違いなくらいハイテンションだった。
でもその途中で

お「新しいお父さんは優しいかw?」
女「うんwいい人」
お「そか」
女「でも私は絶対お父さんが好きだから」
お「えっ?」

あんま話聞いてないけどこんな感じで、それからファミレスでおっさんが泣いてた。
ハイテンションじゃなくて本当に号泣で少し浮いてたけど、
それを女子高生が慰めてるのが印象的だった。
店員がおてふきを持ってきてた。
実際自分の変わりみたいな人間が出てきたら、
忘れられたらどうしようとか不安になるんだろうなあと思った。

2ch

メールフォームよりタレコミ頂きました。ちょっと切ないようなほのぼのするようなオハナシ。タイトルに「コピペ」ってつけないと勘違いされそうです(笑

レス主の「たう」さんは付き合っているバツイチの女性がいるらしく。

304 :たう :2006/10/03(火) 10:29:12
X1の女性と付き合っています。そろそろ3年を越えました。
彼女には二人子供がいます。

彼女と付き合った時には結婚は意識していませんでした。
最初は子供とは会わずにお付き合いをしていました。
彼女の話の中にいる子供たちの様子を聞きながら、ある日会ってみたいと思い、彼女にそう告げ
ました。

「だめだよ・・・」

彼女は言いました。子供のことに触れられたら、現実に戻らないといけないと。そう思っていた
ようです。

少しして
「別れましょう。私がいたら、あなたは幸せな人生を逃してしまう。私なんかよりもっと素敵な
あなたにあう人がいるよ」といいました。

「自分が付き合いたいのは、どこかにいる素敵な女性ではなく、今目の前にいて、自分を深く愛
してくれる○○(彼女)なんだよ。子供と会って、僕が子供たちと相性が悪く、どう考えても良
い状態でなかったのなら、その理由なら別れてもいい。でも、まだスタート地点にも立っていな
い。僕は君の子供たちと会いたい」

僕は、そういいました。

「でも、子供たちは前のだんなとの子で・・・」
「君の子供だよ」
「でも、結構、大きくなっているし・・・」
「ゆっくり生活を重ね合わせればいいじゃない」
「でも・・・」
「大丈夫^^一人より、二人のほうがきっと楽しい。それが4人ならもっと楽しいじゃない^^」
・・・こうして、子供たちと徐々に会うようになりました。

色んな恋の、色んな家族のカタチがあるのです。非常に考えさせられます。「たう」さんの行末やいかに?!

詳細は以下より

[コピペ]いい話

335 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:43:15

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

[コピペ]泣ける

492 :1/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:50:13

俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

493 :2/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:13

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

494 :3/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:48

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」

たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

495 :4/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:52:20

聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。

幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

496 :5/5 聞いてくれてありがとう 投稿日:2006/02/13(月) 05:53:09

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。

[コピペ]泣ける

46 :水先案名無い人 投稿日:2010/08/28(土) 10:57:59

今年の6月に男友達の披露宴に招待されて行ってきた。
話に聞いていたけど 新婦の父親は若くして癌で亡くなっていて新婦のお母さんのからの希望で
父親の為に披露宴はあげて下さいって頼まれていたみたい。
無論 俺の友達はちゃんとやる気ではあったみたいだけど。
んで 披露宴のクライマックス?ってのか 両親への花束贈呈の時に
急にビデオが流れたんだよね。
亡くなった父親が亡くなる前に「娘の結婚式に流してくれないか」って録画したものだった。
ここからは記憶をたどって 新婦の父親の言葉を言います。
多少 違うと思うけど感動したとこは覚えてる・・・
ってか後にもう2回ほどみしてもらったが(笑・・・んで2回泣かされたw
「まゆみ 結婚おめでとう。きっと綺麗な花嫁衣裳が似合ってるんだろうね。
見てあげられなくてごめんな。
来て下さり娘を祝福してくれている皆さん本当にありがとうございます。
新郎さんのご両親さま 娘を宜しくお願いします。

きっと みなさんのおかげで 娘は今幸せな時を迎えられていると思います。
本当にありがとうがざいます。きっと良き友達 上司 先輩方々に囲まれて
とても賑やかな式になっているところをこんな形での挨拶になってしまい
申し訳ないと思っていますが一つだけ一つだけ新郎にお願いがあります。
まゆみと生涯を共に考えてくれた新郎さん。
これから浮気やお酒などで夫婦喧嘩する事もあると思います。
ただお互いを労(いた)わる気持ちを忘れなければほとんどの障害は乗り越える事が出来ると思う。
私のお願いはひとつ。娘より1日でいいから永く生きてください。
私が私の妻に背負わせた悲しみを娘にまで経験させたくない。
娘が笑顔で息をひきとれるように 頼む!本当に1日でいいんだよ。永く生きてあげて下さい!
最後にゆりこ(新婦の母)まゆみをここまで立派に育ててくれてありがとう。
私は君と結婚出来てとても幸せだったよ。
まゆみ お母さんを見習って幸せな家庭を作って下さい。」
と新婦のお母さんも初めて観たらしい。看護婦さんに撮ってもらったみたいで
最後の方はビデオの後ろですすり泣く声が入っていたよ。
本当に感動した父の言葉だったなぁ