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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]いい話

819:なごむ 投稿日:2011/02/04(金) 17:38:24

昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。

失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が
今日から登校するようになったからだ、と。

彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で
髪の毛が全部抜けてしまったらしい。

「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、
だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」

と弟は言っていた。

翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり

「同じ事考えた奴が一杯いた……」

と。

なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主か
それに近い頭になっており、病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート
一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。

丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら
「ありがとうありがとう」と泣いたという。

示し合わせたわけでもないのに、
全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が
気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。

[コピペ]ほのぼの

691 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:23:31

息子の友達が 昨日、遊びに来たのよ。
大学落ちまくって なんとか最後にひっかかって入学許可をもらったらしい。
それで、彼らの話を聞いてる間に俺もいろいろと思いだした。

思いかえせば14年前のこと。
ある日、突然に 28の毒男が、3才の息子ができたのよ。
はじめて会った時、嫁の縮小コピーってかんじだっけな。

電車の中で騒ぐガキがうざいとか
親子連れを見てもイライラしてた自分には
可愛いかったのかと、聞かれても 正直「?」なわけ。

一緒に暮らし始めた頃、
話しかけても、軽く無視をするか嫁の後ろに隠れてた。
たまに、じーっと俺を見てたと思ったら、すっと視線もそらす
保育園に迎えに行っても、ふーんってな顔されたり、
先に駆け出していっちまったり…
まぁ 嬉しいことではないが、そんなしぐさも、
ちょっとおもしろいと思ってた。

嫁の仕事はかなり不規則でハードな仕事なんで
息子は赤さんの頃から、嫁と離れてることには慣れている。
保育園や託児所に、息子を置いて行くときも泣いて嫌がったことは
今までに、一度もないという。エライ自立したガキだと、思った。

692 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:24:31

お互い変な緊張はなくなったが、態度はかわらぬ息子。
俺も自由気ままにビデオみたり、本をみたり過ごし
息子は息子で、時々、でゅひ!とかボクンとかいいながら
ポケモンを闘わせて妄想の世界で楽しむというかんじ。
だが、いつも 俺の足だったり、背中に、足を乗せてきたり
どっか体をくっつけて遊ぶんだ。俺に気がつかれると、サッと元に戻す。

めんどうくさいんで、膝に乗せてやったら、
俺の顔をいじくるわ、ヒゲそり後のジョリジョリをいつまでもさわってきやがった。
あんまり、うるさいんでコラ!といったら、ニッコリ笑いやがった。

不覚にも 可愛いと思った。
それと、今まで、どんなに寂しい思いを我慢してきたんだろうと考えたら、
ちょっと目から汁がでた。

そんな息子の誕生日。「何が欲しい?」と聞いた。
答えは、「銭湯に行って男湯にはいりたい」だった。

もちろん、露天風呂のついた銭湯へ!
それからは、風呂を入れるのは俺の役目となった。
少々、窮屈なのは我慢しよう。
ただ、珍しがって股間を覗くのは、犯罪行為だと注意した。

しばらくして、嫁の仕事も落ち着き、生活に慣れてきた頃、
息子を預けて、北海道に新婚旅行に行くことになった。
荷物は、すでに送っていよいよ出発となった。
嫁はすごく楽しみにしてたし、満足してた。

だが、空港に着くなり、俺がダメになった。
飛行機が落ちたらなんて、今まで考えたこともない事が浮かぶ。
息子の顔のナキベソが浮かぶ。

天候のせいで便が遅れているというアナウンスに反応してしまい
その勢いでキャンセルしちまった。

ついつい、払い戻しで伊豆行きの特急券を購入しちまった、3人分。
「イドリコ、イドリコ」とはしゃぐ息子。踊り子号だバカタレ!

693 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:27:28

それから、ちょっと成長して、息子が夢中になったのは
ザリガニ。俺の職場と自宅は歩いて5分のところ。

昼休みの時間を見計らって、息子が現れる。
バケツ一杯のザリガニだったり、ダンゴムシだったり、カメムシだったりを自慢しに来る。
かなり面食らうが、今日は何だろうと…ひそかな楽しみでもあった。

周りから、カワイイといえるのは、今のうちだよと、強迫めいた言葉を尻目に、
ランドセルに背負われて入学式。
俺もからかいネタの収集のために参加したよ。

この頃より、夢中になったのは 映画。
映画は、のびたの…とか、しんちゃんの…には、行きたがらない。
アニメといっても、宮崎アニメ
俺の好みの洋画にばっちし、バッティングしてきた。
スターウォーズ ロスト・ワールド メン・イン・ブラック GODZILLA
なかでも、スターウォーズは、ヲタク並み。
ロスト・ワールドの影響で、考古学者になりたいだと吠えだした。
なので、軽く夢を潰しに、いわきや多治見に化石堀の困難さを経験させに連れて行った。
帰りに、あまりの興奮で熱だしやがったけどな。

学校では、おきまりの学級崩壊やイジメなどの問題が山積み。
当事者になるには、弱虫すぎるので安心していたが、
巻き込まれて、泣きをみるのではないかと心配した。みごと的中!

友達の高級品紛失事件。ふてくされてひとりで登校拒否するなんぞ
百年早いわ!しょうがないから、有給休暇という出社拒否をしてやった。
ついでに、出始めたばかりのDVDレコーダーを買いにいって、
キレイな画像を一緒に初体験したっけね。
ま、それも担任の先生が息子の事をよくわかってくれたから
たった3日のお楽しみに終わったけどね。毛が薄くなった気がしたよ。

694 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:30:13

中学校になったら、ライトセーバーを振り回したかったのか剣道に夢中になりやがった。
こっちもつられて、剣道アニメとかにはまちゃったりしちゃったヨ。

でも、助かったよ 竹刀を喧嘩の道具じゃないとか、剣の道とか言い出したり
ヘナチョコ剣士で負けては凹んでたけど、剣筋はキレイだった。
そういえば、剣道は勝ち負けじゃないってイイワケも格好よかったゼ!

高校受験も、肝冷やしたよ。
中学ぐらいだったらなんとか教えられると思ってた俺だったけど
教える能力が皆無だったことに気がついた。よく、喧嘩したな。
アタマは悪くないだろうけど、やる気スイッチがみつからなかったね。
最後の手段でカテキョに任してしまったけど、よく頑張った!

695 : 690 投稿日: 2010/03/10(水) 12:31:14

高校時代はの息子は、何を考えてるのかわかんなかったよ。
ネトゲにはまってみたり、あんまり楽しそうなんで、
つい俺もやっちまったじゃないか。

「おとん!エヴァは面白い!」と、なんだかわからんうちに
映画に連れて行かれたな。みごと、はまった俺。

だが、修学旅行の土産に…アスカのフィギュアはちと痛い。
ちなみに、レイちゃんのが好みだ。

高校生になって、クソ生意気なこといいながらも、足癖は直らない。
わざわざ俺の部屋にWiiを持ち込んで大剣で狩りをする。
足は相変わらず、俺の足の上。笑っちまうゼ。

それに、あれだぞ…ネットのネタだったとはいえ、歴史や社会情勢で
息子と討論するなんて、想像できなかったよ。
「やらない善よりやる偽善」とか、目が点になった。

最近だと、国母くんの問題。
俺が、ああいう格好は見慣れたもんだし、壮行会中止はやりすぎだと言ったら、
記者会見の態度がいけない。思っても口に出したりしないのがオトナ。

んん??  ・・・完敗

来月で、19歳になる息子。
背もみごとに追い抜かされた。アタマを叩くこともままならぬ。

躾とか、人生を教えるとか、父親としての自信なんて、
かけらもなかったが、息子が父親に育ててくれた気がする。
俺が未熟なんだからできっこなかったしね。

反対に、俺が学んだことが多かったな。
泣いたり、怒ったり、喧嘩したり、理不尽なこともあったが、
子育ては、十分 楽しませてもらった気がする。

あと、1年で成人。オトナになっちまうんだな。
俺も子離れしないといけないな。

[コピペ]トリビア

24 マンナちゃん(内モンゴル自治区) 2011/02/01(火) 13:45:12

長友なんて大したことはない

中学、高校と選抜、国体に選ばれることもなく

もちろんプロや大学にスカウトされることもなく

スポーツ推薦はもらえず、片親に負担をかけないよう

学業による推薦で明治大学に入学した出来損ない

大学二年までサッカーの応援団として太鼓を叩き

サッカーすらまともにできず、プロになるなど夢のまた夢で

当時の知り合いには「俺のサインもらっておけば」と話すほどの口だけ番長

鍛えた体に大学の監督が気づいたおかげで、やっと試合で使われだしたのが2006年頃

そこから選抜、五輪代表に運よくたまたま選ばれ

遂にはA代表デビューまで果たした

代表デビュー戦では招待をした祖父母を感動のあまりに

泣き崩れさせるという親不孝っぷり

今では離婚した両親の代わりに、自分が家族の面倒を見ている偽善者

ガラガラのスタジアムの太鼓叩きから五年も経って

世界クラブ王者であり、セリエA五連覇中のインテルに

アジア人として初めて移籍する快挙

高校、大学と筋力トレーニングだけは欠かさず

カップラーメンなどは一度も食べたことがないまま

人間がギリギリ生きていける数字の体脂肪率3.5%を守り

太鼓を叩きながらチャンスを待ってた馬鹿野郎

そんなどこにでもいる男。

それが長友佑都

当サイト関連

[コピペ]トリビア

深剃り難しい

「深剃り」を謳ったシェーバーが色々ありますが、なかなかうまく行かないことが多いですよね。

みんな大好きジレットの電動式(といっても震えるだけ)と

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ブラウン(Braun)
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みんな大好きブラウンのシリーズ7を使っていますが、どうもうまく剃れません。深剃り出来ている気がしません。ググったところ、「ひげ出し」なる技があるようです。

詳細は以下より

[コピペ]いい話

578 カコイイ 2008/09/10(水) 00:50:40 ID:5essoVSD0

市役所のそばの喫茶店で茶ー飲んでたら、お年寄りが6〜7人入って来た。
どうやら市のIT講習の帰りらしい。
聞こえてきた話ではどうもあまりよろしくない講師に当たってしまったらしく、
「講師のいうとおりにしたら自宅ではうまくいかなかった。
なので今日それを質問したらやり方が悪いだけだと怒られた。しかも元に戻せなくなっちゃった。
どうしよう…」と言い合っている。

自分はそれに心当たりがあったので出しゃばりだったけど、話しかけて、
「それはこういうことなんですよ」と説明して、元に戻すやり方もお教えした。

その瞬間、「おおお…」と声が上がり、「じゃあこれは?」「あれについても教えて!」と
プチIT講習になってしまって、お年寄りたちにすごく感謝され、コーヒーのおかわりと
ケーキおごってもらった。

勇気を出して話しかけてみてよかった。そん時の自分はけっこうかっこよかったはずだ。
たとえハローワークの帰り道だったとしてもな!

580 カコイイ 2008/09/10(水) 18:24:47 ID:QkR4QIqb0

>578
もしかしたらそれこそが天職のヒントじゃないか?
お年寄りにもわかりやすくなおかつ丁寧に教えられるって
結構すごいと思う

614 カコイイ578 2008/09/25(木) 00:48:25 ID:DxyexCXb0

カコイイ話じゃなくてすまん。
でも報告に来たかった。このスレの>578なんだが、
市の施設でお年寄りに家電の使い方教えたり、
手伝ったりお年寄りにできないことサポートするセンターの
臨時職員募集してた。

面接行って、通った。半年だけだけど、職が見つかったよ。
>580の言葉がきっかけだった。ありがとう。

ネタ

先日紹介したラップで機内放送のサウスウエスト航空を覚えていますでしょうか。

ラップで機内アナウンス – サウスウエスト航空

面白いサービスを考えるもんですよね。

スペインのスパンエアーという航空会社がこれまた面白いサービスを昨年のクリスマスに実施したようなのです。もうシーズンは過ぎてしまいましたが紹介したいと思います。

詳細は以下より

[コピペ]いい話

171:名無しさん@恐縮です 投稿日:2009/05/13(水) 22:05:54

俺のバイクが盗まれたんだ。
傷だらけだったけど、まあ、ほぼ無事ってやつだ。
犯人は工房だった。もう、みたまんま不良という感じね。近所でもちょいちょい見かけていた奴でね。
盗んだバイクで走り出して、スピード違反で捕まったらしい。
バイク自体は警察から帰ってきたんだけど、工房本人はふた月ほどしてからオカンと同伴で
謝罪に来た。
といっても本人はほとんど顔を背けていたばっかだったけど、許したんだよ。
修理代も弁償するって、とりあえず4万円持ってきた。
よれよれの諭吉三枚とあとは五千円と千円の、一応札束wwww
後日、予定を明けてあらためて一人で来い、って言って、その日はそれでおしまい。
翌々日、ちゃんと一人で来て、ぼそぼそと謝る工房に洗車を手伝わせて、ワックスが乾くのを
待ってる間に家に上げたんだ。
それで、新品のヘルメットとプロテクタを渡した。工房のオカンの金で買ったやつね。
ワックス拭き取ってから工房を後ろに乗っけて峠行って、海へ行って、とにかく走り回った。
それから半年もたたないうちに、工房は二輪免許を取得することができて、報告にきたんだよ。
教習所での装備もプレゼントした一式を使ってたらしい。
あんまり嬉しそうにしてたから、「じゃあ、ときどきバイク貸してやんよwww」って言ったら、
ぽろぽろ泣き出してさ。
俺のバイクを盗んだことを、ちゃんと真正面から謝ったんだ。
ヤンキーっぽさは抜けきってなかったけど、洗車も手伝うし、バイク借りて返すときもちゃんと
ガソリン満タンにしてるし、なにより丁寧に乗ってる様子はわかった。
それからバイトで貯めた金で自分のバイクを買って、ときどきオカンを後ろに乗せて走る姿を
見ることができた。
オカン、顔がこわばってたけど。
バイクは、アクセル回すだけで人間の力を簡単に超えることができるし、自分をどこか別の場所へ
連れて行ってくれる気がする。
その高揚感は犯罪の領域に簡単に入ることができるわけだけど、
少なくともこの工房にとっては、それほど悪くない場所へ連れてってくれたんだと思う。
俺のバイクGJ!!!
で、しばらく連絡なかったんだけど、その工房から今度結婚するからきておくれって手紙が来たんだ。

なんか嬉しくなったからここに書き留めておく

[コピペ]泣ける

630:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/01/03(月) 02:16:26

育ててくれた兄貴が正月に結婚したんだ。
兄貴といっても血は繋がって無いけれど。

自分が5歳の時に親父が死んでから母親が女手一人で育ててくれた。
親父と結婚する時に双方の親から反対されて縁を切られているから
親族に頼れる人もいなかったし二人で暮らしてた。

で、自分が13歳の時に母親が再婚したんだ。
相手にはその時23歳になる息子がいて、
その息子はもう独立していたから顔を合わせる事なんか滅多に無くて、
家族になったという感覚は皆無だったな。

で、再婚して1年たたないうちに両親二人が旅行中に車の事故で死んだんだ。

一人で家に取り残された中学生の自分は警察の話もマトモに
取り合えない位パニックになってたんだけれども、
独立して遠くに住んでいた兄が急いで飛んできて葬式の準備やら何やら色々やってくれた。
葬式では母親側の参列者が全くいなかった事を今でも覚えてる。

葬式の後、「お前、ウチに住め。中学もこっちに通え」って言ってくれて。
兄貴には同棲している彼女がいて気まずかったり気恥ずかしかったりしたけれど、
その彼女も本当に優しくて、二人には大学まで行かせてもらった。

631:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/01/03(月) 02:17:44

それで、去年の内定式の後、
兄貴と二人で近所の居酒屋で飲んだ時に卒業したら家を出ていくという話をしたら、

「お前がいるせいでアイツ(彼女)と如何わしい事が
全然出来なかったんだぞ!もっと早く出て行って欲しかったわ」

と頭を叩かれたと思ったら急にボロボロ泣き出して、

「家族を亡くして一人きりで今まで寂しかったろう?
辛い思いもしただろうに、よく頑張ったな」

って頭を撫でてきて。
自分も号泣ですよ。
店員は引いてたけれど。

で、クリスマスに兄貴と彼女と自分で家で食卓を囲んでいる時に、

兄貴「こいつももう卒業だ。今まで本当に苦労かけたな。
でも申し訳無いがこれからも苦労に付き合ってくれ、出来ればずっと。結婚しよう」

彼女「ばか・・・良いわよ、当たり前じゃない」

自分「今まで本当にありがとうございました」

その後三人で泣いて泣いて。

そんでもって正月に婚姻届を提出してた。

あまりに嬉しかったから書いてみたかっただけ!
明日母さんの墓前に報告に行く!ひゃっほい!

よし寝る。

ネタ

仮に突然自分が死ぬなら一番確率が高いのはなんでしょうか。

日本において、普通の暮らしをしているとすれば、恐らく、クルマの事故なのではないかと思われます。

その怖い怖い「クルマの事故」についての衝撃の動画を紹介したいと思います。

詳細は以下より

[コピペ]いい話

33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/26(日) 01:33:11

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。

見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・
と撮った写真らしかった。

俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。

母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には
父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。