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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]全米が泣いた

10 既にその名前は使われています 2008/10/16(木) 21:59:57

きた!帰ってきた! かつる!

一週間前に別れた女は最悪だった・・・というか別れ方が最悪だった
1週間前、それは彼女の誕生日。
俺は頑張って彼女の行きたがってたフレンチレストランを予約した。
1人1万8000円もするコースだ。定刻通り待ち合わせ場所に来た彼女と他愛も無い話をしながらレストランへ
店前で気付く彼女

「ここは・・・覚えててくれたんだ」

涙ぐむ彼女をエスコートして、店内そしてテーブルへ。
サラダが運ばれて来ても涙が止まらない彼女を横目に、ウェイターに『すいませんね』みたいな顔で一瞥する俺。
話しかけると、泣き止むどころか激しさを増す彼女。

「そんなに泣くなって、せっかくの誕生日だし・・・ここ来たかったんだろ?」

想定外のドラマの様なシチュエーションに観客を欲する俺の声は良く響き、周りの客から祝福の微笑みを貰う。

「違うの・・・違うの・・・」

尚も泣く彼女

「何だよ、良いから涙拭けって」

ボルテージが上がり更に大声になる俺に惹きつけられる観衆の耳。

「別れたいの、ゴメンね」

大きな涙声で意表をつかれ、一斉に会話を止め固まる観衆と俺。

12 既にその名前は使われています 2008/10/16(木) 22:02:42

「えっちょっと落ち着こう、ワイン頼む?」

明らかに動転して訳ワカンナイ事を言い出す俺、

「ゴメンね!ホントにゴメン!」

最後の大声をあげて、店から走り出す彼女、硬直してる俺と目線をキョロキョロさせる観衆。
混乱と恥ずかしさで暫し現実逃避をしている俺にスープを持って現れるウェイター。
『帰るなら今ですよ』という顔でコッチを見るウェイターの気遣いが余計に恥ずかしくて、

「おいしそうだ」

とグルメ気取りのコメントを発し、スープを受取ってしまった俺。
『死にたい』と思ったのは初めてだったが、『何か?』みたいな顔で、コースを食べ続ける俺。
そんなこんなでメインの肉を食べてる時だった、不意に振り返ると彼女が!
色んな意味で、とにかく嬉しくて怒るどころか

「心配したよ、どうしたの?」

テラ優しい俺、安堵感のオーラ出し杉の店内。
そして無言のまま椅子に忘れた携帯を握り締め、再びダッシュの彼女。

13 既にその名前は使われています 2008/10/16(木) 22:03:50

再び緊張感マックスハートの店内、そして近づくウェイター

「デザートは・・・どうしますか?」

小声だ、ザ・小声だ。そりゃそうだ、デザートには事前にバースデーケーキを頼んでおいたんだから・・・
いくら恥ずかしくてもコレは食えない

「無しの方向で」

また訳のワカラナイ言葉を発し、俺は席を立ったフラれた事より視線が痛い。
合計20000円にしてくれた店には感謝の言葉もないが、その優しさがまた痛い。
そんなこんなで1週間経ちましたが俺は元気です。

ネタ

sazaexxx.jpg
もう既に観た方も多いと思いますが、サザエさんの25年後を実写で復刻させた
CMが非常に良く出来てるので紹介したいと思います。
詳細は以下より

[コピペ]泣ける

115 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/07/11(水) 10:32:21

幼い頃に父がなくなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。

母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われた。

帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで言葉にならなかった。

[コピペ]泣ける

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県) :2008/09/13(土) 23:21:00

会社経営していた親父は46歳で癌で死んだ。
社命がかかっているので(小さな会社だが)告知望み死期を医者から教えてもらった父は
厨房の俺から見ても超人的な気力で仕事の引継ぎや遺産相続の処理を行い、それから死んだ。
死を覚悟し全部自分で成し遂げたかっこいい親父だと思ってた。

それから10年経ち、大学を卒業した俺は「好きなことをしなさい」と言う母を押しのけ亡き親父の会社へ入った。
親父が亡くなったあと、祖父の代からいる番頭さんが会社をまとめてくれていた。
「もしも○○←俺、が会社を継いでくれる日が来るなら」と俺が継がないなら番頭さんが辞めるときに
この会社も終わりにしよう、と親父が言っていたらしい。

俺の初出社の日、番頭さん(といっても社長だが)が初めて話をしてくれた。
当時あれだけ冷静に死の準備をしていたように見えた親父の話だ。
死が逃れられないことを知った親父は本当に会社の屋上から飛び降りようとしたらしい。
それを番頭さん以下数人でタックルして阻止したことや
俺や弟と酒と酌み交わす日が絶対に来ないことを、妹の未来のだんなには絶対会えないことを
狂ったように親父が嘆き悲しんでいたこと、
死を前にしてもクールに見えた親父の別の面をこのとき初めて聞いた。
俺にとっての親父のイメージってカッコイイ40歳くらいの時の写真だからさ。

しがない会社だけど、俺の代では絶対につぶさない。

[コピペ]トリビア

443 名無し三等兵 :2008/10/10(金) 20:30:21 ID:???
ざっと計算してみた、これであってるかな?

コンニャクゼリー売り上げは100億の2/3がマ社で66億円、
その9割が蒟蒻畑で59億円、1袋の定価250円で割ると23600000袋、
小売価格はもっと安いし、卸値もさらに安いから、
かなり少なく見積もって2千3百万袋の売り上げはある。

日本の世帯数約4千9百万で、2千3百万袋を消費。
=およそ0.47世帯で1袋。
蒟蒻畑は1袋に25グラム×12個入りだから1袋300グラム。
つまり1世帯辺りの消費量は141グラム以上。

もちの消費量は一世帯あたり2.5キロ程度、2.5キロを141グラムで割ると17.7。

蒟蒻畑の事故報告数は95年からの12年間で3件。
12年分のもち死亡者が3の17.7倍の53.1件より少なければ、もちの方が安全。

204ヶ所中75ヶ所から回収できた救命救急センターからの報告では、
91件のもち誤嚥事故が発生、もちを含む全ての誤嚥事故の死亡率は62.7%なので、
もちの91件の中の57件(62.7%)も死亡してる可能性が大きく、
その時点で、その年の分だけでも53.1件をオーバー。

結論:かなり少なく見積もっても「もち」は「蒟蒻畑」の12倍以上危険。

[コピペ]泣ける

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)[] :2008/09/13(土) 23:38:00

中学のとき、体が弱いA君ってのがいてさ。
まあ普通に授業とかは受けられるし普段は元気なんだけど、体育とかあんまり参加できなくて、ちょくちょく入院してた。
馬鹿だった俺は純粋に「学校休めて良いなー」みたいな、そんな感じで、あんま関わったこと無かった。
でも中3の夏休み、塾の夏期講習の帰り道でA君と出会って、話のノリでA君の家に遊びに行った。
2人でゲームしたり、受験の話したり、好きな子の話とかしたりして、夏休みからかなり仲良くなった。

それで冬になって、丁度今みたいな受験シーズン。
俺は普通の高校だったけど、Aは県でトップの難関校志望だった。
なんかしてやりたいって思って、俺男の癖に裁縫得意だからフェルトでお守り作ったんだ。
受験日前日にお守りあげたら、A、号泣ww
「ありがとう、ありがとう…頑張るよ」ってずっと言ってて、何故か俺も涙目だったww

んで合格発表の日。
見事俺もAも合格!
2人で抱き合って泣きながら笑った。
Aが合格したことが本当に嬉しかった。

一通り行事も終わり、残るは卒業式って頃に、お約束のタイムカプセル皆で埋めた。
俺のクラスはかなり自由で、食い物以外は何でも入れてOK。
俺は適当にZARDのCDとか入れてたww

んで、中学の友達とも疎遠になっていた4年前の成人式。
中学の同窓会も兼ねてたんだけど、学年の3分の2位しか来なくて、Aも来てなかった。
飲み食いした後にタイムカプセル開封。

自分の分開けたりして一通り盛り上がった後に、Aの分見つけた。
見るつもりは無かったんだけど、その中に俺宛の手紙があった。
中を読んで愕然とした。

「お久しぶりです、20歳の俺くん。
この手紙を読んでる頃には、僕はもういないでしょう。もし生きていたら、これを君に読まれる前にこっそり隠しているからね。
(中略)
友達が居なかった僕と、一緒にゲームをしてくれてありがとう。
対戦モード、CP相手以外やったこと無かったから。凄く嬉しかった。
この前(と言っても今の俺くんにとってはずっと前)、「卒業してもまた遊ぼうぜ」って言ってくれてありがとう。でもごめんなさい、その約束、果たせなかったよ。
そして、お守り。
あのお守りが合格させてくれた、絶対そうだよ。
ちゃんとしたお礼がしたいと思ってたんだけど、できなかった。
だから、この手紙を読んで家に帰った後、空に向かって僕の名前を叫んでみて。
何か落とすから。楽しみにしててね!

それではさようなら。
俺くんの親友、Aより」

Aが亡くなったことは皆も知らなかったみたいで、俺は盛り上がってた会場抜けて家まで走った。
もう死ぬ気で。

家着いたらベランダまで登って、近所迷惑くらいな大きな声で叫んだ。
「Aーーーッ!」って。
5分くらいずっと叫んでたんだけど、何も変化ナシ。
途中から泣けてきて、声も出なくなった頃。

柵にかけてた手に、白い物体。

雪だった。

そのまま降り続け、かなり積もるまで俺ずっとベランダで体育座りで号泣。
雪が暖かかった。

まあ、こんなとこです。
感動出来なかったらごめんなさい。
でもこれは本当に起こったことで、俺の中では今でも大切な思い出です。

ありがとう。
感謝するのはこっちの方じゃないか。
ありがとう。ありがとう。

[コピペ]トリビア

53:韓国料理シェフ(新潟・東北) 2008/10/10 15:51:43

テレビの歴代黄門様が懲らしめた悪代官の人数は、
徳川幕府260年の期間に任命された全国代官の全人数の、すでに5倍以上になっている。

【参考】
水戸黄門 – Wikipedia


水戸黄門名作選 その1

[コピペ]トリビア

579 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/10(金) 21:19:10

【 ニッポン商店と、ミンシュトウの物語 】

・あるところに、赤字続きで経営が苦しいお店があった。
原因は店長の経営方針のミスだ……と責任を問われてる中、
「今の店長が悪い!一度、俺に店長をやらせろ!そしたら売上アップ間違いなし」と
大声で主張する人が現れた。しかしこの人は、お店を経営した経験が一度もない。

・さらに店員たちに対して約束した。
「全員の給料を26000円増やします!」 ← 子ども手当
(ただし、ボーナスを大幅に減らす事はナイショ ← 配偶者・扶養控除廃止)

・そんなお金どこにあるの?と聞かれたら、
「お金は、ここにある!これを使えばいい」と金庫の現金を見せた。 ← 外貨準備金
(でもそれは取引先に支払う分のお金で、手を付けたら商売終了なのは、ナイショ)

・その時、近所で大火事が発生。あちこちに燃え広がり、そのお店にも火が! ← 米国金融危機
「話は後だ、まずは火を消せ!店が燃えちまう」と消化作業に向かう店長。しかし、
「火事なんかどうでもいい。俺が新店長になって、経営を立て直す方が先」
「俺が新店長になりさえすれは、俺の力で火なんか消してやる」と、行く手をさえぎる。

・「何を言ってるんだ、店が無くなると元も子もないだろ!」
「お前も店員の一人なんだから、協力して一緒に水をかけろ」と、諭されると、
「……協力してもいいけど」と呟きながら、最後にこう切り出した。
「それよりも店長を選ぶ日をいつにする?それを決めてくれたら協力する」 ← 鳩山発言

果たして有限会社「ニッポン商店」は、この先生きのこる事が出来るのか?次回に続く

映画・ドラマ

ge01.jpg
MTVや、CSのキッズチャンネルで放映され、当時かなり人気があった、The World of Golden Eggsという番組を知ってますでしょうか?ちょっと前からヴィレッジヴァンガードでも流れるようになったので知ってる方も増えたのではないでしょうか。
日産のCMに起用されたのが記憶に新しいですね。
とにかくかなり面白いので紹介したいと思います!

詳細は以下より

[コピペ]トリビア

621 名前:水先案名無い人 投稿日:2008/10/06(月) 21:28:32

貼ろうと思ったけど、ネット上に俺の知ってる内容が無い。

キャラメルコーンが最初に市販化されたのはS40年代半ばのこと。
東鳩は自信満々でこれを世に出したところ、ある時期から一斉に返品をくらうようになった。
理由は、夏の暑さでキャラメルのコーティングが溶けて、中身がガチガチに固まってしまうから。

しかし商品に自信のあった東鳩社員はこんなことでめげない。
その後の様々な改良テストの結果、極々少量の塩を均一にふりかければ固化は
避けられることが分かった。
しかし研究段階ではクリヤできても、量産化となるとこれが難しい。
液体なら攪拌できるけど、すでに出来上がったキャラメルコーンにどうやって「極々少量の塩」を
「均一に」混ぜるか。

そこで思いついたのが市販化されているピーナッツ。
極少量の塩を直接ふりかけるのではなく、ピーナッツを一定量混ぜれば、それに比例して
自動的に「極少量の塩」を「均一」に混ぜられることが分かった。

これでロット毎のバラツキはクリヤした。残るは一袋の中身の均一化。
これはキャラメルコーンを袋詰めした後、袋の上にピーナッツを混ぜ、工場出荷後の輸送中に
ピーナッツが上方から下方へ自然と落下することで、袋の中身に極少量の塩を均一に
行き渡らせることが可能となった。


キャラメルコーン お風呂用 50G