689 :癒されたい名無しさん :2006/04/04(火) 00:02:11 ID:TsqReHtD
友達が亡くなったのは6年前。
高校卒業後直ぐに職場結婚をしてすぐに長女を出産した。
出産直後に彼女の口から「乳癌で胸を切らないといけない」と聞いた。
妊娠前に既に病魔におかされていたらしく、胸筋から肩に掛けての
筋肉まで切除することになった。
その頃から彼女は「生きる意味、自分の人生」を見つめなおした。
ギャンブルに明け暮れているが子供に優しい旦那、
自分はこの男を愛しているのだろうか?
結婚したのは末期癌だった父に花嫁姿を見せたかったから。
安易といえば安易だけど結局具体的な理由なんてそんなもんだ。
旦那の浪費をカバーする為に子供が寝た後の深夜に病後だというのに
アルバイトに行き出した。辛いが結構楽しくやってると笑っていた。
そこで、副店長をしている人と知り合った。
決して不倫などはしなかった。ただ、好きになった。
健康とはとても言えない、ましてや乳房がひとつしかない。
黙って旦那と過ごすのが世間的にも当たり前の選択。
ましてや相手の気持ちなんか怖くて聞けないと言った。
690 :癒されたい名無しさん :2006/04/04(火) 00:18:54 ID:TsqReHtD
続き
だけど彼女は一人で暮らす事を選んだ。
残り少ない人生を世間体だけでムダに過ごすのは出来ないと言って。
当然子供は旦那が引き取ると主張した。
収入も健康も不安定な彼女に任せる事は出来ないと。
お金がないので家族で住んでいた社宅から夜に何度も
私と友人2人の4人で荷物をバンに乗せて運んだ。
ぼろっちいドリフのコントに出てきそうなアパートの2階。
「まるで夜逃げだ」とみんなで笑った。
夜のバイトだけでは生活が出来ないと昼間スーパーでも働いた。
「いつ寝るのよ」と冗談半分に言ってみたが(身体が心配だったから)
「生きていく為だもん、だいじょーぶよ」と笑っていた。
癌は5年再発しないなら完治したというらしいから後2年頑張ると言っていた。
1年ほど忙しさにかまけて連絡も滞ってた頃
「引越ししました。遊びにおいでよ」という手紙がきた。
彼女の人生の転機となった彼と暮らすと。
「夜逃げ」仲間が新居に押しかけて(彼は仕事でいなかった)鍋パーティをした。
結婚していた友人が先に帰る事になり、もう一人の友人が駅まで送って行って
2人きりで部屋でテレビゲームをしていたとき、ぽつりと彼女が言った。
「後少しだったんだけどね。再発しちゃったわ」
肺に飛び散ったようにがん細胞が転移していた。
691 :癒されたい名無しさん :2006/04/04(火) 00:40:38 ID:TsqReHtD
続き
返す言葉もなくテレビ画面を見ながら「そうか」とだけ答えた。
彼女も黙ってテレビ画面を見ていた。二人で黙々とサイコロを小悪魔で
転がすゲームをした。
「私、死ぬつもりはないからね」突然彼女がいった。
「当たり前じゃばか」と私も答えた。
半年後、彼女は入院した。リンパに癌が転移した。
見舞いには来てくれるなといった。その言葉に従って見舞いには行かなかった。
ただ、彼女の母さんに『ドリームキャッチャー』を預けた。いい事だけが
彼女に起こりますようにと。
退院する度に「飲みにいこうよ」とメールがきた。退院するたびに4人で集まった。
何事も無かったかのように笑い、食べ、飲んだ。彼女の長い髪が肩に掛かっていないのが
唯一の彼女の戦いの跡だった。
「入院しました。良かったらお見舞いにきてくれない?」と初めてメールがきた。
病室に入ると身動きも取れない彼女が小さく手を振った。頭の上には私が贈った
『ドリームキャッチャー』が風に揺れていた。
言いたい事が見つからず「なにか食べたいものない?」と聞いた。
「すいかが食べたいな」と彼女が小さな声で言った。
少し離れた市場まで走って行きで1/4のスイカを買った。
小さく切ったスイカを口に含ませてあげると「甘いね」と笑った。
夕方、彼氏が病室に顔を出した。ちょっと小太りだけど温かい笑顔の人だった。
「今日は髪を洗ってあげるよ」「うん、ありがとう」
何気ない会話を交し合う二人を黙って見つめた。
「お邪魔だからそろそろ帰るね」と腰をあげた時、彼が彼女を抱き上げて車椅子に乗せ
黙って3人で病室の外までいった。
692 :癒されたい名無しさん :2006/04/04(火) 01:05:10 ID:TsqReHtD
続き
「ここでいいよ。また来るから」と言うと「今度はゼリーがいいな」と
彼女は言った。手を振り合って私はエレベーターに彼女と彼はシャワー室へと進んだ。
初秋の夕暮れ。そっと振り返って彼が押す車椅子を見た。ぽつりぽつりとした話し声と
小さな笑い声が聞こえた。この姿を一生覚えておこうと思った。
それからまもなく彼女のお姉さんから『幸子が亡くなりました。』というファックスがきた。
友達の車でお通夜に向かいながら「行きたくないね」「逃げちゃおうか」と
冗談とも本気とも言えない事をずっと言っていた。
お通夜の席で受付に元旦那さんが座っていた。「その節はどうも」と苦笑いをされた。
彼の姿を探すと隅の方に申し訳なさそうに小さくなって座っていた。
「お疲れ様でした。最後まで一緒に居てくれてありがとう」と声を掛けた。
「いや、僕が死に水を取る為みたいなつもりで暮らしていましたから。覚悟はしてたんですが
やはり部屋に帰って玄関にあの子の靴があると『ただいま』って言っちゃって参ります。」
と言った。
告別式でも彼は参列者の一人としてお焼香を上げていた。遺影を持つことも位牌を持つことも
出来なかった。高校時代の友達が泣いているのを不思議な気持ちで見つめた。
最後の対面の時、初めて彼が搾り出すように嗚咽を漏らして泣いた。その姿を見て私も
初めて泣いた。声を上げて泣いた。
死にたく無い、死ぬつもりはない と強くいった彼女を思った。
死に水を取る為に彼女を愛した彼を思った。
ごめんね、もっとお見舞いいけばよかった。ゼリー食べさせてあげれなかったね。
もっと言葉掛ければ良かった。好きなお酒も思い切り飲ませてあげなくてごめんね。
数日後、彼女の携帯に深夜電話してみた。繋がった。慌てて切ろうとしたら彼が出た。
「もしもし?」
「す、すいません夜中に。切りますごめんなさい」
「○○さん?」
「・・・はい」
「幸子はもう痛くないよ。安心して眠ってください」
「・・・すいません」
「ありがとう。彼女を好いてくれてありがとう。」
「ありがとうございます。最後まで彼女を愛して下さって」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
さっちゃん。今はそちらはどうですか?貴女が居なくなって6年です。