[コピペ]泣ける

4:名無しの心子知らず: 2007/09/27(木) 19:16:15

うちの息子、自閉症で言葉も二歳なのにやっと二語文が話せるように。
毎日毎日パニックと癇癪でこの一年ですごく老けた私。
もう我慢できない、いっそ可愛くなくなってしまえば楽なのに…
そう思っていたら今日息子がハッキリとママ、だぁいすき。って言った。
私がいつも息子にだぁいすきって言うのをマネしただけなんだけど
思わずニコニコする息子の前で泣いてしまった。
きょとんとした顔で私を見つめた後、洗濯物畳んでいた私の手から
パパのパンツを取ってパンツで顔を拭いてくれました。
泣きながら大笑いする私を見て本当に嬉しそうに、エヘヘと笑う息子。
もう悩んだりしないって決めた。

[コピペ]ほのぼの

330:名無しの心子知らず 投稿日:2010/12/25(土) 12:48:41

サンタ報告

子供二人分のプレゼントをセットしてWKTKして寝て
朝、娘が超ハイテンションで「プレゼント3つある!」と
私を起こしてきた、見ると本当に3つあって、開けてみると私への物だったwww

まさか私にプレゼントが有るとは思いもせず
一瞬本当にサンタさんが届けてくれたのかと思い
子供の頃のWKTKが蘇えってきた

中には手紙が有り

お母さんへ
何時も一生懸命、家や子供を守ってくれていますね
私はちゃんと見ています
頑張りすぎて手が荒れて切れてしまってますね
少しでもその手が良くなるようにこのプレゼントを届けに来ました

サンタより

と、軟膏とハンドクリームが入っていた

[コピペ]いい話

911 :水先案名無い人 投稿日:03/11/01(土) 11:44

保育園で「○○ちゃんは△△くんとケソコンしたいねんて一」という話を聞かせてくれた子どもに、
おもしろがって、「お母さん、ルイとケッコンしよっかな一」と言い寄っでみたら、
彼はすかさず「へへー、ケッコンなんかしないくせに」とやられてしまった。

子どもが3才の頃、「ルイはどうしてうまれてきたのかな?」と問いかけたら、
「おかあさんとあいたかったから」という答えが返ってきた。
5才になってからひょいと思い出して同じ問いを投げかけたら、
「おかあさんを守るため」とまっすぐにこちらを見てこう答えた。

私はこの子に出会えて本当によかったと感謝している。
もう一度言おう。なんとかはなる。
あなたが本当に産んで育てたいなら。

シングルマザーの手記。
子供って凄いよ。
今まで生きてきた人生のなかで昨日の出来事は最強

[コピペ]泣ける

88 :水先案名無い人 投稿日:05/01/31(月) 03:09:37

敦生君の母孝子さんが車を運転中、事故に遭ったのは敦生君が
生後8カ月のころ。顔がまひし、手でソファをたたくぐらいしか
意思を伝える方法がなくなった。
昨春、入学した敦生君は、友達につばをかける「問題児」だった。
担任の佐藤住子教諭(57)が家庭訪問すると、口からだ液を流す
孝子さんの姿があった。「お母さんのまねをしていただけなんだ」
そう思った佐藤教諭が「お母さんは後遺症と必死で闘っている」
と言い聞かせると、問題行動はすぐに消えた。
佐藤教諭は昨年5月、授業でコンクールの課題図書「しゅくだい」
(宗正美子さん原案、いもとようこさん文・絵、岩崎書店)を読み
聞かせた。
「しゅくだい」はモグラの「もぐ」が主人公。学校で「だっこして
もらうこと」が宿題として出されたが、母親は妹の世話で忙しく、
構ってもらえない。遠慮して言い出せなかった「もぐ」が母親に
宿題のことをきかれ、事情を知った家族がみんなで「もぐ」を抱き
しめるという作品だ。
佐藤教諭は作品にならって「だっこ」を宿題に出した。敦生君を意識
したわけではなかったが「ママは僕をだっこできるかな」ともじもじ
する敦生君に気付いた。「あっくんはきっとママにだっこしてもらう
と思うよ」と言うと、敦生君はうれしそうに跳びはねて家に帰ったという。
言葉を話せない孝子さんは子供をしかる時、つめでソファを引っかいて
表現する。家に帰った敦生君が孝子さんのひざにそっと乗った時、
孝子さんはソファを引っかかなかった。敦生君は「ママ、ちょっと
笑った。ぼくはいっぱい笑った。ママって温かいと思った」と振り返る。
孝子さんはそれからリハビリに熱が入り、人に支えられながらも歩く
足取りがしっかりしてきたという。

94 :水先案名無い人 投稿日:05/01/31(月) 13:14:07

山内君の感想文全文
「しゅくだいは、だっこです」とせんせいがいいました。
「もぐは、おかあさんやおとうさんにだっこされて、とっても気もちよさそうです」と
ひらりちゃんがいったあとにです。
「ママは、ぼくをだっこできるだろうか」。ぼくは、すこししんばいになってきました。
せんせいが、ぼくにいいました。「あっくんは、ママにだっこしてもらうんでしよ」
「ママにだっこしてもらうと、ぼくのあたまは、よだれでべちょべちょになるよ」と
ぼくがふざけていうと、せんせいは、「ママが一ばんすきなあっくんは、きっとママに
だっこしてもらうとおもうよ」といいました。ぼくもこころのなかで、「しゅくだいのだっこは
ママだけ」とおもっていたので、「せんせい、ピンポーン、大あたり」とさけんで
いました。
ぼくのママは、ぼくがうまれて八カ月のとき、ぼくとぼくのおにいちゃんをのせて、
うんてんしていて、こうつうじこにあって、ママだけからだがうごかなくなったのです。
このごろ、おばあちゃんにつかまってすこしあるけるようになってきたのです。
ママは、ぼくたちのはなしをきくことはできますが、はなすことはできません。
ママのうれしいことは、ぼくとおにいちゃんが、ほめられるときです。
にこにこがおをします。かなしいときやおこったときは、ソファーをつめできずつけます。
また、こうつうじこであたまもうったので、口からよだれをたらします。ぼくは、
ママのよだれがきたないとおもったことはありません。
ぼくは、ママにだっこされたことがなかったので、一回だけでいいからだっこして
ほしかったのです。でも、一年生にもなってママにだっこしてなんて、
はずかしかったのです。
しゅくだいが、だっこでよかった。

[コピペ]泣ける

442 :大人の名無しさん 投稿日:04/12/05 22:31:10

ごめんなさい
吐き出させてください。

15のとき、だからもう15年以上たつかな  父親が倒れて半身麻痺になった。
自営業で祖父からの床屋やってる父親だよ。おかげで倒れたその日から収入0。
母親がかけてくれていた保険がたった一つあって それもあわせてなんとかパートで兄、中3の私、中1の弟を
誰一人我慢させることもなく学校にいかせてくれたよ。
実の娘が言うのもアレだけど、自慢の母親だ。 めちゃくちゃ怖いけどね。

でもさ、
甘ったれの兄はその後 数年で、シルビア2台潰して車の借金だけでも300万抱えた。

半身麻痺の親父は親父で我儘放題。
しかも入院中に発覚した借金が約100万。父側の親戚は知らん顔してる中 母親側の親戚が穴埋めに回ってくれた。

同じ半身麻痺の方々が一所懸命リハビリしながら仕事しているのを見ても無反応。
なかには 明らかに親父より大変な麻痺の人が働いているのにも関わらず 膝が痛いと嘘ばかりついてた。
不自由になっても人を嫌な気持ちにさせるのがなにより楽しいと働きづめの母親の前でいびきをかいて昼寝したり、
母の悪口を仲間で言い合って笑っていた。
父は4人兄弟の末子長男。
甘やかされて育ったらしく 少しでも大変だと途中で放り出すし、母にキツク言われると姉3人に泣きつくわで
母は嫁姑小姑問題で結婚したときからとんでもなく苦労させられていた。

退院したその日から その父親は毎日携帯もって遊びまわってるんだよ。コンビニでエロ本買ってくるし、
ウチじゃ小遣いくれないからって嘘言って叔母の家に行っては遊ぶ金を貰ってさ。 好きなお菓子を買い込んで一人で食べる。
母が塩分の取りすぎは体に良くないって言ってるのに。
歩行訓練で知り合った障害者向けの卓球クラブで仲間つくってさ 試合だ練習だと月に何回も旅行だからって
その度に金を持っていくんだよ。
まあ 健康なときから自分の趣味にしかお金を掛けなかった人だけどね。

443 :442 投稿日:04/12/05 22:33:41

母親はそれでも 我慢してたんだ。
「これもリハビリの一環だから仕方ないんだよ」って笑ってたんだよ。
朝8時に仕事して、5時に家に帰って、夕食の支度、夜7時からパートで11時までの超ハードワーク。
中3の受験生に家事させる無駄な時間は無いと言って、全部一人でやってた。
(私が家事をすると逆に怒られた)
家の事も金のことも心配するなって。
アンタは勉強頑張れ、それだけはお母さんでもどうすることも出来ないからって。
それより 学校の行事参加できなくてごめんねって、
ウチにお金があったら 好きな学校いかせてやれるのに、ごめんねって、
進学説明会も一人で行かせることになってごめんねって何度も謝ってきたんだ。

私にも 弟にも 誕生日もクリスマスも正月もなにも買ってやれなくてごめんねと。
兄には 父親が働いていたので好きなものを買ってやれたのに、
その金が無い今は母の収入だと食わせるだけで精一杯で 本当にごめんね…と。

そんなこと どうでもいいのに。
わたしのことより 真冬の深夜に自転車で夜道走るんだから気をつけてよと。
働き過ぎなんだから日曜ぐらい休んでよって そう言いながら弟と夜出勤する母親を見送った。

その頃 家に残された私が12才の弟と 二人分のご飯をレンジで温めながら
なんにもできない子供な自分たちが凄く悔しかったのを 覚えている。

445 :442 投稿日:04/12/05 23:26:05

あんな父、兄を反面教師として無我夢中で勉強して、就職したよ。
全部 母親と自分の為だ。
当然 仕送りは欠かさないし、ボーナスには多めに振り込んでる。
何かあると家に帰って 会って話をしたり、ご飯食べに連れ出したり、金を置いてくる。
本当は一緒に暮らしたいけど、私は 父親と折り合い悪くて、一緒に暮らせなくて
経済的な援助しかできないのが 申し訳ないけど…

父親に何ひとつ買ってもらえなかった弟が 嫁さん貰った。
明るくて しっかりしてて とにかくいい人なんだ。
気が強くて、トコトン話し合おうとする年上女房で 話を聞くとどうやら母に似ているらしい。
主導権を握られてるんだと苦笑いする弟は 言葉とは真逆にとんでもなく嬉しそうな顔をしていた。
そんな昔の話や婚約者の話を3人でしていた時、
ふと 「結婚するといわれても、親としてなんにもしてやれないよ」と落ち込む母に
私と弟が 声を合わせて言った。もう 二人ともいい大人なのに 半泣きだった。

「頼むから もう楽になってよ」

頼って欲しかったんだ。ずっと ずっと。
絶対 泣かなかった弟も目に一杯涙溜めてて
ああ、この子も同じこと考えてたんだなあと思ったら 我慢できなくてつい声を出して泣いてしまったよ。
だから母親が『離婚を考えている』と言ってくれたとき 正直嬉しかった。
もう 子供のことなんて放っておいていいから 自分の人生だけちゃんと見てほしくて。
そのあとも昔の話をして、笑って また少し泣いたよ。

でも ウチのおかーさん 馬鹿が付くほどお人よしだから、きっと離婚なんか出来ないんだろうな…
まあ いいや 弟と私で絶対守るからね

ちくしょー こんな女になりたいなあ。
ゴメン 文章力なくて…

[コピペ]泣ける

543:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/11(月) 13:23:40

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

[コピペ]泣ける

394 :おさかなくわえた名無しさん :2007/09/07(金) 22:38:00

こどもの発達がちょっとゆっくりで、保健センターに通っている。
母子教室みたいなのの最中、おばあちゃんと男の子が二人迷い込んできた。
「すみません、里親会の集まりの会場はここでしょうか?」
トイレに行くときに貼り紙をみたので、
「それなら、上の階の○○室ですよ」と教えてあげた。
おばあちゃんは、頭を下げながら男の子達の手をしっかり握って去っていった。

でも、○○室って引っ込んでてわかりにくいんだよな~と思い出し、
案内した方が良いかなと思って子供を先生に預けて追いかけた。
前方から聞こえてきた漫画みたいな会話
男の子(小)「さっきのが『おかあさん?』」
男の子(大)「うん、あんな感じ。でも僕らのおかあさんはおばあちゃんだから!」
(小)君と僕が違うところで生まれても兄弟みたいに、
ほんとうのお母さんでなくてもおばあちゃんがおかあさんだから。」
男の子(小)「うん、綺麗なおかあさんたちよりおばあちゃんが一番優しいね、きっと。」
おばあちゃんはただただ交互に男の子2人にほほえみかけていた。
その笑顔はただただ優しくて、このおばあちゃんがこの男の子達に
どれだけの愛情を注いでいるのかわかるようで、何だか泣きたくなった。

[コピペ]泣ける

288:名無しさん@HOME :2010/03/21(日) 01:26:12 0

高校を卒業してから18年勤めた会社を今月辞めた。
18年間で実家に帰ったのは数えられるほどだった。
いや、電話したのだって一年で1,2回だけで、用事があるときにしかかけてなかった。

今日、母が昔から書いている家計簿を発見し、中身を見てみた。
俺が14歳のときに離婚して、女ひとりで兄弟2人を育ててくれた母の家計簿だ。

そこには、自分が知らなかったことがたくさん書いてあった。
毎月の収入、出費・・・生活するのがやっとの金額だった。

そこに小さな字で書いてあった。

○月○日  息子から電話

自分の電話が母にとってそんなにうれしいことだったなんて・・・
涙があふれて止まらないよ、今までごめんよ・・・

[コピペ]いい話

516 1/2 2010/08/27(金) 19:36:27

では、私のカチムカ。

10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で
さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。知能レベルは年齢平均のため、
尚更何かと辛い思いをしてきている。
本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り
車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、
どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。
(ぶくぶく醜い、何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの、
補助金で贅沢してるくせに、役に立たないのになんで生かしておくかなあ?)
それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。
それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが
実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に
今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。
あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら
笑いながら「何か?だってwwうけるww」
「うち娘だから、あんなのに目付けられたくないしい、
相手にしちゃ駄目よお~~~」
「アタマがないからレイプされても泣き寝入りだもんね~」
さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって
「えー、奥さん、ここで降りてください」

517 2/2 2010/08/27(金) 19:37:33

あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんかと思いながら
車いすを外そうとしたら、「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので
こちらで降りてください」
私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。
そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」
「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい」
との声が聞こえてきた。
さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら
「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。
そいつらが降りてからお礼を言ったら、「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから
気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃねえなと思ったよ。

ちなみに田舎ではないが、バスの数も少なくて一時間に2本ほど。
最寄り駅までは徒歩20分以上、タクシーなら通ってるから子供が熱中症になる前に
さっさと乗ればいいけどね。

[コピペ]いい話

798 : 1/2 投稿日: 2010/08/13(金) 10:40:31
色々あって姪っ子7歳引き取ることになった。

結婚するあてもないし。まだ24歳だが人と出会う仕事でもないし、
そんなバイタリティもないから現実的に言って無理だし、面倒臭いのも
あるからもう良いや、と。

兄夫婦が離婚して元義姉に引き取られていき、元義姉は再婚。
再婚した相手が最低で酷い虐待。

元義姉は「しょうがない、我慢しなさい」と言い続けたらしい。
兄は事故で他界だしで。たまたま仕事の関係で関東に行って姪っ子の
小学校の近く(昔私が通った小学校だった)に来たから、学校の前を
通りながら眺めようとしたら、丁度休み時間だったらしく校舎から出てきた

姪っ子とバッチリ目があって、遠めでも
私だと解ったらしく泣きながら抱きついてきた。

そのまま職員室で夕方まで面談(私+姪っ子+姪っ子母方祖父母+校長)。
元義姉側の親はその事実を知らなかったらしい。母親は面倒くさいとの理由で来ず。

自分は引きこもるタイプの自営業だから問題無いなぁ、と思い、

「私の娘にならない?」

と言ったら

「なりたい!お母さん嫌い!」

と抱きついて離さない。
もうこの親子駄目なんだなぁ、と思った瞬間。

気にはなってたけど、会うこともせず3年ぶりの再会だったのに
覚えてくれていたのにも驚きだった。

養子になるまでのやり取りがまた最低だった。

799 : 2/2 投稿日: 2010/08/13(金) 10:47:31

元義姉 「子供手当てが目当てだろ!」
再婚相手「今までの養育費払うっつーなら良いけどよ」

子供の前で orz

お前らそんなに卑しい真似してまで金が欲しいのかよ、と。
いつまでもごねられそうだったので現金一括でくれてやった。
可哀想だと思ったけど、寝てる間に証拠写真撮ったり、アホな
元義姉の前に現金チラつかせて念書書かせたりと養子にするまで
半年以上掛かった。

もう関わるのも嫌だったので、ダミーの住所も作って転居。
実家はもう未練も無かったので売った。

昨日で親子になって丁度一年経って、それを祝うのも変なので
ただ単に食べたくなったと言ってケーキを買って二人で食べてたら
娘(元姪)から

「お母さんがやっぱりお母さんだったんだ」

と言われた。

その時は意味が解らず「母さんが母さんって当たり前じゃん?」と応えたが
寝てる時に理解して、泣きそうになった。

仕事柄とは言え家で電話やメールのやり取り以外、下手したら
生協宅配だけで平気で数ヶ月も外に一歩も出ず生きてきた自分が人並みに
2、3日に一回は買い物して、掃除して、町内会の当番やら学校のPTA役員やら
色々やって、娘の友達が来れば冷凍生地のクッキー焼いて良い母を演じつつ
友達が帰った後「今日私格好良くなかった!?」「良い感じだった!」と
馬鹿話しつつ肩揉みしてもらったり足踏んでもらったりするようになるとは
思わなかった。

これからも色々あるだろうけど、まあ何とかなる気がしてきてる。

長文失礼しました。

800 : +1 投稿日: 2010/08/13(金) 10:55:29

追記。母親になってから、友人からの私の渾名がマリアになってしまい、
その意味を娘が理解するのはいつだろう、と今から憂鬱ではあります。