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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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[コピペ]これはひどい

925:名無しさん@HOME:2012/07/30(月) 23:01:31
20年前の話。

小学生生活半ば頃、通信簿をほぼオール3・オールBにされたことがある。
当時テストは全部100点、都道府県単位で順位が出るテストでもいつも一桁台だったし、
教師の父に厳しく言われていたので提出物も授業態度も問題なしだったのね。
それまではほぼオール5だったのに、いきなりオール3。
渡された時の衝撃は今でも忘れられない。
頭が真っ白になってるときに、担任に「ショックでしょう。そのショックが大事なの。」
と笑顔で言われた。
その時は多分「どうしてですか」みたいなことを聞いたんだと思うが、
「そこを考えなさい。だからダメなの。」という返答があったのを覚えてる。
友達に慰められ泣きながら帰った。
怒られるのが怖くて泣いてたんじゃなくて、ただショックで、だからダメ」って言葉が
自分を全否定しているようで。

帰宅後すぐに見せた母には怒られた。
完璧に近い成績でオール3なんだから、さぞ授業態度が悪かったのだろうと思うのは当然だよね。
私もわけがわからないまま大泣き。
父が仕事から帰ってきて、「手を挙げて積極的に授業に参加したか」「授業は静かに聞いたか」等
ひとつずつ確認。
した、としか言いようがない私。

父は首をひねりながら、
授業態度はわからないけど、担任からのコメント欄はいいことしか書いてないし、
全教科均一に下がるのはおかしい。
理解度、提出物の項目にまでBがついている。
それにここまでいきなり成績が下がったら、少なくともうちの高校じゃ
担当みんなで職員会議モノだなあ…と、
翌日、父が学校の夏休みコールに電話してくれることに。
後で話を聞いたところ、両親はこの時点で「なんか変じゃね?」という雰囲気になっていたそうだが、
ガキな私は全然気づかず、何が悪かったんだろう…とグスグス。

926:名無しさん@HOME:2012/07/30(月) 23:03:05
で、翌日。電話したら担任がいたので、代わってもらって喋る父。
途中で子機を持って車に籠った時点で変だなあとは思ってた。
しばらくして車から出てきた父は顔が真っ赤でマジギレモード。

要約すると、
「私ちゃんはあまりにもいい子ちゃんすぎて、
今のうちに挫折しておかないとダメな子になってしまう。
だからあえて酷い成績をつけました。
ショックを受けていたでしょう?人間的に成長できたと思います。
何が悪かったのか考えさせて下さい。」
って理由だったんだと。

後に父が言うには、最後の「何が悪かったのか~」でブチ切れたらしい。
そのまま教頭だの何だのに連絡。管理職の方々は説明させますので!と父と私を学校に呼び出し。
校長室に呼ばれると、校長教頭+担任がいた。担任は泣きはらした顔で、
部屋に入ってくるなり私を睨む。
睨むのはやめなさい、と父の地底から出てきたような声。

途中に担任のヒスが差し込まれるも、話し合いはサクサク進んでた。多分。
私にもちょこちょこ状況確認が入った。
驚いたことに、私の成績がアレだったことに対して、他の生徒の親から
「私さんがオール3だったそうだが、子どもは不思議がっている。
どういう基準でつけているのだろうか?」と連絡が数本入っていたらしい。
後から知ったのだけど、中学受験組の親だったみたい。

最終的に学校からは謝罪。担任が勝手なことをして悪かった、チェックが杜撰になっていた、等。
先生内で回してチェックする仕組みにはなってたんだけど、ハンコ押すだけの
流れ作業になっていたそうだ。
最後の最後に担任が大泣きで喚き、話し合い終了。夏休み明けには担任が変わってた。

10歳になるかならないかの子供心には大ショックだった話です。

[コピペ]切ない,テレビ・ラジオ

2013-11-17_1559
322:名無しさん@九周年:2008/12/01(月) 13:11:41

前に伊集院のラジオ企画でいろんな人にインタビューしようってのがあった
そん時の救急隊員だかなんかの人が語ってくれた話

夜中3時くらいに通報が入った。どうやら高速で事故があったみたいだ。
現場に急行すると、車に挟まれ下半身切断された男性がいる。
しかし、幸か不幸か切断面が圧迫され出血は少なく意識がある。
その男性は「私はあとどれくらいもちますか?」と聞いてきた。
出血が少ないとはいえ下半身切断。救出しようと動かせば即死。
経験から5分くらいだろうと答え、なにか望みはあるかと聞き返すと、
「家族と話したい」とのこと。
近くにあった携帯は生きていたので、男性の家にかけてみる。
しかし時間は深夜。何度かけても電話には誰もでない。
「もういいです。ありがとう」男性はそう言って息を引き取った。

数分後、男性の家から携帯に電話がかかってきた。
救急隊員は、男性が事故に遭い即死だったと伝えた。
もし男性が数分間生きていて、話したがっていたと遺族が知れば、
電話に出られなかったことを一生後悔するだろうと思ったからだ。
それでも未だに、あの時どうするのが正しかったのか考えてしまうのだ。

[コピペ]怖い

395: 本当にあった怖い名無し:2006/11/24(金) 12:36:34 ID:5ebS3UtO0

少々長い話しになりますが、私の不可解体験を書きます。

「僕のお母さんですか?」
登校中信号待ちでボーっとしていると、突然となりの男が言った。
当時私は20歳の大学生で、妊娠・出産経験は無い。
それに相手は、明らかに30を超えていた。

ビックリして、「ひっ…人違いです」と答えると、
相手はその答えが意外だったかの様な反応で、何でそんな嘘を付くの?
と言った表情だった。
その反応に私が驚いた。

信号が青になると、私は急いでその場を去りました。
こんな事を言っては失礼だが、障害者っぽい雰囲気で、ガリガリで目はギョロッとしていて、
よれよれのシャツに、肩から黄色いポシェットを下げていた。
これが彼との最初の出会いで、この後数年に渡って何度も彼と遭遇しました。

その日から彼は毎日その場所で私を待っていて、必ず「僕のお母さんですか?」と聞くのだ。
「違います」そう一言言えば去って行ってくれるので、
気味は悪いが警察に言う程でもありませんでした。

しかしいつの日から、大学にまで現れる様になり、私は彼にきつく怒鳴りました。
二度と現れるなとか、気持ち悪いとか、そんな事を言った気がします。

それからは現れる事も無く、東京の大学を卒業して実家へ戻り、
1年が過ぎたとき、東京の友人から久々に電話があった。

「あんたのストーカー男。こないだ大学の近くで合っちゃってさぁ、
『お母さんはどこですか?』って聞かれて、恐くて逃げちゃった」
と言う内容でした。

その話を聞いても、ああそんな男もいたな、ぐらいにしか感じず、
こっちには関係ないと思っていました。

次の年の母の日、玄関に萎れたカーネーションが置かれていました。
私は瞬時に、あいつだ!?っと思い、恐くなって父に相談し、
警察に行ったが相手にされません。
被害と言った事件もなかったので、当然と言えば当然なのですが、
私は不安で仕方がありませんでした。

そして数カ月が経った、雪が積もる夜の事です。私は街の歩道を歩いていました。
すると突然車がスリップし、玉突き事故に巻き込まれたのです。

一瞬意識を失い、次に気付いた時は車と倒れた木の隙間でした。
体中が痛くて身動きがとれず、声を上げても、周りは騒々しく
誰も私に気がついてくれません。
隣では火も上がっていて、もう駄目だと思ったとき、

「おか~さ~ん、おかあさ~ん」
あの男の声がしました。

私は思わず、「ここ!!助けて!!ここにいるの!!」と叫びました。
彼も事故に巻き込まれたのか、血まみれでした。

雪を掻きわけ私を引っぱりだしてくれた彼を改めて見ると、彼の方が重傷に見えました。
とても痛そうだったのに、彼は私を見て笑って、「お母さんですか?」と聞きました。
私は何とも言えない気持ちになり、「…うん……うん」とうなずき、ぽろぽろと涙を流しました。

涙を拭い顔をあげると、彼の姿はそこにはありませんでした。
ほんの一瞬で消えたのです。
それっきり、もう何年も彼を見ていません。

いったい彼が何だったのかは分りませんが、幽霊と言う物ではないとは思うのです…
雪が降ると時折思い出します。
名も知らぬ息子の事を。

[コピペ]いい話

815:名無しの心子知らず:2010/08/15(日) 01:43:27

俺、戸籍謄本取った時に初めて知って、親父に慌てて電話で聞いたら

親父「え、そうなの?」
俺「え?違うの?」
親父「ん?・・・あぁ、そうだったわ。どっかで拾ってきたのがお前や。
そんな事より晩飯はすき焼きやからさっさと帰って来い」
俺「あ、うん」

ガチャッで終わった。俺が養子な事よりもすき焼きのがランク上らしい。
で、嫁と俺、どっちも子供出来ない体質だと診断されて、孫楽しみに
してた親父とお袋に言ったら

「どっかから拾ってきたらえーやん。お前もどこだっけ?拾ってきたんだよな?
母ちゃんがどっかから持ってきたから放っておいたらでかくなりおったわ」

と軽く流した。母ちゃんが不妊症だったらしく、嫁さんには笑って

「まぁ、子供おらんくても良いなら良いし、欲しいなら養子貰ってしまえば生む手間無いよ。
一緒に暮らしてれば血が繋がってなくても似てくるもんだし。足臭いのもこの
二人は一緒」

と笑い飛ばしてたのに嫁は救われたらしい。

という訳で、斡旋機関に登録し、今は3歳の娘が嫁と一緒に寝てる。
どうにも可愛くて仕方なくて、親父とお袋に「お前ら甘すぎ」と度々
怒られてしまう。しかし、先輩が居ると思うと本当に心強い。

[コピペ]トリビア

1:名無しさん@涙目です。(秋田県):2011/05/26(木) 21:15:03

 まずは醤油とみりん、日本酒を用意する。醤油2:みりん1:日本酒:1の割合の調味液を作り、
余った刺身をタッパーやジップロックに入れて調味液へ刺身が漬かる分量注ぐだけ。
本当に基本中の基本のヅケの作り方だが、それで十分ウマいので問題無い。
 そして1晩置いておけば完成。アルコールが気になる人は事前にみりんと醤油を火にかけ、
アルコール分を飛ばせば良いだろう。

57:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/26(木) 21:31:56

これは本当にうまい

20年近く前に美味しんぼで読んだんだよ
『安い刺身はすぐに食べずにタッパーに詰めて醤油を流し込んで
1時間「寝かせ」れば大化けする』って
ご飯とかいらない
わさびをちょこんとのせて食べればびっくりするくらいおいしくなってる

2ch,わたしの復讐劇

わたしの復讐劇第5弾です。今回は短め。

487: 大人になった名無しさん:2008/11/29(土) 16:50:23

イジメの手口よりも報復の仕方が怖い出来事が、小6の頃あった。
確か夏休み前の5時間目に突然、廊下の奥から
もの凄いエンジン音が鳴り響いて、6年生のある階全ての教室が騒然となった。

誰もが
「スクーター?」「え?何何?」と大騒ぎ。

次の瞬間、他のクラスから聞き取りにくい叫び声のあと、
悲鳴が飛んで来て、 各担任の先生が飛び出して授業は中断。
すぐにウチの担任が今すぐに中庭に避難の指示を出しに戻ってきた。
避難はしたものの、あるクラスだけは女子は号泣、
男子はガタガタ震えている。

エンジン音が鳴るクラスからは駆けつけた校長先生と教頭先生が
誰かを説得するような声が響くと同時に、何か泣き叫ぶ声も聞こえた。
下校時間のチャイムが鳴る手前まで膠着状態になっていたんだがエンジン音が止み、
ようやくクラスに戻れるようになってそのまま下校。

翌日、一クラスだけインフルエンザでもないのに学級閉鎖

488:大人になった名無しさん:2008/11/29(土) 17:16:04

つづき。
朝のHRで先生が、

「皆、聞いている人もいるだろうけど昨日あったのは、
イジメの報復でチェーンソーを持ってきた事が原因でした。」

多少、俺達も何があったかは親とかから聞いていたが、
戦慄を覚えていた。

学級閉鎖になったクラスで実は集団イジメがあり、
いじめられていたAというのが、
昼からチェーンソーを片手に登校して
机等の備品をズタズタにして回ったとの事だった。

無論、手出しのしようがなく膠着状態になったのは言うまでもないが、
ガス欠でエンストしたお陰で終息に向かったそうだ。
幸い怪我人は出なかったが、
Aは児童相談所送りになって
Aの一家も引っ越してその後どうなったかは知らない。

そして、Aのクラスでは、夏休み中にイジメを先導していたBとその取り巻きが転校していた。

490: 大人になった名無しさん:2008/11/29(土) 23:17:33

»488 すげぇ・・・。

この後どうなったのか、非常に気になります。

web

先日とあるセミナーにて紹介されていたフリーのリアルタイムテキスト会議サービスがとても良かったので紹介したいと思います。
結構使える上に、ビジネス以外での使い道もありそうです。

詳細は以下より

[コピペ]笑える

667:('A`):2006/09/05(火) 11:32:09 0

小学生の頃、無茶をする奴がヒーローだった
給食でスイカが出ると、限界まで食う挑戦が始まり白い部分まで食ってた
最後は皮まで食った奴がヒーローになった
後日、給食に「ゆで卵」が出た。僕は今日こそヒーローになろうと思い
「俺は噛まないで飲み込むぜ!」と言って丸ごと飲み込んだ
しかし、そんなことは他のクラスメートも楽々クリアーして次のステップに進んだ
「俺は殻ごと食うぜ!」と言った奴が殻ごとバリバリ食い始めた
クラスの視線はそいつに集中し、今日のヒーローそいつに決まりかけた
だが、僕もこのまま引き下がれない。何かないか考えた
ゆで卵に付ける塩としてアジシオの瓶が数本用意されていたので
「俺なんて、このアジシオを一気しちゃうもんね!」と言って
内蓋を外し、アジシオを一気に飲み込んだ
焼けるように喉が熱かったが、涙目になりながら牛乳で流し込んだ
苦しそうな僕の姿を見てクラスメートは賛辞を送った
そして僕は今日のヒーローになれた
しかし、5時間目の授業中に急に具合が悪くなってきた
ヒーローが保健室に行くのはまずいと思い必死に耐えたが限界だった
僕は机の上に吐いてしまった
そしたら先程食べたゆで卵が丸ごとゴロンと出てきた
その日から僕のあだ名は「ピッコロ」になった

676:('A`):2006/09/05(火) 14:30:10 O
ネタ臭いけどオチが面白いな

681:ピッコロ:2006/09/05(火) 20:04:54 0
>>676
ネタっぽいけど実話です
高校卒業するまでピッコロと呼ばれてました
同級生にはいまだに呼ばれてます
親も公認で、友達が家に電話掛けて「ピッコロいますか?」って感じ
部活の後輩達は、さすがにピッコロとは呼べないので「魔王先輩」と呼んでました
自分なりに気に入ってましたw

—————————————————————————-

819:('A`):2006/09/07(木) 10:19:51 0
中学校に入学した頃、スラムダンクが大流行していた
もちろん僕も学年の半数以上の生徒と共に入部届けを出した
顧問もあまりの入部希望者の多さに困っていたが
「先生、バスケがしたいです」と三井バリに泣き出す奴が居たので
渋々ながらも全員の入部が認められた
しかし地元では一応、強豪校だったので練習も厳しく、次々と部員数は減っていった
だけど僕は根性でバスケを続けた
身体も大きくなり、地元じゃちょっとは名の知れた名センターとなった
そして3年になった時、キャプテンに指名された
僕は、これを機に髪型を角刈りにし、ダンクを決める時は必ず「ウホッ!」って叫んだ
そんな努力の甲斐もむなしく、僕のあだ名は「ピッコロ」のまま

820:('A`):2006/09/07(木) 10:24:47 O
お前かよw

821:('A`):2006/09/07(木) 10:28:51 0
>>819
って言うかなんかかっこいいな。お前ほんとに喪か?

822:ピッコロ:2006/09/07(木) 10:36:35 0
>>821
ゴメン。2ちゃん初心者だから喪の詳細な定義を知らない

823:('A`):2006/09/07(木) 10:38:12 0
>>822
今までに女と付き合った事ある?あるなら喪じゃないよ

824:ピッコロ:2006/09/07(木) 10:40:42 0
>>823
すいませんでした・・・子供2人います

825:('A`):2006/09/07(木) 10:45:46 0
>>824
 _, ._
( ゚ Д゚)

[コピペ]泣ける

640:Trader@Live!:2012/07/24(火) 19:32:59

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。

その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

[コピペ]ほのぼの

755:彼氏いない歴774年:2011/10/31(月) 09:04:21

畑仕事に向かうおばあちゃんと学校に向かう孫との会話。

婆「あー今日うちで友達とハロエンパーテーする言っとったな」
孫「うん!でもいいよー用意するの大変だから、お菓子とか買ってくるから。」
婆「そりゃ駄目だ!お母ちゃんいないからろくに料理も出せん家だって言われて
  いじめられちまう!」
孫「そんなことないってw」
婆「ふふ・・・婆ちゃんな、今朝内緒で料理仕込んであるんよ」
孫「マジで!気付かなかった!何作るん?」
婆「あー小さい南瓜をな、こうくり抜いてクリームシチュー入れて、上にパイのサクサクの
  シート乗せて焼く。あと、真鯛もらったで、カ・・・カルパッチョム。」
孫「カルパッチョwでもすごい!ありがとう!」
婆「あと栗おこわも炊く。あとサーモンのムニー」
孫「ムニエルwwすごいすごい!婆ちゃん洋食もいけるんかー」
婆「そんで友達にゆず湯入って泊まってってもらえ」
孫「ばあちゃんそれ冬至wwwパジャマ持ってくるように言っとくね!行ってきます!」
婆「あいよー気いつけー」 

いい婆ちゃんで孫もかわいくて和んだ。