音楽の歴史 feat.moriguchi
幼い頃から自分の聴いてきた音楽を赤裸々に語る、音楽の歴史。
ご存知ヴァイナルカフェの横綱DJ、師匠mosaic!管理人森口さんの渾身のテキスト。まさかこんなに書いてくれるとは。
時代背景の羅列がサイコーです。
リズム音痴だった。
昭和43年に筑豊は直方に生まれ、最初に音楽に触れたのは、やはりテレビアニメの主題歌。林家こぶ平(なんで彼をキャスティングするのだろう?)がゲストで出るようなテレビ特番「昔なつかしの」あたりのサウンドはリアルタイムで聴いていた。歌は覚えているのにストーリーは殆ど覚えていない。ステレオやレコードは高級嗜好品だったので、小学館の幼児雑誌の付録のソノシートと呼ばれるペロンペロンの真っ赤なレコードもどきを、商店街の金持ちの子の家で聴くのがやっとだった。そこではヒーローが「よいこのみんな、今日の敵はてこずったけど」みたいな調子で、物語りと効果音とともにテーマがチョロッとだけ聴けるものだったように記憶している。そんなモノでもワクワクしてた。幼稚園はカトリックで賛美歌なんか歌ったような気もする。
国歌は習わなかったので小学校の入学式で驚く。ちょっと戻って、幼稚園も年長になったある日、お遊技会で合奏を披露することになり、タンバリンを担当することになった。「ウン、パン!ウン、パン!ウン、パンパン♪」先生の指導は恐ろしく厳しく、うまく打てない私に、ヒステリックなまでに叱りつけ、居残り練習までさせられたのだった。そのとき、なんか頭の中ではじけ、スラスラ宙(ちゅう)で打てるようになったので、組の中で、1人しかやらせてくれない大太鼓に抜てきされてしまう。壇上ではエンターテナーぶりを発揮し、親連中を驚かせた、らしい。ケニー・クラーク
(←ビバップ黎明期のスーパー・ジャズ・ドラマー)も真っ青のバチさばきだったのだ。チビッコ・ケニー・クラーク誕生。
ステレオがやってきた。ヤァ!ヤァ!ヤァ!
1975年以降の高度経済成長期のまっただ中、商店街はとても活気があり、町の電器屋主催のお得意様特商展示会は押すな押すなの大賑わいだった。そして我が家にもステレオがやって来ることになる。
木目の家具調で畳1帖分くらいのスペースを陣取り、4つのスピーカーで、重厚なプレーヤーのふた(笑)を開けると、スイッチポンの自動制御トーンアームなど当時のハイテクが顔をみせる。佇まいがとても偉そうである。あまり偉そうなのでファイヤーマンのシールを貼ってやったら、しこたま母に叩かれた。
その当時は自分からは音楽を聴こうなど発想もせず野球や駄菓子屋、ユニードの屋上のゲーセンと、ほとんど外で遊んでいたため、両親や兄達が流すレコードをプラモ作りのBGMにしていた程度だ。家のステレオでは映画音楽やフォークがかかってたなぁ。「ムーン・リバー」「シャレード」「007ゴールドフィンガー」も、たしか家のステレオで聴いた記憶がある。パーシーフェイスやポール・モーリア等の、いわゆるひとつの「イージー・リスニング」。結構このあたりは今のDJプレイに影響してると思う。
あとはテレビから流れる主題歌や映画の音楽、歌謡曲かな。当時ドーナツ盤は500円で、小学校低学年の自分にはとても買えなかったのだが、最初に自分がお金を出して買ったのは「われら青春!」の主題歌だった(笑)。あぁ「ビューティフル・サンデー」もね。「およげたいやきくん」は近所のおばちゃんに入学祝いに買ってもらったしな。
当時のレコード屋のBGMにはロケンロールと、今で言うダンス・クラシックスがガンガン鳴ってた。
ソウル、ファンク、ロックとかいうカテゴリーじゃなくて、「なんか外国の音楽」と自分の中ではひとくくりにしていたと思う。あ、忘れちゃいけないブルース・リーの「ENTHER
THE DRAGON」血湧き肉踊るラロ・シフリンのオーケストラ・超ど級ファンク・スコア。私は兄貴扮するリーの新聞紙ヌンチャクで倒される役でした。当時男の子は否応なく、のべつまくなしコレです。
兄「ホぁタうゎーぉ~!」
弟「ヤーラーレーター!」
サンダーバード、潜水艦シービュー号、仮面忍者赤かげ、マグマ大使、レッドバロン、マッハバロン、秘密戦隊ゴレンジャー、ひらけポンキッキ、カックラキン大放送、くりかえし放送されるトムとジェリー、ど根性ガエル、ゲゲゲの鬼太郎(旧)、侍ジャイアンツ、アパッチ野球軍、ルパン三世、宇宙戦艦ヤマト、タイムボカンシリーズ、勇者ライディーン、沖縄海洋博覧会、サリーちゃん、アッコちゃん、悟空の大冒険、8時だヨ全員集合、おもちゃの笑い袋(←恐くて泣きました)、パーフェクション、ロボダッチ、プラレール、野球盤、がきデカ。寺内かんたろう一家、時間ですよetc。
テクノポップ。
子ども時代って、しゃべりになんでも節つけるの天才じゃなかったですか?
プラモの説明書の文章に節つけてさ、
「これにこれをハメましてぇ~♪」(笑)。
小学校も高学年になると、少しではあるが音楽に興味を持ちはじめる、でもあいかわらず家ではフォーク(風、グレープ、かぐや姫、N.S.P、拓郎、陽水、千春)もしくは8トラックのカラオケで父が歌うムード歌謡な訳で…。エッチなシーンを見るとナニがああなる意味をきちん理解したのもこのころじゃないかな。「エマニエル婦人」の映画看板見て友達と興奮してたなぁ。
「お前、見たろーがぁ!」
「見とらんち言いよろーがぁ!」
なんか博多っ子純情みたいやねぇ。
学校ではオルガンとか授業で弾くんだけど、鍵盤ものって金持ちのイメージがあって、コンプレックスからか積極的に弾こうという意思はなかった。応接間に黒いアップライトのピアノにレースのクロス&メトロノーム、商店街の子達の家には高確率であったな。あぁ、木琴は買ってもらった思い出はあります。折り畳み式のやつね。
商店街ではザ・ナックの「マイシャローナ」が何回もかかってたり、マルショクの食品売場ではハーブ・アルパートやクインシー・ジョーンズ、アストラッド・ジルベルトらのブラジルテイストの曲が流れていた。
当時の音楽番組といえば、ザ・ベストテン、TVジョッキー、ヤンスタなどゴロゴロ有象無象あって、あと音楽番組じゃないけど、強烈に印象に残っているのは土曜の昼の「吉本新喜劇」のフンワカパッパ~♪や「あっちこっち丁稚」の山田スミ子の怒りの場面のズンズンチャチャ♪などだった(笑)。それから運動会の「ラデッキー行進曲」、「軽騎兵序曲」、「トランペット吹きの休日」に「マイムマイム」とあと「ジェンカ」(笑)。ホンダシティの曲ってこのころじゃなかったかい?もうちょっと後?
夕食時には決まってNHKの「600こちら情報部」という番組を見ていて、「今なぜかテクノポップが面白い」みたいな切り口で紹介されてて、クラス中の男子はみんなはまってた。ということで初めて買ったアルバムはYMOだった。そしてこの番組ではエレクトリック期になってさらに凄みを増したマイルス・デイヴィスやヒノテルもよく紹介されてました。それからYMOも買ったけど、ドリフの「ヒゲ」のテーマも買った。アイドル歌謡は、なんとなく阿呆くさくて買わなかったなぁ。
そしてチビッコ・ケニー・クラークの私は町内の盆踊り大会で櫓太鼓を叩いて人妻達をブイブイいわせていた。「炭坑節」はリズムが難しかったです。
王選手、ポピーの超合金、東映まんがまつり、東宝チャンピオンまつり、ゴジラ対メカゴジラ、メカゴジラの逆襲、昆虫採集セット、スリンキー(わかる?)、マイコン、電子ブロック、ベルトクイズQ&Qチビッコ大会、ムー一族、ミクロマン、ドンパッチ、BIG1ガム、がんばれロボコン、ドラえもん「のび太の恐竜」、コンバトラーV、闘将ダイモス、闘士ゴーディアン、恐竜探検隊ボーンフリー、くりかえし放送されるトムとジェリー、スターウォーズ、スーパーカー・ブーム、ヘッドライトがウィーンて出るチャリンコ、ダンカンヨーヨー、宇宙戦艦ヤマト、ザンボット3、ダイターン3、機動戦士ガンダム、タイムボカンシリーズ、ブロック崩し、インベーダーゲーム、平安京エイリアン、ゲームセンターあらし、ディスコでフィーバー!、ベイシティローラーズ、お笑いスター誕生、ピンクレディー、オレたちひょうきん族、欽ちゃんもの、マカロニほうれん荘、ブルートレインブームetc。あー勧善懲悪で濃い時代だなぁ。
吹奏楽部は相撲部屋。
中学に入り、やっぱ部活やらんと格好つかんよね、大っきな大会とか出たいよね、でも汗臭いのイヤ~ン。
ドラちゃん「そんなときは、ハイ、ブラスバンド部~。」
家が楽器屋の友達にそそのかされ、ブラスバンド部に入部。トロンボーンを担当する。チビッコ・ケニー・クラークから、なんちゃってグレン・ミラーへ転身。しかしだ、礼儀や規律に厳しいは、休みは試験中と正月くらい、平日は朝練習もあるし、腹筋運動や季節関係なく河川敷でウォーミングアップのロングトーンだのマーチングの特訓だの、汗臭いことこの上ない。練習には、なんとかフィルハーモニーのなんとかさんとか、著名人らしい人が稽古つけてくれたりもした。いわゆる親方である。そして日曜には名門高校に出稽古もやってた(笑)。先輩の譜面そろえたり、楽器運んだり、ステージちゅうか巡業?これじゃ相撲部屋ぢゃないですか!
そして聴いてた音楽は、やっぱり「吹奏楽コンクール全国大会」のレコード集、クラシック、マーチ。メロディーやハーモニーの面白さを知ったのはこのころだと思う。
それから、兄貴が車の免許をとって、カーステレオでオフコースなど聴かせてくれて、かっちょいいなと思ったのがマリーンが歌う「マイ・フェイバリット・シングス」。ジャズの洗礼がマリーン(入り方間違ってるよね。笑)。DJしてる時、よくかけますね。
部活でも、「A列車でいこう」「シング・シング・シング」「ピンク・パンサー」「キャラバン」とかのビッグバンド・スウィングも演ったりね。
このころから一人で映画とか観に行くようになるんだけど、映画音楽が好きが始まるのもこのころからだ。当時はジョン・ウリアムスのスコアが多かったように思う。「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」「レイダース」「E.T.」とか。
レースバイクが好きだったので「汚れた英雄」も観たなぁ、歌はローズマリー・バトラーだっけ、「ライディンハ~イ♪」。ロッキー主題歌の「アイ・オブ・ザ・タイガー」も好きだった。
そんな時テレビで観た「ブルース・ブラザーズ」はエラくかっこよかった。レコードも買ったし。ブラック・ミュージックを買うのはこれが最初(また間違っているのはわかる、マイケルジャクソン「スリラー」もこの後に聴いたし。)定盤の「ピーターガンのテーマ」もこっちを最初に聴いた。
当時のR&Bってこんな感じというか、これよ!R&Bはやっぱり!!
吠えるジェームス・ブラウン「the old landmark」、アレサ・フランクリンがシャウトする「think」、レイ・チャールズがブルージーにオルガンを弾く「shake
your tailfather」、キャブ・キャロウェイの超絶スキャット「minnie the moocher」いまだ愛聴番。
そしてハーブ・アルパートの「ビタースウィート・サンバ」を鶴光さんのおかげで知ることになる。
「わんばんこー!」
なんというか普通の男子はロックよね。YAZAWAとかビートルズとか。でも浜田省吾を聴くつわものも居たねぇ。
コニたん!、ひょうきん族、青い体験のラウラ・アントネッリのオチチ、フレディ・スペンサー、ケニー・ロバーツ、こっそり見た「トゥナイト」、BOMB「パンツの穴」、アクションカメラ、80年代アイドル隆盛、柏原よしえの空港荷物検査、オールナイトニッポン、PAO~Nぼくらラジオ異星人、ブルブルブルマー、進研ゼミ、ゲームウォッチetc
キュッキュッキュッって。
高校にもなると、坊主頭から長髪へ変わり、男子はバンド組んだりするのだが、大概ロカビリー派かハードロック派、もしくはパンク派に分かれていった。私はどれでもなく吹奏楽にひたすら打ち込んでいた。それと地元の山笠太鼓を少々。
巷では風見しんご、チェッカーズ、C-C-B、安全地帯がヒットを飛ばしまくり、そういうルックスの野郎が跳梁跋扈していた。マッチヘアー(笑)に冬は変なグレーのロングコートでブルース・ブラザーズ・タイプの黒いサングラス。しかし土地柄ヤンキーも多い訳で…。その時は「洋楽」(笑)を聴いていた。サザン・オールスターズは兄貴から借りて聴いてたけど…。
プロモーションビデオが注目され、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ホール&オーツ、ビリー・ジョエル、カーズ、ワム!、ライオネル・リッチー、ヴァン・ヘイレン、a-ha、エトセトラエトセトラ…。専門番組も多数あり(何年か後、竹内イズル氏と仕事することになろうとは!)、情報はそれらから仕入れていたけど、あまり深く掘り下げなかった、表層だけで。USA
for AFRICA「ウィー・アー・ザ・ワールド」は時代を象徴してましたね。
レンタルレコード屋ってのもこのころ流行。買ったといえば「ゴースト・バスターズのテーマ」に「ゴジラ伝説」くらい(笑)。マッチヘアーにも飽きたころ、雑誌で見たハワード・ジョーンズのスタイルをまねしてみた。黒くて太い髪ではあぁもいかず、クラスで失笑をかう。
部活を3年の夏に引退し、夕焼けニャンニャンにはまる。おニャン子はどうでもよかった。ただベティが好きだった。(笑)
高3男子は、いかにかっこ良いコンポを揃えるかに熱意を注ぎ込み(下心ありあり)、日々電器屋での新製品のチェックは怠らなかった。コンパクトディスク、サラウンド・システムもこのころ普及しだす。
「コ、コ、コレ。ローンで。」
今使ってるアンプもスピーカーこの時のもの。 最初に買ったCDはKUWATABAND。クリアーで新時代の音質だった記憶がある。
そしてぼちぼちHipHopの日本上陸である。RUN DMC「Walk
this way」を皮切りに、ラップ・ミュージックが浸透しだす。この手の音を最初に聴いたのはハービー・ハンコックの7inch、「ロック・イット」が先で、
友「これはレコードをくさ、反対に回してキュッキュッキュッてやるんげな。どうやるっちゃろかぁ?」
俺「キュッキュッね?ふ~ん。」
そんなのよりも、このビデオクリップのほうがビックリした。この人がジャズ・ピアニストの偉い人とも知らなかった。今はドランムンベースにも挑戦している。
そして進路を従兄弟のプロドラマーに相談するのだが、厳しいバンドマン事情を聞き断念。前から絵は得意だったのでデザイナーを志す。高校卒業後、福岡市へ。
全国規模でこっそり聴いた「仮面ライダー」のミックステープ「敵は~♪地獄の~仮面ライダ-V3♪」、MTV、プロジェクトA、ブレイクダンス、毎度お騒がせしますの中山美穂、ローランドのシンセサンザーとシンセサイザードラム、高校生ウルトラクイズ、ビーバップ・ハイスクール、無免許で先輩のZ2とCB250とGSX400、パッソルヤンキー乗り、裏地玉虫、ロスマンズカラーのスペンサーと片山敬一、YAMAHA
YZR50(本気のオモロバイク)のTECH21カラー。コンバースのハイカット、軽薄短小な時代。
屋根まで飛んで壊れて消えた。
バブルでした。楽器演奏は止めました。バラ色のはずの学生生活は勉強で遊ぶ暇などなかった。DCブランドとかもちょうどブームの時で、ホットドッグ誌上では、北方ケンゾー氏が「女のアソコは●●だと思え!まだまだ物足りないぜ!」と息巻いていた。
村上 龍などがメディアに頻繁に出だしたのもこのころで、氏が司会したRyu’s Barのオープニングテーマが山下洋輔が演奏した「クレオパトラの夢」という、ビ・バップ黄金時代の中心ピアニスト、バド・パウエルの曲だった。
また「ロンドンではソウルやジャズで踊り、ジャズ・ディフェクターズなる集団がアクロバテックなダンスでブイブイ言わせ、TAKEO
KIKUCHIのショー云々…。」ちょっとだけ関心をもつ。 日本で火が着くのはまだ先だった、地下では桑原茂一の音選協や、U.F.Oが結成されるに至るコーザ・ノストラが活動を始めたころじゃないでしょうか。違うかな。詳しい人つっこみヨロシク。マンデイ満ちるは秋吉満ちるという名の女優さんだった。「光る女」という題のビデオで、プロレスラーの武藤とのカラミのシーンを見た。演技力は…。
サザン通りにあったエリア・ドゥのタワーレコードKBCで「12inch」って言うのを買うのがオシャレなライフスタイルだった。はずだ(弱気)。
そんな赤面の時代に聴いたのは、ビースティ・ボーイズ、L.L.Cool.J、いとうせいこうwith高木完と藤原ヒロシのタイニーパンクス「建設的」、ゴンチチ、スチャダラパー「ナイスガイ」「スチャダラ大作戦」、久保田利伸、SOUL
2 SOUL、デッド・オア・アライブ、ジャネット・ジャクソン「リズミネイション」、ボビー・ブラウン、あたり。チャートではユーミンが席巻していたけど、ファン層を含めた世界観が嫌いで聴かなかった。尾崎豊も苦手だった。
夜のシーンでは、マリアストリートなどを中心にディスコが注目されていた。そのころはハウス・ミュージックとかまだ確立されてなくて、ガラージやヒップホップ、ユーロビートが中心だったと聞いている。この辺は実体験してないので、松枝くんや、テンチョ徳永くんあたりが詳しいだろう。それからグランドビートの先駆けとなったSOUL
2 SOULが注目されていた時代でもある。藤原ヒロシがキャーキャー言われていたのもこの時代かな。
バブルで就職、すぐはじける。さぁ、駆け足で行こう!ラジオチャートではMCハマーだったりハマーだったり、プリンスだったりシンボルマークだったり(笑)、シーラEがいいらしい。ベル・ビブ・ディボー、ヴァニラ・アイス、ラルフ・トレスバント、C&Cミュージック・ファクトリー「エヴリバディダンスナゥ!」、ディー・ライトはもういたっけな?、筋肉少女帯「元祖高木ブー伝説」、聖飢魔2「ザ・ワースト」、聴かなかったけど注目されたニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、そしてそしてクインシー・ジョーンズのもとに豪華ゲスト集合のジャジーな大作「バック・オン・ザ・ブロック」、ナタリー・コール「アン・フォゲタブル」、BIG
BANDスタイルが大衆に受けたハリー・コニック・Jr。F1ブームにのってTスクエア。だんだんジャズよりになってきたね。いとこのステージにも顔を出したり。90年に突入!あぁあ~コーリンユー♪
How to本ブーム(失敗しない初めてのデート、ナニの上達テクニック等)、海外企業買収ブーム、業界ブーム、LBオモロラップ、フリッパーズ・ギタア、ネオアコブーム、川勝さん、W浅野、天神ファッションビル戦争、トム・クルーズ映画、トレンディー、フレッドペリーのポロシャツ、リーボック、フライトジャケット、アベちゃんに風間トオル、渋カジ、てっしい村グループ飛躍、イカ天ホコ天バンドブーム、ビジュアル系バンド、男のVゾーンはアスコットタイやスカーフが流行、Dr.マーチン、ホイチョイプロダクション、ヤンエグ、ワンレンボディコン、仮面ノリダー、上海紅鯨団、ねるとん紅鯨団、昭和天皇崩御、平成の歩き方、ソビエト崩壊、ワキ毛の女優に村西監督、デビット・リンチ監督、ホテル・イル・パラッツォにディスコ「ラ・バルナクロッシング」、F1ブーム。
FREEDOM!
90年突入、第一次ジャズ、レアグルーヴ・ムーブメント到来。最初に買ったモダンジャズのアルバムは、ラジオで流れたの追悼ニュースがきっかけで、アートブレイキーのフォンタナレーベルのベスト盤でした。「危険な関係のブルース/No
Problem」に感動し、ブルーノートレーベルやU.F.O.が監修した「FREEDOM
JAZZ DANCE」というコンピレーションなどから、ホレスシルヴァーなど深くマニアックに掘り下げるようになる。第一次ブラジルブームがきてジャングルビート(ドラムンベースをピコポコさせた音)が上陸したくらいでシーンは停滞する。
時は流れ知り合いのデザイナーの推薦でカフェで音楽をかけ始めた。まだDJと呼べたものではなかったし、教科書も音選協の「ディクショナリー」しかなかった。ビ・バップなどまったくダメで受け入れられず。パーティーではダンクラにならないと踊ってもらえなくて、かなり苛立ちを感じたこともある。
「U.F.O.って何ですか?ジャズダンスって武富士ですか?」
だったのだ。
自作のテープの収録曲、モンティ・アレキサンダー「so
what」と、店でかけたボビー・ハンフリー「ハーレム・リヴァー・ドライブ」がきっかけで松枝くんとヴァイナル・カフェ、第2・4金曜のDJを始めた。彼にはスキルや音盤を教えてもらったり、かなり影響を受けました(リスペクト!)。
当時メディアがやったのは見せ物のようにパラパラブームをあおり、クラブは衰退。それから第二次J-RAP、第一次Jアール・アンビー(リズム&ブルースとは区別させていただく)ブーム。このあとこれら音楽自体は良い方向へ向かうがクラウドはカッコつけの人たちばかりになってしまったように思う。話すと普通の子だけど、虚勢はってばかり。
オルガンバーのMixテープなどの売れ行きのおかげで、かなりJazzシーンも良くなり、第二次ブラジリアン・ジャズブーム到来。このサイトが縁で2002年、ayuくんDJ参加。フューチャージャズ(2ステップ、西ロン、デトロイト、まだ現在細分化で大変)の音も、ハウスもブラジルテイストが大流行。手に入らなかったLP盤、続々再発。レアなオリジナル盤自慢だけのDJの増殖。とか言ってたらブラジル熱もフューチャー熱も今は落ち着き、プエルトリコあたりのラテンサウンドやスウィング・ボーカルが定着しつつある(と思う)。レコードショップ・チクロさんの発展具合をみれば相当のものだろう。
メディアはどうかというと「ディスコヒッツがお手軽に踊れるので再燃させたい」らしい。ディスコヒッツ、小さい頃の100円の「宇宙戦艦ヤマト」のプラモの接着材の匂いを思いだします。ここ5年間、いかに大衆がのせられやすく忘れやすいか良くわかりました。政治にしろ何にしろ。
さて、2000年代突入し、私やayuくんが現在どういう音に触れているかは、カフェなりフロアなりにきて体感してもれえると幸いです。タイトル名の列挙ではなかなか伝わらないと思います。じゃ最後に1枚だけ紹介。
最近LPで再発されたファラオ・サンダース「Rejoice」(祝福)
この道をゆけば、オンガクの歴史はどうなるものか。迷わずいけよ。行けばわかるさ。
災害多数、猟奇的殺人事件多数、汚職多数、ネット自殺多数、テロ・紛争・戦争多数、J-POP、J-リーグ、J-ビーフに狂牛病、ケイタイ、ワンギリ、だっちゅーの、フィギュアブーム、超合金魂、ポケモン、住専、損失補填、ゆとり住宅ローン、ノックは無用、田中康夫・知事再選、コムロさんにアムロさん、コギャル、ヤンママ、パチンコ熱中症過失致死、コラボレーション、ネットオークション、カリスマにトラウマ、シロカネーゼ、セレブ、勝ち組負け組、ヴィンテージブーム、三浦りさ子信者、癒し系、ミッチもサッチも、王ダイエーVS長嶋巨人、魁皇(ジャイアン?)いまひとつ伸び悩み、川島なおみ、ソムリエブームときて創作和食ブーム、会社更生法、たまごっちにカール・ゴッチ永眠、AIBO、IT革命、デフレスパイラル、拉致問題、秋葉ちゃん、2003年コンピレーションCDブーム(あえて皆で言おう、カスであると!)、アイドル戦隊シリーズにライダーブーム、なんでかフラメンコになんでだろう!、S波に失禁攻撃。
追記:これまでの文章は私個人とその周辺に限っての歴史観です。
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コメント一覧
最近、Mr.Max(ホームセンターです)でマッハバロンの超合金の復刻版を発見。隣りに陳列してあった「パンダーZ」ってキャラクターがあって、足の裏の造形とか、かなりキテました。
1カ月程前、地元のTVで福岡のクラブシーンみたいな特集があって、つくづくイヤになる。ますますクラブはダメになりそうな気がします。クラブは日常に極近いところの、非日常なスペースであって欲しいと願うのだけど。ブラウン管から流れる情報は、なんか排他的というかフツーの人は足が遠のくんじゃないかな、アレ見たら。メイクとか服装とかアレじゃないと行っちゃいけないのかって思うワケで。もっと音楽とかも多角的に紹介してほしかった。
そういやメディア発のディスコ再燃も、平常にもどりつつあります。45過ぎのおっちゃんがすごいステップで踊るのは格好良くて好きだけどねぇ。
それからJB 様、ジャパンマネーには、これいじょう踊らせられないでください。インスタントラーメン、スマップとのコラボの次は「ミロっぱ」?!
クラブはもうダメなんでしょうか?
最近はあんまりお客さんも入ってないイメージがありますねえ。
8年前くらいのUFOのイベントはフロアに人多すぎて湿気でライターの火もつかなかった記憶があります。
もっと前はもっと凄かったんでしょうね。
先日、かかった曲にあまりに感動してトイレからナニをしまうのももどかしくDJブースに掛け寄って、恥もへったくれもなく、「これ誰の何ですか?」と尋ね(ここまでにビール2杯、チンドラ1杯、モルガン2杯)、探して探して、後日中古レコ屋で購入。で、その曲聴いたんだけど思ったほど、たいしたことない曲で…。「音はナマモノだなぁー」と。その場の流れや精神状態で印象は変わるのだなぁと改めて感じました。自分でも趣味嗜好はどんどん変わってると実感しとります。ずっと奥にしまってたシナトラとかトニー・ベネットとか今フツーに聴けるし。Q太郎の主題歌かけて「このドラムはJBsのファンキードラマーに匹敵する」とか言ってまわっている。「この曲いいですね。何ですか?」とかきかれるとやっぱりうれしいですよ、音盤の伝道師としては。来店してくれた人に何か1曲印象づけるような選曲を心掛けて来年も頑張っていこうと思います。(以上2003年の締め括り挨拶)
カウントダウンは家でテレビ見て過ごそうかと思います。5年ぶりかな、家にいるの。
僕もDJやりだして、好きな曲が随分変わりました。
締め括り、まだ早くないですか?(笑
僕のカウントダウンは温泉で格闘技観戦です。
健康への挑戦
こんにちは。興味深く読ませていただきました。