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管理人ayu

福岡市在住。エンタメ、ラジオ、音楽、ガジェット好きです。2000年頃から長いことやってます。日々の暮らしを豊かにする何かを探しております。
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音楽の歴史 feat.otto

音楽の歴史

音楽の歴史

幼い頃から自分の聴いてきた音楽を赤裸々に語る、音楽の歴史。
当サイトでは有名になりすぎてしまった、
シェフはこんな物をたまに作る
のオットくんに今回はムリヤリお願いしてみました。元DJという彼の歴史も相当なもんです。流石詳しいなあ。人の音楽の歴史って読んでいて楽しいですね。それはそうと、彼が意外にもマジメに書いてくれたので
拍子抜けですね★
 
 
 
自分の音楽を語るときは誰でもマジメになってしまうものなのですな。僕とはあまりかぶる事がない音楽遍歴な彼のオススメCDを早速買ってみようと思います。(アマゾンで
これ読んで、自分も書いてみたいと思ったアナタ!左上のメールフォームより是非参加表明をして下さい。

オットくんの場合

音楽の遍歴を語る!ということで
これまで執筆されてきた皆さんのネイキッドな文章を拝見させていただきましたが
僕はアレです、記憶力というジャンルにおきましては人一倍自信がないと断言できるので
(貸した金のことについては人一倍の執着心で臨みますが)
「よくもまあこんなに詳しく覚えているなあ!」
というのが第1印象です。
覚束ない感じで自分の遍歴も書き記しますが
怒らずに最後まで読んでいただければ幸いです。

【胎教】

いきなり覚えている訳ありませんが、僕の両親は割と音楽を聞くのが好きだったようで
母親の胎内にいるときから「割と色んな音楽を聞かせていた!」
と意味もなく豪語されたことがあります。ちなみにうちの両親のフェイバリットアーティストは

父:ローリングストーンズ
母:海援隊

と、まったくリンクするところを見出せない訳ですが
ともあれこの世に生を受ける前から音楽が側にあったということです。
まさしく
「あんたがサティスファクション」
という感じですね。

【幼稚園】

ほぼ覚えていなかったので僕はこのコラムのために、ずいぶんと久しぶりに母親に電話をかけて見ました。

「なあ、僕は幼稚園のころどういう音楽を聞いていたのか」
「そうねえ、なんかおっぱいの歌を夢中で歌っていたねえ」
「おっぱいか・・・」
「おっぱいだねえ・・・」

母さん、今じゃ僕も立派な尻党なんだ・・・

【小学校】

まあここからは割りと記憶が残っていたりするので
ちゃんと書いていこうかと思いますが、
一番最初に買ったCDはユーミンの「ダイアモンドダストが消えぬまに」です
・・・
というと聞こえはいいですが
本当のところをいうとお年玉を巻き上げられ
母と共同購入という形で手に入れたものでした。
(表題曲のサビがどうしても”ダイモンダー”にしか聞こえなかった)
フォークソングが大好きだった母はこのころからニューミュージックやブラックコンテンポラリーなど、やたらアーベインな曲を聞き出し、かたや父はといえばあいも変わらずストーンズ一点張り。
この2人は本当に仲がいいのかと不安視しだした頃でしたが、
音楽に関してもそんな両親の影響を受けないわけがないじゃないですか!
というよりも両親に対する反抗心からか、
生まれて初めて買ったCDシングルは光GENJIの「太陽がいっぱい」でした。
まあ小学生ですから「音楽が好き!」といってもアニメソングとかテレビの主題歌とかそういうのを普通に聞いていたはずなんですが (エスパー真美の主題歌はそらで歌える) 小学校4年生くらいになるといつの時代も男の子はマセだす訳で、
「夜遅くまで起きている」というのが格好いい!
 
となる訳です。
ちなみにこれが中学生になると「裏ボタン」、 高校生になると「飲酒・喫煙」になるわけですが、 書き出してみて随分とカントリーな中高生の発想に心が和みました。
 
 
閑話休題
 
 
で、マセだす訳ですよ小4男子。
最初は布団に隠れてオールナイトニッポンを聞くのが
僕の基準で言うところの「格好いい!」だったわけですが
そのうちエスカレートして、親の目を盗みつつ
ギルガメッシュナイトを中心としたテレビの深夜番組にはしる訳ですね。
(飯島愛がCDを出して初回限定でTバックが封入されると言うニュースは記憶にも新しい)
「夢であえたら」とか大好きでしたし、ユニコーンが主題歌を歌っていたので、音楽って格好いいなあという目覚め出したころかもしれません。
今思えば割とこの番組を見ていたマセガキ同級生が多くて
憂歌団がすきだ!」など、今思えば小学生らしくない会話もしていたように思います。
しかしながら音楽が好きだ!ということを決定付けた番組が他にあったわけで。
覚えてますでしょうか、「イカ天」という番組があってがあって
あれは土曜の深夜3時までやっていただろうか、
相原勇が「お次はこのバンドだいっ!」というのは
当時の個人的な流行語大賞でもありました。
とにかくアレを見るのが格好いい!という基準が生まれてしまったので、そこから僕のバンドブームが始まる訳です。  
 
早熟だなあ。
ちなみにイカ天終了後にはじまった「エビゾリ!巨匠天国」は、殆どみる事のないまま気がつくと番組も終わっていました。
このころ好きだったバンドを簡単に列挙しただけでも、
ブルーハーツ、フライングキッズ、ジュンスカイウォーカーズ、
パーソンズ、バービーボーイズ、ジッタリンジン、サイバーニュウニュウ、
たま、ノーマジーン、スイマーズ、カブキロックス、ワンナイトスタンツ・・・
 
懐かしくて涙が出るなあ!
原宿にあったイカ天ショップにも行きました。(12歳で)
周りに怖い大人がたくさんいて萎縮していたことを思い出しましたよ・・・
余談ですがイカ天出身バンドで「宮尾すすむと日本の社長」が歌っていた
「二枚でどうだ!」の意味がわかるようになったのはもう少し後のことです。
(参考サイト:http://www.yk.rim.or.jp/~kuroshin/
(ブログやってた!)

【中学校】

バンドブームに現を抜かしたままランドセルを脱いだ僕は、中学校入学と同時に、ずっと続けてきた陸上をやめることになりました。 理由は成長病による故障の連続でした。
「動きたいのに動かせない」
同じような理由でスポーツを奪われた友人たちは、ことごとく髪型がリーゼントになっていきました。 青少年期の心の葛藤とは、そうした瑣末に思われがちな事で、ベクトルを変えざるをえない時期でもありました。
そんな中、学ランのすそがちょっと短くなったこと以外は特にグレる理由も見つけられないまま
僕は音楽に心の憂さ晴らしを求めました。
まあ大体、想像はつくかと思いますが
モヤモヤとした気持ちを晴らすのに、ハードロックやパンクロックなどに傾倒していったわけです。
ガンズやメタリカ、スキッドロウの「モンキービジネス」など何回聞いたでしょうか。
ピストルズの「アナーキーin the UK」などは、格好いいなあと思いつつも
習いたての英語では歌詞を理解するにいたらず
「アーニャーニャーラワーニャーライヤ」みたいなオリジナルの歌詞で歌い、この頃ちょっと流行りだしていたDrマーチンのブーツを(白い紐で)はき、ランシドやラモーンズ、クラッシュなども聞いたりしては「まるで自分が強くなったかのような陶酔感」に浸っていました。
ただ、周りの友達が夢中になっていたチャゲ&飛鳥やドリカムなどを
「だせえなあ!○ァック!」などといいつつも、つらいことがあったときにずっと聞いていたのは
 
長渕だったりしたのは秘密です。
 
 
「俺のギターにはいつもヘビーゲージ」は最高の名曲)
この頃から無意識に歴史を掘り下げて聞く、というか、割りと昔の音源を好んで聴くという傾向になりだしたわけです。
そしてようやくボブディランにたどり着いて歓喜に咽ぶ中、 親戚が「これを聞いたらいいよ」と教えてくれた
ベルベッドアンダーグラウンドのせいで僕の遍歴は若干ずれだしたのかもしれません・・・
内省的なロックとでもいうのでしょうか、
とても静かなロックなのに聞いていると胸が熱くなるというか
けっしてバラード曲で感じるようなこみ上げ方ではなく
自然発生する感情といいますか、ああこういう時に表現力が至らないのはアレですが
メロディアスな楽曲、背景に広がるニューヨークという文化、
それがとてつもなく大人だなあと感じた訳です。

【高校生 16歳編】

NY!
世界で一番煌びやかな街で
世界で一番格好いい人間がたくさんいて
世界で一番格好いい文化がそこにあるに違いない!
でも未だに一度も行ったことがないNY!
なんにせよ、NY信奉者と化した僕の前に現れたのはローラニーロでした。
とにかく格好よかった。静かで美しくて儚げでした。
音楽は国境を越えてボーダーレスで表現できるのがとても凄いなあと思いました。
当時ローラニーロのCDは近くのCDショップではなぜか置いておらず
前出の親戚にテープにダビングしてもらった奴で聞いていましたが
「擦り切れるほど聞いた!」とかよく言うじゃないですか。
いかに自分がその音源を愛しているかと言うことを表現する際に。
僕は本当に聞きすぎてテープが千切れてしまい、ラジカセをひとつ死なせています。
で、ローラニーロ当時のNYといえばグリニッジビレッジということで
ピーターゴールウェイ!という偉人にたどり着きました。
この流れは当時土曜の夜?にやっていた
山下達郎のラジオ番組「SATURDAY SONGBOOK」で知ったような気がします。
(現在は日曜のお昼に放送中)
ところが当時彼らのアルバムはCD化されてなかったのか、
探せど探せど見当たらず、結局なけなしの貯金をはたいて
レコードプレイヤーを買ったのが16の頃でした。
日本に目を向けたとき
背景としてグリニッジビレッジと同じような盛り上がりを見せかけていた渋谷に目がいき
(解散直前の?)フリッパーズギターにほぼ同時にはまりました。
特にフリッパーズギターは彼らの楽曲もさることながら
「元ネタ」という概念がとても楽しく、
フリッパーズを経由してネオアコやソフトロックも聞き出すようになった訳です。

【高校生 17歳編】

この頃からはまって聞いたのがいわゆる「ソフトロック」という奴でして
これが本当に厄介だ!というのも
まるでCDになっていない上にレコードも高い!しかも手がかりも殆ど無い!
当時やんわりと高野寛だったり佐野元春だったりがFMで紹介して人気が出だした頃の
ロジャーニコルスのあのレコードでさえとても高校生が買えるような値段ではなかった!
しかし一度店内BGMで聞いてしまったこの音源がどうしても欲しい!と思い、死ぬほど調べて
レキシントン(インディーレーベル)からCDが出てる!
 
と嗅ぎつけた僕は即注文、2週間も待ってやっと手に入れた訳です。
手に入ってからは本当にメチャクチャ聞いた!(!ばっかりだなあ)
たぶん今のところ人生で一番多く聞いた音源だと思います。 (後にボーナストラック入りのCDやオリジナルのLP、ブートにいたるまで揃えた)
このアルバムを機に米英60年代ポップスを買いあさったものです。
あと専門誌VANDAも結構読んだなあ。
カートベッチャーのレコードなどどこに行けば買えるのだろうかという位探したなあ。
おかげで知識的なものは増える一方で同級生の友人はがた減りしていきました。
しかしその一方で丁度この頃、高校の近くにあったセコハンのレコード屋に通うようになり
客だった年上の友人たちができ出したのもまた事実でした。
DJやバンドをやっている人たちが多かったので
いわゆる「クラブ」に通い始めたのもこの頃だったと思います。

【高校生 18歳編】

・普通、ビートルズというのは何歳くらいで通過儀礼を終えるのか
・最初に聞いたビートルズのアルバムは何か
実はその辺が結構興味があったりするのですが、
僕の場合は父親がストーンズ一色だったためか、
ビートルズを本気で聞いたのは高校3年のこの年でした。
(ここでいう本気とはいわゆる「オリジナルアルバムを聞く」という意味で)
この頃、徐々に固まってきたのは
「60-70年代のロックやポップスが好きだなあ」という感じだったので
まあビートルズをちゃんと聴いてないのはアレかなあ、くらいの本当に軽いノリで聞きだしたんですが、最初に聞いたのが「ホワイトアルバム」だったのが良かったのか悪かったのか、今でもわからないところがあります。
ただ、ビートルズは圧倒的に美しかった。
ただただ、それだけが凄まじく印象的でした。
ちなみに僕の場合、このあと
リボルバーレット・イット・ビーラバー・ソウル→残り全部
みたいな感じだったかなあ。
当然これには何の意味も無いし、だから何だ!といわれればそこまでなんですが
僕は多分、最初に聞いたのがホワイトアルバムだったからこそ
音楽を聞いてはじめて涙を流したんだと思います。
自分だけは未だにそう思っています。
さて
仲良くなった友人たち(凡そ30歳くらいの)が
色んな音源を教えてくれたりレコードをくれたりしてくれたお陰で
黒人音楽というか、ソウルミュージックやファンクミュージックの中でも
ダイブ好きだ!といえるレコードが増えてまいりまして、
現在も標榜する『生音至上主義者』である今の僕が形作られてきた訳です。
今だからこそいえるのは
当時「合コンだ」の「飲み会だ」の誘ってきた友人たちには悪いのですが
そういう席でダニーハザウェイのライブ盤がいかに素晴らしいかとか
絶対に講釈をたれるに違いないであろう僕がいなくて逆に良かったなあ!
ということです。
そういうことを話しているほうが
女の子と話をすることよりもずっと幸せだった。
そういう時期でした。

【大学生編】

高校3年間が割りと激動の遍歴だったのに対して
もう大学生の頃などは雑多もいいところでした。
渋谷のHi-Fiや新宿のウェアハウスなどの高値レコードに腰を抜かし
レコードを買うために飯を抜き、再発物が出れば涙し、
DJの真似事もし始めて、なんだか音楽が人を連れてくるような
そんな感触を感じていました。
ずっと同級生と歩調が合わなかった音楽の嗜好性に
かみ合う友人もたくさんできたのが純粋に嬉しかったように思います。
自分でもバンドを組んだりしましたが、プレイヤーとしてかかわる音楽よりも
リスナーとして触れる音楽のほうが楽しいなあと(僕は)感じだし、バンドも(速攻で)辞めてただひたすらに聞きつづけました。
いわゆるフリーソウルシーンも安定しだしていた頃で、ロックウェストでジャケを見せて貰っては買い、 オルガンバーでこっそり教えてもらっては買い、 買うお金がなくなってレコードを売っては買い、の日々。
「大学生なんだからもっとおしゃれに気を使おうよ」
と言われていた時代でしたが、いまだに浪人生と間違えられる服装で巷をにぎわせている僕です。
洋服なんざいるか!
 
 
6000円もするTシャツ買うくらいならダニークーチマーのオリジナル買うわ!
 
 
そういう感覚ってこんな文章読んでらっしゃる貴方になら解って頂けるはず。
ちなみに今の今までで最も高値で買ったレコードは、大学3年の頃家賃を滞納して買った山下達郎「COME ALONG(オリジナルピクチャーレコード)」です。

クーチ/ダニー・クーチマー 
■COME ALONG/山下達郎

【社会人ーそして現在】

 
 
 
 
 
あんまり変わってません。

音楽の歴史

Posted by ayu